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2017.02.21

はるかの星【第21回】

はるか 矢立文庫


 あくる日の土曜日。私はパソコンの前に座りながら考えごとをしていた。
 かれこれ2時間。まだ涼しかった夏の朝、もうすでに窓が太陽の熱気を帯びて暑くなり始めている。
 しかし、ワタルのいない家というのは、慣れたつもりではいたのだが、やはりいまいち盛り上がりに欠ける。帰ったらもうすでにお風呂の準備ができていたり、洗濯物が取り込まれていることもない。全部、ワタシがやらなくちゃ。

「明日、パートに行く前に、ワタルの様子を見に行くから、ちょっと早めに家を出るわ。はるかも、もし予定ないんだったら、一回顔出しなさい。それと……」

 その日の朝交わしたであろうお母さんとの会話を、私はよく覚えていない。なにをしゃべったのか、なにを言われたのか、右から左へ、ただただ流れていくだけだった。
 私の中でうごめく、ある考え。私はそれに夢中だったんだ。
 しかし、いざ踏み出そうにも、その勇気は無い。私は、はっきり言って、ある種の恐怖感すら抱いていた、私の「はるかの星」に。
 仮に願いを叶えてくれなかったとしたら、またペナルティが飛んできてしまう。ソレは絶対に嫌だ。今度はどうなってしまうのかわからない。でも、一回覗くだけなら……。まとまらない、もやもやした考えだけが頭の中をぐるぐる回っている。
 そうして気づいたときには、こうしてイスに座っていたんだ。おにぎりと、メモ書きがテーブルの上に置いてある。ああ、事細かに今日やることを書いてあるわ。さすがというか、なんというか、全部見透かされていた。私が上の空ってことも、なにかに迷ってるってことも。
 メモを完全に読みきる前に、ソレをポケットに押し込み、ワタシは、迷いを振り切ってパソコンの電源を入れた。
 私の願いを叶えてもらうために。

 いつもはスマホアプリから『Planetぜろ』にアクセスするのだが、スマホが代替品のケータイに成り下がっている今、お手軽にはアクセスできない。ここしばらく起動すらしていなかったパソコンを起動させ、ブラウザ経由で「はるかの星」にアクセスすると、山のような数の未読通知がなだれ込んできた。
 なんだコレ?
 確かに、私には記憶があった。ソレは、たしか、「Yellow Card Penalty」つまり、『Planetぜろ』からの警告だ。メンテナンス通知、キャンペーンのお知らせ、定期無料メルマガにまぎれて、赤旗のメールが数件受信フォルダに現れる。目で追っているだけでも、かなりの数。一件だけではない。
 目に飛び込んでくる情報に困惑していると、突然家の電話が鳴った。

 嫌な予感。ただ、その正体がなんなのかはわからない。

 イスから立ち上がり、玄関を通り越して洋間まで入っていったのは、家の電話の子機がそこにあるからだ。あれなら持ち運びができる。私は、電話に出ることもそうだけど、目の前で次々に起こっている不思議現象にも対応したいんだ。
 電話口に出たのは、意外にもいつも聞きなれた声の持ち主だった。

「あの、二ノ宮と申します」
「あ、アイか」
「……はるか? ケータイどうしたの、電話したんだよ?」

 ケータイ? あぁ、代替機のアレか。そういえば、バックに入れっぱなしで……あ、

「ごめん、充電切れてた」
「もう、ちゃんと充電しとけよ。それより、あんた最近『星』にアクセスしてる?」
「え? んと、今つないだんだけど……」
「今までログインしてなかったの? あんたの星が、大変なことになってるのよ!」

 この際、メールのことは無視する。どうせワタシの星にアクセスしてみればアイがなにを言いたがっているのかがわかるんだ。
 言いようのない不安ではない、もう明らかに変なのは気づいていた。しかし、当の本人、つまり私に、その手の記憶は一切ない。なにせ、自分が一番よくわかっているから。里佳子ちゃんの急な引越しが決まったあの時以来、「はるかの星」にはアクセスしていないという事実を。
 私の星は、何者かにより勝手に日記が書き換えられ、その記事がイエローカードを受け悲惨な状況になっていた。

『財源がなくなりました』
 これは財布をなくしたとき。

『通信網が遮断されました』
 これがケータイを壊したとき。

『移動手段が減りました』
 これは自転車が盗まれた日。

 それぞれの日記の日付を見てみると、奇妙なことに、すべて私が遭遇した現実の出来事と同じだった。
 なんで? 私こんなこと書いた覚えない!
 胸の内からこみ上げてくる、明らかな恐怖を生唾と一緒に飲み込み、さらに次へと日記をスライドさせていく。次の日記の内容は、

『はるかの星の住人が怪我を負いました』

 これって……ワタルが怪我した日じゃない! こんなペナルティあり!?
 これのせいでワタルが怪我を? これ、三日前のログインになっている。
 現実の出来事と、『はるかの星』での出来事が見事に日記を通じてリンクしている。すべてキレイに繋がっているのに、私の頭はパニック状態。
 目から入ってくる情報に手一杯で、私は受話器の向こう側にいるアイの言葉に貸す耳はもう持ち合わせていなかった。
 こんなこと書いた覚えはない。

 誰が? いったいどうやって?
 っていうか、なんで!?

 画面をスクロールさせていると、一番最後に投稿された日記にたどり着いた。念のために言っておくが、私が書いたものではない日記だ。
 その日記には内容なんてものはなく、意味不明なアルファベットと記号が所狭しと打ち込まれていた。その日記にカーソルを合わせて、内容を拡大表示すると、画面いっぱいに警告音とともに、真っ赤なテープが張られた。

『webマスターからの通達。今回のブログに記載されている事項と、以前の内容から見て、ID使用者の一連の行為を悪質と判断。よって、現在時刻より12時間後にアカウントの削除を行います。

 あなたの星は消えてなくなります』

 この日記の日付は……今日の午前10時くらいに投稿されたもの。最後の最後に残っていた、私の書いたものではないが、私の日記がレッドカード判定を受けた。

 もちろん私は身に覚えはない。しかも、このペナルティはなんだ? 星がなくなる? 里佳子ちゃんが遠くに行ってしまうときみたいに誰かいなくなるのか?

 誰が?

 電話口では依然、アイが私にまくし立てている。アイではない?

 だれ?

 誰が消えちゃうっていうのよ? もしかして、私の身に何かが起こるの? それともなにか壊れちゃうとか?

 パニック状態の脳内には、ひたすら赤い警告文が飛び込んでくるだけだ。
 そこへ突然、電源が切れていたはずの携帯電話が、けたたましい着信音を上げて騒ぎ出した。ちらっとディスプレイに目を配るが、着信は皆目見当のつかない番号から。わかるのは、同じくケータイからの着信ではないこと。それと、同じ県内からの着信だということくらいか。本能的に、ケータイを握っている私の左手が、通話ボタンへと指を滑らせる。この電話は、必ず取らなくちゃいけない、そんな気がした。

「わるい、アイ、電話だ……またあとでかけるよ」
「ちょっと、はる」

 小刻みに震える親指を制し、電話に応対する。

「あのぉ、大宮警察署のものですが……皆藤はるかさんの携帯電話ですか?」
「はい?」

 ケーサツ?

「あぁ、よかった。家に電話しても通じなかったものでね。皆藤美奈子さん、あなたのお母さん、ですよね?」
「そうですが、母がなにか?」

 高鳴る鼓動を抑えられない。

「つい先ほど、あなたのお母様が交通事故にあい、意識不明の重体になってしまわれたんです。医者の診断では、深刻な状態だそうで……現在、西方大宮病院で緊急手術中なので、すぐに来ていただけますか?」

 電話が切れた後、私はしばらくの間記憶を失っていた。正確に言うなら、つい1分前に電話で言われたことを、自分自身に説明するのに全神経を注いでいた。自分の身の回りでなにが起こっているかを認識することができなかったんだ。今すぐ向かわなければいけないところがあるのに、体が動かない。
 私の背中を叩いたのは、正午12時を告げる、時計の音だった。

 

 自転車のチェーンがガリガリと悲鳴を上げながらも、私はその回転速度をはるかに上回るペースで自分の足を動かした。砂利道の荒い路面を砂煙を上げて疾走し、人ごみの中をすり抜けるように進んでいく。私の自転車が盗まれ、使えるのがワタルの自転車しかないのだが、そもそもの体格差からなのか、なんとも乗り心地が悪い。しかし、速い。次々と私の視界を通り過ぎていく建造物に目もくれず、私は全力で漕ぎ続けながら、またも思案にふけっていた。

 なんで私のお母さんが?

 お願いだから、私からもうなにも取らないでよ。

 病院に到着すると、集中治療室の前に車椅子姿のワタルの姿がいた。
 つい4、5日前に自分が担ぎこまれた場所を見てなにを思うのか、その表情はいつぞやのお母さんのように、ここからでは伺うことができない。
 背が高いのに、ちょこんと車椅子に納まるワタル。似合わないなぁ……。
 警察の人とかいっぱいいるし。
 顔色が悪いよ、ワタル。どうしたってのよ、お母さんは?
 その中にいるの?
 ゆっくりと歩み寄り、ワタルの隣まで行くと、ゆっくりとこちらを見上げた顔には、自分の足が治らないと言われたときでさえ堪えていた涙が、濁流のように流れていた。
 なによ?
 なんでそんな顔するのよ!?

「ねぇちゃん……」

 珍しく弱気なワタル。
 こうしてみると、やはりワタルは私より年下で、弟なんだと実感する。泣きじゃくっている顔は、二人とも小さかった頃のそれとなんら変わらない。結構大人になったものだ、と自分では思っていたが、客観視するとよくわかるなぁ。
 しかし、今回ばかりは私もお姉さん面はできないよ。

 事実を聞くのが怖い。

 なんでこんなことになるの?

 息の荒い私の普通ではないオーラを感じ取ってか、はたまた単なる不審者に職質をかけるかのように警官が近寄って来る。

「君は?」

 その目は明らかに不審者をみるような、警戒の眼差し。聞いてなかったの? ワタルが、お姉ちゃんって言っていたじゃない。

「皆藤、はるかです」

 訝しげな目をさらに細め、手元に持っていた資料をぱらっとめくる。私の続柄がわかったのか、すぐに表情が一変し、今度は哀れむような目で私を見てきた。

「あぁ、娘さんか。よかった。弟さんは今、体が不自由だからね。一通り説明はさせてもらったんだが、君もちゃんと聞いておいてくれ」

 なにやら長々と説明を受けた。
 業務上過失責任とか、おおよそテレビのニュース番組でしか聞いたことのない単語ばかりが私の耳に伝ってくる。こ難しい説明を終え、手元に持っていたファイルを閉じると、いまだに目が虚ろな私を察してか、警察の人が簡単に説明をしなおしてくれた。

「君のお母さんがパートに行く途中で、トラックに轢かれたんだ。恐らく巻き込み確認を怠ったせいだろう。君のお母さん、美奈子さんは骨折と内臓の損傷による重体で、手術中だ。医者の見立てでは、長い手術になるようで、半日はかかるんじゃないかと……」

 事件が起きた時刻が、今日の午前10時ちょっとすぎらしい。
 私の星が、レッドカード警告を受けたのも、10時ちょっとすぎ
 お母さんの手術が終わるのが半日後。
 私の星がなくなってしまうのも、半日後。

 いまだ説明を続けてくれている警官に割り込むように、私は呟く。

「成功しますよね?」
「え?」
「お母さん、助かるんですよね?」

 にわかに表情が曇る警官。

「お医者様が今、頑張っているんだ。大丈夫だよ」

 ワタルの横にあるベンチに、力なく座り込む。立っていられないよ、もう。
 言葉を交わすわけでもなく、なにをするでもなく、私たちは、ただただ目の前の扉を見つめている。五感の内の視覚は完全に目の前の扉に奪われていたが、それ以外は集中する対象がなかった。だから、廊下に響く、遠くから私を呼ぶ声にもいち早く反応できた。聞きなれた声だ。

「はるかちゃん、ワタルくん」

 私たち姉弟を呼ぶこの声は、アイのお母さん、祥子さんだ。
 隣にはアイもいる。親友の窮地に駆けつけてくれたんだ。この絶望的とも言える状況下の中で、背中を全部預けられるような存在の祥子さんの登場に、私はうれしくなった。今まで力が抜けきって使い物にならなかった足が反射的に動き、立ち上がって来訪者を迎え入れる。ワタルも、立ち上がれないものの二人と正面を向いていつの間にか対峙している。

「聞いたわよ。美奈子、どんな具合なの?」

 仕事中だったのかどうかはわからないけど、慌てて着てきた私服はボタンが掛け違っており、メイクも若干落ちかかってきている。後ろで束ねている髪は、ゴムバンドだけでは制止しきれなさそうに躍動的に乱れていた。
 答えなきゃ。せっかく駆けつけてくれたんだ。なにか答えなきゃ。
 でも、変だな。声が出ない。
 餌を待っているコイのように、口が無機質に動いてるだけで、私の声は脳内でしか反芻されない。
 ワタルが車椅子を一歩分、前に押し出し、鼻声で言う。

「わざわざスミマセン。母さん、交通事故にあったみたいで、今緊急手術中なんです」
「親友のピンチとあらば、どこへだって駆けつけるわよ。それと、あなたたちのおじいちゃんおばあちゃんには連絡した?」
「あ、はい……うちの親族にも連絡はしておきました。ただ、爺ちゃん婆ちゃん、結構遠くに住んでるんで、今日中に着くかどうか、微妙で……」

 隣で経緯を説明するワタルの姿が、私よりいくつも年上のように見えてきた。
 いや、コレが、いつものワタルなんだ。

「そっか……警察のほうの対応はどうしてたの?」
「あ、オレが一通り聞いたんですけど、やっぱややこしい点が多くて……ちょっとパニクってたし……」
「わかった。えらいね。あとはお姉さんに任せな」
「ありがとうございます」
「状況が、こんなんだもんな。困ったときはお互い様さ。で、正直どうなの?」

 ソコまで話題が及ぶと、流石に気丈に振舞っていたワタルの声にも涙の色が滲みこんでいく。

「え…と、結構やばいらしくて……手術は半日かかると」

 下唇を思いっきり噛みながら、続く言葉をつむぐ。

「長丁場になりそうだね。あんたも怪我人なんだから、無茶しないように。はるかちゃんも……はるかちゃん?」

 もうムリだった。涙で溢れかえった顔を見られたくなくて、両手で顔を押さえていたけれど、湧き出る声だけは、両手でも押さえようがなかった。

「イヤだ」
「え?」
「イヤだよぉ」
「はるかちゃん?」
「お母さんいなくなっちゃうの、イヤだよ……どうして、なんでそんなふうにできるの?」
「なにがだよ?」

 見上げるワタルの目にも、うっすらと涙の筋が通っている。

「お母さん、死んじゃうかもしれないんだよ?」
「……」
「悲しくないの? イヤじゃないの? いなくなっちゃうの、イヤだよ」
「母さんは、まだ死んでないよ」
「でも、でもぉ!」

 食い下がる私に、珍しく、いや、初めてかな、ワタルが怒鳴るように言った。

「だったら! あとは信じるだけだよ。俺らは、待つしかないじゃないか」
「待つだけ……」

 その後、文字通り私たちは手術室の前で、ことが進展するのを待った。願わくば、いい形になるようにと。
 ワタルは点滴を受けるためいったん病室へ、祥子さんは詳しい事情を聞きに、警察の人と一緒に別の場所で話をしている。ここに取り残されたのは、私と、終始無言のままうつむき続けているアイだけだ。
 とくに話をするわけでもない。私は嗚咽を堪えるのに精一杯だし、駆けつけてくれたアイはそんな私を気遣ってか、ずっと隣で座って待っている。
 室内で作業をしている音が、厚い扉を隔てていても聞こえてくるようだ。遠くでは診療を待っている人が次々と呼ばれていくアナウンス、外では車が行き交う音、そして隣でゆっくりと、大きく呼吸をしているアイの音。五感のどれもが冴え渡っていて、なにか微妙な変化でもすぐに感じ取れそうな気がした。
 そう、最近気づいたんだ。そういう時に、私の脳の働きは最高潮を迎えることを。ゆっくりと、しかし着実にリミットが削られていく時間の中で、私は、今までの行いを省みた。

 書いたことが本当になる日記。そこで起こったことは現実になってしまう。
 が、ある一点をもって、その出来事は叶わなくなり、逆にペナルティが現実として起こってしまうようになった。私の星、「はるかの星」は、もう願いを叶えてはくれない。レッドカードのせいで、もう書き込むこともできない。

 本当に待つことしかできないのかな。

 私になにかできないかな……。

 たどり着いた脳の奥底。なにかないか必死に手探りしていると、私は、現実的に言ってまずありえないが、一つの答えを見つけた。
 このペナルティ、仮に帳消しにすることができるとするのなら。信じられないけど、もしかしたらお母さんを救う鍵になるかも。「はるかの星」の消滅を持って、お母さんの命がなくなる。とすれば、私の星を救えばいいんじゃないか!?
 端から聞いていれば、こんなに馬鹿げた理由付けはない。直接なにも関係ないものをどうこうして、なんになる。笑って片付けられるのがオチだ。
 でもそれは違う。私は今まで見てきたんだ、体験してきたんだ。確かに、私の星での出来事は現実に起こっていたんだ。だったら、きっと今回もそうに違いない。

 何もしないで待っているより、できることをしたい。

 涙をぬぐい、大きく深呼吸をする。病院独特の匂いが鼻腔いっぱいに広がる。少しは自分を落ち着かせるのに役立つかと思ってやったが、逆にむせ返ってしまうような息苦しさすら感じられる。でも、私は肺いっぱいに深呼吸する。
 明らかに雰囲気の一変した私を、なんだかアイが申し訳なさそうな顔をして見ている。何でそんなに困った顔をしているの。

「知ってる?」

 今日初めてのアイとの会話は、どうやらこの場で起こっていることについての話題ではなさそうだ。

「ほら、私たちが学校のネットワークを守った日があったじゃない? 同じような被害が、最近多くてさ、インターネット上でも頻発しているんだって。あんたの惑星も、そいつらの仕業で荒らされちゃったのかも……本当のことが起こる、「はるかの星」……ここまで来ちゃうと、迷信でもなんでもないかも」

 その表情は真剣そのもの。ここにも私と同じ考えの子がいてくれた、なんかそれだけでまた涙が出てきちゃいそう。でも、それがわかったところで、私には手の出しようが……。

「栄太なら、コンピューター研の連中なら、なんかわかるんじゃないかな?」

 土曜日、本来なら部活動に来る生徒しか登校しない休みの日。文科系の生徒が登校している可能性は低い。
 かといって、私の身勝手なわがままに、栄太率いるコンピューター研の皆を引き合いに出すわけにもいかないよ。ついてなさすぎな私のことだ、フラッと学校に行ったところで、運良く彼らを捕まえることができるか? 可能性はゼロに近い。リフレインするワタルの言葉。受け売り? そんなことはどうでもいい。その言葉が持つ、本来の意図を私は噛み締めた。

『あきらめたら終わり』

 お母さんはまだ戦ってる。残り時間、9時間。
 動くなら、今しかない。

「アイ……」
「行こう!」

 それ以上の言葉はいらなかった。アイに右手をとられ、私たちは弾け飛ぶようにして駆け出した。土曜日とはいえ、診療中の病院内はまだ多少の騒がしさがある。その中を駆け抜けるのははっきり言ってよくないことだ。でも、私たちは唯一の可能性にすがりつくために、走った。
 途中、警察官からの説明を受けて戻ってくる祥子さんと出くわした。勢いに乗った私たちは、それが誰であるのか気づかないまま走りぬけようとしたが、

「ちょっとあなたたち、どこへ行くのよ?」

 呼び止められ、その場にとどまる。

「ごめん、ママ。ちょっと出てくる!」

 いまだアイによって握り締められている右手を振りほどき、すれ違った祥子さんに向けて私は言った。

「ごめんなさい、やっぱりなにもせずに待っているだけなんてできない。お母さんは、私が助けます。だから、訳がわからないかもしれないですけど、お母さんを見守っててください」

 ステップを刻みながらアイドリングしているアイと目で言葉を交わし、踵を返して私たちはまた駆け出した。
 大きなため息を漏らして、今頃は私たちの背中を見送っているであろう祥子さんには悪いけれど、私にはやらなきゃいけないことがあるんです。
 アイとともに自転車で全速力で駅を目指した時刻は、陽もまだ高い14時過ぎ。アカウント削除のタイムリミットまであと、6時間。

著者:クゲアキラ

イラスト:奥野裕輔

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