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2020.05.26

【第08回】“アンチ天才”のボトムズ流仕事術

「負け感」からの出発

今⽇から始める「敗者復活」~“アンチ天才”のボトムズ流仕事術・2
2008年7⽉30⽇(⽔) 渡辺由美⼦

【まえがきにかえて 〜受験、就職、職選び……⾃分はどこかで間違えたのか?】

 このところ、“負けが込んでいる”。そんな気持ちになることが多い。

 1990年代前半、“クリエイターブーム”に乗ってデビューして、それなりに仕事もあって楽しくやってきたお気楽ライター、それが私(渡辺由美⼦/本企画インタビュアー)だった。

 ところが出版不況と⾔われ始めたころから出版社に新⼊社員が⼊りにくくなってきた。⼊ってくるのは契約社員とアルバイト。そのうち会社によっては“正社員が偉い”という空気さえ出てきて、何だかなあと思っていたら、仕事のジャンルが広がるにつれて、さらに⾒たくもない現実が⾒えてきた。

「ええっ、××君、あなた、そんなに年収あるの!?」

 アニメ・コミックといったテーマを扱う“カルチャー村”に住んでいた私は、「お給料はイマイチだけど、仕事は楽しいよね?」という村のお約束を信じてやってきた。それなのに、同じ出版という業種でも、会社によって、雇⽤形態によって、こんなに待遇の差があったなんて。「なにを当たり前のことを」と、このサイトの読者の皆さんならおっしゃるかもしれないが、フリー業の私は会社事情といったものに疎く、その差異に気づくのがかなり遅かったのだ。

 ふと気づくと、TVも新聞もネットもこぞって「格差社会」「⼀度負けたらはい上がれない」「境遇の差が全てを決める」と、そんなことばかり⾔い⽴てている。
 会社勤めの友⼈たちまでが、暗い顔で「この会社にいる限り、⾃分がやった仕事の評価は低いままだ」「この会社では年齢に⾒合った昇給なんて望めない」などとぼやきだす。だったらフリーの私なんてどうなるんだろう。

 もしかしたら、私はとんでもなく⼤きな“⼈⽣の選択肢ミス”をやらかしたんじゃないだろうか。学校を卒業した段階で、「⼤きな会社の正社員」になっておけば、今こんなに不安にならずにすんだのじゃないか。いやいや今のご時世、⽣涯を保証してくれるような⽴派な会社に⼊るには、学校だってもっと偏差値の良いところに⼊っておかないと…ということは、じゃあ、私の⼈⽣は17歳からやり直さないといけない、ということ!?

 そんなことってあるか、と思いながらくすぶっていると、⽇経ビジネスオンラインの編集・Yさんから「⾼橋良輔監督のインタビューをもう⼀度しませんか」とのお声がかかった。

 このサイトの⽅にはもしかしたらお馴染みではないかもしれないが、⾼橋監督といえば、アニメの世界では⽇本を代表する⽅のひとり。派⼿だったロボットものに、「装甲騎兵ボトムズ」で渋い戦争映画の雰囲気を持ち込んだ。新作「ペールゼン・ファイルズ」では、過酷な戦場に放り込まれた兵⼠5⼈が、⼰が⽣還するために何を犠牲にしても戦い抜くというハードな物語で、新たなファンを獲得。60歳を過ぎてもなお最前線を⾛り続けるトップクリエイターだ。

 去年やらせていただいた監督インタビューの連載は「天才に負けてもへこたれず、⾃分の味を出していこう」というテーマだったが、「格差」「はい上がれない社会」という⾔葉がさらに重くのしかかってくるようになった今、監督からもっと具体的な処世術をおうかがいしてみたくなった。

「⾃分は敗者」という泥沼からどう復活するか


 希望にさえ格差があると⾔われる世の中で、いかに⾃分の⾝を守りながら戦っていくか。

 実は、⾼橋監督ご⾃⾝が、⾃分の⽣きる道と思い定めたアニメの世界で、連戦連敗を喫した経験がある。監督デビュー作が「宇宙戦艦ヤマト」、そして次の作品が「機動戦⼠ガンダム」という歴史的名作と放映がぶつかり、敗れたのだ。

「⾃分には運がない、負けてどん底に落ちた、そういう経験があるから、“この先どうやって這い上がるか”をずっと考えて来たんです」

 ⽇々の敗北感、負け感をどういなしていくのか。そもそも、勝ち負けって何なのか。そこを間違えると、⼈は簡単に「敗者」になったと思い込んでしまうらしい…今の私みたいに。

 スタートラインでライバルを⾒て“才能がない”と打ちのめされ、作品で負けて、もうだめだと思ってから、監督の復活劇は始まった。

 ⾃分は負け⽝だ、という気持ちをどうコントロールするかから、⼤逆転への道はひらけている。監督が語る「今から始める“敗者復活戦”」を、ぜひ私と⼀緒に体験して欲しい!

前シリーズ 「アンチ天才のボトムズ流仕事術 〜64歳の現場監督に聞け︕」はこちらから】


⾼橋
 お久しぶりですね。

担当編集Y おかげさまで連載第1シーズンは⼤変好評でして、どうもありがとうございます。特に、「まわりが“天才だらけ”の中で、どう⽣き延びる?」の回はものすごく読まれました。再開にあたって、改めてお礼を。

―― 当⽇のページビューでトップ5位以内を連発していたんですよ。

⾼橋 僕はよく分からないんですよ。5位というのだって、よく分からない。例えば、その⽇は5本しか記事がなかったのかもしれないし(笑)。

―― あんまりランキングとかは気にされないんですか?

⾼橋 たぶん気にし始めれば誰でも気になると思うんで、⼤概のランキングや評価みたいなものは気にしないようにして、むしろ遠ざけている⽅です。ネットとかで、匿名で書かれる噂なんかは特に。⾒ないし、聞かないということで。

 だって、いいことだけを読むわけにはいきませんからね(苦笑)。いいことも悪いことも受け⼊れて、それを適当に相殺して平然としていられる性分じゃないんで。だから、直接的にものを⾔ってくれる⼈は別として、匿名性のものはなるべく触れないということに。

―― なるほど。

Y 「まわりが天才だらけ…」のお話がすごいページビューを稼いだというのも、今ネットでものを読む⼈の気持ちに、あのお話が求められていたんだろうなと思うんです。みんなやっぱり「周りは、ちょっと俺よりできるんじゃないかな」と、うっすら悩んでいる。

⾼橋 それは、普通みんな誰でも思ってますよね。どうも周りは⾃分よりもできるんじゃないか、⾃分はちょっと何かこう、最初の⼀歩で遅れているんじゃないか、とかね。そういう思いというのはありますよね。

「⾃分は最初の⼀歩で出遅れた!」


―― あ、そうです。私も含めて、「最初の⼀歩で出遅れている」という気持ちはいま、たくさんの⼈が感じていると思います。

 第⼀部でお聞きしましたが、監督は、アニメ業界に⼊っていきなり「周りの連中に⽐べて、才能がない」と苦悶されて、「この仕事でいこう」と思えるまでにずいぶん⻑い間お悩みになったと。

 いまの20代、30代の⼈と話すと、当時の監督とよく似た悩みを抱えているように思えるんです。「⾃分の才能が⾒つからない」「努⼒が報われない」と。頑張って偏差値の⾼い⼤学に⼊ったのに正当に報われている感じがしない、という声も聞きますね。実は⾃分⾃⾝の中にも、「世の中の多くの⼈に⾃分は負けている」という思いがあります。

Y え、そうなの︖

⾼橋良輔(たかはし りょうすけ)

高橋良輔,ボトムズ,サンライズ,矢立文庫
高橋良輔氏(写真:⼤槻 純⼀、以下同)


⽇本を代表するアニメ監督のひとり。1943年1⽉11⽇東京⽣まれ。1964年、株式会社⾍プロダクションに⼊社。主 な作品に「W3(ワンダースリー)」「どろろ」「リボンの騎⼠」などがある。⾍プロダクションを退社後、サンライズ創業初期に「ゼロテスター」(監督/1973)に参加。代表作として「太陽の⽛ダグラム」(原作・監督/1981)、「装甲騎兵ボトムズ」(原作・監督/1983)「機甲界ガリアン」(原作・監督/1984)「蒼き流星SPTレイズナー」(原作・監督/1985) 「沈黙の艦隊」(監督/1996)「ガサラキ」(原案・監督/1998)「⽕の⿃」(監督/2004)「モリゾーとキッコロ」(監督/2004)「FLAG」(原作・総監督/2006)「幕末機関説 いろはにほへと」(原作・総監督/2006)がある。

 ⾼橋監督⾃⾝の「敗者復活戦」を象徴する「装甲騎兵ボトムズ」。その最新オリジナルビデオアニメ「装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ」(原作・監督)がバンダイビジュアルより発売中。戦いと孤独の中に深く沈む主⼈公、キリコ・キュービィの若き⽇と彼を取り巻く壮⼤な陰謀が描かれる。最終巻(第6巻)は2008年8⽉22⽇発売。


―― ありますよ。だって、Yさんとかと違って正社員じゃないから将来は不安だし、同じライターの仕事をしていても、もっと著名で、収⼊も多い⽅もいるし。⼒量の差だとは思うのですが、「うまくやれていない⾃分」を感じるたびに、負け感が沸いてきます。最初にもっとステイタスの⾼い何かを探さなかったから、私は敗者なのかもな、って。

Y (⼩声で)正社員だって将来不安がないわけないじゃん…

⾼橋 その悩みは、おそらく他⼈が⽤意した「罠」に⾃分がはまりこんでいるサインなんじゃないかな。

―― 罠にはまった?

⾼橋 そう。それを⼼が感じ取って、「不快だ」と訴えているんですよ。

 僕は最近、すごくものを簡単に考えるようになったんですけど―― 例えば、渡辺さんがおっしゃった⽅のように、偏差値の⾼い⼤学に⾏くために努⼒したと。そういうことで⾔えば、⼊試は単純に⾔えば知識量の競争ですよね。

 今、家に昔の百科事典が⼗何巻かあって、これがもう重たいだけなんですよね。年に何回か⾒ますよ。⼈間の知識の基本的なものは、あそこに全部⼊っているわけですから。それに今はネットでもって簡単に⾒られるし、そんなに場所も取らない。仮に百科事典を丸暗記できたとして、全部覚えたって、⼈⽣で全然役に⽴たないですよ、実際のところは。

―― 「学校の偏差値で計れるのは、仕事や⼈⽣に役⽴つ能⼒ではない」と。

⾼橋 そうですよね。百科辞典的な知識もむだとは⾔わないし、教養としてならいいけれど、⼈⽣を⽣き抜いていくために絶対的に必要なことじゃないですよね。

 それよりも、今必要な知識は他にいっぱいあるわけで、しかも今、必要な知識というのは来年は必要じゃないかもしれない。知識なんていうのは膨⼤過ぎて、⼀定ラインを越えて深くしても、僕はあんまり頼りにならないと思っている。

 仮に「趣味」ならいいんですよ。趣味としての知識なら、⾃分の楽しみですから、どんどんどんどん深く広く集めていって、⾃分が喜べればいいわけですよね。知識量よりもはるかに重要なのは、「今の⾃分に必要な知識とは何か、それを⾃分でどうやって収集するか」のほうですよね。

 偏差値が「知識量」だとすると、知識量への努⼒が報われないと嘆くのは、本当はおかしい。それでも嘆いてしまうのは、「偏差値がいい⼤学に⾏くといい仕事に就ける」という枠組みを信じ込んでしまったから、じゃないかなあ。

「好きなことなら1番になれる(かも)」は間違いか?


―― とはいえ、偏差値と、いい就職先、という関連性の枠組みは、完全に嘘でもないですよね?

⾼橋 もちろんありますよ。でも完全に真実でもないよね。別に偏差値に限らず、努⼒と結果の相関って、本当は限りなくグレーなんです。

―― 仮に努⼒の全てが結果に繋がらなくても、せめて「⾃分にまだあるかもしれない可能性」をみつけなきゃ、少しでも⾃分の中に「能⼒」があればそれを伸ばさなきゃ、というのもまた、天才ならぬ我が⾝の悩みどころです。

 今の⼈たちは、趣味にかける情熱が⼤きいと思います。できれば好きなことを仕事にして⾷べていきたいとか。好きなことを仕事にすれば、⾟くたって、⾃分にとって嫌なことにならずに済む。でも、そのために趣味を究めようと頑張っているのに、何をしても⾃分より他に1番がいたりする。

 私の仕事も趣味から出発したようなものですが、結局⾃分はどのジャンルでも1番になれない。私⾃⾝、そんな⾵に悩むことも多いんです。1番になれるものを⾒つけられたら、この「負け感」も薄らぐんじゃないかと思っているのですが。

⾼橋 さっき⾔ったように、趣味は、究極的に突き詰めていけば、ほかに広がらないと思うんです。
 趣味はやっぱり、職業にしないところが本当のよさだと思いますし。そもそも趣味を職業にしている⼈はいないですよね。

―― え、たくさんいると思うのですが。アニメだって趣味といわれる分野ですよね。

⾼橋 だって、趣味は突き詰めていくと、⾃分にしかわからなくて他の⼈にはわかりにくいということになりますよ。

―― ⾃分が好きなものを突き詰めていけば、好きな⼈に届く、というのは間違いなんでしょうか。

⾼橋 アニメなら、作品を作る側と、作品を公開してくれる媒体と、またそれを購⼊してくれる⼈、単純にその3つだとしますよね。作った⼈が趣味を突き詰めちゃったならば、購⼊する⼈との違いが際⽴ってしまう。職業として成⽴しにくいんじゃないですか。

―― では、「趣味を仕事にしている」と⾔われる⼈は、趣味ではなくて何に優れているのだと思われますか。

⾼橋 趣味が⾹り⽴つということは必要なんだけど、もっと⼀般的に理解できるということも必要なわけです。そのバランスだと思うんですよね。

 ⼀般的に「趣味を職業にしている⼈」と呼ばれるのは、⾃分の趣味をどこか奥深いところの中核に置きつつ、それを⾒えないようにくるんで、いろいろな⼈の⾆触りに合うようなものに仕⽴てている⼈なんじゃないかな。

 だから、「好きなことを突き詰めていったら、1番がいた、だから負けだ」というのは、実はその⼈が突き詰めているのは⾃分にとって好きなことではなくて、先ほどの偏差値とまったく同じように、「誰かが決めた、何かの1番」を追いかけているんじゃないかと思うんですよ。

 だって本当に⾃分が好きなことだったら、隣に同じようなことをしている奴がいても、⾃分とはちょっとどこか違うなと思うはずなんです。誰に対しても「なかなかやるね。でも、俺とは違うな」と感じられるのが、「究める」ということだと思うんですね。

―― そうでなければ、その⼈は⾃分の好きなことではなく、「何かの1番」を追いかけている……ということですか?

誰かが設定した「1番」「100点」の呪縛


⾼橋 そうですね。何かを成すことよりも点数のほうを気にしている状態で。「1番になれない」というのを「負け」と感じてしまうのは、やっぱり僕は違うと思います。

 受験でも何でも、なぜかみんな100点を⽬指していたりするけれども……。

―― それはやっぱり点数が上の⽅がいいと思いますから。

⾼橋 本当なら100点を取らないと不合格ということはなくて、試験であれば合格点を取っときゃいいはずなんですよ。なのに他⼈としのぎを削って、80点なら85点にしたいとか、85点を90点にしたいとか思ってしまうのはね。

サンライズ・渋⾕⽒ 今の話を聞いていて思ったんですけど。予備校では1番にならなくても合格点を取ればいいと⾔われるんですが、みんな意外と1番を狙うんですね。

⾼橋 それは何かね、「1番」と同じような、「100点の呪縛」があるんですよ。
 「100点」というのはどういうことかというと、顔も名前も知らない誰かが、最初に課題なり基準なりの、ルールを作ったということなんですよ。こうすれば100点だ、という。極端なことを⾔えば、100点を取ることは、基準を作った⼈にずれることなく合わせる、それだけの⾏為なんですね。

―― 誰かが作ったルールに、いかに合わせていけるか、の勝負?

⾼橋 そう。だから、本当はそんなに躍起になって合わせる必要はないんです。⾃分にとって正しいかどうかじゃなくて、誰かが勝⼿に決めたことなんだから。

―― でも、現実問題として、できるだけ「他⼈に分かる形で」⼈より上に⾏かないと不安じゃありませんか?

まだ負けていない⼈が「負け感」を持ってしまう理由


⾼橋 いや、他⼈から勝ったか負けたかを決めてもらおうとするから、「負け感」が出てくるんだと思いますよ。

―― 他⼈に決めてもらう…他⼈の、というか、ここまでのお話だと他⼈イコール「社会」でしょうか。

⾼橋 「社会的」には、「⼀般」にはこうだという、いわゆる「空気」に合わせようとしたり、成功している⼈の⽅法のマネをしようとすると、かえって負け感がつのって、何もしないうちから「俺は敗者だ」という気持ちになってしまうのかもしれませんよ。

高橋良輔,ボトムズ,サンライズ,矢立文庫
高橋良輔氏

―― ということは、この「出遅れた」気分というか、「負け感」は、⾃分に突出した何かがなくても、ナンバーワンにならなくても、解消されるんでしょうか。

⾼橋 ええ。そう思いますね。⾃分⾃⾝がそうでしたから。アニメ業界に⼊ってから才能のある連中となんども出会って「こいつらにはとても敵わない」と思い込んで尻尾まいたことが何度もありました。

 だけど、それは結局、彼らの得意分野では敵わない“だけ”で、⾃分にもできる戦い⽅はあったし、武器もあったんですよ。負けた負けたと思い込むことは本当はなかったんです。

Y 勝負していないのに、脳内の思い込みだけで負け感をつのらせているというのは、敗者というより、「⾃称敗者」という気がするんだけど。

―― ⾃称って(笑)。⾃分は負けていると宣⾔したいんじゃないんですよ。ただ周りを⾒渡すと、⾃分はどこかいつも負けているという気持ちがわいてくるという。

⾼橋 でも、そこが「社会」が仕掛けてくる呪縛なんですよ。呪縛というのは、他⼈に強制されるよりも、⾃分で作ってしまっていることの⽅がずっと多いんです。

―― 呪縛は⾃分で作っている……。それは考えたことがなかったです。し かもその呪縛は「社会」が仕掛けてくるものなのですか。

⾼橋 ⾃分なりの幸福をつかもうと思ったら、⾃分が作っている呪縛から逃れることが重要で。⾃分を縛る呪縛は何なのか、呪縛の正体を知ることが⼤事だと思います。

―― では、次回は、社会が仕掛けてくる呪縛とは何か、お話をお聞かせ下さい。

(次回に続く)


※本連載は、2008年に公開されたインタビューのリバイバル掲載になります。 

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