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【第05回】コードギアス断章 モザイクの欠片
第3編 ゼロの男(前編)
私――この比類なき存在。
人は自分が他者であることを想像できる。
たとえば自分がブリタニア皇帝シャルルだったら?
あるいはイレヴン出身の騎士枢木スザクだったら?
もしくは救世主ゼロだったら――。
しかし、もし私が他の存在でもありえるのだとしたら、私を私たらしめている要因とは何か。
なぜ私は私なのか。
人は悩み、証明しようとする――私が私であるということを。
1
身を焼くような暑さで、俺は目を覚ました。
「ここは……ゲホッ」
声を上げようとして、せき込む。
喉がからからに乾いていた。
周囲を見回す。路地裏のようで、陽が翳って辺りは薄暗いが、それでも暑いことには変わりない。
立ち舞う砂埃、乾燥した空気――。
砂漠の周囲の街のようだが、いったいどうして俺はこんなところにいるんだろう?
頭がぼんやりとして、うまく記憶をたどることができない。
ふらふらとよろめきながら、俺は路地裏から出た。
舗装されていない道路。
土煙を上げながら走る旧型の自動車。
それらの向こうに見える、不釣り合いなほど大きな商業ビル。
そのチグハグな街並みから、ここが開発途上の地域であることがわかった。
だがまったく見覚えのない街並みだ。
《先日、エリア11で起こった大規模叛乱……》
エリア11――。
俺の耳は、なぜかそのフレーズに敏感に反応した。
街頭ディスプレイから流れるニュース放送だった。
《その叛逆行為を指揮したゼロ。我がブリタニアはこの者を捕らえ、死罪に処した。繰り返す。ゼロは死んだのだ!》
ブリタニアの高官らしい男が、ディスプレイの中で声高に叫んでいる。
――ゼロが死んだ?
瞬間、俺の中で何かが弾けた。
数々の記憶が、脳裏に蘇る。
クロヴィス皇子殺害の疑いをかけられた枢木スザクを救ったこと。
カワグチ湖ホテルで日本解放戦線から人質を救い、黒の騎士団発足を表明したこと。
ナリタ連山でコーネリア皇女を追い詰めたこと。
チョウフ基地で藤堂鏡志朗を救出したこと。
式根島で枢木スザクと接触したこと。
行政特区日本式典で多くの日本人を救ったこと。
そしてブラックリベリオンを引き起こしたこと。
強烈なフラッシュバックにめまいを感じ、俺はその場に膝をついた。通行人たちの訝し気な視線を感じるが、気にしている余裕はない。
いままで自分が何をしていたのかも、ここがどこなのかも、どうして自分がここにいるのかもわからない。
そもそも自分の名前すら思い出せない。
だが{いま蘇った記憶がゼロのものだということだけはわかった}。
――俺は……ゼロ?
そう思った直後、今度は仲間たちの頭に浮かんでくる。
紅月カレンの精悍な顔立ち。
藤堂鏡志朗の頼もしい背中。
そしてC.C.の神秘的なたたずまい――。
俺がいない今、彼らはブリタニアとどのように対峙しているのか。
ブラックリベリオンの結末を思い出そうとしてもうまく思い出せないが、ニュースを聞く限り成功したわけではないのだろう。
彼らが画策して俺を逃がしてくれたのだろうか。
――戻ろう、エリア11へ。
仲間たちのもとへ。
しかし、どうやって?
俺はまず自分の置かれた状況を把握することにした。
近くの公衆トイレに入り、身に着けているものを確認する。
ジャケットの内ポケットに財布があった。開いてみると、現金が少しと個人IDカードが見つかった。
「ジェイムズ・アエロ……」
名前の欄にはそう記載されていた。
これが俺の名前なのか?
たしかにカードに載っている顔写真と鏡に映る俺の顔は同じものだ。
そしてジェイムズはブリタニア人らしい。
ゼロの正体がブリタニア人か、と思わず感心する。
「ジェイムズ・アエロ」
確認するようにもう一度名前を読み上げる。
しっくり来るような来ないような、不思議な感覚だった。
俺はトイレを出て、街を歩きながら考える。
ブラックリベリオン以降、エリア11は矯正エリアへと格下げされ、出入国が制限されている。普通の方法での渡航は難しいだろう――。
そこまで考えて、自分の素性を思い出すことができないのに世界情勢が頭に浮かんできたことに驚く。考えてみれば、まっさきにトイレに入って身に着けているものを確認したところからして不可思議だ。
おそらく、俺の記憶喪失は部分的なものなのだ。自分に関する記憶だけが消えているだけで、ほかの部分――常識的な知識などは失われていないのだろう。
街を一周したあと、俺は街を一望できる高台で一息ついた。
街を歩き回ってみて、いくつかわかったことがある。
ここはエリア20と呼ばれる地域で、ブリタニアの支配下にある。
街の外れには大規模なブリタニア軍基地が置かれている。基地周辺では人手が不足しているらしく、雇用情勢は売り手市場。
ともかく一旦、自分はジェイムズであるということにして、就職したほうがいいかもしれない。そう、俺は結論した。
エリア11に行くための準備にはしばらく時間がかかる。だから生活の基盤が必要になる。職を見つけ、寝床を調達するのが先決――。
「ブリキ女がこんなところを一人でウロついてるのが悪ぃんだ。自業自得だろ。支配者ヅラしやがって!」
乱暴な男の声が聞こえ、俺の思考は中断された。
高台に隣接した廃屋――その陰のところで、現地人【ナンバーズ】らしい男たちが、数人でブリタニア人女性を取り囲んでいる。
女性は二人。金髪の女性が茶色い髪の女性をかばうように立っている。
おおかた、支配される側である男たちが、憂さ晴らしに女性たちに乱暴しようとしたところか。
「あなたたち、大勢で女性一人を襲おうとして、恥ずかしくないの!?」
金髪の女性は威勢よく言い返している。同郷のか弱い女性を守ろうとする姿が、俺には美しく見えた。
しかし同時に、彼女の膝が震えているのも見て取れた。
俺の体は勝手に動いていた。
一気に男たちのところまで駆け寄ると、近くを転がっていた角材を手に取り、思いっきり振り下ろす。
「うぎゃっ」
後頭部に直撃を受けた男が、盛大にその場に倒れる。
男の悲鳴と鈍い打撃音に驚いた男たちは一斉に俺のほうを向き直る。
その中の一人の顔面めがけて、俺は角材を振り抜いた。
「ぎゃっ」
短い呻きとともに、男がその場にくずおれる。
突然の襲撃に男たちは怯んだようだ。明らかにおびえている様子の者もいる。
俺は金髪の女性に目くばせした。
女性はうなずくと、かばっていた女性と一緒に走り出す。
「あ、ちくしょう逃げられちまう――ぎゃあ!」
女性を追おうとした男の脳天に、俺は思いっきり角材を振り下ろした。
「こいつやべえよ! ずらかるぞ!」
一人の声を合図に、男たちは俺に背を向けて逃げ出した。
肩で息をしながら、俺は彼らを見送る。
ふと、ゼロでありながら自然な流れでブリタニア人に味方してしまった自分を不思議に思う。本来ブリタニアは、ゼロの敵のはずだ。
いや、俺は間違ったことはしていない。
明らかにあの状況で悪かったのは男たちのほうだ。ゼロならばきっと、正義の側につくはず。
ゼロは正義を為す。
俺はやはり、ゼロなのだ。
あの瞬間、無意識のうちに男たちを倒しに向かったのは、俺がゼロ――正義を為す者だったからだ。
2
《ねえ、また矯正エリアで暴動があったんだって? そっちは大丈夫なの、デラ?》
スピーカーフォンにしてサイドテーブルに投げ出した携帯端末から母親の声が流れてくる。
なんだかラジオみたいだな、とデラ・バレッタは思う。
それも、毎週楽しみにしている番組ではなく、静けさを消すために流しておくBGMみたいな番組。
そのくらい、母の小言は、デラにとって取るに足りない代物だった。
「大丈夫だよ。そもそもここは矯正エリアじゃないし、暴動だってもう鎮圧されたっていう話だから」
《でも、周りにはナンバーズがうようよしてるんでしょう?》
母の発言で、ちらりと三日前のことが思い出される。
研究に行き詰まった気分転換に基地の区画外に出て高台に登り、男たちに絡まれている女性を見つけ、間に割って入って……。
彼が助けてくれなかったら今頃酷い目に遭っていた。思い出すと、いまでも足が震える。
――こんな話したら、ママ、どう思うかしら?
そんな悪戯心が沸き上がるが、当然、黙っておこうと心に決める。あんなことを言ったら大変だ。きっとブリタニア本国に強制送還される。
「平気だよ、ママ。危険なことはない」
《本当に?》
「うん、ホント。だから心配しないで。じゃあ切るからね。仕事、行かなきゃ」
そういって端末を黙らせる。
デラはベッドに腰を下ろすと、はあと小さくため息をついた。
母に嘘は言っていない。実際、いまデラのいる場所は非常に安全だ。
デラが住んでいるのは基地区画の敷地内。警備の手は行き届いていて、危険はない。飲食店や宅配サービスなどの従業員もすべてブリタニア人で固められている。
危険な目に遭ったのは、ふらりと基地区画外に出たからだ。
外に出れば、ブリタニア人に恨みを持つナンバーズがうようよしている。
自分でもバカなことをしたと思っている。
けれどときどき、どうしようもなく外に飛び出したくなるときがあった。このまま基地区画内にいたら窒息してしまうのではないかと思うようなときが。
デラはここに来たくて来たわけじゃない。
デラがブリタニア軍に志願したのは、自分の能力をブリタニアのために生かしたかったからだ。
具体的にはナイトメアフレームのパイロットとしての資質。
実際、訓練期間中の成績はトップクラスで、この調子だったらいずれナイトメアフレームのパイロットとして前線任務につけるはずだった。
けれどそれは叶わなかった。
両親が妨害したからだ。
両親は子爵の位を持つバレッタ家の家柄を使って、デラの配属先を変更するように軍に掛け合った。軍も拒否しなかった。若い女性軍人の処遇にこだわるあまり、子爵家とイザコザを起こすなんて馬鹿げている。
配属先は開発部門。赴任先は砂漠の地、エリア20。
デラは辞令を受け取ったとき、寒気を感じた。
自分の人生の行き先に勝手にレールが敷かれていく。分岐点は存在しない。存在したとしても、それはあらかじめ許された選択肢。
自分で選んだつもりでも、それらはすべて、親、あるいは家の決めたものなのだ。
デラは、これからもずっとこの冷たいレールの上を歩き続けるのかと思うと、背筋が寒くなるのを抑えられなかった。
「こんなんでいいのかな、私」
ポツリとつぶやくように言う。
いまの仕事がつまらないわけじゃない。むしろやりがいを感じている。
けれど20代半ば。子供とは言えない年齢になってなお、自分で人生を選択できなという事実に、焦りに似た感情を抱いていた。
――ビーッ!
来客を知らせるブザーが鳴った。
「はい――って、ええ!?」
インターフォンに映った男の顔を見た瞬間、息が止まった。
《デラ・バレッタ様のお宅で間違いありませんか? エリス・バレッタ様からお荷物です》
返事をするのも忘れて私は玄関に駆けだすと、扉を開けた。
「ありがとうございま――」
「この間はありがとうございました!」
デラは大きく頭を下げる。
「もしかして君は、あの高台の?」
「はい! 危ないところを本当に助かりました。えーっと――」
男の胸にはネームプレートが付いていた。
「ジェイムズ・アエロさん」
デラはその名前をつぶやく。噛みしめるように。
いい名前だな、と思った。
「どういたしまして。それじゃ、ここにサインをお願いできるか?」
「あ、すみません!」
デラは慌ててペンを受け取り、サインをした。
「たしかに。それじゃ、俺はこれで」
ジェイムズはくるりと背を向けると小走りに立ち去っていった。
「あ……」
玄関を開けたまま、デラは立ち尽くす。
ブリタニア軍基地研究開発棟。
私服から直接パイロットスーツへと着替えたデラは、ナイトメアフレームデッキへと向かった。
コックピットに乗り込み、機体システムのチェックを進める。鼻歌混じりに。
今日行うのは飛行テスト。実際に戦場に向かうわけではないから、気楽なものだ。
《ご機嫌ね? 何かいいことでもあった?》
インカムからクリスティナ・パーラの声が聞こえてくる。
クリスティナは、いまデラが乗っているナイトメアフレーム・ブライトンの開発主任だ。デラと同じくらいの年齢でその地位にいるので、いわば天才と言っていい存在。異様なまでに仕事ができるので、切れ者だとして敬遠する人も多い。
けれど白衣を脱げば普通の女の子で、デラは何となくウマが合った。いまではデラにとって、公私ともに気を許せるパートナーだ。
「まあね」
デラは適当にはぐらかすように答えた。
《その反応――男ね》
「そんなんじゃないよ!」
《あとで詳細、教えてよね? ――システムオールグリーン。いつでも出撃できるわよ》
「はいはい。デラ・バレッタ、行きます!」
《ナイトメアフレーム・ブライトン、発進!》
紫色の機体が、空へと飛び立つ。
*
俺は配達用のバンの屋根【ルーフ】に寝転がって、空を眺めていた。
宅配サービスの会社に職を得るのは簡単だった。IDカードのおかげだ。カードによれば、俺はブリタニア人。この土地ではブリタニア人だということが信頼の証になるようだ。職を得てしまえばアパートを借りるのはやはり難しくなかった。
それで、インターネット等を使い、エリア11に関する情報をざっと集めてみた。
やはり渡航は規制されている。一般市民は原則、特別な理由がなければエリア11に入ることはできない。
どうする? 貿易会社にでも就職するか? あるいは、エリア11行きの貨物船に密航するか。
ダメだ、エリア20は陸の孤島だ。貿易船なんてあるはずがない。かといって飛行機の密航は難しい。そもそもエリア11行きの飛行機など、ここには存在しない。
「手詰まりか……」
俺は一人呟く。
そのときだった。
轟音が辺りを震わせた。
俺の眼前――上空を、紫色の物体が横切った。
思わず起き上がる。
ジェット機ではない。それにしては小さい。
すぐにそれがナイトメアフレームであると気づく。
「空を飛ぶナイトメア……?」
俺の中でナイトメアフレームは地面をランドスピナーで滑走しているイメージしかない。おそらく新型なのだろう。
飛んできた方向を見ると、軍の研究施設群が見える。
飛行可能距離はどのくらいなのだろうか。時間は?
{もしかしたらあれがあればエリア11まで行けるんじゃないか}?
光明が差したような気がした。
3
それから二週間が経った。
俺はその日も夕方になるのを待ち、基地区画外にくり出した。
目指す場所は歓楽街。
基地区画内にも歓楽街はあるが、そこはいわば{お行儀のよい地域}だ。つまりは管理された遊び場。そんなところに情報は集まらない。
俺は行きつけの酒場に入った。
入った瞬間、店内の人間全員から一斉に視線をもらう。刺すような、露骨な視線だ。
基地区画外ではブリタニア人であるというだけで目立つ。エリア20における分断はすさまじいものがある。
これでもこの二週間でずいぶんマシになったのだ。
「マスター。スコッチを」
俺はカウンターの端に座る。カウンターの向こうには、スキンヘッドの大男が立っている。
注文の際、紙幣の裏に{領収書}を忍ばせて、マスターに渡す。
「ちょうどだな」
マスターは紙幣を確認する振りをして領収書に目を落とす。
顧客に荷物が届けられたことを証明する紙切れだ。
俺はこの二週間、正規の運送業者で働くと同時に、非合法の運送業も営んでいた。ブリタニア人という属性を生かし、基地区画内に、外から違法な荷物を運ぶ仕事をしているのだ。
ブリタニア人の中にも悪人はいる。彼らは本来なら手に入らないものを欲しがる。麻薬、違法な銃器、あるいは過激な性交渉を許可する娼婦……。
俺は金が欲しいからやっているわけではない。裏社会に身を置くことで情報を得やすくするのが目的だ。
偽造パスポートの作り方、船への密航方法、あるいは{黒の騎士団の生き残りとの連絡手段}――。
それらを得るためにはどうしても裏の情報がいる。そのための地盤を築く必要があった。
「次の商品についてもメールしておいた。頼むぞ」
「了解だ」
短く次の仕事の約束を交わす。
違法な世界へとすぐに順応できるあたり、記憶を失っていても俺はゼロなのだろう。
世紀の大犯罪者。
卓越した知能を持つテロリスト――。
さて、そろそろ具体的な情報集めに移る頃合いだろう。
「そういえばマスター。基地区画内の研究施設だが、いったい何を研究してるんだ?」
俺はできるだけさりげなく訊いた。
「まあいろいろだな。基本的には兵器類だ。銃、陸上戦艦、それからナイトメアフレーム。ほら、たまに飛んでるだろ。紫色のやつが」
「あの紫色の機体について何か知らないか?」
「知ってどうするんだ?」
「――ブリタニアに敵対する勢力に情報を売ったら、金になるかと思って」
俺は用意していた嘘を言う。わざと声を低くして。周りに聞こえないようにしている振りだが、聞こえたってかまわない。ここには原則、ブリタニアに反感を抱いている人間しかいないのだから。
「俺はわからねえが、知ってるやつに心当たりがある。今度会わせてやるよ」
「恩に着る」
「おまえはブリキ野郎だが、悪いやつじゃないからな」
マスターは脂だらけの歯を見せて笑う。
日頃の行いが良かったからか、変に怪しまれずに済んだようだ。
これで布石は打った。今日のところはお暇することにする。
「また来る。仕事明けに」
「待ってるよ」
酒場を後にし、街を歩く。
夜の空気は日中の暑さがやわらぎ、それなりに心地よくなっていた。
いくつか酒場を回っておこうと思いつつ、路地に入った俺は、その店を見つけた。
「映画館か」
汚い建物の群れ――その一角に、こぢんまりとした看板が見えた。
吸い込まれるようにして、俺は店の中に入る。
顔中を皺だらけにした老人が一人、受付のカウンターに座っていた。
「大人一枚」
「ん」
俺が言うと、老人は小さくうなずいてチケットを出してくる。代金を払うと、顎で奥を示された。
部屋は一つしかなく、そこで延々、映画を上映しているようだ。ちょうど次の回が十分後に迫っている。
俺は自販機で飲み物を買い、部屋の中に入った。
予想通りというか、客入りはまばらだ。こんなところで映画を見るような物好きなんて、そういるとは思えない。その中の一人が自分なのだと思うと、苦笑いするのを抑えられなかった。
せっかくなので真ん中の一番見やすい席に陣取った。
ほどなくして場内が暗くなり、映画が始まる。
恋愛映画。
二人の若い男女が出会う。大学の同級生で、出会いの印象は最悪。けれどお互い腐れ縁が続き、人生の節目節目で因縁のような遭遇の仕方をする。そして最後に結ばれる。
どうやら俺はこの映画を見たことがあるみたいだ。映画の内容が映画の進行に先んじて、どんどん頭に思い浮かんでくる。そして次の瞬間、脳内再生されたシーンとまったく同じものが目の前に映し出される。
同時に、ほかのさまざまな映画のシーンが――いま見ているものと似ているもの、あるいは正反対のものが、いくつも脳裏をよぎり、無意識のうちにそれぞれの映画の出来不出来を分析している自分がいた。
――俺は、映画が好きだったのか?
目の前の映画は、よく言ってB級。傑作とはとても言えない映画だ。けれどそれを見る俺の心は高揚していた。
人はつねに傑作を見たいわけではない。いつもフランス料理のフルコースが食べたいわけじゃないのと同じだ。ジャンクフードを食べたいときもあれば、家庭的な素朴な味を楽しみたいときもある。
この映画は、家庭的な、飾らない映画だと思った。
気づいたら画面上にFinの文字が表示され、場内が明るくなった。
映画が終わったのだ。
「あーあ、終わっちゃった」
映画の終わりを惜しむ声が、隣で聞こえた。
一つ向こうの席に、金髪の女性が座っていた。大きく伸びをして、それから俺のほうをちらりと見てくる。
目が合う。
「ジェイムズさん!」
女性は目を丸くしたが、俺も似たような顔をしていただろう。
彼女はデラ・バレッタ――高台で俺が助けた女性だった。
「まさかこんなところでブリタニア人に会うとは思わなかったよ」
「同感」
俺たちは高台に来ていた。二人が初めて遭遇した場所。
二人でベンチに座り、街を眼下に眺める。
「また危ない目に遭うぞ?」
「あなたは危ない目に遭わないの?」
挑戦的な目つきで、デラが言い返してくる。なかなか気が強い女性のようだ。
「俺にはここにいる理由がある」
「だったら私にもある。ま、くだらない理由だけど」
デラは両手を自分の頭の後ろに回して組むと、背もたれに寄りかかった。
「実はね、私、今日初めて映画を見たんだ」
「冗談だろ」
「普通そう思うよね。友達も同じこと言ってた。『映画見たことないってホント、デラ?』って。でも本当なの」
目を細めた横顔が寂しげで、俺は言葉を失う。
「私の家、ちょっといい家で、お堅かったんだ。エリア20に来るまでは実家暮らしだったから自由もなくて。娯楽は古典文学くらいしかなかった。そりゃ、シェイクスピアやディケンズは面白いよ? けど、それだけじゃつまらない。友達も、〈何とか家の何とかさん〉みたいな人ばっかりで、面白みもなかった」
「本当にあるんだな、そんな家」
「うん。仕事だって結局、親たちが決めちゃったんだから。私はただ言いなりになるだけ。操り人形と同じ。こんなの、生きてるって言わないよね」
「わかるよ」
誰かの言いなりになる人生なんてまっぴらだ。
自分の生き方は、自分で決める――。
「こういう危険な場所にも近づいたことなんてなかったの。だからこれはね、ジェイムズさん、私なりの反抗なんだ。自分の前に敷かれたレールから外れる、ささやかな抵抗」
「俺が映画を見るのも、そういう理由からだったのかもな」
自然と、言葉が漏れた。
「映画を見ていると思うんだ。もしかしたら俺には別の人生があったんじゃないかって。あのときレールを踏み外していたら、いまとは全然違う人生を歩めていたんじゃないかって」
「ジェイムズさんも親の言いなりになってここに?」
「いや、そういうわけじゃないが」
実際覚えていないだけだが、そんなことを明かす気にはなれない。
「ただわかるんだよ、何となく」
自分がいまやりたいこと、やるべきだと考えていること――。
それができず、ただ時間だけが過ぎていく焦燥感。
仲間たちのもとに戻れないことに、俺は思いのほか焦りを感じているのかもしれない。
「なあデラ。良かったらまた一緒に映画を見ないか? エリア20に来たばかりで友達がいないんだ」
「喜んで、ジェイムズさん。じゃあ次の金曜の夜、このベンチで待ち合わせしましょう」
デラは屈託のなく微笑んだ。
(つづく)
著者:高橋びすい