特集
SPECIAL
- 小説
- はるかの星
はるかの星【第7回】
居間にある大きめのソファに深々と座り、スマホをいじるのが夏休みの日課になりつつあるのなら、そんな私に、
「こぉら、帰ってきたら手洗いとうがいをする」
と、注意喚起するのもお母さんの日課になりつつあった。いかんいかん、これではグータラ星人になってしまう。はるかの星の住人は皆まじめで勤勉なのだ。促されるままにことを済ませる前に、パジャマに早々と着替える。だらしないといわれようが、この格好が一番落ち着くから、家にいるときはこの状態でいることが多い。決してグータラな訳ではない。
浴室と隣り合わせの洗面所で、うがい手洗いを済ませると、その後は素早く洋間に移動し、取り込んである洗濯物を丁寧に畳んでいく。夕飯前に次の洗濯物を集め、風呂場の掃除をする。とりあえず、誰が号令をかけるわけでもないが、気づいた人がやるというのが決まりごと。とくに、母が炊事当番のときはそうするようにしていた。あとは洗い物を洗濯機に突っ込んでボタンをポチッと押せばいい。夜のうちに洗いあがった洗濯物は朝一番にワタルが干す、というのも決まりごとのようになっている。お母さんのこの一連の家事に関する行動は、自分の洗濯物をコレに加え、ボタンを押す作業だけだ。
夕方遅い時間まで仕事をし、疲れたお母さんにあれやこれや頼むのは、さすがに気が引けるからね。その負担を私たちが負うことにより、夜のおかずが一品でも増えればコレ幸い。
「ご飯できたわよ~」
今度はキッチンからお母さんの呼び声が飛ぶ。食卓には、やはり一品おかずが増えていた。
「はるかはどこに行ってたの? 今日はバイトなかったんでしょ?」
「ん? ほら、コンビニができるところよ、新しく」
「コンビニ? 新しくできるの?」
「あぁ、母さん知らないの?」
もりもり食べ続けていたワタルが不意に箸の運びを止め、なにやら得意げ。
「三橋用水路のつきあたったところあたりにコンビニができるんだって」
「へぇ~、それは便利ね」
「だろ♪ でも、いつになるかもわからないのに、姉ちゃんなんで行ったの?」
「現場視察よ。家にいてもやることないしね」
「……それにしても、どうしてそんなところなのかしらね?」
ぼそりとつぶやく母に二人して驚く。
「え?」
「え?」
「だってそうじゃない。三橋用水路の突き当りって、なにもないでしょうに」
言われてみれば確かに。あそこにコンビニを置く必然性がまったく考え付かない。皆藤家のために、というのなら幾分納得のしようはあるけど。
「ワタル、誰から聞いたの?」
「いやぁ、学校の女子連中がしきりに話しているの聞いてさ。そいつが誰から聞いたのかまではわからないけど」
「女の子が好きな噂話かなんかじゃないの?」
「でもね、アイも同じこと言うんだよ」
「あら、アイちゃんが?」
「それなら信じちゃおうかしらってな顔だな、母さん」
アイがこの世に生まれた時点から我が娘のように成長を見てきたお母さんにとって、アイは単に私の友達という枠には収まりきらない存在に違いない。それは、お母さん自身の親友の娘でもあり、私の大親友でもあるから。我が娘のような存在、そんな彼女に嘘か本当かの押し問答をすることのほうが馬鹿げていやしないか、と。しかし、だ、お母さん。私の言うことに対して、一度抱いた懐疑心はいったいどこから湧いて出てきたのでしょう?
「で、なにかめぼしい収穫でもあったの?」
「い~や、ぜんぜん。あ、アンケートに答えた」
「なんだよ? アンケートって」
「なんかね、調査のためとか言ってスーツの人がいてさ、その人のアンケートに答えたんだ。なんて会社だったっけかな……」
「へぇぇ……つーか人がいたんだ? 田んぼの端っこでアンケートね……なんなのその人」
「ナントカ…鉄道…じぎょうだん。ってとこの人。ほら」
食卓の後ろ、おせんべいのぎっしり詰まった缶の上に置いていたショルダーバッグをまさぐり、まだ透明の袋に入ったままのボールペンを突き出して見せた。母は興味津々、身を乗り出して見ようとするが、もう一人の青年は興味なし。目の前の鮎をほぐすことに専念している。
「SJRD? コレなに?」
「えっと……たしか会社の略称だった、かな」
「あ!」
噛み砕かれ、今まさに胃へと流し込まれる直前だったであろうご飯粒がワタルから飛んできた。
「汚なぁい!」
「ごめんごめん。きっとあれじゃね? 下見だよ下見。コンビニ建てるってんなら、現地調査は必須だろ?」
「でも、だったらなんで鉄道ジギョウダンなのよ? コンビニの会社の人じゃなかったわよ」
「ん~」
「きっと、土地の管理か何かじゃないかしらね? そういう会社は手広くいろいろなことをやっているから。案外不動産業とかにも着手しているのかもね」
「そうだよ母さん! きっとそうだ」
「でも、さすがにコンビニはないわね」
「……」
浮き沈みの激しい子ですこと。
「……じゃあ、鉄道が走るんだよ、きっと」
苦し紛れかどうかはさておいて、鉄道があそこを走ることはまず無いだろう。一面田んぼ、そばには静川という地元では大きめの川が流れ、平安時代にでもタイムスリップしてしまったのかと錯覚を覚えるほどのあの土地に、鉄道を引くメリットが見当たらない。だが、弟の発案に乗る人がもう一人いた。
「あら、それなら素敵ね」
親子は似るもんだなぁ。
私は、安易ながらはるかの星に鉄道を敷くことにした。
便利になったとはいえ、星に住むはるか星人のほとんどの移動手段は、徒歩か自転車のどちらかだ。いまだに人力で動く乗り物にしか頼れないのは、いささか不便ではないか。モノを運ぶにも昔の人は知恵を使ったもんだ。
発展性の面から考えれば、もっとも発達している区画に鉄道網を引き、各主要都市をつなぐ血管のような役割を持たせることが都市開発においては重要になってくるのだろう。だが、はるかの星の場合、もうコンビニ――というよりもはや百貨店――を構える区画以外、コレといって目覚しい発展を遂げているポイントは見あたらない。栄えている、ということにのみ焦点を持っていくのなら、これを機に街を興していくのも悪くないな。コンビニもとい百貨店に品物を卸している漁港や畑の近くや、住宅街の中にも一つ駅がほしいな。そして人々の交流が盛んになって、どんどん栄えていくんだ。
問題は、どんな日記をアップすれば、『鉄道ができました』という現象がはるかの星に起こるか、だ。あまりに突拍子のない話題であれば、ペナルティをもらってしまう。それは嫌だ。色々と考えをめぐらせるが、なかなかしっくりする日記が思いつかない。けど、噂話程度の軽い感じで記事にすれば問題ないかな。
私は先日判明したコンビニ建設予定地の近くに鉄道が通るかもしれない、という内容の記事をブログにアップした。こんな開けた土地に鉄道が走るかも! という日記とともにアップされた写真は一面田んぼののどかな風景だ。しかし、順調にことが運べば、はるかの星に鉄道が開通するという、実に喜ばしい出来事が起こるはず。果たしてどこまでうまくいくことやら。
翌日、また思惑通りにことが運んだ。
大陸をぐるっと一周するようにはるか鉄道が開通していた。鉄道は百貨店近くを起点に、東西南北にその線路を張り巡らせ、大陸全土を覆っている。
乗客がひっきりなしに乗り降りを繰り返し、最後尾には木材を積んだ貨物列車がくっついている。心なしか、鉄道が通っている近くの街は以前にも増して活気に溢れているような気さえした。私の計算以上の盛り上がりを見せる「はるかの星」。これは開発者冥利に尽きるというもの。どんどん高さを増していく街の中心部タワー、その高度とともに、私の胸の高鳴りもスピードを上げる。
なぁんだ、意外と簡単にできるもんじゃない。
そして、その日の夕方。
ちょっと奇妙な出来事が起こった。
バイトを終えて家に帰ってきてやることは、通常の手順とは違う。実はコーヒーショップであまったその日のパンを持って帰れる特権がバイトにはあるんだ。それをサンタさんよろしくかついで帰るんだけど、コレをいったい誰が処理するのかというと……
「姉ちゃんお帰り!」
部活帰り、いつもは死んだ魚のような目のワタルが、いまかいまかと待ちきれないネコのように玄関に立っている。そう、成長期の男の子はよく食べるんだそうで、この日の収穫の約半分はこの時点で、我が弟ワタルの胃の中へと収納される。残り半分は、翌日の朝ごはん。あまった甘味系のパンは私と母で半分コする。こういった日の夕飯はちょっと少なめに作るのも暗黙の了解だ。
「ワタルったら、ちょっとしかご飯用意してくれないんだもの」
シナモンロールを食べながらお母さんがぼやいている。今日の夕飯に若干の物足りなさを覚えていたようなのだが、夕食当番のワタルは我関せずといったそぶりで大口を空けてソーセージロールをほおばっている。
「ムグムグ…へへへ、ごめんごめん……そういや姉ちゃん知ってる?」
「なによ?」
「このあいだ話したコンビニのやつ」
「あぁ、アレね。どうかしたの?」
「最初でまかせくらいのノリで言ったんだけど、どうやらマジらしいんだよ」
「……?」
「鉄道が通るって話」
「は?」
「だ・か・ら」
あ、物わかりの悪い子に対してやる、いやみな目つきだ。くぅ、憎たらしい。
「三橋用水路沿線、鉄道が通るらしいぜ。コンビニ予定地の近くに駅ができるってこと」
弟の話は、冗談半分にしか聞いていなかった。正直こんなにうまい話はそうそう転がっていない。仮に駅ができて、鉄道が走るという話が本当だとするのなら、私の家から駅まではものの五分とかからなくなる。夏場、制服に汗をぐっしょり染み込ませる心配や、冬場に雪だるまよろしく丸々と着込んで身動きとりづらいまま自転車をせっせと漕ぐ必要もなくなる。夢のような話じゃないか。
試しにほっぺたをつねってみようか? いや、待て。仮にここで私のほっぺたを全力でつねったとしても、ただただ痛いだけじゃない? もし本当だとして、ゴシップマスターのアイが大ニュースLINEを送ってきていない。こんな話を、コンビニ建設の情報をどこからともなく持ってきたアイが知っていないはずがない。チラッと机の上に置かれているスマホに目を配らせるが、着信を告げるランプは点灯しておらず、画面は依然として真っ暗なままだった。
お風呂あがり、ばさばさの髪の毛を十分に乾かすことなく、タオルでゴシゴシッと拭いただけで、私は脱衣所を後にした。ちょっと濡れた髪を扇風機で乾かしながら、『ワレワレハウチュウジンダ』とやるのがもはや病みつきになりつつある午後10時。そもそも宇宙人は日本語を話さないだろ。
階段を上がって真っ暗闇の部屋の中に、青色の点が光っていた。辺りをほんのり照らすディスプレイ画面には、二ノ宮愛の名前。
珍しい。アイが何か連絡するときはだいたいLINEなのだが、なんで今日に限って電話をかけてきたのだろう。不思議には思ったが、それ以上の感想もなにもあったものではないので、志半ばで途切れてしまったアイの電話にかけなおした。
「……あ、もしもし! はるか!?」
「どうしたの? 電話してくるなんて珍しいじゃない」
「いやぁ、LINE打つのもダリくてさ」
電話口の相手はえらくグッタリした様子で話している。このなにもない夏休みという毎日を、どのように過ごせばそこまで憔悴しきれるのか?
「クーラーが壊れちゃって……扇風機なんてないから、蒸し風呂のようだよ」
「あぁ、どおりで元気ないわけだ。で、用件は?」
「ほえ?」
「用件よ。なにか用事があったからわざわざ電話してきたんでしょ」
「いやぁ、特にないんだけどさぁ」
「はぁ? あんたにしては珍しいわね」
「こうも毎日毎日やることないと暇じゃない? 明日買い物に付き合ってもらおうかなって」
「そうねぇ……あ、ちょうど欲しい本があるんだった」
「お、いいねぇ。じゃあ決まりだ! 明日の12時に駅前のボムボムバーガーのお店集合ね」
その後、アイと他愛のない世間話をひとしきりこなした。時間にして30分。そんな短い間にことが急展開することもなく、弟からの続報も無いまま一日は終わった。
著者:クゲアキラ
イラスト:奥野裕輔