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2017.02.14

はるかの星【第20回】

はるか 矢立文庫


 今日は一橋星陵高校の二学期始業式。通常の授業は組まれず、ある生徒は夏休みの課題のラストスパートに追われ、ある生徒は新たなスタートに向けて気持ちを切り替えるために存分に遊びまくる日だ。始業式の日、午後の授業が組まれていない理由はこうなんじゃないかなと私は思う。
 でも、なんで気が晴れないのか。
 私は、今年の夏は後者の立場のはずだ。夏休みが始まってすぐに宿題をあらかた片付けたし、他の課題だって終わらせていた。コレを先生に提出して、私は心置きなく、アイや里佳子ちゃんと遊ぶことだってできたはずだ。ワタルだって、そうだったんじゃないかな? あぁ、でも、あいつの始業式はすこしズレてるんだっけ。
 重国先生のいい意味で諦めとも取れるほど短いスピーチが終わると、おのおの午後を堪能するべく、教室を後にした。
 しかし、いまだ教室に残っている子もいる。夏休みの出来事を語らいあうグループ。残った宿題をどうやって片付けるか算段をつけている男子。新学期早々掃除当番に当たってしまった子。それぞれ目的は異なれど、すでに終わりを迎えてしまった夏休みを声高らかに嘆く者はいない。新学期は切り替えが大事だ。
 そんな生徒にまみれても、私はいまだに背もたれに寄りかかったまま、誰もいない校庭を眺めていた。あの日以来、いまだ目にしていない我が親友の姿を探していた。

 結局、里佳子ちゃんは今日、学校に現れることはなかった。

「やっぱり、来なかったな」

 私の机に腰をかけ、同じ校庭に視線を投げるアイが目を合わせず語りかけてきた。その目が探しているシルエットは、恐らく私と一緒のものだろう。鼻からもれ出てくる深いため息がココに座っていてもわかる。
 今年の10月を機に転校してしまう里佳子ちゃん。それも場所もわからない遠方。いろいろな準備に忙しいようで、それは新学期が始まってからも変わることはないみたいだ。今頃なにをしているのかな。

「LINEしてみた?」

 バッグのポケットからケータイを取り出して、なにやらいじくっているアイ。その目はやっぱり寂しげだ。私も里佳子ちゃんと連絡を取ろうとして何度もLINEやメールをしたり、電話をかけてはいるのだが、

「うぅん、音沙汰なし。どうしちゃったのかな……」
「確かに。引越しで忙しくなるってのは聞いてたけど、ここ2週間まったく連絡ないもんな。ったく、やっぱりリカッチは世話が焼ける」

 できの悪いわが子を、しかし、かわいがっている母親のような笑みで冗談を言うアイの行動は、はっきり言って強がりだ。私たちが一番楽しみにしていた夏の花火大会にも一緒に行けず、里佳子ちゃんはなにをしているのか。挙句、私の弟の事故が重なってしまい、三者ばらばらで過ごすことになってしまったんだ。こんなはずじゃなかったんだ。
 人もまばらになった教室で、私たちは座ったままどこか遠くを眺め続けた。校庭に見えていた人だかりも今はすっかりいなくなり、校舎に残っているのは新学期に向けての準備をしている各委員会生徒と、部活動に所属している生徒くらいだろう。教室には私とアイだけ。そんな私たちを椅子から引きはがしたのは、珍しく饒舌に話かけてきた重国先生だった。

「コラ、二ノ宮、学校で堂々とケータイをいじるな」

 右手に抱えられていた日誌で、ポンとアイの頭を叩く。私たちだってアホじゃない。コレくらいのことでギャーギャー騒ぐような真似はしないのだが、この場合意外だったのは重国先生の対応の方だった。その違和感を一番実感しているのは頭を小突かれたアイのほうだろう。この口やかましい先生が、校則破りをよしとする理由なんてないのに、アイのスマホを取り上げようとするそぶりもなく、この話題はコレで終わり、といった具合に目をつぶって私の隣席のイスにゆっくりと腰掛けた。

「あ、ごめんなさい」

 言われるがまま、アイもスマホをさっさとポケットにしまい、腰を上げて重国先生を見ている。私たちが注視しているのは、彼方からの来訪者ではなく、目の前の先生のほうだ。
 だが、どういうことか、先生の視線が捕らえているのは私たちではないらしい。どうやら、先生の目もまた、どこか彼方にいる教え子に向けられているようだった。

「おまえたちに、よろしく伝えてくれ、と言われてな」
「はい?」

 重国先生の言葉を一度に飲み込むことはできなかった。ほとんど世間話ほどの会話しか交わしたことがない間柄において、省略しすぎた文脈ではさすがの私たちも察せない。その顔を推し量ってか、口元がさきほどより緩んで見える先生が続けた。

「橘が引っ越すという話は本人から聞いているだろう?」
「えぇ」
「まぁ」
「そうか。まぁ、いずれわかることだが、クラスの皆には言わないでくれと言われていたんだが、お前たちは知っていたほうがいいかも知れんな」
「先生、なにか知ってるんですか?」
「橘の親御さんの都合で引っ越すというんだが、引越し先がフランスなんだそうだ」

 フランス?

「今、向こうに住む手続きやら学校選びやらで忙しいらしくてな。夏休み中も学校に両親と来てもらって話を聞いたんだが、ずいぶんと疲れてるようだった。そんな状態でだ、学校に来た帰りの足でフランスに渡ったんだ。今頃は、あいつは海の向こうだ。物恋しそうな目で校庭を見つめていても、橘は来れないんだよ」

 授業中、私がずっと外を見ているのを知っていたのか、どうして私たちが校庭ばかり気にしているのか、まるで全部わかっていたかのような口調だ。

「遠いところ、とは聞いてたんですが……フランスって……」

 アイのふさぎ込む気持ちも分かる。まがりなりも私たち三人は心を許しあった仲間だ。一緒に海にだって行ったし、お泊りだってした。買い物に行ったり、いろんなところを見て回ったり、なにより私たちはつながりあえていたと思ったのに。どうして今まで隠してたんだろう。

「余計な心配を掛けたくなかったんじゃないか? それに、橘の気持ちは揺らいでいるようにも見えた。本人の中でまだ決心が付いていないのかもしれんな。だから、よろしく伝えてくれ、とだけ言っていたよ」
「そんな……遠いって言っても……ねぇ」

 同意を求めてくるアイの言葉尻は、か細くなりすぎていて私には上手く聞き取れなかった。そうだね、確かにそうだ。フランスなんて遠すぎる。いくらなんでも、急すぎる。これはこれで上手く行きすぎている話なんだ。誰だこんなこと仕組んだ張本人は。私でなかったら激しく問いただしてやるところだ。
 でも、ソレはムリ。
 信じる信じないは人の自由。しかし、彼女の引越しの原因を作ってしまったのは、恐らくこの私だ。『Planetぜろ』にウソの記事を投稿して、あまつさえ警告を受けてしまい、そのとばっちりを周りの人が受けている。ちせ婆ちゃんにしろ、里佳子ちゃんにしろ、なんの関係もない人を巻き込まないで。
 と、心の大半を占めていた里佳子ちゃんとちせ婆ちゃんに対する感情に入り込んでくる、一抹の疑問が私の思考を一時停止させた。

 ……ワタルの事故は、偶然なのか?

 ココロのバロメーターに新たな項目が付け加えられた、まさにその瞬間。私のバッグの中で眠っていた借り物のケータイ電話が、大きな音を立てて騒ぎ始めた。バイブレーションモードにしておくのを忘れてしまうとは、うかつだった。急いで止めようにも、あまりにも急なことだったので体が反応するまで若干の時間がかかる。ソレくらいの間があれば、いつもの国重先生なら「こら、皆藤! お前もか!」みたいなノリで指導が入るはずだが、ちょっと前にも言ったが、今日の先生の対応は一味違った“らしからぬ”ものだった。

「お前たちも、もう用がないなら帰りなさい」

 そう言って席を立った先生からは、なんともいえぬ大人の貫禄が溢れていた。

「あ、お母さんからメールだ……」

 そういえば、今日は朝から病院にいるんだっけ。右を向いても左を向いても神妙な面持ちしかしない私の行動をみて、さすがにアイも感づいたらしい。

「ワタルっちのこと? そういえば、手術どうなったの?」

 手術はうまくいったよ。なんて言えない。最善の処置が、はたして成功の理由付けに足るかどうかは、その後の経過次第じゃない? バスケができなくなる時点で、もうアウトなんだよ、あの子にとっては。

「うん、なんとか無事なんだけどね」
「けど?」
「……いや、なんでもない」
「……そう、無事ならよかったよ」

 本当のことを言ったところで、現状のなにかが変わるわけでもない。それに望み薄ではあるけど、元通りに治る可能性だって残っているんだ。まだ、バスケができない体になるなんて決まったわけじゃないんだ。

「で、なんだって?」
「『着替え、もってきて』だって」

 流石にお母さん一人ではいっぺんに荷物を持って行くことはできなかったようだ。こういうときに車が使えると便利なんだろうなぁ。

「そっか……入院するとなると、なにかと入り用だもんね」
「早く退院できると良いんだけど」

 さっき自分で誓ったことをすぐに破ってしまった。私が弱気になってどうする。それについてはアイも同意見らしい。

「アンタがしょげてどうするのよ。ほら、元気出して」

 バンと叩かれた背中の痛みで、若干脳内がすっきりした。モヤモヤしたのが吹き飛んだ感じがします。

「そう、だよね」
「そうそう。私、今日バイト入っているから顔出せないけど、近いうちにお見舞いに行くわ。じゃあ、先行くね」

 足早に教室を駆け出していくアイの背中。それが見えなくなると、教室には私しかいなくなっていた。

 私が病室に駆け込むと、すでにワタルは起き上がっており、その大きな上半身をおこして、誰を見るでも、なにかを見ているわけでもなく、ただただ窓の外の遠くを眺めていた。
 しまりのない口元。いつものハツラツとした表情は消え失せ、髪の毛は寝癖がやりたい放題になっていた。あれから一日しか経っていないのに、ひどくやつれた印象だ。
 ワタルの怪我は結局のところ、脚の開放骨折だけだったらしい。内臓に損傷がないか、脳は、筋肉は、と精密検査を受けて今日の午前中の大半を使ったらしいのだが、ムチ打ちやかすり傷を除けば、健康体そのものなんだとか。車に撥ねられて、コレだけ外傷が少ないのも稀なんだそうです。奇跡の使いどころを自由に決めてもいいというのなら、もっと別の場所で使うべきなのではないですか、神様。
 となると、やはり問題になるのは、今もがっちり固定されているその右脚か。幾度となくスポーツ選手の怪我を治してきた先生が言うんだ。たぶん嘘ではないだろう。ワタルはもう知っているのかな。
 病室の出入り口付近で、変わり果てたワタルを見ていると、気配に気づいてか、振り返って、しかし、元気のない笑顔を作っていつものように私に声をかけてきた。

「ねえちゃん、おはよう」

 だめだめ、私が深刻そうな顔をしていちゃ。ワタルにうつってしまう。

「……おはよう、なんだなんだ、ひどい顔だな」
「あはは、そうかな」

 少しだが、芝生程度に伸びてきた無精ひげとヘアスタイルを気にしてワタルが笑う。

「お母さんは?」
「今、いろんな手続きやらなんやらで受付にいるよ」
「あ、そう……」

「医者から聞いたよ」
「なにを?」
「オレ、もう歩けなくなるんだって?」

 堪えてきたなにかが私の中で崩壊した。

「……そんなことないよ! 歩けるようになるって、きっと! そうよ、バスケも前みたいにできるんだから! まだ私、ワタルのダンクシュート見てないんだから」
「ちょっとついてないよな。オレの不注意ってのもあるんだろうけどさ」

 乾ききっていたように見えた目の端に浮かび上がってくる涙。

「オレ、頑張ってきたのに……」

 姉として、今ほど自分の非力さを呪ったことはない。

「ワタル……」

 なにもしてやれない歯がゆさ。口ではなんとでも希望にみちた言葉をかけてやれることはできるが、私にはそんな勇気はなかった。それは所詮無意味な言葉にしかならないとわかっていたから。ぐっと涙を堪えて、無理やり顔を捻じ曲げて作った笑顔で、その青年はこう応えた。

「そうだよな、オレが頑張らなくちゃ。せめて、上半身だけでも鍛えとかないと!」

 無理やり作り出した笑顔には、やはり涙の道筋ができていた。それを決意に満ちた顔と、捉えようによってはいくらでも解釈はできる。
 悔しいけど、受け入れるしかないよ。
 そんな顔だろ、それ。できた弟だ。なんでそんなに簡単に現実を受け入れることが出来るの?

 もうバスケすらできなくなるかもしれないんだよ?
 里佳子ちゃんもそう、もう会えなくなるかもしれないんだよ。
 子供なのは私?
 そんなの嫌だ、ってダダをこねるのは、私だけ?
 やだよ。やめてよ、全部悪い冗談だって言って。
 文字通り沈み込む私。太陽は下降線を描き出す頃合いだが、いまだに日差しは強い光となって私たちを照らし続けていた。

著者:クゲアキラ

イラスト:奥野裕輔

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