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メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第17回】
前回のあらすじ
エステラによって閉じ込められてしまった真世はバシレイオンAIに助けを求めた。だが、彼女が発した言葉は真世を戸惑わせる。
「……あたしじゃ……駄目なの? あたしが、ただの、造りモノだから?」
真世は8畳半の真ん中で立ち尽くした。 ⇒ 第16回へ
突如、露島研究所から見渡す東京港一帯に向けて、けたたましい警告サイレンが鳴り響いた。帝都湾岸新交通・第二整備車庫予定地に展開していた、陸自部隊の緊張が、跳ね上がるように一気に高まり、そして、階級・任務の隔てなく全ての隊員の視線が研究所に向けられ釘付けとなった中、現場指揮官である頭号師団長は、急く気持ちを押さえつけるように、あえて歩幅を大きくゆっくりと歩んで指揮所に戻ると、地上無線機の受話器をとり、朝霞の東部方面総監部にて統合任務部隊を指揮する方面総監に対し報告した。
「マル特巨大脅威が、歩行移動を開始しました」
落ち着いた口調とは対照的に、緊張に小さく武者震いする手が、今にも握り潰さんばかりの力で受話器を握りしめている。当然のこととして師団長は、マル巨から帝都を護るべく鉄槌をくだす命が下るのを覚悟(あるいは期待)した。無線の先で胸のバッジも誇らしいであろう陸将から告げられた言葉は……しかし、予想外なものだった。
「……は? みらい庁が、ですか?」
* * *
まるでビル程の太さもあるバシレイオンの足が、サッカー競技場を何枚も敷いた広さの露島研究所の頑強な屋上部で、その一歩を踏み出した。スカイフック・アブソーバー緩衝機構の働きで、足裏部が、柔らかいスニーカーのソールのように深く沈み込む。
「彼女の居場所はわかるんだよね?」
「うん! 西東京のはずれ、『国民いきいき安心戦略特区』みらい庁第二庁舎大深部、ここから直線距離で26マイル!」
はやる気持ちを抑え切れない様子で問う真世に、バシレイオンAIは簡潔的確に返答する。防振機構とセルフレベリング荷重制御によって適度な振動に揺れる8畳半で、軍艦のブリッジにて凜々しく双眼監視望遠鏡を構える艦長のごとく、真世が装着したVRヘッドセットに手を添えている。映し出されている辺りの景色に、目的地までの経路がオーバーラップして表示された。
「どうやって行くの? 建物を踏み散らかしながら走っていく訳じゃ──」
「んなわけないし! 空から!」
「飛べるの?」
「馬鹿にしてんの? あたりまえじゃん! けど、ここでソアリングブースターに火入れると、まわりの家、みんな丸焼けになっちゃうから、いったん海に出るね!」
「海!? 泳げるの!?」
取り囲んでいる分譲住宅地が、ズシンズシンと突き上げられるように振動する。街灯や信号機が揺れてしなり、いくつかの自動販売機を勢いで転倒させつつ、バシレイオンは、研究所の屋上部から地上敷地内に降りると、立ち並ぶ住宅の間に、ここそこと設けられている公園や緑地を足場にゆっくりと歩み(ゆっくりといってもそれは見た目上の事で、実際に全高490フィートの巨体が、人が歩くように進めば、速度的にはスポーツカー並みの速度となるが)、そのままザブンと東京湾に足を踏み入れた。
ブクブクと頭まで海に沈むのを覚悟し、真世は緊張にぎゅっと肩をすくめ、思わず息を止めたが、実際はバシレイオンの足首ほども海水には浸からなかった。
「浅っ!」
「港なんてこんなもん……ってか、じゅうぶん深い方じゃない? 浚渫したばっからしいし。ま、いっても、東京湾の外まで歩けばいきなり一気に深くなるみたいだけど、行ってみる?」
冗談めかす口調の裏で、バシレイオンAIはフライトマネージメントシステムを立ち上げ、着々と飛翔準備を始めており、周辺空域をゆく航空機の位置予測から割り出したローンチウィンドより逆算したTマイナスを彼女がカウントダウンしようとした──その時、
「……なんか、デカイの……空から……」
「え?」
その経空対象物は強度な低観測性を持ち、バシレイオンの多種強力な電磁波系センサー群のセンシングの網をこじ開けくぐり抜け、パッシブ光学系センサーによってようやく捉えられた時には既に、ごま粒ほどに目視できる距離の上空にまで接近していた。
VRヘッドセットの中に再現された景色の一角に、その姿がズームされる。バシレイオンに勝るとも劣らない巨大なソレが、ピンと伸ばし広げた両の手を翼にし、尻部からターボジェットの真白いコントレールを一本曳きつつ、青空にうっすらかかる靄を貫き、凄まじいスピードで向かってくる。
「ロボット!?」
真世が思わず言葉にする。
バシレイオンAIはハッと息を呑んだ。
「虹……1号……!」
彼女が告げた名前に覚えがあった。爽やかな聞こえとは裏腹に、何やら鼻の奥に湿ったかび臭さがひろがる。記憶の中を巡る。答えは手を伸ばして届くところにあった。「そっか!」と、胸がスッキリすいたかと思った次の瞬間、鉛のような鈍いものが、胃を持ち上げこみ上げてきた。
「…………あれが?」
バシレイオンAIから告げられた静香の絶体絶命なる危機。彼女が、声の大きな大柄男に連れられ進んだトンネルの、行き着いた先に鎮座していた、収まるべき脳を待つドンガラ。
「………………じゃ……」
真世は、絶句の中にぽそり、洩らした。
「…………彼女…………もう……」
脳を摘出され──脳みそだけになって、あの中に? 真世は問うのを躊躇った。バシレイオンAIも答えたくはなかった。虹号はどんどん近づいてくる。バシレイオンの警戒受信機が、相手がFCS(火器管制システム)を始動させたのを感知した。
「撃ってくる!」
すかさずバシレイオンAIもFCSを起動させ、マスター・アーム・スイッチをアームにセットすると、状態をホットにした。あとは──
「いつでも撃てるよ……真世が『撃て』って命令すれば……」
「だって……あのロボットには……」
「わかってる──でも」バシレイオンは心苦しくも諭そうとした。「あたしのA3フィールドディフェンスで防げない既存兵器はない、けど、もし向こうが、真世の父親と母親が想定していない未知の武器を搭載してたら……可能性はゼロじゃないし、物事に絶対なんてのもない。敵性行為を示す相手には、兆候の段階で先手を打つのが生き残る鉄則!」
「操られてるんだよきっと!」
「だろうとなかろうと、いようがいまいが関係ない! 撃たれたら! やられてしまったらおんなじ!」
「話してみる!」
「真夜!」
「繋げて!」
もうっ──と、バシレイオンAIは、虹号との音声回線周波数をスキャンし、それを瞬時に見つけるとリンクを確立した。真世が身を乗り出し呼び掛けようとする。それより早く、
「どうした? 撃ってこないのか?」
相手の方から話しかけきた。
嘲るような口調だ。
二人はハッとした。
男の声だった。
「どうやら恐れをなしたようだな……この私の……虹0号の、偉容に」
「0号?」バシレイオンAIが訝しむ。
「あの子じゃない……!? この声……」真世の記憶に、忘れることの出来ない、あの日の夜が蘇った。「あのコンビニの……フレッシュマートの店長!」
草永の脳は満足していた。悠久の古来よりこの世に、宇宙に、連綿と邪悪の根をはびこらせていたネオイリュミナティ、その権化である魔人を自らの手で葬ることの出来る体を与えられたのだから。自分は、ようやく正しき目によって、選ばれたのだから。
あの日、大和田がフレッシュマートのバックヤードの片隅の、彼のアジトを訪れた際、草永は、世の闇の諸事万端が複雑に紡がれつつも必ずや一本の糸で結ばれているという、自身の持論に多大なる興味を示した大和田に、大いに心を開いた。そして同時に、大和田が唱える夢・輝き・みらい庁の尊く高邁な理念に心肝より賛同した。草永は自ら手を上げた、平静香の遺伝子操作構造を解析し試作した成長静止ホルモンを己に投与し、摘出した脳を、虹1号のいわば先達となるプロトタイプ、虹0号という正義の鎧に捧げる事に。自身を次の高みへと誘う為。
「私は決して正義を矛に覇者たろうとしている訳ではない。もし邪悪を捨て、我が前に跪くというなら、赦しを与えよう」
虹0号は推力偏向ノズルを巧みに制御しつつ、海面で唖然と立ち尽くしているバシレイオンの目前で、いったん制動をかけたのち、二本の足で着水した。波紋が大きな波となって、辺り一帯の岸辺や係留されている船を飲み込む。
「──かとも思ったが」
虹0号のウェポン・ベイが一斉にドアを開き、搭載されている『ずずらん丙型』RRM(ロボット対ロボットミサイル)が、艶やかに尖ったノーズコーンをずらりと覗かせた。シーカーからの視線が、自分をアクティブ・ターゲッティング(捕捉)していることを、バシレイオンAIは感知した。真世が息を飲む。
「世にあまねくはびこる邪悪を改悛させるには、時には見せしめも必要だ」
「バシレイオン!」緊張する真世とは対称的に、バシレイオンAIは安堵の声を返す。
「未知の脅威ならともかく、成形炸薬だろうとキネティックだろうとサーモバリックだろうと、なんなら核だろうと、既存の兵器だったら、あたしのA3フィールドディフェンスで防げないモノなんて……」
そこまで言って、バシレイオンAIはハッとした。突如、FCSがダウンし武装が使用不能になったかと思うと、続いて防御の要であるDMS(ディフェンス・マネージメント・システム)までもが機能を停止し、A3フィールドディフェンスが消失してしまったのだ。
「なんで!?」
戸惑う声に、虹0号の中で草永がニヤリと笑んだ気がした。
「粛正せねば」
すずらん丙型全184発がサルボ(一斉)発射され、バシレイオンを取り囲み着弾すると、大きな灼熱の火球の中に彼女を閉じ込めた。次いで虹0号の体全体から、『おしどり12型(改)76m連装砲』の62口径砲塔が、まるでハリネズミのイガの如く無数に姿を現したかと思うと、毎分128発の速射速度で放たれはじめた徹甲砲弾が、バシレイオンに雨あられと襲い掛かった。
バシレイオ・フラーレン製の彼女の外殻は、その程度の攻撃で決して破壊されるシロモノなどではなかったが、それでも──
「このまま攻撃受け続けたら、いつかは」
VRヘッドセット内に映し出されているリアルな惨状に、まるで自身が攻撃を受けているがごとく8畳半の真ん中で頭を抱えうずくまっている真世は、思わず「痛てててっ!」と叫びつつ、
「ちょ! 反撃! 反撃!」
「だからFCSがダウンしちゃったんだってば! 武器使えないの!」
そんなバシレイオンAIも、まるでプロセッサの影に隠れているかのよう。
「なんで!? そのナントカフィールドってやつもどうして消えちゃったんだよ!」
「わっかんないし!」
すると突如、雨あられの攻撃がやんだ。
「どうやら買いかぶりすぎていたようだ」草永の声がつまらなさそうに言う、「いいや、単に私の方が見誤っていただけかもな。真の邪悪が何かと言えば──」
頭を抱えていた真世と、プロセッサの影に隠れていたバシレイオンAIが、恐る恐る様子を覗き見る。それまでバシレイオンと向かい合っていた虹0号が、なにやらゆっくりと向きを変え、首都の街を見据えた。
「まさに私を蔑み侮り鼻先であしらい続けてきた、この街の1400万……もとい、この国の1億2千万……いや、この星に住まう、80億の愚か者どもだ」
積怨の言語が重々しく吐き出されると共に、虹0号の頭部がゆっくりと二つに割れる。中から一本の巨大な弾道ミサイルが現れ、陽の光に鈍く照り返した。
著者:ジョージ クープマン
キャライラスト:中村嘉宏
メカイラスト:鈴木雅久