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【第18回】高橋良輔監督旅行記「飛行機雲に誘われて」
飛行機雲に誘われて……その18
戦争を語ることはすごく難しいんだけれど、またこう言うと誤解を受けるかもしれないが、戦争ってドラマのデパートみたいで、作り手だけでなく誰でもが避けて通れない、言いようもなくとんでもないものという気がする。
あたしらもあたしらの世代にあっては珍しくもない境遇を戦争によって与えられてしまった。母は戦争寡婦で、その後再婚をしなかったのでずーっと母子の二人暮らしだった。これって人生においては良くも悪くも決定的なことで、あたしらの体も心もそのことが土台にあるのは間違いなく、その上に立っての人生だったとこの頃つくづく思うのである。しかしそのことを作り出した戦争は、ある時は『第二次世界大戦』と呼ばれある時は『太平洋戦争』とも呼ばれ、非戦闘員も含めて380万人の戦死者を出しながら、すでに歴史上の出来事となりつつある。自分の身に直接的最大の影響を与えた出来事がすでに歴史となりつつあるのを不思議にも思いながら、そういえば、
(あたしらだって戦争の記憶はないし、その後の苦労だって親の世代がしたんだよな)
と思っている。それがあたしらにとっての、よく言われる"先の大戦"という奴である。
しかしそんなあたしらにとって先の大戦となっていないのが"ベトナム戦争"なのだ。
で、ベトナム。
ベトナムというと今は正式には『ベトナム社会主義共和国』となり北のハノイも南のホーチミンも一緒の国の都市だが、かつては血で血を洗う戦いを繰り広げていたのだ。その頃はホーチミンはホーチミンと呼ばれておらず『サイゴン』だった。今ホ-チミンの観光名所の一つになっている『統一会堂』は南の、つまり『ベトナム共和国』の大統領官邸だった。1975年4月サイゴンは陥落しNLFの兵士と北の軍隊がこの官邸の鉄扉を戦車で押し倒して侵入したときの映像はいまだ脳裏に鮮明だ。
戦争とは人類が先天的に持つ"宿痾"だろう。だが皮肉なことにその宿痾があることを媒介にひどく人を引き付けてしまうことがある。その一つが"報道"である。
ベトナム戦争は日常的に新聞テレビ、そしてあらゆる出版物、その他その他であたしらの身と心に食い込んでくる。中でも影響を受けたのが開高健をはじめとする特派員のルポ、そして報道写真であった。
次回そのあたり、ジャーナリストの行動やその足跡そして、動き回った場所などを中心に続けたいと思います。