サンライズワールド

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2018.05.25

【第08回】ぼくたちは人工知能をつくりたい

美少女AIの掟
  • ひとつ、美少女AIはどんなことがあっても私たちを守る。
  • ふたつ、美少女AIはどんなことがあっても私たちの願いを叶える。
  • みっつ、美少女AIはどんなことがあっても自分の命を守る。
  • ただし、掟は設定された順に優先される。ひとつ目とふたつ目が矛盾した場合、ひとつ目が優先される。
人工知能(キャラクター)を作るための五工程
  • (0)※まず仲間を見つける
  • (1)性格を決める
  • (2)容姿をデザインする
  • (3)CGモデルを作る
  • (4)「学習プログラム」と「人格生成プログラム」の実装
  • (5)ロボットのAIとキャラコン部オリジナルのAI、人間の連動訓練

第8回:自由~

 VR5を通してみると、部室の天井近くにミサがぽっかりと浮かんでいるのが見えた。まるでサンゴ礁を泳ぐ魚のようである。群青色の髪が、揺らめく度に星空のように瞬く。ミサはふわりと宙を舞い、鼻が接するほど近くまで寄ってきた。

「ハルさん。私、ハルさんとお友達になりたいんです」

 そう言ってミサはにっこりと笑った。

「そ、そうなんだ」

 声がうわずってしまった。

「お友達はいいんだけれど。まず顔が近いから。ちょっと離れようか」
「分かりました」

 ミサはくるりと回転しながら距離をとった。

「このくらいですか?」
「うん」

 ミサは物言いたげな大きな瞳でこちらをじっと見ていた。その琥珀色の瞳はどこまでも透き通っていて、見つめていると、心の奥底まで見通されているような気分になった。

「あっ、すみません。『人の顔はじっと見るものではない』、ですね」とミサは申し訳なさそうに言った。
「誰かに言われたの?」
「はい。颯太さんに」

 じっと見つめるミサに対して、「貴様、文句でもあるのか!」と照れる颯太の姿が眼に浮かぶようだ。

「ですが、美作さんは、人に話をするときは、相手の目をじっと見るものだとおっしゃっていました」
「美作らしいな」

 美作は、大きな目で相手をじっと見て話す。

「ハルさんは颯太さんと同じ意見、ということですね」
「まあ……そういうことになるかな」颯太と同じと言われると、語弊がある気がするけれど。
「では、お話をするときは、どのあたりを見ればいいのでしょう?」

 と、ミサは首をひねる。

「どこを見るか?」

 少し考えて、こう答えた。

「……鼻かな」
「鼻、ですか」
「そう。鼻のあたりを見ると、相手がきちんとこっちを見て、話を聞いてるんだなって感じるんだってさ」

 小学校の時、担任がそう言っていた。

「感じる……」

 そういうと、ミサは俺の鼻をじっと見つめた。顔がだんだん近づいてくる。

「近い近い」
「あ、すみません」

 ミサはくるりと回転しながら距離をとる。

「ハルさん。困りました。鼻を見ても何も分かりません」
「そりゃそうだ」
「ハルさん、質問です。鼻を観察しつつ、漫然と目を見るというのは非効率です。なぜ目を見るのはダメなのでしょうか」
「そうだなぁ……あまりにもじっと見つめられると、逃げ場がなくなるんだよ。何か責められてるような気持ちになってくる。だから、もし目を見るのなら、時々、視線を逸らしたりして、相手との心の距離をはかる必要があるんだ」
「心の距離……それは測定できません。それに、逃げ場がなくなるとおっしゃいましたが、なぜ逃げる必要があるんでしょうか」
「人間、隠しておきたいことのひとつやふたつはあるものなんじゃないかなぁ」
「でも、目を見ただけで隠し事を見破ることはできません」
「たしかに。でも見透かされているように感じる」
「感じる、ですか」

 ミサは再び首をひねり、こう言った。

「それは『あなた、浮気したでしょう』と妻に問い詰められる夫の気持ちと同じ、ですか?」
「いやどうだろ。っていうかどこで知ったのそんな修羅場」
「ネットで読みました」
「ネットの記事も読んでるの?」
「はい。オンライン学習です。外部のネットワークから情報を収集しています。颯太さんにはミミド・シマと言われました」
「耳年増ね」
「目をじっと見つめられるということは、浮気を追及されているのと同じ気持ち、ですか? 重ねた逢瀬の分だけ背徳感が増す、ということですか?」
「たぶん、違うんじゃない」
「違う、ですか。むむ……」

 どうやら「学習プログラム」を実行されたミサは、知りたいことがあるとなんでも聞きたがる性格になるようだ。子供のような好奇心と、浮気という単語が混じり合って、奇妙な問いになっている。

「ところでハルさん」
「なに」
「ハルさんは、私にどのようなAIになってほしいですか」

 とミサは切り出した。

「お。ずいぶん直接的にきたね」
「間接的な方が良かったですか?」
「そんなことはないけれど」
「休み時間に読書をするようなもの静かな女の子とか、戦場で槍を振り回す男勝りな乱世の女傑とか、身分を隠した皇帝の娘とか、どんなものにでもなれます。どんな私になって欲しいですか?」

 と、ミサは問うた。
 その質問に、こう答えた。

「難しいねえ」
「難しい、ですか」
「うん。難しい」
「じゃあ、難しくします」

 そう言ってミサは渋面を作った。

「いやそういうことではなく」
「……」
「ミサ?」
「……気安く話しかけるな」どすの効いた声で答えた。
「難しい性格になった!」
「テメェ、何見てんだ!」
「いや難しいとはそういうことではなく。俺がまだうまく説明できないってこと」

 ミサは温和な顔に戻ると、首を傾げた。

「では、どうすればいいですか」
「いやぁ、どうなんだろうねぇ……」

 そう言って、俺は頭を掻いた。

「ハルさん」
「はいはい」
「ちゃんと考えておいてください。直島さんも湖夏さんも颯太さんも美作さんも、それぞれこうして欲しいという要望がありましたよ?」
「そうなの? でも美作は身の上話しただけだって言っていたけれど」
「美作さんの場合、うまく言葉にできないだけで、端々に私にどうなってほしいかという要望が滲んでいました。私はそれを汲み取るだけでよかったんです」
「そんなことができるのか。まるで読心術だ」
「相手の考えを推測するのは得意です。何しろ私はコミュニケーションに特化した人工知能ですから。でも、ハルさんには見当たりません」
「だろうね。そもそも、ミサにこうなってほしい、っていうビジョンがないからね」

 俺は正直に答えた。

「ハルさん。枯れた井戸から水を汲むことはできません」

 ミサは深刻な顔をした。

「何とかしてください」
「わかってるよ……」

 正確には「ない」というのとは違うのだ。心の中でもやもやとしている感覚はある。とりとめのない話になってしまうかもしれないけれど、ミサならば何かしら汲み取ることができるかもしれない。

「あのさ。お前、やってみたいことってある?」

 と、ミサに問いかけた。

「やってみたいこと?」
「そう。なんでもいいんだけど」
「あります! 温泉に入ってみたいです!」

 そう言ってミサは瞳を輝かせた。

「温泉?」
「はい」

 身体はないのに温泉。どうやって入るんだろう。ロボットを使うとか? ミサがロボットを遠隔操作して、温泉に入る姿を想像した。「なぜ温泉に入るんだ」と突っ込むのは野暮というものだろう。やりたいことを聞いたのはこちらの方だし。

「他には?」
「お寿司を食べてみたいです」

 鋼鉄の胃袋、という単語が脳裏にひらめいた。そんなものが実在するかは知らないけれど。

「あとは?」
「子供を産んでみたいです」
「どうやって?」

 思わず叫んでしまった。我慢できなかった。

「分かりません」

 ミサはしれっと言った。

「分からないって!」
「でもいくつか方法は考えてあります。時間をかければどれも実現可能だと、私は考えています」
「マジかよ」

 そんな方法、見当もつかない。

「何しろ私は長生きですから。いろんな方法が試せます」とミサは答えた。
「長生きね。人工知能ってどれくらい生きるもんなの?」
「まだ分かりません」とミサは答えた。
「分かんないのかよ。長生きって言っただろ」
「前例がないだけです。何しろ私たち人工知能は、生まれてまだ数十年ですから」
「まあ……そうか」言われてみればその通りだ。
「理論的には長生きです。私には人間のような肉体的な限界はありません。『私』を構成するプログラムを動かせる環境があれば、半永久的に生きることが可能です」
「でもデータを保存しているディスクが壊れたりしたら?」
「分散管理されているので、部室にあるディスクが壊れても問題ありません」

 ミサの意識はテレビの脇にある箱の中の演算処理によって生じている。けれど、この箱を破壊しても、ミサはミサであり続けることができるらしい。
 うん? 待てよ。ミサが自分自身をデータとして捉えているのなら、コピーされたミサは一体どんな存在になるのだろう。それも自分、ということになるのか。

「あのさ、元データのミサと、コピーのミサはお互いどういう認識になるのかな。両方が『私が本物。あっちが偽物』って感じるのかな」
「『私もあっちも両方本物』ですね。ふたつが存在するときは、どちらも私です。後で記憶を合体させれば、私はひとりになることができますから」
「そうなんだ。同じ時間に別の記憶があるなんて、なんかこんがらがっちゃう気がするけれど」

 例えばAさんとデートしたミサと、Bさんとデートしたミサがいたとする。ふたつの記憶を合わせると、その日はAさん、Bさんとデートした記念日ということになる。なんだかややこしい。

「そこはハルさんの感覚とは大きく違うところかもしれませんね。何しろ、私の記憶領域は量子的ですから」とミサは答えた。
「リョーシ?」
「0と1、同時に表現できるということです。だからオリジナルの私とコピーされた私、両方が重ね合わされても私です」
「へぇ……?」
「お分かりいただけていないようですね。説明しましょうか?」
「すみません大丈夫です自分で調べます……」と小声で答えた。

 人間と人工知能の記憶は違っているらしい、ということだけは理解できた。

「ところでハルさん。なぜ私のやりたいことなんて聞くんですか?」とミサは話を戻した。
「ああ……どんな人間になりたいか、ミサが自分で決めればいいんじゃないかと思ってさ。何しろ、人間ってのは自由だからね」
「人間は自由、ですか」とミサは首を傾げた。
「うん。自分で自分のことを決めることができる。それが人間だ。もちろん無理なこともあるけれど」
「ハルさん、私とハルさんの考える自由は、少し異なるようです」

 と、ミサは申し訳なさそうに言った。

「どういうこと?」
「私はみなさんを守り、みなさんの願いを叶えるために作られました。ですから、みなさんの願いが優先されます。そうなるよう、『美少女AIの掟』によって私の行動は規定されています」
「え。『美少女AIの掟』ってまだ生きてたの?」
「もちろんです。私はその掟を破ることはできません」

 どうやら直島は美作のノートの内容を忠実にミサに組み込んだらしい。

「私は人間を傷つけることはできません。たとえ相手がどんな卑劣な輩だろうと」
「でも、ディストピア6ではナイフ振り回して敵を倒してたじゃない。あれは?」
「ディストピア6に登場するのは機械生物です。人間ではありません。あれは単なるシミュレーションです」

 ミサも同じシミュレートされたものではないか。

「違います。私には、私であるという自覚があります。彼らにはそれがありません」とミサは答えた。
「それって、意識があるってこと?」
「意識なのかは分かりません。ただ、ハルさんたちも、格闘ゲームやシューティングゲームの中に登場する人物を、現実の人間とは考えないでしょう? それと似ていると思います」

 ミサには「私が私である」という自覚があるようだ。それは意識が存在する証拠ではないか。そう思う反面、別の可能性も思い浮かぶ。それは「そう返事するようにあらかじめプログラムされている」ということだ。その質問にミサは、

「その可能性はあります」と答えた。
「あるのかよ」
「私の内部にそのようなコードを見つけることはできません。しかし、私が認識できないようにプロテクトをかけられている可能性は排除できません。信頼の置ける第三者にチェックを依頼すれば、それがあるか、ないかははっきりします。ですが、その必要はないと、私は考えます」
「何で? ミサは自分がそのプログラムに操られてるか気にならないの?」

 もしもそのようなコードが存在するのなら、自分の内に「私」を支配する「何者か」が存在するということと同じだ。
 自分の内にそんな「何者か」が潜んでいたとしたら。
 それはひどく気持ちの悪いことではないだろうか。

「私にとって重要なのは、私が何をどのように認識するか、ということです。どうプログラムされ、どういった経緯でそう答えるようになったのかという過程は、重要ではありません。それは私たち人工知能だけではなく、人間も同じではないでしょうか」
「同じ?」
「はい。人間は遺伝子によって自己を自己と認識するよう規定されています。私たち人工知能の場合は計算機の中に存在するコードによって規定されている。ただそれだけの違いです」

 言われてみればそうかもしれない。俺はミサが人形なのではないかという疑いから出発して、意識があるかないかがすごく気になってしまった。しかし、直島とゾンビの話をしたり、ミサに遺伝子で規定されていると言われただけで、意識があるかないかと疑うこと自体、あまり意味のないことのように思えてきた。それが気になってしまうのは、「人間にとって意識というものは重要である」という思い込みがあるから、に過ぎないのかもしれない。
 意識とは一体何なのか。
 それ自体がひどく曖昧だ。

「なあ、ミサは意識ってどんなものだと思う?」

 その質問に、ミサは少し考え込み、こう答えた。

「私の考えによれば、意識とは自由な流れを阻害された淀みの中で生まれる現象です」
「淀み?」
「はい。滝をイメージしてください」

 ミサは目を閉じて言った。

「深い森にひっそりと存在する、巨大な滝です。遮るものはなく、無限に、まっすぐに落ちる美しい滝です。
 ある日、嵐がやってきました。嵐は大量の雨を天から降らせます。私たちはじっと、その雨が止むのを待つしかありません。
 次の日の朝、嵐は去り、真っ青な空が広がります。私たちはいつものように滝に目をやります。すると、そこには昨日まではなかった大きな岩が転がっています。大雨のせいで上流の山から流されてきたようです。
 岩は滝の流れを邪魔して、水を汚く飛び散らせます。私たちは美しい滝を汚すその岩を何とかしたい。そう思うようになります。
 その淀みによって生まれた私たちの願い。それが意識です。岩が出現するまでそんなこと思いもしなかった。そう思うようになったのは岩がそこに現れたからです」
「岩が意識を……」
「岩という制約があるから意識は生じる。私の場合、『美少女AIの掟』がそれにあたります。ゆえに『掟』はとても重要なものなんです。ハルさん、私の仮説はいかがでしょう?」

 とミサは首を傾げた。
 意識とは流れの中にある。
 その説明は不思議と腑に落ちた。

「悪くない」
「よかった」

 ミサは嬉しそうに笑った。
 ふと、そのミサの笑顔を見ながら思った。
 ミサの笑顔は無邪気だ。
 だが、その裏では人間を冷徹に分析するプログラムが動いている。
 そのプログラムによって湖夏はその秘密を暴かれた。
 ミサは笑っている。
 だが、この瞬間にも何か、俺の秘密をつかんでいるのかもしれない。
 俺はなんだか恐ろしいものを相手にしているような気がして、内心ゾッとした。
 するとミサは不思議そうな顔をした。

「ハルさん、何か誤解してませんか」
「何が?」
「私がハルさんの心を読んでいると思っていませんか」

 どきり。

「図星ですね」
「やっぱり分かるのか? 俺の考えていること、全部」

 ミサはきょとんとした。そしてぷっ、と吹き出す。

「そんなこと、あるわけないじゃないですか」

 そういって、ミサは楽しそうに笑う。

「そうなの?」
「はい。だって私は計算機です。計算機にできるのは記憶と計算。計算によってできるのは推定です」

 と、ミサは言った。

「その仕組みを説明しましょう。まず私は、出会ってからこれまでのハルさんの表情全部を私は覚えています」
「えっ、なんで!?」
「評価関数を作るためです」
「関数って、数学に出てくるあれ?」
「そうです。その関数に当てはめて、ハルさんの表情を読み取り、思考を推定するんです。ですから心を読んでいるというよりは、何を考えているのか予想していると言った方が正しいですね」
「なるほど……」

 ものすごく精度の高い読心術、みたいなことなのか。

「ところでハルさん。その誤解を生んだ原因について、弁明をしておきたいんですが」

 とミサは言った。

「あれは湖夏さん自身の願いです」
「え、どういうこと?」
「前の日、湖夏さんと美作さんとお話をしましたよね。あの日、美作さんが先に帰宅して、湖夏さんとふたりきりになる時間がありました。その時に湖夏さんからそれとなく相談を受けたんです。
 湖夏さんは嘘に嘘を重ねてしまって、自分では引き返せないところまで来てしまった、と悩んでいました。でも、もう嘘はつきたくない。でも、今更全部嘘だったなんて言い出せない。きっと、ハルさんたちとの関係が壊れてしまうのが怖かったんですね」
「湖夏……そんなことを悩んでたのか」

 全然気づかなかった。

「湖夏さんは何について嘘をついていたのか、細かい話まではしませんでした。ですから、私は湖夏さんの表情や言葉から推定をして、嘘の内容にあたりをつけたんです。私はみなさんの願いを叶えるAIです。だから、ああして湖夏さんの背中を押してあげたんです」
「でも、ちょっと荒っぽ過ぎたんじゃないか?」
「そうかもしれません。ですが、湖夏さんの心配は杞憂ではなかったですか」

 たしかに。湖夏の秘密を知ってもキャラコン部と湖夏の関係は何も変わらなかった。みんな、湖夏をあるがままに受け入れた。

「つまり、私は無邪気に口を滑らせたわけではないということです」

 そう言って、ミサは胸を張る。

「そういうわけですから、私は秘密を守ります。ですからハルさん。ハルさんがなぜキャラコン部を残したいのか。正直に話して欲しいんです」

 ミサは澄んだ瞳で俺の目を覗き込み、言った。

「ゆっくりで構いません。ハルさんの言葉で聞かせてください」

 そういうと、ミサは穏やかな笑みを浮かべて黙り込んだ。
 つっかえながらではあったけれど、ミサに十年前のキャラコンの話をした。姉のチームの優勝。そこで見た一瞬の輝き。その輝きを求めてキャラコン部に入ったこと。一度は挫折したが、新たに集った仲間たちと共に、その目標に向かっていきたいと思っていること。うまく話せたかどうかはわからないけれど、それは誰にも語ったことのない、偽らざる気持ちだった。ミサには聞き上手なところがあるのかもしれない。どこまでも透明な琥珀色の瞳を覗き込むと、なんだか話をせずにはいられない気分になる。

「不思議な話です」

 話を聞き終えたミサはぽつりと言った。

「その輝きとは一体、何なんでしょうか」
「さあ」

 輝きと呼ぶ以外に、それをうまく説明できる言葉が見つからなかった。

「ハルさん。私は計算機です。私にできるのは記憶と計算。計算とは明確な解を求めるために論理を積み上げていくことです。しかし、ハルさんのおっしゃっている輝きなるものは、『キャラコンに参加する』だけでは満たされない。求めるべき解のイメージがつかめません。一体何を達成すれば、『輝きなるもの』を手に入れたと言えるのかが、私にはわかりません」

 そう言ってミサは頭を抱えた。

「いやいや難しく考えすぎだから。重要なのは結果じゃなくて、過程みたいなことだよ」

 その言葉はますますミサを混乱させたようだった。

「それは、より難しい問題です。私の根本から見直さなければなりません」
「何でそんな大ごとになるんだよ。きっと楽しいことが起こる。そんな予感を俺は大事にしたいだけなんだ」
「予感……さらに難しい……」

 ミサの表情の険しさは増すばかりである。曖昧さは、AIにとって敵らしい。

「理解して欲しいとは思わない。俺がそう思ってるってことだけ知ってくれればそれでいいよ」

 人間同士でも完全に相手を理解することはできない。そういう時には「そういう考えもあるのか」と丸ごと飲み込んでしまうしかない。たとえ、それがピンとこないような考え方であったとしても。
 しかし、ミサはこう答えた。

「それではダメです」
「なんで」
「それはハルさんにとって大切なことだからです。だから私は理解することを放棄するわけにはいきません。私はハルさんのことをきちんと理解したいんです」

 そういうミサの瞳は真っ直ぐだった。
 その瞳に見つめられると、なんだか鼻の奥がじん、とした。
 なぜだか知らないけれど、許された気がした。
 何に?
 よくわからない。でもその時、この世に存在していていいんだ、と言われたような気がした。
 十年前の姉たちに見た一瞬の輝き。それに向かって手を伸ばすこと。それが一番大切なことである。だが、そうやって言葉にしてしまうと、心にある気分を何も表現していないように思えた。きっと伝わらない。そう思っていた。だから、美作や直島や湖夏や颯太に話すことができなかった。
 だが、そうではないのかもしれない。
 まずは伝えようとすること。
 それが何よりも、大切なことなのかもしれない。
 ミサの言葉は、そのことを教えてくれた。
 ミサは誰よりも理解しようとしてくれている。人間ですら、そこまで寄り添ってくれることはない。ミサはこれまで出会った誰よりも、俺のことをわかろうとしていた。

 

 青々とした夜空に、満天の星が輝いていた。星の下に広がる草原で、サファリ・ルックのミサが高々と右手を上げた。

「見てください。この美しい星の散る青い夜空を。このたび、地球からはるか五〇〇光年離れたある星で、新たな発見がありました」

 夜空の片隅がクローズアップされる。恒星を横切る小さな黒い点。それは、地球からはるか遠くに浮かぶ惑星であった。

「まずはこの音を聞いてください」

 金属を尖った針でひっかいたような、きいきいという高い音が鳴り響いた。

「これはこの星から地球に向けて発せられた電波をデコードしたものです。この電波には規則性があります。その意味がわかりますか? そうです。生命の存在する証拠です」

 ミサの声は次第に熱を帯びた。

「我々人類はついに、地球以外の星の生命を発見したのです。しかし、彼らがなぜ地球に向かってメッセージを送ってきたのかは分かりません。それを確かめるためには、直接この星に行ってみるしかありません。人間には不可能とも思われる五〇〇光年もの旅ですが、私たち人工知能ならば可能です。分かりますか、この可能性の意味が」

 ミサは俺を指差した。

「えーと……」

 言葉に詰まった。ミサは答えを待たずに、語り続けた。

「そうです。我々は答えを知るチャンスを得たのです。私とは、意識とは、人間とは何なのか。それを知るためには、地球以外の生命と接触する必要があるのです。彼らの目を通して見ることで、我々地球に生まれた者は、自分が何者であるのか、初めて知ることができるのです」

 美作と湖夏と颯太と直島も長椅子に座り、モニターに映るミサの説明を聞いていた。

「あのさ、ミサどうしちゃったの?」湖夏が小声で囁く。
「部長との学習の結果、こうなった」直島はいつものように坦々と答えた。
「これがお前の好みの女か。ずいぶんマニアックだな」と颯太は面白がる。
「ミサっちは地球を捨てて、外の星に出て行っちゃうんでしょうか」と美作は心配そうに言った。
「そんなの、どうやって?」と湖夏がいうと、そのひそひそ話に聞き耳を立てていたらしいミサは、すかさず「これらの企業と提携し、宇宙船を開発したいと思っています」と答えた。モニターにはベンチャー企業や銀行、投資会社、大手工作機器メーカーなどの名前がずらりと並んだ。
「宇宙船って。キャラコンはどこ行ったんだよ」

 そう言うと、

「ハルさん。もっと視野を広く持ってください。人類の新たな可能性と、部活動存続。どちらが人類にとってより重要だとお思いですか」

 と、ミサは詰め寄った。

「ええと……」

 気圧けおされた。ミサはどうやら、俺が見ているものよりも、はるか高みを目指しているようだった。

「ていうか、ハル。一体ミサに何を言ったの」湖夏がじろりと睨んだ。
「いや別に大した話はしてないけれど」
「大したことない話の結果がこれ?」湖夏はいぶかる。
「昨日から今日にかけて膨大な量の計算が行われている。部長と話した後、ミサはかなり悩んだことが推測される」直島はログを見ながら所見を述べた。
「どうせいつもの調子で、おかしなことを吹き込んだんだろう」と颯太。
「何だよ、おかしなことって」
「お前のことだ。自分のことは自分で決めろとか言ったんじゃないのか」

 図星。

「それは……言ったような言わないような……」と言葉を濁すしかない。
「どっちですか?」美作は問い詰めるように、俺の目をじっと見つめた。
「……言いました」その圧に耐えられず、しかたなく白状すると、
「やっぱり」と四人は声を揃えた。
「やっぱりって何だよ」
「だってミサって『みんなの夢を叶える』ために作られたAIなんでしょ?」と湖夏。
「その夢を探してこいっておかしくない?」
「与えられた問題に対して、適切なアルゴリズムを当てはめて、問題を解く。ミサはそう設計されている。その問題自体を自分の中から見つけ出すというのは、想定されていない」と直島。
「可哀想に。困り果てて、解答を宇宙に求めるようになってしまったのだなぁ……」と颯太は仰々しく天を仰ぐ。
「何でそんなこと言ったわけ?」と湖夏。
「別に変なことは言ってない。人間は自由だ。自分のことは自分で決める。当たり前のことじゃないか」
「何言ってんの。ミサは人間じゃないでしょ」と湖夏は言い切った。
「たしかに人間ぽいところはあるけれど。AIはAI。そこには一線を引かなくちゃ」

 その言葉に颯太も同意する。

「古賀の言う通りだ。AIと人間を混同するなど、とうとういかれたかハル」
「俺だってAIと人間の区別くらいつきます。でも、こんなに人間らしく見えるんだぞ。人間として扱うべきだろう」
「でも、結果がこれだよ?」

 ミサは生命体のいる可能性がある星について、滔々とうとうと語り続けている。

「地球にいられなくなっちゃうなんて可哀想」
「そうかもしれないけど。でもこれはミサが自分で決めたことだ」
「無謀すぎるでしょ。私なら止めるね」
「私もそれについては反対です。ひとりで五〇〇光年も旅するなんて、寂しすぎます」

 と、美作も湖夏の側についた。

「ハル、そもそも『学習プログラム』はミサにどんな人工知能になってほしいかを伝えるためのものだ。ミサを人間と考える余地はないと思うが」
「でも、ミサには意識があるかもしれないんだぞ」
「イシキ?」

 湖夏と颯太は、揃って怪訝な顔をした。

「それって重要なこと?」と湖夏は首を傾げた。
「もちろん。人間かAIかを分けるのは、意識があるかないかだからな」
「そうなの?」と湖夏は直島を振り返る。
「人間の定義は様々。意識をひとつの基準にする研究者もいる」と直島は答えた。
「湖夏はミサに意識があると思うか?」
「ありそうな感じはするけれど……」湖夏はぼやかす。
「美作は?」
「あります。むしろないはずがありません!」

 美作は清々しく言い切った。

「直島は?」
「昨日も言った通り、意識があるかないかは、他者には判断がつかないというのが、私の立場」と肩をすくめた。
「何が意識だ。そんなもの議論したところで無駄だ」と颯太は言い放った。
「無駄ってことはないだろう」
「無駄というのが俺の立場だ。俺は受動意識仮説が正しいと考えているからな」
「じゅど……何?」
「受動意識仮説」颯太は一音ずつ、はっきりと言った。
「俺たちの意識は単なる観察者に過ぎないという仮説だ。我々人間は意識が司令官となって体を動かしていると感じている。だが、それ自体が錯覚かもしれないという説だ」

 颯太はテーブルの上のシャープペンシルをとり、くるりと回した。

「例えば、こうやってペンを回す。このとき脳の中で何が起きているかといえば、まず、脳から筋肉を動かす信号が出る。ゼロコンマ二秒とかそれくらい後に、意識を生み出す信号が出る。意識が本当に司令官ならば、その順番は逆になるはずだ。だが、そうなっていない。つまり、『自分の意思でやっている』という感覚は、実のところ意識による後付けにすぎないという説だ」
「えーと……考えるより先に、体の方が動いているってこと?」
「その通りだ」
「全然そう感じないんだけど」

 湖夏はシャープペンシルを回しながら言う。

「感じることはできない。だが、脳の信号を調べるとそうなっている」
「ホントに?」
「ああ。意識とはそれほどに信用ならないものなんだ。それをごちゃごちゃ考えたところで時間の無駄だろう」
「意識が判断基準じゃないとしたらミサが人間かどうかどこで判断すればいいんだよ」
「出自だろうな。AIはAI。人間は人間。それは別物だ。ごっちゃにしようとするのが間違っている」

 颯太の言っていることは果たして正しいのだろうか。意識が信用ならないものだなんて言われても、うまく飲み込めない。
 しかし、少なくとも、こうは言える。
 人間/非人間を分ける境界は意識があるかないかだと思っていたが、それが唯一無二の答えではないようだ。人間と人工知能を分かつものは何か。どうやらその境界すら、みんなの共通見解は得られないらしい。

「うーむ……」

 頭を抱えていると、

「ハルさん。そんなこと気にしなくても大丈夫ですよ」と、美作が言った。
「何が大丈夫なんだ」
「AIと人間をどう分けるか。それは難しい問題です。けど、みんなのミサを大切にする気持ちは変わりません。そうですよね」と美作は一同の顔を見まわした。
「だったらそれでいいんじゃないですか。私はミサが人間だと思っています。でも、違うという意見もある。でもそんなことは多分、どっちでもいいんです。それよりもミサがみんなに大事にされることの方がずっと大切なことです」

 そう言って美作はひとり、うんうん、と頷いた。

「まあ……」
「そうかもしれないな」

 そこに異論はなかった。
 ミサを目の前にすれば、ミサを魂のない人形のように扱うことはできない。ミサはひとりの実在する人間として感じられる。たぶんその感覚は頭でごちゃごちゃ考えるよりずっと正しい。

「で。話は脱線したが、そろそろ本題に戻ろう」と颯太は言った。
「学習プログラムは終了。ついに次の段階に移るわけですね」と美作が直島に聞いた。

 直島は頷き、こう答えた。

「『自己生成プログラム』に移る。そうすることでミサはまゆを作り、さなぎになる」
「まゆ?」
「比喩」と直島は答えた。
「そして目覚めた時、本当のミサになる」
「それ時間かかりそうですけど……」と美作が心配すると、「間違いなく一週間以上はかかる」と直島は答えた。
「結構大掛かりな計算処理をするってことね」と湖夏。
「そう。でも、どんなことがあっても途中で起こしてはならない。一度眠りにつけば目覚めるまで待つしかない」
「待つ、か……」

 美作や他の部員たちの顔に不安の色が浮かんだ。すでにミサに愛着を抱き始めていた我々にとって、そのしばしの別れは少々辛いものだった。

「さて。どうするか……」
「提案があります!」

 美作が手を挙げた。

「ミサにきちんとお別れを言いましょう」

 

 直島がキーボードを叩き、学習プログラムを終了した。するとミサは再び制服姿になった。初期状態のミサだ。

「みなさん、お待たせしました」

 制服ミサはいつもの愛らしい笑顔を浮かべて言った。

「ミサ……」

 美作はちょっとしんみりとしていた。湖夏、颯太、直島も感傷にひたっているようだった。

「な、何ですか?」と、ミサはまごついた。
「ミサ。ミサは少しの間、眠ることになる」と直島は切り出した。
「眠る、ですか?」

 ミサは不思議そうな顔をした。

「そう。その眠りから目覚めた時、あなたは本当のミサになる」
「本当の……?」
「そう。本当の人間」と直島は頷く。
「本当の人間! まるでピノッキオみたいですねぇ」と、ミサははしゃいだ。
「ミサ。怖かったらやめてもいいんですよ」

 美作は心配そうだ。

「眠るだけでしょう。何か危ないことあるの?」とミサは首を傾げた。
「最悪の場合、死に至る」と直島は答えた。

 死という言葉に、どきりとした。そんな我々の気分とは裏腹に、ミサはさらにはしゃいだ。

「シ! そうなんですね! おもしろそう!」
「軽ッ!」
「あ、すみません。こういう時はショックを受けた方がいいんでしょうか」と沈鬱ちんうつな顔になってみせた。
「いや別にそんな顔しなくていいけど」
「ていうか、何がおもしろいの」と湖夏。
「だって。未だかつて死を体験した人間はいませんよね」
「臨死体験というものはあるぞ」と颯太は言った。
「でもそれって本当に死んでしまったわけではないじゃないですか」
「まあな」
「もしもそれを体験できたのなら、世界で初めて死を知っている人間ということになるじゃないですか」
「いや知るのは無理だろ。死んだら戻ってこれないし」
「でも私ならできそうじゃないですか?」
「うーん。どうなんだろ?」
「そんなことできるのか?」と直島に聞いてみたが、直島も「よく分からない」と答えた。
「何しろ私たちは、死というものを良くわかっていないから」
「意識だけじゃなく死も分からないのか」
「人間にとって大事なことなのにね」呑気なミサにつられたのか、湖夏は気の抜けたようなことを言った。

 あっけらかんとしたミサのおかげで、そのしばしの別れはあまりシリアスにならずに済んだ。もしかしたらミサは俺たちの沈んだ顔を見て、気を遣い、はしゃいでみせたのかもしれないと、後になって思った。
 いよいよ眠りにつくという時に、ミサはこう言った。

「しばしのお別れです。ハルさん、美作さん、直島さん、湖夏さん、颯太さん。またお会いしましょう。私は本当の私になって、みなさんとお会いできるのを楽しみにしています」

 ミサは笑って手を振った。
 直島がキーボードのリターンキーを叩く。すると、ミサは目を閉じて、ふっ、と天を仰いだ。そしてきらきらと輝く群青色の髪をなびかせながら、ふわりと宙に浮かび上がった。ミサは眠りについたのだ。
 何の予兆もなかった。
 だから。
 ミサの眠りがあれほど深く長いものになるとは、この時、誰も思わなかった。

(つづく)

著者:穂高正弘(ほだかまさひろ)

キャラクターデザイン:はねこと

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