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2018.07.04

【第01回】コードギアス断章 モザイクの欠片

第1編 消えた王女(前編)

 ギアス――。
 それは呪いか祝福か。
 ギアスは時に王の力となり、また時に破滅の扉へと使用者を導く。
 ある者にとってそれは呪いとなり、また別の者にとってそれは祝福となる。

        1

「これがリヒテンシュタインの姫か」
 皇室専用陸戦艇G-1――。
 その一室で、10代後半の少年が、ディスプレイを見つめながら吐息を洩らした。
 少年であるということを考慮しても、線が細く、一見すると少女と見まがうような可憐な容姿をしている。
しかしその顔に浮かぶ表情は傲然ごうぜんとしていた。
他者を見下し、そうして当然だとでも言いたげな笑み。
生まれながらに強大な権力を与えられ育ってきた者だけが持つ、ある種の特別な表情だ。
 彼の名はハンネス・グァ・ブリタニア。
 神聖ブリタニア帝国第36皇子だった。
「美しい」
 ハンネスの視線の先――ディスプレイには一人の女性の写真が映し出されている。
 艶やかなブロンドと、色白の顔。
すっと背筋の伸びた、しなやかな体躯。
20歳に届くか届かないか、といったくらいの、まだ少女の面影を残した女性だった。
「いい目をしている。決めたぞ。エリーサ・リヒテンシュタインをオレの妻とする」

 皇暦2017年――。
 エリア11で起きたブリタニアへの大規模叛乱――通称ブラックリベリオンが失敗して数か月。
ブリタニアの領土拡大はとどまるところを知らなかった。
 そしてユーロピアの小国であるリヒテンシュタイン公国もまた、ブリタニアの毒牙にかかろうとしていたのだった。

        *

 ファドゥーツ城。
 リヒテンシュタイン公国の元首リヒテンシュタイン公の官邸である。
 豊かな緑に囲まれた静かな城だが、その日は城全体が重苦しい雰囲気に押しつぶされそうになっていた。
「ヨーゼフ様! ブリタニアから通達がありました! エリーサ様を差し出せ、さもなくば武力を行使する、と」
 外務大臣の一言で、場は騒然となった。
 そこは作戦司令部。
 最高司令官であるリヒテンシュタイン公ヨーゼフをはじめ、リヒテンシュタイン政府の重鎮たちが揃って並んでいた。
「おのれブリタニアが……調子に乗りおって!
「野蛮国家め!」
「そのような戯言ざれごと、無視すればよろしい」
その場にいた人間たちはありったけの罵詈雑言をブリタニアに向けてぶつけた。
「だが、そんなことをしたら本当に我が国は征服されてしまうぞ!?」
 しかし、冷静な者が一言、そう口にすると、しーんと場は静かになってしまう。
 すでにブリタニア軍はリヒテンシュタインの国境間近に迫っている。
 リヒテンシュタインは、もともとは非武装中立を貫くことを美徳とした国である。世界情勢の混乱もあり現在では武装しているが、所詮は小国。最低限の武力しか備えていない。ブリタニアに攻め込まれたらひとたまりもなかった。
現状、スイスをはじめとする周辺国が次々とブリタニアに征服されている。そもそもユーロピア共和国連合の力が弱体化しつつある。このような状況では、各国に救援を要請したところで無駄だと多くの人間が理解していた。
「……」
 リヒテンシュタイン公ヨーゼフは、沈痛な表情のまま、ただ押し黙っている。
 国家の最高指導者としてするべき選択は明白。
 エリーサを差し出すことである。
「……」
 だが、ヨーゼフは口を開かない。
 代わりに、
「お父様……」
 虚空から、女性の声が聞こえた。
 しかし、その場にいる誰の口も動いていない。
 ただ声だけが、空気を震わせた。
「申し訳ありません。私が、このような体となってしまったばかりに」
 声は言う。
「エリーサのせいではない。誰が悪いわけでもない」
 声に対し、ヨーゼフは言った。
「誰が信じられる? 娘の姿が見えなくなってしまったなど・・・・・・・・・・・・・・・・・。この目で見ている私ですら、信じられないのだ」
 ヨーゼフの娘エリーサは、数か月前から姿が見えなくなった。
エリーサ自身の気配はあるし、触れることもできる。声も聞こえる。
 しかし姿だけが見えない。
「仕方がない。我が国はもう、終わりなのだ」
 しんと静まり返った司令部に、ヨーゼフの声が低く響いた。

        2

 おとぎ話だと、恵まれない女の子がお姫様になる。
 たとえばグリム童話のシンデレラ。
 継母ままははと二人のお姉さんにいじめられていた可哀想なシンデレラ。
彼女は魔女と出会い、綺麗なドレスとガラスの靴をもらう。
そしてカボチャの馬車に乗って舞踏会へ。
 王子様と出会って最後は結婚。
 めでたくお姫様になるという筋書き。
 それがあまりにも魅力的なお話ストーリーだから、女の子の成功物語はシンデレラストーリーなんて言われることもある。
 でも、そんなの幻想だとエリーサはずっと思っている。
 お姫様は案外、つまらない。
 だって、たとえば、好きなときに外出することができない。
 好きなものを着ることもできない。
 毎日、習い事や勉強ばかり。
 よく知らない偉い人におべっかを使いながら夕飯を食べることも多い。
 そして――。
結婚したくない相手と結婚しなきゃいけない。
 もしできるなら、エリーサはお姫様を辞めたかった。
 普通の女の子になりたかった。

 そんな気持ちを、ずっとつのらせていたからかもしれない。
 エリーサはまだ幼かったころのある日、叛逆はんぎゃくした。
 城下町でお祭りがあった日のことだ。
エリーサはお供の人を何人か連れて、お忍びで城下町に下った。
 帽子をかぶり、マフラーで口元を隠し、もこもこのオーバーを着て体型も隠した。
男の子なのか女の子なのかもわからない状態で、エリーサはお祭りを歩いた。
 全然楽しくなかった。
 こんなところにエリーサがいることがわかったら、人々はパニックになる。エリーサは国家元首であるリヒテンシュタイン公の娘。この城下町で知らない人などいない。
だからエリーサが普通に祭りを楽しむためには、こうして変装する必要がある。
 何かほしいものがあるときは、ボソボソと小さな声でお供の人に頼んで買ってきてもらう。
 その必要性は、頭でちゃんとわかっていた。
 けれど、まともに声を出すこともできない。変な服を着なきゃいけない。
「これのどこが普通なの?」
 と、心の奥底では思っていた。
 だからエリーサは、ポケットに忍ばせていたかんしゃく玉クラッカーボールを足元に投げつけた。

 パーン!

 足元で破裂音がし、お供の人はぎょっとして動きを止めた。
その隙にエリーサは駆け出す。
「エリーサさま!?」
 背後で声が聞こえたが、エリーサはかまわず人ごみに飛び込んだ。
人々の間にわざと紛れるようにして走る。
幼く背が低いエリーサは簡単に人ごみに呑まれ、お供の人たちはエリーサを見失った。
「はぁ、はぁ、やった……!」
 路地裏。
 薄暗いその場所で、エリーサは一人、自分の体を抱きしめた。
「やったぁ!!」
 その瞬間、エリーサはリヒテンシュタイン公の娘エリーサ姫ではなく、ただの女の子エリーサだった。
 そして――。
 エリーサは彼女に出会ったのだった。
 旅芸人と思しき少女が、一人、樽の上に座っていた。
 独特な髪色と、抜けるように白い肌。
均整のとれた体に、はっきりとした鼻筋の通った顔。
 彼女がC.C.シーツーと呼ばれる少女であることを、もちろんエリーサは知らない。
 旅芸人風の少女は、物憂げな表情で空を見上げていたが、エリーサを見つけると、ふわりと微笑んだ。
 エリーサの心臓がきゅっと縮まる。
 妖艶な笑みだった。
唇の両端をかすかに釣り上げただけの、ささやかな笑み。
けれどたったそれだけの変化に、エリーサは胸を高鳴らせる。
「どうした? 迷子か?」
 少女は樽から飛び降りると、エリーサへと近づいてきた。
「おや、その顔は……」
 マフラーをしていたにもかかわらず、彼女はエリーサの素性を見破ったようだった。
 エリーサの顔が暗くかげる。
 台無しだった。
 またしてもエリーサは、エリーサ姫になってしまった。
「おまえは自分のことが嫌いなのか?」
 少女が問いかける。
 エリーサは首を振った。
「私が嫌いなのは、エリーサ・リヒテンシュタイン。ただのエリーサのことは、まあまあ好き」
 エリーサは正直に答えた。
 はっと小さく目を見開く少女。
「そうか。おまえには資格がある。力を得る資格が」
 力――耳慣れない単語だった。
「この力を得た者は望みを叶えられるだろう。しかし同時に、この力はおまえを孤独にする。それでも契約して、力を得るか?」
「ほしい」
 エリーサは即答した。
 彼女は幼いながらも理解していた。
 このままでは一生、自分はお姫様のままだろう、と。
 きっとずっと、自分はリヒテンシュタイン公の娘エリーサ姫として生きていくことしかできないだろう、と。
 現実では、シンデレラは絶対にお姫様になれない。
同じように、お姫様は絶対にシンデレラになることはできない。
 お姫様のまま一生を終える。
 それが幸せな結末であれ、不幸な結末であれ――。
 だから――――。
「もし変えられるのなら、変えたい」
 エリーサは言った。
 まっすぐ、少女を見つめて。
「そうか。ならその望み、叶えよう」
 少女の手がエリーサの額に触れる。
 まばゆい光に自分が飲み込まれていくような感覚を、エリーサは味わった。
 そしてその日から、エリーサは自分の姿を消し去る力を得た。

        3

 エリーサは姿を消す力を、おもに城から抜け出すのに使った。
 抜け出す時間帯は基本的に夜。
 日中は勉学や公務など、さまざまなことで忙しく、抜け出しても後で面倒なことが起こるからだ。公務中に姫が消えたとなれば大騒ぎになる。戻ってきたときに父や大臣から大目玉を食らうのは見えている。
 だから抜け出すのは決まって夜――皆の寝静まったころだった。
 エリーサは力を発動して、城の外に出ていく。
 静かな森を抜け、街に降りる。
 街は眠らない。毎日、朝まで喧騒けんそうが続く。
 エリーサは透明になったまま、繁華街の人ごみを歩き回った。
 人ごみの中を透明になって歩き回るのは楽しかった。
 誰でもない自分。
 単なるエリーサとしての、自分。
 辛いことがあるとエリーサは、力を使って一人城を抜け出した。
「誰も見てくれないって、悲しくない?」
 妹のアナに訊かれたことがある。
「ほとんどの人は、家族以外の人には見られていないよ」
 エリーサはそう答えた。
 一般の人は、人ごみの中に入れば透明になったのと同じ。
 誰も隣を歩いている人のことなんて気にしていない。
顔を見たって一秒後には忘れてしまう。
 匿名性とくめいという名の透明性を人々は着こんでいる。
 そしてそんな人々にだって家族がいて、恋人がいて、友人がいる。
「私にだってお父様や、城のみんながいる。それに、アナもいる。だからそれでいいのよ」
 エリーサがそう言うと、アナはちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
 エリーサ・リヒテンシュタインとして生まれてきて良かった、と思うときがあるとしたら、それはアナの姉としての自分を意識するときだった。
 だからエリーサは、アナをいじめるようなやつには容赦ようしゃがなかった。
 以前、親戚一同の集まるパーティで、アナにちょっかいを出した娘たちがいた。
 リヒテンシュタインの官邸、ファドゥーツ城で行われたパーティで、主催は父のヨーゼフ。そのためまだ子供だったエリーサやアナも、引っ張り出されて来賓の相手をさせられた。
 その来賓の子供たち――名前はたしか、ハイダとヨハンナ。
 ユーロピアのどこかの貴族の娘たちだ。国は覚えていない。リヒテンシュタイン家とは遠戚えんせきになる娘たちだった。
 エリーサは彼女たちに挨拶をした。
「ごきげんよう、ハイダ、ヨハンナ」
「「ごきげんよう」」
 けれど引っ込み思案のアナはエリーサの後ろに隠れてしまう。
「ほら、アナ。ご挨拶なさい?」
「ごきげんよう」
 蚊の鳴くような小さな声で、アナは言った。それでもアナにとっては精一杯の力を振り絞っているのだ。
「人見知りなもので、申し訳ありませんわ」
 エリーサは苦笑を見せた。
「いいえいいえ、お気になさらずに」
 そう言ったのはハイダだったか、ヨハンナだったか。そんなことはどうでもいい。
 アナが緊張で参ってしまっては困るので、エリーサはアナを連れてすぐにその場を離れることにした。
 エリーサとアナが二人に背を向けた直後だった。
「あの子――妹のほう、ひどなまりでしたわね?」
「仕方ありませんわ。リヒテンシュタインは田舎ですから」
 ハイダとヨハンナがエリーサの背後で言った。
 それはひそひそ声と言うには大きかった。
 明らかに、エリーサたちに聞こえるように言ったのだ。
 その証拠に、エリーサが振り向くと、二人はニヤリと口元に笑みを浮かべた。
 彼女たちは知っているのだ。
リヒテンシュタインの軍事力は貧弱だ。ユーロピア共和国連合の他の国との協力関係なしに存在を維持することはできない。だから多少嫌がらせをしたところで、エリーサたちが仕返しをしたりはしないということを。
 ぎゅっと、エリーサのドレスのスカートを握る手があった。
 アナだった。
 アナは目にいっぱいの涙を浮かべて、エリーサを見上げていた。
 悔し涙。
 本当は訛りなんてない。ユーロピア共和国連合の共通語を、アナは流暢にしゃべることができる。ハイダとヨハンナが言ったことは間違っている。
 しかし同時に、言い返すことができないということもまた、アナはわかっている。
 そんなアナを見てエリーサは思った。
 いまこそあの力を使うときだ、と。
 その夜、エリーサは力を開放した。
 力の使い方は、自転車でバランスをとるのと似ている。使おうと意識すると、エリーサの体は透明になる。身に着けているものも一緒に見えなくなる。
 エリーサはそっと部屋から出ると、ハイダとヨハンナの部屋に向かった。
 あらかじめ用意しておいた鍵を使って、部屋の扉を開ける。
 そっとは開けない。
わざと大きな音を立てて開けた。
 ベッドの中にいたハイダとヨハンナの寝息が止まった。
「なんですの、お姉さま」
 ヨハンナが言った。
「何って、私は何もしてませんわ」
「でも、扉が……」
 続いてエリーサは部屋の真ん中にろうそくを立てて、火をつけた。
 ぼうっと、辺りが薄明るくなる。
「「ひいっ」」
 ハイダとヨハンナが短く悲鳴を上げた。
 そして最後の仕上げに、エリーサは赤い口紅を使って、窓に文字を書いた。

 殺してやる――

 と。
「「きゃあああああああああああああああ!!」」
 ハイダとヨハンナは悲鳴を上げながら部屋の外に飛び出していった。
 ――この話はエリーサとアナの間で、鉄板の笑い話になっている。

 しかし、エリーサは知らなかったのだ。
 この力――ギアスが、こんなイタズラに使う程度の、生半可なものではないということを。
 一年ほど前。
「エリーサさま? いったいどこにいらしたんですか?」
 公務で外出した際に、お付きの女性からそう問われたのが最初だ。
「どこにって、ずっとここにいたわ」
「そんなご冗談を」
 お付きの女性は笑った。
突然、その場から消えてしまったみたいに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いらっしゃらなくなって、かと思ったら、いつの間にかここにいらっしゃる。いったいどんな手品をお使いになったんです?」
 心臓が縮み上がる。
 人前でこの力を間違って使わないように、エリーサは気をつけていた。この力は人知を超えている。もし人々に知られてしまったら、ユーロピア政府に捕まって実験体にでもされるのではないかと思っていたのだ。
この力について知っているのはアナだけだった。
 しかし、この突然姿が消える現象は、その後も続いた。
 そして最初はほんの数分くらい消えるだけだったのが、一時間になり、半日になり……。
 そしていまエリーサは、半年間ずっと、消えたままになっていた。

つづく

著者:高橋びすい

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