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はるかの星【第25回】
「すっかり暗くなっちまったな。9時40分……あと20分か」
「皆藤、無事病院についたんかな?」
「ココから西方大宮病院だろ? そうだな、今頃は着いているはずだ」
「……はるか……ねぇ、私たちにできることってもうないの!?」
「こればっかりは、な。見てみろ……皆藤の星も、もう飴玉くらいの大きさしかない」
「ねぇ、なんでまだ縮んでいってるのよ? レッドーカードは取り消したんでしょ? だったら、はるかの星も残るわけよね?」
「今調べてるよ。ニノ、ちょい黙ってて、集中できない」
「ご、ごめん……栄太、あんたはさっきからなにしてるのよ?」
「いや、考えごと………なぁ、二ノ宮」
「な、なによ?」
「お前、最初にこの話を皆藤から聞いたとき、信じたか?」
「え?」
「皆藤の言っていること、信じたか?」
「……『願いが叶う』ってやつ?」
「あぁ」
「ん~、初めは単なる偶然だとしか思ってなかった。はるかとは長い付き合いだけど、そんな都合のいい話、あるはずないじゃん。でも、悪いことが起き出すようになってから、これはヤバイなって……」
「アイツの日記見てて思ったんだけどさ」
「……」
「最初の方に書いてた願いって、叶ったら確かにハッピーになるよな。二ノ宮もそう思うだろ?」
「は? あぁ、コンビニとか鉄道のやつね。そりゃあね。かなり便利になるし。はるかん家の周りにもよく行くし」
「そう。だけど、途中から私利私欲に走った日記になってる。流石にコレはやりすぎ。でも、なんでこの星は、皆藤の願いをかなえたのかな、って」
「なにが言いたいのよ……」
「べつに、深い意味はねぇよ。ただ……」
「ただ……?」
「栄太! 総司! 原因がわかった!」
「なに!?」
「ほんとか!?」
「一度作動してしまったペナルティプログラムによって、星は姿を消してスタート時の大きさに戻るっていうプログラミングらしい。アカウントは確かに残る、日記やリンクの履歴も残る、でも星自体は一度は消えてなくなる、ってことみたいだ」
「そんな……はるか……」
「……本当になる、か。消えちまったら……」
「おい、総司、物に当たるな。久坂、アカウントは残るんだよな?」
「ん? え、あぁ、そやね。今までとなんら変わらん」
「残り20分か……よし」
「どないすんの?」
「確かに、なにかできるのにしてやれないのは癪だからな」
「……どういうこと?」
「ちょっと待っとけ」
「……」
「……」
「オレだ、佐々木だ。皆藤、聞こえるか? おまえの星の縮小が急激に速くなった。このままだと、小さくなって星は消滅しちまう。そういうプログラムなんだ、コレ。そもそものプログラムを書き換えてしまうと、他の人にも影響が出る上、俺たちがハッカー扱いされてしまうことになる。最善は尽くした。
お前、ベストを尽くしたのか?
元凶は俺たちで断った。あとは皆藤、お前次第だ。
にわかには信じない。願いが、叶う星……だったっけか? 託してみろよ、お前の願いを。『はるかの星』に、さ。
待ってるからな。」
「……栄太?」
「この日の、ほら、願いが叶わなかったっていう最初の記事からはるかの星への来訪者がどんどん減っていってる。最後の記事に至っては1だ。まぁ、なんのリンクが貼ってあるかわからない、あきらかに怪しい日記だし、アクセスしただけでどんな影響があるかもわからないしな。これは見られなくなっていって当然だ」
「あ、ほんとだ……」
「アクセス数に比例して、皆藤が言ってた“願い”が叶うまでの時間が短くなっている。多くの閲覧者がいた最初の頃の日記は、書き込んでから叶うまでの時間差が相当あったはずだ。だが、閲覧数1の最後の日記。書き込まれてから数分後には事故が起きていた。なにかの偶然か……」
「なにが言いたいの?」
「いや。ただ、なにか関係があるのかないのか……」
「え、え? なによ? みんなが『はるかの星』を見なくなったから、『はるかの星』は暴走を始めたとか言いたいわけ!?」
「まぁ、慌てんなって。可能性の話をしたまでだ。必ずしもそうじゃない。願いが叶うってのは、超常現象かもしれないし、神のお告げかもしれない。だけど、皆藤の願いは、現に叶っていたんだろ?」
「でも、だからって、どうやってはるかのお母さんを助けるのよ? 手の打ちようがないじゃない!」
「だから、アイツが願うように仕向けるのさ」
「は!? あんた今の状況わかってんの?」
「あぁ、だから言っているんだ」
「ニノ、栄太、ちょっと落ち着きぃや。なんか考えがあるんやろ? な、栄太?」
「そうだ、栄太。もったいぶっていないで教えろよ。あるんだろ? 策が」
「そうだな、時間もない。説明しながら……」
「あ。ちょっと待ってください! 先輩! これ見て」
「か、貸して!」
『もうウソは吐きません。だから、お母さんを助けてください』
素直な想いをタイプするのが、こんなにも簡単なことだったのか、私は震える手を制御できなくとも、一言も打ち漏らすことなく、願いを託した。
『はるかの星』に、願いを託した。
私にできることはもうない。願うしかない。栄太が言いたかったことがなんなのかは、正直わからない。本能的にやった私のこの行為は果たして正解だったのだろうか……。
全身が今までにないほど脱力感に見舞われ、その場に座り込んでしまった。
「しっかりして。いったいどうしちゃったの?」
私を抱えるようにして支えてくれているナースさんの左腕に見える腕時計の長針は21時45分を指している。
アカウント削除のタイムリミットまで、あと15分。
「はるか……うぅっ……」
「泣いているヒマはないぞ、二ノ宮。時間がない。いいか、みんなよく聞け」
「なにをすればいい?」
「はよぉ指示してぇや!」
「なんでもする!」
「この星が皆藤の母親だっていうのなら、俺らの手で救ってやるんだよ。こいつみたいにな」
その発信者は、まさに瞬くようなスピードで、私の叫びに答えてくれた。見慣れたアカウント。夏休みにたくさんの思い出を共有した、私の大事な友達からの返信が、私の日記の1番目のコメント欄に飛び込んできた。
「はるかちゃん、久しぶり。ずっと連絡できなくてごめんなさい。あれからいろいろ大変なことがあって……でもね、私、頑張ってるんだ。しばらく見ないうちに、『はるかの星』が大変なことになっているようね? でも、私は信じてるよ、はるかちゃんのこと。『はるかの星』はいい星だって、みんな知っているよ! だから負けないで!」
それは里佳子ちゃんからのコメントだった。
ネットワークの環境は揃っているのかな? それとも、日本にいるのかな? 誰よりも先にコメントを投稿してきてくれた私の親友の言葉は、私の中の鍵をガチャっと開けてくれた。なにかが動き出す予感。
この里佳子ちゃんのコメントを皮切りに、1、2、3とみるみる日記に対するコメントの数が増えていく。
10…100…1000……と。
現れては表示されなくなっていくコメントは、私を励ましてくれるものもあれば、にぎやかしで参加してくれるものも、たった一言、一文字だけ打ち込まれたものもある。
「みんな……」
「いいか? 『Planetぜろ』のマニュアルに書いてある説明文のとおりだ――『惑星自体の大きさは、書き込みの回数に加え、そのブログを閲覧してくれた人数・コメントの回数・トラックバックの数など様々な要因によって変化します』――コメントが新たに、それも沢山のユーザーから付くことによって、星が大きさを増す……今回の一連の出来事、この星の消滅が、皆藤の母親の死につながるという事実になり、そして、星の消滅の阻止が、皆藤の母親を救うことにつながる。だとするなら、星を大きくしてやればいい。消滅しないようにな。さぁ、今度は俺らの手ではるかの願いを叶えてやろうじゃないか。ありったけの知り合いに連絡してコメントを書き込め! そして『はるかの星』を大きくするんだ!」
残り時間5分。
刻一刻と22時へ長針短針が迫りゆくなか、猛烈な勢いで書き込まれていくコメント数の勢いは留まることを知らない。
急速な勢いで大きさを増していく「はるかの星」。私が最後に書いた日記は、その日、過去最高のコメント獲得率を更新し、今もなお増え続けている。見慣れたアカウントの支援がこんなにも沢山付いている。これは、パン屋のお姉さん。こっちは……あ、バイト先の店長。あ、アイも返事してくれている。こんなにもいっぱい。
もう、これは恐れから来る涙なんかじゃない。嬉しいんだ、私。ウソ吐いてばっかりだったのに、こんなにも私のこと信じてくれる人たちがいるんだ。
「さすがに私の情報網も当たりつくしたわね。もうアテなんてないわよ」
「ネットの掲示板でも煽るだけ煽ったし」
「ニノとオレらので電話帳であたれるやつら、全部あたったし……」
「おい、お前らは書き込んだのかよ?」
「あ!」
「せや!」
「時間ねぇぞ! 栄太……なにしてんだ?」
「……仕上げ」
タイムリミット直前の、21時59分。
エントランスホールに掲げられている大きな時計が、22時に向けて針を動かそうとしたまさにその瞬間だった。
「はるかの星」が眩い光に包まれる。その電子光は太陽よりも明るく辺りを照らし、私は、あまりの眩しさに目を瞑ってしまう。
うっすらとかろうじて開けることのできた視界には、不思議なことに、病院中のPCがおなじような光を放つ光景が映っていた。とてつもない光でつつまれる病院のエントランスホール。外も明るい。車のヘッドライト? 夜の道を照らす街灯? いや、そんなレベルの眩しさじゃない。隠れるところすらなくしてしまうその光は、どこまでも広がりを見せつつ、そっと私のいる空間を、白一色へと変えてしまった。
10回の鐘の音が真っ白な空間の中で響き渡るのを確かに聞き終えると、いつの間にか私は手術室の前に立っていた。無意識のうちに、ワタルと廊下で待っていたのか? ここに来たときと同じポーズで固まっているワタルを見ると、なんだかタイムスリップでもしてしまったような気持ちになる。時間が巻き戻ったとか。
しかし、そんなことは現に起こるはずもなく、時計に目をやると時刻は22時2分になっていた。
アカウント削除のタイムリミットは過ぎた。
私の星は健在なんだろうか? 大きくなっていくのを確かに私は見た。星は消えていないんだ。
そろそろ12時間が経つ。
見るものといえば、今も目の前で煌々と赤く光り続けている手術中のランプだけ。コレが消えたとき、お母さんの運命が決まる。
固唾を呑んで、その時が来るのを待った。ワタルも今は顔を上げ、私と同じところを見ている。こんなにも時間がのろのろと進むものだとは思っていなかった。でも、絶対にその瞬間は訪れるわけで、半ばぐらついている決心が垂直に立ち直るまさにその瞬間、目の前の手術中のランプが消え、中から医師が手袋を外しながら出てきた。
手術室の中は目を刺激されるほどのするどい光で照らされていた。私たちが永遠とも思える12時間を待ち続けていた廊下の暗がりに目が慣れてしまっているせいもあるんだろうけど、それでも、目を覆い隠してしまいたくなるような光だ。眩しい。
逆光を受けてシルエットになってしまっている先生の口が開く。
「ご家族の方ですか?」
「……はい」
「母さんは!?」
車椅子を少し押し出し、私たちが待っている問題の回答をワタルが求めた。
「今、何時?」
「あ? あぁ……22時12分」
「時間切れ、か」
「ちょっと、変な言い方しないでよね!」
「う、ごめんなさい」
「そうカリカリすんな」
「だって!」
「ほら、見てみろよ、『はるかの星』は今も大きくなり続けているんだ。アカウントも残っている。打てる手は打ったはずだ。今頃はきっと……」
「それにしても、こんだけの短い間で、よくもまぁこんなにいっぱいコメントがついたな」
「記録を更新してるしな。すげぇぞコレ」
「ニノ、少しは落ち着けや。そないPCいじくりたおしてもなんも変わらんぞ」
「……はるか、どうなったのよぉ……」
「♪」
「ん? なんだ? 今の?」
「更新音か?」
「どれ! 見せて!!」
「……!」
「皆藤……美奈子さん。12時間もよく頑張ってくれた。後遺症も残らないし、一カ月後には元のようにゲンキになりますよ。よかったね」
「本当……ですか?」
「私はウソはつかんよ。君たちの想いが通じたんじゃないかな」
「ぃやっっっっったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
鼓膜が弾け飛ぶほどの大声でワタルが叫んだ。さっきまでのしょぼくれた顔はどこへやら、必死に涙を流すまいと堪えていた顔も今はどこにもない。顔面ぐしゃぐしゃになりながら喜びを爆発させている。
私は大きな声で泣いていた。他にすることもあったんだけど、とにかく私はワタルと一緒にになってぶつける先のないこの喜びを、この場で爆発させることに夢中になっていた。
「ぜんぜぇい、ありがどう……ほんどに、ほんとにありがどうございます」
「あっはは、姉ちゃんひでぇ顔だな」
お互い様だろ、それは。
「ほら、お疲れのお母さんを休ませてあげよう。道をあけてくれるかい?」
手術室の奥から運ばれてきたお母さんは、ところどころに包帯を巻き、点滴を打たれながら静かに眠っていた。怪我をしたことはともかく、本当に無事でよかった。助かってよかったよ。
ありがとう、神様。ありがとう、先生。ありがとう、みんな。
姉弟二人してフラフラになりながら病院の廊下を歩いていると、エントランスには祥子さんが到着していて、医師から説明を受けていた。お婆ちゃんたちは先に病室に向かっているって言うし、お母さんのお姉ちゃんも来てくれていた。私たち二人だけだったときとは比べ物にならないくらいの安堵感で胸いっぱい。よくやったね、とか、えらいね、って言われたけど、それがなにを指しての賛辞なのか、私にはいまいちよくわからない。でも、笑顔で私たちを迎えてくれる人がいるのを見ると、なんだかやっぱり安心するなぁ。
ホントに全部終わったんだ。
そういえば、まだやることが残っていたよ。
私たちのハッピーエンドを、受付カウンターで優しい微笑と共に見守ってくれている看護婦さんにお願いをする。今度は、こちらもホンワカ笑顔で行かねば。
「すみません、また、ちょっと借りていいですか?」
コレが最後。更新音と共にアップされる、最後のコメント。
『みんな、ありがとう。お母さん助かったよ!』
著者:クゲアキラ
イラスト:奥野裕輔