特集
SPECIAL
- 小説
- はるかの星
はるかの星【第9回】
翌朝、期待は大きく裏切られ、部屋は見事なまでに強盗に荒らされた後のように散らかりまくっているままだった。
現在時刻、朝の6時58分。ちなみに私、起床して2分経過。ま、部屋に私しかいない以上、キレイにするべき張本人も私以外ありえない。それを考えれば、当然といえば当然の結果だ。寝ている間に部屋がキレイにでもなってみろ、そっちのほうが怖い。あぁ怖い。
今日は9時からバイトが入っている。午前番なので13時に作業は終わり、その後は至って普通、というか何も予定が詰まっていない夏休みの一日が待ち受けている。この惨状を放っておくのも気が引ける、というかさすがにキレイにしなくちゃいけないな。帰りにコロコロでも買って部屋をキレイにするとしよう。
ほら、私ってば形から入るタイプだからさ。とりあえず、家の掃除も兼ねて自分の部屋を掃除すると決心をして、やはり誰もいない家をあとにしてバイトに向かった。
自転車の前カゴにはエコバックに入ったコロコロと掃除用ペーパー、一方にはパンの詰まった袋をハンドルの両端に携え、重量いっぱい、バランスぎりぎりの自転車を漕いで帰路につく。
そういえば、弟のワタルは大会前の練習とかで今日も帰りが遅くなるらしく、夕飯の支度も私が担当だった。今晩のメニューは何にしようか……頭の中で冷蔵庫をひっくり返してみる。……あぁ、誰だ、ふたしていない飲みかけのジュース入れておいたやつは!
トマトににんじん、アスパラ、ベーコン、キャベツにじゃがいも……たまねぎ、ピーマン、たまごがちょっと……よし、夕飯はチャーハンで決定だ。それとこのパンがあればさしものワタルも文句あるまい。
夏の光線をかいくぐり、家に着いたのはちょうど14時。部屋を片付けて、おやつにパンを食べながら本でも読もうと、意気揚々自転車置き場にたどり着くと、そこには見慣れた3段変速機能付の自転車が止まっていた。
「あれ? ワタル、今日は遅くなるって言ってなかったっけ?」
部屋に帰って来てみてビックリ。見違えるほどに綺麗になっているではないか? 教科書は言うまでもなく、読み散らかしていた雑誌はキレイに整頓され、洋服もきちんと揃えて置かれている。ゴミというゴミはあらかた纏め上げられており、掃除機でもかけたようなキレイな部屋に様変わりしていた。
コレはどうしたこと?
「姉ちゃん、部屋汚すぎ」
部活帰りの弟が上半身裸になり、洗濯物を遅い時間ではあるが干していた。ベランダでパシパシ洗濯物を叩きながら、広げては吊るし、広げては吊るし。あれは、部活で使っている練習着だろう。10番の刺繍がやたら目立つ。
「ワタルがキレイにしてくれたの?」
「あぁ、そうだよ。部屋のドアから溢れんばかりにパジャマのすそがはみ出ていたから気になってね」
部活帰りで自分の服を洗濯するついでに、洗い場に溜まっていた服なりシーツなりを洗濯機に叩き込んだところで気づいたのだそうで。だったら全員分の衣服を洗濯してしまおうと。各部屋を巡回し終えたワタルは私の部屋に足を踏み入れたところで、スイッチが入ってしまったのだろう。部屋をキレイにせねばと。ご丁寧に部屋の掃除までしてくれちゃって。
「あんねぇ、ワタル、ありがたいのは山々なんだけど、プライバシーってものを考えなさいよ」
やはり弟とはいえ、自分の部屋を覗かれるのは恥ずかしいっちゃあ恥ずかしい。当のワタルにそんな気はないらしいのだが。
「なに言ってんだよ、この惨状を見てほっておけと?」
「いやいや、そういうの関係ないし」
「ってか姉ちゃん部屋汚すぎ。せめて整理くらいしろよ」
「だって……」
「言い訳無用。それと……」
「それと、何よ?」
「このくそ暑いなか、色がはっきりでちゃう下着は、いかがな……あ痛っ!」
叶えたい事象のレベルがあまりにもミニマム過ぎたので、いまいち実感がわかない。あ、ワタルには感謝しておりますよ。でも、もっと具体的に私の欲求を満たしてくれることを願わなければ、叶ったか叶わなかったかの判断は正直つけにくいな。
はるかの星に起こった変化は、しかし、実にユニークだった。いままで好き勝手なところに家を建てていた惑星人が、まるで碁盤の目のようにキレイに区画整理を始めている。おぉ、一夜城よりもすごいね、これは。あっというまに碁盤のようにキレイに整理された街。相変わらず中心部にはあのコンビニがそびえ立っている。惑星鉄道の各駅を起点とし、以前にもまして街は活気を帯びて見えた。
とりあえず、運営から警告は受けていない。まったく気にしていなかった、といえばウソになる。若干の後ろめたさはあったが、これくらいのレベルのウソなら、ついたところで、なんら支障はないだろう。
と、いうことで、次にする願いのレベルを引き上げてみることにした。
『宝くじで10万円当たった!』
1千万とか1億にしない理由? 私が小市民だからだよ。当たったって怖いジャン! それに、10万円ならなんかリアルな数字だし、バチも当たらなそうじゃない。そして、この願いが普通に生活していたら叶わないであろう最大の理由は、私はこの『宝くじ』というアイテムを自ら購入できないということ。一種のギャンブルみたいなもんだからね。高校生は確か買えなかったような気が……すかさずブログに記事アップ。
クーラーでちょうどよい涼しさになった部屋の中でも、自分の肉体美を自慢したいのか、いまだ上半身裸のワタルが声をかけてきた。
「変な笑顔になっちゃってまぁ……何があったんだよ?」
「べつに」
「ふ~ん……あ、そういえば姉ちゃん」
「なぁに?」
「卵が切れてるよ」
「え!? 卵ないの?」
おかしいな、たしか冷蔵庫ひっくり返した時点の記憶ではまだ何個か残っていたはずなんだけど。
「ちがうちがう、賞味期限。おら」
ひょいっと不意打ちのように実の姉に生卵投げてくる弟ってどう思います、皆さん? 思いっきり投げ返してやろうかしら。しかし、投げられた卵にはおあいにくさま、三日前に賞味期限が設定されているシールがぺたっと貼り付けられている。
「ねぇ、ワタル」
「なに?」
「夕飯、卵なしチャーハンでもいい?♪」
「残念、姉さん。却下です」
うぅ、そんなに怖い顔しなくたっていいじゃないかぁ。とりあえずいろんな料理に応用が利く卵がないという状況は辛い。それに、今日の夕飯担当は私。食材調達も私の仕事、か。
「もう、わかったわよ。卵買いにいってくるわ。それと、服着なさい!」
問題は、宝くじを買わなきゃいけないということ。当たるものも、現物がなければどうしようもない。賞味期限の過ぎた卵を食べて当たっても、コレ意味がない。
ということで、新鮮な卵を求めて、少し遠いけれど品ぞろえ豊富なショッピングモールまで買い物にでかけた。
15時を回り、陽がそろそろ下降線を描く時間帯になってもいいはずなのだが、いやぁ暑い。ただ自転車を漕いでいるだけなのに、汗がいやおうなしに左右の頬を流れ落ちる。この炎天下の中、私の数十メートル先をご丁寧に黒スーツを身にまとって歩いているサラリーマンは、さぞかししんどいことだろう。日差しにやる気をごっそり持っていかれ、私はしばしゆっくりペダルを漕いでいたが、そういえば、こんな辺境の地を歩いているなんて珍しいな。
見たところ車で来た様子もないし、右手にはなんとも重たそうなハンドバッグを抱えている。この一本道を延々と歩いてきたなら、相当消耗しているはずだ。
暑さにやられたのか、前を歩くサラリーマンがたまらず上着を脱ぐ。そのとき、ハンドバックを抱えている右の脇に、背広のポケットからあるものがファサッと落ちた。男性はソレに気づく気配はなく、空いた左手でしきりに汗をぬぐって歩いている。
落ちた白い封筒を手にとってまじまじと見てみるが、特段、何の変哲もないただの封筒だ。あ、表面には何かのロゴがあしらってあるな。はて、どこかで見たような……いや、金目のものを期待しているとかではなくて、単なる好奇心ですよ、好奇心。中身を見るのは野暮よね。
自転車を漕ぐペースをアップさせて、依然として落し物に気づかないおっちゃんへと駆け寄る。
「あのぉ!」
「私かい?」
「コレ、上着のポッケから落ちましたよ」
一瞬、緩みきっていた表情が引き締まる。バッグを置いて上着をまさぐるが、目当てのものは見当たらないらしく、私の右手に握り締められている封筒がまぎれもなく彼の落し物である、という確認をしてから、丁寧に
「ありがとう、おじょうさん」
一礼してから、私が差し出している封筒を手に取り、中身を確認した。
「いやぁ、教えてくれてありがとう。コレがなくなったら大変なことになっていたところだ」
確認した封筒を、今度はバッグのポケットにしまいこむ。これなら落としてなくす心配はなさそうだ。興味深そうな視線を受けてか、気まずい沈黙を察してか、ごそごそとバックをいじりながら、
「いやぁ、仕事の書類でね。大事なものなんだよ。なくしてしまったら足に影響が出るからね」
「足、ですか?」
業界用語かなにかかな? べつに足腰悪そうには見えないし。
「そうだよ。これ以上は秘密だけどね」
「企業……秘密ってやつですね」
封筒はとうの前にチャック付のポッケにしまいこんだはずだが、依然としてこの人はバッグに手を突っ込んだまま立ち上がろうとしない。目眩でも起こしたのかな? 流石に心配になり、声をかけようとした矢先、
「ああ、あったあった」
探し物を見つけ出したその人は、私の目の前で、また似たような白い封筒をまるでババ抜きでもするかのように差し出した。一、二……全部で三封。背の高い封筒にしまわれた中身が気にはなるが、私が切り出す前におっちゃんが口を開いた。
「拾ってくれたお礼だ、好きなのをひとつもらってくれ」
「えっ!?」
予想以上の反応を示してしまった私がこの場合悪いのだろうか。じいちゃんがまたビクッと反応している。
「あんまり大きな声をださないでくれ、心臓に悪い」
そう言って、また一歩封筒を近づける。
「これ、ナンなんですか?」
「私ももらったものなんだが、中身は秘密だよ」
「でも、もらってもいいの?」
「必ずしも、いい物とはいえないがね」
「わたし、ただ落ちたもの拾っただけですよ?」
「かまわんよ。私は助かったんだ、そのお礼だ」
さすがにここまで言ってもらって、受け取らずに帰るのも感じが悪いか。私は男性の右手、ど真ん中にそびえ立つ封筒をもらうことにした。
「ハハハ。迷いがないねぇ」
腰をゆっくりと上げて背筋を伸ばす。しばらく窮屈な格好をさせていたせいか、やや背中が痛そうに見えた。ん、車でも運転できれば近場まで送っていけるのに。
「じゃあね」
そういって、サラリーマンのおっちゃんはアスファルトから立ち昇る蜃気楼の中へと消えていった。ちょっとした偶然が招いた幸運か? 中身は何だろう? 自転車を押し進めるのを一旦やめ、受け取った封筒をペリペリと開けると、なんと宝くじが入っていた。
これは偶然か? ふとおっちゃんが去っていったほうに目を向けるが、そこにはもう人の影は見当たらない。偶然……なのかな?
宝くじ、とは確かに書いたが、私が思い描いていたものとは若干違う、スクラッチタイプのものだった。その場で結果はすぐわかる。
妙なテンションと、依然として勢いの衰えない太陽光とが相まって、若干の目眩を覚えてしまった。今日の日中最高気温は40℃近くまで上るそうで、私は急ぎ自転車にまたがり、卵をゲットすべく、ショッピングモールへと急いだ。
とりあえず賞味期限の一番遅い卵を入手し、涼しいフードコートのテーブル席に腰かけて先ほどの宝くじを机に並べた。一包みになっていた袋の中には10枚の宝くじ。
汗とはまた違った、得体の知れない液体が手のひらを湿らせている。サイドポーチから財布を取り出し、小銭入れから1円玉を取り出す。
ガリガリ……。
こういうくじはハズレが出ないように、確実に200円くらい当たるようになっているものなのだが、残り一枚になってもそれすら出てこない。淡い期待がその淡さをよりいっそう深める中、最後の一枚を削る。
寒気がした。
フロア全体を冷やすために、風力MAXになっているクーラーのせいではない。今目の前で起きている事実に若干の寒気を覚えたのだ。
いくらなんでも出来すぎでしょ、10万円当たるなんて。
著者:クゲアキラ
イラスト:奥野裕輔