特集
SPECIAL
- コラム
【第38回】高橋良輔監督旅行記「飛行機雲に誘われて」
飛行機雲に誘われて……その38
西安と言えば兵馬俑と、あたしら言いましたが実のところ西暦600年代の隋や唐に代表される中国文化はあたしら日本人の文化の親とも兄貴とでもいう存在で、ヤマト朝廷の都を作るにしても参考にし、国家の基本精神を作るにも大いに頼りにしたのである。だからして留学生たちが随分と西安に渡った。その頃中国大陸に渡るということは大変なことでその半分近くが途中にて命を落としたと言われている。また行きついたとしても病気やその他の事情で帰国を果たせず西安でその命を閉じた人がたくさんいたということだ。そんな人たちの中で有名なのが
『天野原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも』
の歌で名高い阿倍仲麻呂でしょうか。彼はそれでも優秀なので官僚に取り上げられ重きをなしたのでまだしもかもしれないが、先の歌は日本を出るときに歌ったとも、彼の地で日本を偲んで歌ったとも言われているが、その心情を思うと切なくなるなあ。
そんなこんなで西安にはそれらを偲ぶ史跡が点在するが、その代表的なところを写真で。
今回世話になった現地のガイドさんは見たとこ50才凸凹、独身だそうで、
「なんでぇ?」
というお客さんの疑問には、
「うちらの世代は女の人が少なくて、お嫁に来てもらうには条件が厳しいのよ。おまけに、中国の女の人は怖いよ! 喧嘩するとボコボコにぶたれるよ!」
とのことだ。あたしら中国に生まれなくてよかったハハ。
それはともかく彼の言うには15年前の西安では一番高い建物があの7層64メートルの大雁塔で、あとはもうまっ平―――いいながらタブレットの航空写真を見せてくれた―――見たらホント高い建物は皆無! それがですねえ、次の写真を見てくんなまし。
実は現在の西安の周囲はこのような高層集合住宅が延々と取り巻いている。
「す、凄いねえ?」
と驚く私らに、
「3割も入居していませんよ。ほとんどが投資です。売れますかねえ、あのまま朽ちていくんじゃないですかねえ」
とガイドさんは憮然と答えた。
西安まだ続きます。