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2020.07.07

【第14回】“アンチ天才”のボトムズ流仕事術

完膚無きまでに負けるという「幸運」

今⽇から始める「敗者復活」~“アンチ天才”のボトムズ流仕事術・2
2008年9⽉17⽇(水) 渡辺由美⼦

―― 1973年に初監督の「ゼロテスター」が始まったら、裏番組で「宇宙戦艦ヤマト」が始まった。主要なスタッフはほとんど同じだったにも関わらず作品の出来が「ヤマト」のほうが明らかに上だと感じて打ちのめされた、という衝撃のお話をうかがいました。

⾼橋 だから、「ゼロテスター」が終った後は、ふてくされて“逃げ”に⼊った(笑)。「次の企画はもう僕はやりませんから」と。

―― どうされたのですか。

⾼橋 それで、「スタジオあかばんてん」という会社を作ったんです。取りあえずちょっと⾟い思いをするわけですから、あかばんてんという仲間が集まる隠れ場所を作ってしばらく楽しくやろうと。そのうちに何かまた新しいものが出てくるだろうということですよね。⾍プロにいた頃もそうでしたからね。何かあると「もうやらない」と⾔って仕事をしない(笑)。

―― 当時も、「そんなつまらない仕事ならやらない⽅がいい」と⾔ってふてくされていたとか。

⾼橋 そんなつまらないというよりは、「つまる仕事」をしている⼈がいるわけですよ。それでやっぱりすごい⼈の演出を⾒て、アイツはすごいなと思って。その隣で、同じように演出仕事を「こなして」いる⼈がいるんですけど、僕から⾒ると、明らかにアイツのは⾯⽩いけど、こなしている⼈のはつまらないわけですよ。

 でも1週間に1本放映していくということは、このつまらないものも数のうちなわけですよね。

―― ⼿間と時間がかかるアニメを週に1本作るためには、クオリティよりも完成をゴールにせざるを得ないときがあると⾔うことですね。

⾼橋 でも、「数のうち」の仕事をするくらいなら、後ろ指を指されても遊んでいた⽅がいいというような⼼持ちになっちゃったんです。本当は、数のうちの仕事をこなしていくのも結構⼤変なんです。

 だからたぶんあの時の僕は、やっぱりどこかで格好をつけて、「そんなこなし仕事ならやらない⽅がいい」という……鬱屈した何かを発散し続けることしか出来なかったんですよね。

「ダメだったら、それはそれでいい」


―― そこだけお聞きしていると、最近流⾏ったニート発⾔のようですね。「働いたら負けかなと思っている」という(笑)。

担当編集・Y ご⾃⾝はそういう鬱屈した感覚にとらわれていて、ここから抜け出さなきゃという感じだったんでしょうか。それとも誰かのせいでこんなになったんだから、俺がこうなるのは俺のせいじゃないみたいな……。

⾼橋 いや、僕は誰かのせいとは全然考えなかったですけど。どこか、それはそれでいいんだと思っていましたよ。

―― それはそれでいい?

⾼橋 そこは、ふてくされている時期があっても許される⾍プロダクションという環境があったということですね。

 普通は、この⼈はすごいとか、この⼈がいいなと思ったら嫌になるじゃないですか。その⼈の前から逃げ出したいとか、⾃分がもう、けちょんけちょんになって暗い気持ちになるとか。

 でも⾍プロにいる限りは、いいものは素直に認めようという精神がどこかにありました。認めちゃっているにもかかわらず、⾃分がやらないということは本当はよくないんですけれども、それでいいんだと思っていましたね。全然暗い気持ちにならないかというとそんなことはないですけど、でもやっぱり暗くならなかったですね、あんまり。

Y 前回の「負けたら相⼿を全⾯的に認めると楽になる」というお話とつながりますね。

―― ⾍プロの環境のどんなところが良かったのですか。

⾼橋 それはつまるところ「⾃分の居場所がある」ということですね。

 いいものはいいものとして認めるけれど、それでもどこかに⾃分の居場所や何かが⾃分にはあるだろうと思っていましたからね。また、何かあるだろうと思わせてくれる場所だったんです、⾍プロは。

 何とかなるだろうというのも、根拠はないんですよ。やみくもに信じていただけで。でも、何かある、何とかなるだろうという楽観的なところは、⼩さなことでも、今でも僕にはあるかもしれないですね。今はダメでもそのうち何か浮かんでくるかなとかというね。

―― ゆりかごにゆられている間に浮かんでくるという。

⾼橋 そうですね。あと、僕の場合、⼼に安⼼をもたらす⽅法がもうひとつあったんです。

 僕は実を⾔うと、負けるのは相当嫌いなんですよ。僕が⼈間的にちょっとずるいのは、最初から勝ち負けというところに⾃分を置かないんです(笑)。

 勝つということは「同じルールの中で努⼒する」ということでしょう。負けたから今度は勝ってやるという勝負が発⽣する場じゃなくて、「創作物」という点数が出にくいフィールドに⾝を置くことで、勝ち負けをあいまいにするという……⼈⽣においてそっちの道を選んだというとこがありますね。そっちの⽅が楽でしょう。   

 創作物というのは、明確な点数ってないんだと思うんです。⾒る⾓度によって全部変わってくるから。

 評価基準を「売り上げ」と決めちゃうと、明確に勝ち負けは存在するわけですけどね。でも、売り上げはあっちの作品のほうが上なんだけど、作って楽しむならこっちの作品の⽅がいいよなということもあるじゃない(笑)。

―― そうですよね。作品というのは⼈によって評価がかなり分かれますよね。

⾃分を絶対「買いかぶれない」環境。それがよかった


⾼橋 だから、基準の違いですね、すべてね。この仕事は基準がすごくあいまいでしょう。ある程度、⾃分が納得すれば越えていかれることがあるので。それで、0点がないですからね。

 監督の仕事というのは0点とは⾔われないですからね。作り上げてしまえば。

(⼀同笑い)

⾼橋 今から振り返ると個⼈的に本当に幸運だったのは、⾃分の⼒量に対する評価が、⾼すぎて苦しみながら下⽅修正するのではなくて、最初からあまり⾼くなかった。

高橋良輔,ボトムズ,サンライズ,矢立文庫
高橋良輔氏(写真:大槻純一)

この業界に⼊ったときに、あいつは下⼿だとか同じくらいだなというんじゃなくて、いきなりみんな、僕より上だった。あ、俺、ベベタコだというね。後から思うと、これが楽だったんですね。楽だったというのは、また別な意味で苦しかったわけですが。

 会社に⼊って同期と同じ程度だと⾃分で⾃分を⽢やかすことができなかった分だけ、結果幸せだった。

―― 「まわりが天才だらけ」だから、⾃分の点付けを⽢くしようと思っても無理だったと。

⾼橋 会社員というのは、普通はなかなか⾃分の出来がわからないわけですよ。同期で誰が優秀なんだか。

 でも、⽐較的この仕事は分かりましたね。会社に⼊った途端。その明確に分かった⾃分の位置というのは相当低かったということが、⾃分にとっては幸せだったと。

―― それで「完膚無きまでに負ける」ことが、実はよかったんだとおっしゃったんですね。でも、負けはやっぱり堪えるから、疲弊したときに⼊れる“⼼のゆりかご”的なものを作ると。

 思いっきり負けるのは、⾃分の能⼒を知ることができるいい機会、それは分かりました。でも問題はやっぱり、そこからまた⽴ち上がるにはどうしたらいいのか、ですよね。そこをぜひ聞かせてくださいませんか。

(次回に続く)


※本連載は、2008年に公開されたインタビューのリバイバル掲載になります。 

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