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【第09回】“アンチ天才”のボトムズ流仕事術
「おまえはスゴイ!」に潜む罠
今⽇から始める「敗者復活」~“アンチ天才”のボトムズ流仕事術・2
2008年8⽉6⽇(⽔) 渡辺由美⼦
――前回は、⾃分が「敗者だ」と思い込んでしまう「負け感」は、他⼈が⽤意したルールの中で100点を取ろうとしているから起こる、というお話でした。とはいえ、「勝ち負け」に厳しくなった世の中では、⼀度負けたらもう這い上がれない。そんな⾵潮も感じますが……。
担当編集Y 格差や貧困は確かにあります。だけど、だからといって⾃分が本当に「負けた」のか。勝⼿に負け感をつのらせて錯覚していたとしたら、あまりにもったいないのではないかと、個⼈的には思うんですけど。
――でも、年収や仕事の能⼒、今の⾃分のポジションとかで⽐べると、やっぱり⾃分だけが負けていると思うんです。年収も会社名もポジションも、数値化できたり現存するものだから、錯覚だとは思えないんですよ。
⾼橋 そこが社会がしかけてくる呪縛なんですよね。呪縛というのは、他⼈に強制されるよりも、⾃分で作ってしまっていることの⽅がずっと多いんです。⾃分なりの幸福をつかもうと思ったら、⾃分が作っている呪縛から逃れることが重要で。⾃分を縛る呪縛は何なのか、その正体を知ることが⼤事だと思います。
正体はたぶん意外なところにあって……僕は、褒められることの中に罠があるような気がするんですよ。
――褒められることの中に罠がある……。
⾼橋 例えば、100点を取ると、「お前は100点取って偉い」と⾔われるとしますよね。……その、100点取って褒められることの中に何か罠が潜んでるような気がしません?
――そうですか︖ 褒められるという成功体験は、⼼の満⾜として⼤事ではないかとも思います。他⼈に褒められることで、⾃分が⾃分を認められるという考え⽅もあるのでは。罠というのは……どうなんでしょう。
⾼橋 たとえ負け続けても、競争に参加することが喜びという⼈ならいいんですけどね。おそらくそうじゃないでしょう。みんな⾃分が勝てなくて、1番になれなくて、イライラしてるんじゃない?
だって、本当は80点でも充分合格、70点、60点でも誰も困らないはずなんですよ。 それを必死にしのぎを削って、80点なら85点にしたいとか、85点を90点にしたいとか、あと2点取ればあいつを越せるとか……そう考えちゃうのは、誰かが褒めてくれるからなんですよ。
会社だって、営業成績とか、同じ部署で競わせるようになっていたりするでしょう。それは誰かが作った「100点」の基準をみんなが⽬指すようにし向けているんですよ。絶対、誰かが誘導したいという思惑があって褒めてるわけですよ。
嬉しいからって、褒められることだけを⽬指すと
Y ⾃分を省みても、会社で「よくやった、おまえはスゴイ!」と褒められると、やっぱりそっちに引っ張られるし、努⼒しちゃいますねえ。
⾼橋 努⼒が通じればいいけど、それは他⼈が作った基準だから、⾃分の頑張りが必ずしも100%評価されるとは限らない。会社だったら上司が代われば評価も変わっちゃいますよね。
Y ああ、それは劇的に変わることがあります(ため息)。
⾼橋 上司が替わって評価軸が変わる。そうすると、頑張ってきたのに、⾃分のせいではないのに、下がった評価と向き合わなきゃいけないわけですよ。
競争ということにいつも耐えて、落っこちてもまた乗り越えていこうとか、それが⾃分の快感になる⼈はいいんです。それはまったくかまわない。ですけど、そうじゃない⼈はそこに付き合ってるのは⼤変ですよ。
――褒められるということは「相⼿からの評価」でもあると。確かに褒める側に悪意がなかったとしても、相⼿からの評価だけを⼼の拠り所にしてしまうと、努⼒が相⼿に通じなかった時に落ち込みますよね。なるほど。
⾼橋 世の中には、「褒め殺し」という⾔葉もあるくらいで、褒めることを武器にしてるやつ「も」いる。武器に例えられるということは、そこには何か、罠があるはずなんですよ。
間違ってはいけないんですが、⼈間、成⻑したいということはいいと思うんです。そのために、褒められること、褒めてあげることはとても⼤事なんです。
でも⽢味料と同じで、取り過ぎとか、褒められることばっかり望むというのは少しおかしいですよね。1つのことの中に全部いいなんてことないから、そこに⽢い罠があると思うんですね。
たとえば、会社が社員を褒める⼿段といえばなんでしょう︖
Y ⼈事や、給与ですかね。
⾼橋 と、いう形で考えているとすると、300⼈いる会社があるとして、⼤ざっぱに世代で括ると3世代。1世代100⼈です。10年でトップが2回交代する、5年に1回トップが決まる。すると、100⼈のうちトップって1⼈、2⼈しかいない。そこに⾏かないと勝ち組じゃないと思う価値観って、本当はおかしいじゃないですか。ほかは全部不幸せになるというのは。
トップが1⼈しかいないのはおかしくないんですよ。それが「幸せ感」や「負け感」と結びつくのがおかしいんです。
Y 会社も、社員の頑張りを全部⾒ていてくれるとは限らないですしね。数字に出ない部分は特に⽬が届かない。
⾼橋 組織というのはどこかでもって、必ず他者からの評価を軸に持っている構造です。いい悪いではなくてね。だから、そういう組織の価値観に対して、「絶対の価値」を置かないということを、⾃分の中でいつも覚悟しておかないと、組織とは付き合っていかれないですよね。
―― 組織の評価がイコール⾃分の価値だと思い込んでしまうと、組織から貼られたラベルだけで、「⾃分は敗者」だと思ってしまうのですね。
Y とはいえ、組織にとっては、企業理念とか、そういったものは重要だとも思うのですが。組織にはなにか「我々は何々を信じる」ことを、共有する必要があるのでは。
⾼橋 もちろん、組織のルールなり理念を⾃分が納得して受け⼊れるのは正しいと思います。でも、同時に、⾃分は「誰かが決めた1番に沿うよう働け」と⾔い聞かされているのでは?という疑いを抱いているほうがいいんじゃないか。そして、このふたつのことは、両⽴できると僕は思いますね。
Y 組織は、信じるか疑うかと決めるものじゃなく、信じつつ疑うものだと。
呪縛から逃れれば⼿にはいる、復活のカギ
⾼橋 組織の理念を信じるのはいいのですが、それで1番になっても、組織の中の論理を呑み込みすぎるのは危険ですよ。そのやり⽅は、その⼈がいた組織や環境、その時の状況、それ以外には通⽤しないものですからね。1番になるやり⽅なんて、そもそも⼀般化できない話なんです。
だから、「⼀番になるための本」「なんらかの成功への⽅法論」は、あまり真剣にお読みにならない⽅がよろしいと(笑)。
やっぱり僕には、何かの1番とか、順位、勝敗、それだけにこだわりすぎるのは、いい事とは思えないんです。
順位でいけば、僕は⼩学校も中学校も⾼校も⼤学も1番なんかになったことないわけですよ。会社に⼊ってからも、なかなか1番には縁がない。前もお話ししましたが、傍から⾒たら「負け戦」が多かった(笑)。1番にならなかったら幸福じゃない、というと、それはもう⼈⽣を⾃ら否定することになる(笑)。1番というのは、あらゆる数字の中に1つしかないわけですからね。順位の⼊れ替えがあったとしても、その組織の尺度においてはトップは1つしかないわけですから、それは結構⼤変だろうと。
逆に、1番の、あるいは100点の呪縛から離れれば、結構いろいろな選択肢が⽣まれると思うんです。
――それが「負け感」からの脱出や、「敗者復活」への道につながるのかもしれないですね。
会社が決めた1番を⽬指さなくてもいいんだ、という⼼強い選択肢が出てきましたが、具体的には⾃分にとって「やりがいのある仕事」を⽬指せ、ということになるのでしょうか。
やりがいのある仕事というと「クリエイティブ」という⾔葉が浮かぶのですが、そうした仕事には、みんなが就けるわけではないですよね。
(次回に続く)
※本連載は、2008年に公開されたインタビューのリバイバル掲載になります。