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2023.05.10

サンライズワールド クリエイターインタビュー 第17回
『カウボーイビバップ』メカニカルデザイン 山根公利<前編>

サンライズの作品のキーパーソンとなったスタッフに自身が関わった作品の思い出を伺うクリエイターインタビュー。第17回のゲストは今年で放送25周年を迎えた『カウボーイビバップ』でメカニカルデザインを担当された山根公利さん。前編では、サンライズ作品に関わったきっかけから、サンライズのスタジオで学んだこと、そして『カウボーイビバップ』の企画に関わる経緯を振り返ってもらった。


――サンライズとはどのようなきっかけでお仕事をするようになったのでしょうか?

山根 僕は20歳で専門学校を卒業した後、アートミックという企画デザイン会社に入社したんです。そこで、OVAをメインにアニメーションのメカデザインをやらせていただいていて。タツノコプロさんの『新造人間キャシャーン』や『科学忍者隊ガッチャマン』のリメイク版に関わっていたんですが、それらの作品に出てくるメカを出渕裕さんがご覧になって、「この人、面白いものを描くな」と思ってくれたようなんです。そこから、『機動武闘伝Gガンダム(以下、Gガンダム)』の前に進んでいた、新しいガンダムの企画で通称「ポルカガンダム」と呼ばれる作品にデザイナーとして誘っていただいたんです。

――『Gガンダム』が格闘するガンダムの路線になる前の、最終的には実現しなかった企画ですね。

山根 そうです。その企画には出渕さんも関わっていたということがあって、「山根くんにも手伝ってもらおう」ということだったようです。出渕さんとしては、僕に車輌関係とかをやってもらいたかったみたいで、OVAの『バブルガムクライシス』で僕が描いた車輌なんかも目に止まっていたみたいです。ただ、企画が進むうちに「ポルカガンダム」は設定や内容が大きく変更されて、『Gガンダム』の内容へと変わっていく中で、出渕さんは企画から降りられましたが、僕はアートミック所属のまま『Gガンダム』に継続して関わることになって、それが最初のサンライズとの仕事になったという感じです。

――そこから、『天空のエスカフローネ』などの長きにわたってサンライズとのお仕事が続いていくわけですね。

山根 『Gガンダム』では、船からモビルファイターまでいろいろ描かせていただいたんですが、作業が終わるか終わらないかというタイミングで『Gガンダム』のプロデューサーをやられていた南雅彦さんから次の企画の話をいただいて。それが『天空のエスカフローネ』だったんです。ただ、この仕事は最初はお断りしたんです。僕自身、ロボットものに苦手意識があって、『Gガンダム』をやりながら「やっぱり、自分はロボットを描くのはヘタクソだな」と思っていて。業界を見回せば、もっとロボットが好きで上手い人はいっぱいいるので、そういう方にお願いした方がいいんじゃないかと思ったんです。デザインに関しても、原作・原案の河森正治さんのラフ画もありましたし。でも、南さんがどうしてもと自分を強く推してくれて、さらに河森さんとも一緒に仕事ができるのは光栄なことだし勉強にもなると考えお請けすることにしたんです。

――『Gガンダム』の放送終了から、『天空のエスカフローネ』の放送開始まで結構時間がかかっていますね。

山根 制作期間は2年〜3年くらいかけたんじゃないかと思います。企画開始当初から、主人公メカであるエスカフローネや敵側のガイメレフ、アルセイデスのイメージや液体金属や透明マントを使うというコンセプトはすでに河森さんが考えられていて。その段階で基本的なフォルムに関してもラフデザインがあったので、それを河森さんのラインに乗りながらも、自分風の要素を付け加えつつ、作画スタッフが描きやすいようにという感じでデザインをまとめていった印象がありますね。

――その間にも『沈黙の艦隊』や『機動戦士ガンダム第08MS小隊(以下、08小隊)』などのお仕事もされていますね。

山根 当時、『沈黙の艦隊』も『08小隊』も同じスタジオで作業をやっていて。特に『08小隊』は途中でいろいろあって、作業が終わるまでかなり時間がかかっていたのもありますが、『天空のエスカフローネ』も含めて、全く異質の3つの作品が同時に進んでいたという感じですね。『天空のエスカフローネ』はデザインが難航して、「大体この形でいいんじゃないか?」という決まりかけた段階になって河森さんが「竜に変形させたい」と。当初は、甲冑型パワードスーツという雰囲気だったんですが、作業が進むにつれ竜に変形させようと思われたようなんです。企画としては、玩具的な商品化は無いという話だったんですが、僕は玩具にした時にちゃんと変形する感じにしようとシンプルなものを考えたんです。でも、河森さんが「全部バラバラになって、伸びて竜になるのがいい」、「部品と部品がつながって列車のようになるんだよ」とどんどん新しいアイデアを出してきて(笑)。変形とか繋がるとか簡単に言われるんだけど、デザインに落とし込むにはかなり苦労しました。毎晩「どうやって変形させよう」って考えながら寝ついていましたね(笑)。

――仕事で関わる前のサンライズには、どのような印象を持たれていましたか?

山根 やっぱり『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』の会社ですね。でも、アートミックにいた人たちは巨大ロボットではない何か?を模索している印象でした。70年代の前半には『マジンガーZ』をはじめとした巨大ロボものが流行ったんですが、ちょっと元気が無くなった時代があって。そこで『宇宙戦艦ヤマト』が出て来て、「この後、こういう大人っぽいアニメが増えていくんだろう」という雰囲気が当時はあったんですよね。そしてリアルロボットの台頭に荒牧伸志さんたちも「次に来るのは何か?」というのを考えて、その結果アートミックはパワードスーツ系のデザインに進んでいくんですよね。僕もあんまりロボットに関心が無かった方なので、同じようにパワードスーツの様なコンパクトなメカの時代が来ると思っていたし、だからアートミックとしては当時『ガンダム』はあまり意識していなかったんです。そんな中で驚いたのは『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』でしたね。みんなメカ好きなので、あの作画の凄さにはみんな感心していました。

――山根さんご自身はサンライズ作品で気になっていたものはありますか?

山根 僕も『ガンダム』を観てサンライズ作品に興味を持って、その後『伝説巨神イデオン(以下、イデオン)』が好きになっているんです。そういう意味では、自分の中で一番好きなアニメが『イデオン』ですね。それはアートミックにいた頃からずっと変わっていなくて。アートミックの作品はハリウッド的娯楽に徹しているところがあって、そのデザイン作業は楽しんでやっていましたが、ドラマとしては富野さんの作品がやっぱり一番好きだったんじゃないかという気がしますね。

――『イデオン』はどのような部分に惹かれたのでしょうか?

山根 惹かれたところはいろいろあって、まとめて説明するのは難しいですね(笑)。『ガンダム』はミリタリー的な要素が有る青春群像劇、『イデオン』はそこから全く違うものに切り替えて、今度はすごくSF的なスケールの大きいものになっているところに惹かれたというところですかね。銀河から銀河を旅するようなスケール感が『宇宙戦艦ヤマト』世代の自分にはしっくりきていたというのもあるんじゃないかなと。アニメ=スケールの大きな舞台という感覚があったので、地に足のついた『ガンダム』よりもスケールが広大な『イデオン』により魅力を感じたというところですね。また、自分がミリタリー好きというのもあって、戦車は車高が低ければ低いほど敵にみつかりにくくていいというルールを知っているからこそ、兵器としての人型巨大ロボットは「背が高いからみつかっちゃう」というようなところに納得がいかないところもあって。でも、『イデオン』の面白い部分は兵器のようで兵器じゃないところなんですよ。自分はSF小説なんかも好きだから子供の頃に『宇宙戦争』をはじめ、そういう小説をたくさん読んでいたので、『イデオン』での異星人のメカ=三脚で描くというところにすごくシンパシーを感じていたのもあります。だから、重機動メカは大好きなんですよね。あとは、『ガンダム』はすごくヒットしているけど、自分はあまり世間的にヒットしている作品に興味がないという天の邪鬼なところもあるので、そういうところでも『イデオン』を好きなのは影響しているような気がしますね(笑)。

――「この作品は自分が応援しなくても売れるだろう」と思ってしまうわけですね。

山根 その見方は本当に正しくて。だから、『カウボーイビバップ』の話をいただいた時は、ロボットものじゃないし、こういう企画はあまり他にやる人がいないから自分が好きな物を描こうと思ったところはあって。ロボットは他の人がカバーしてくれるけど、宇宙船ものは僕が頑張ろうかなって。そういう意気込みはありましたね。

――サンライズを通していろんなクリエイターの方と関わることになったと思いますが、そこで影響を受けた方や、お世話になったと思う方を挙げるとするとどなたになりますか?

山根 やはり、出渕さんですね。出渕さんにサンライズを紹介していただいて、すごく良かったです。出渕さんは、すごくいろんな才能を持っていて、その中にはプロデューサー的な側面もあるんですよね。「この人、○○のデザインが上手いから」といろんな人をその人にあった会社に紹介していくという、コミュニケーションに積極的な方です。

――そうした埋もれたデザイナーのフックアップをできるところは素晴らしいですね。

山根 デザイナーをはじめ、アニメをやっている人は結構コミュニケーションが苦手な人が多いじゃないですか。なかなか希有な存在なので尊敬していますね。あとは、『天空のエスカフローネ』でご一緒した河森さんも尊敬しています。河森さんも『ガンダム』じゃないものをいかにして作れるかということにすごくこだわられていて。「マクロス」シリーズなんかもそうなんですが、ロボットの世界観やディテール、コンセプトをちゃんと固めていらっしゃって、メカニックのデザインや世界観の考え方を学ばせて頂きました。

――サンライズではスタジオに入られて仕事をするようになったと思いますが、その際にはどんな印象を持たれましたか?

山根 アートミックは完全に企画とデザインの会社なので、スタジオにアニメーターさんはいなかったんです。企画とデザインだけやっているような感じだったので、スタジオに入ってアニメーターさんと机を並べて仕事をすると、「ここが描きづらい」、「このラインも描くのが難しい」というような具体的な発注をいろいろしてもらえたのはいい経験でしたね。だから、より一緒にアニメーションを作っているという実感もありました。スタジオにはすべてのセクションがあって、作画班がいて、演出、デザイナーも詰めていて、彩色もやっている。そして、プロデューサーも近くにいるから声を掛けやすい。そうした環境で学んだことは今につながる基礎にはなっています。アートミックを辞めてからはほぼサンライズでお仕事をしていたので、本当にサンライズに育てていただいた感じはあります。

――サンライズのスタジオ作業での思い出はありますか?

山根 昔はクリエイターとかアニメーターの交流がもっとあって、スタジオのみんなでスキーに行ったりとか、よく遊んでいたんですよね。専門学校を出てアートミックで働いて、サンライズに出入りするようになったのは27歳頃で、たくさん人がいる環境で働いたことが無かったから、みんなでものを作るという感じが楽しかったですよね。それから、アートミックでは、みんな先輩で自分と同じ年令と立場で仕事をしている人とはあまり知り合うことが無くて。サンライズに行くようになると、メカデザイナーの石垣(純哉)君がいて、彼は僕よりも少し歳下だけどほぼ同世代で。彼とは一緒にご飯を食べに行って情報交換したり、仕事の愚痴を言い合ったりしてそういうところも楽しかったですね。

――アニメーターの方と仕事をして得られたことはありますか?

山根 やっぱり、アニメーターとメカデザイナーは絵描きとしての質がまったく違うということに気付きました。アニメーターさんは、動きを描きたかったり、キャラクターを上手に描きたいというような仕事の動機がある。一方、メカデザイナーはアイデアや発想、世界観を作ることが好きな人種だという感じがあって。その部分では、デザイナーはあまり絵が上手くなくてもいいと思ったりもするんです。要は作画の方にアイデアを伝えられればいいわけだから。そういう意味では、アニメーターさんは絵の“質”に対してすごく厳しいというのを知りました。

――『カウボーイビバップ』には、どのような経緯で関わられたのでしょうか?

山根 これも『天空のエスカフローネ』が終わるか終わらないかというタイミングで、第2スタジオで何をするかということで、次の企画が立ち上がって。『カウボーイビバップ』の企画が固まるまでの経緯は紆余曲折あったらしいけど、その辺りは僕の預かり知らぬところで。最初にもらった企画には、『シューティングスタービバップ』というタイトルが書いてあり、その企画の主役メカをオーディションで決めるということで南さんに呼ばれて参加したのがきっかけですね。

――メカデザインのコンペはよく行われるものなのでしょうか?

山根 メカデザインを決める時にはいろんな形があって、「今回はこの人にお願いする」と最初から決めている場合と、いろんなアイデアを出してもらおうと複数のデザイナーに声をかけてオーディションをする場合などがあって、作品によって違いますね。『カウボーイビバップ』はたまたまオーディションだったということです。

――企画書を読んだ最初の印象はいかがでしたか?

山根 今までのロボットものとは違う企画で、面白そうだなと思いました。さらに、自分好みの宇宙船のスタイルが描けそうだというイメージもありました。だから、オーディション用のデザインはすごく乗り気で取りかかっているのですが、そこで主役メカのデザインを取りに行こうとは思っていなくて。自分のものが通るとも思っていなかったんですが、自分の一番好きな雰囲気のメカを描いて、みんなに観てもらえたらいいなと、ほとんど趣味の範囲でそう考えていましたね。そういう意味では、純粋なものを出したら監督の渡辺(信一郎)さんが気に入ってくれて。ただ、僕としてはこのデザインでアニメを作って、プラモデルを出して売れるのか? という不安もあったんです。

――商品化込みの発注だったんでしょうか?

山根 商品化は聞いて無かったし、あのフィルムの雰囲気もメカもホビー展開できるような感じの作品ではないというのがあって。でも、デザイン的にはホビー的な魅力が必要な気がしたので、監督に「本当にこのデザインでいいのか?」と聞いたりもしているんですよ。だから、OKが出たデザインに、ホビー的なギミックを足したものを描いて見せたりもしたんだけど、あまり反応がなくて。「そういうのを求めているんじゃない」ってことを確認できたので、結局は最初期に描いたラフをアニメ用に仕上げていくという形でしたね。

<後編>に続く

山根公利(やまねきみとし)
1966年生まれ。島根県川本町出身。メカニックデザイナー。
東京の専門学校を卒業後アニメーション企画制作会社、アートミックに作品を持ち込み、メカニックデザイナーとしてデビュー。『機動武闘伝Gガンダム』でサンライズ作品に参加。その後『天空のエスカフローネ』、『カウボーイビバップ』、『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』、『無限のリヴァイアス』、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』、『Gのレコンギスタ』『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』、『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』など多数の作品でメカニックデザインを担当。

 

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