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2018.10.17

【第08回】コードギアス断章 モザイクの欠片

第4編 夢で逢えたなら(後編)

 夕方。
 悠一は仕事が長引いたので、一人で帰り道を歩いていた。聡美は先に帰って夕飯の準備をしてくれているはずだ。
 悠一の足取りは軽い。
 仕事でクタクタだったはずなのに、終わって帰路についた瞬間、軽くなった。
 好きな人が家で待っていてくれると思うと、背中に羽が生えたみたいに体が軽くなる。
 しかし、家に着いて、悠一は眉をひそめた。
 鍵を開けて中に入ると、電気が消えていたのだ。

「聡美?」

 返事もない。まだ帰っていないのだろうか。けれど、今日もそんなに遅くはならないって言っていたし……。
 ――まさか、何かあったんじゃ!?
 悠一は家を飛び出した。鍵をかけるのももどかしい。
 ゲットーの治安は悪い。粗暴なブリタニア人が日本人を目の敵にしているというのもあるが、同じ日本人でも犯罪者まがいの人間がゴロゴロしている。
 悠一は、家から検問までの道のりを駆けた。途中、路地の裏や廃屋の陰などにも入って、聡美の姿を探す。
 ――聡美はすぐに見つかった。
 検問の近くの、廃屋の陰に、聡美はいた。
 姿を見つけた瞬間、ホッとして駆け寄ろうとしたが、すぐに悠一は足を止めた。
 聡美は一人ではなかった。

「ディンゴ・フリードマン……」

 聡美は、彩奈の上司だという男と一緒にいた。
 悠一は身を隠し、そっと二人の様子をうかがう。

「考えてくれたかね? {私と一緒にブリタニアに行くという話}」

 フリードマンの言葉に、悠一は耳を疑う。
 聡美が一緒にブリタニアに行く……?
 混乱する。
 聡美とブリタニアという単語が、頭の中でうまくつながらない。
 だって聡美は日本人で、俺の妻で……ブリタニアなんかとは、何も関係がないはずだ。

「申し訳ありませんが、できません。何度も申し上げているはずです」

 聡美の答えに、悠一はひとまず安心する。
 そうだ、聡美がブリタニアに行くわけ、ないんだ。
 きっと、このフリードマンという男が聡美に惚れてしまって、それで連れて帰ろうなどと無理を言っているんだ。きっとそうだ。ブリタニア人は日本人なんてモノ同然に扱っているから。
 これでは彩奈も早く帰ってこさせたほうがいいかもしれないな。
 だが――。

「なぜだ。{彼か}? {彼のために、自分の人生を棒に振ると言うのか}?」

 フリードマンのこの言葉は、悠一の耳の中でゴロリと不快に転がった。
 {まるで悠一さえいなければ聡美はブリタニアに行くかのような言い草だ}。

「――棒になんて振ってません。これがあたしの生きる道なんです。もう帰ってください」
「私は諦めないからな」

 フリードマンが踵を返し、こちらに向かってくる。
 悠一は慌てて建物の陰に身を隠した。どうして自分が隠れなければならないのか、と心の中で問いながら。
 俺は聡美の夫なのに……。
 少しして、聡美が出てくる。悠一は自分がいることに気づかれないか不安だったが、杞憂だった。
 聡美は周囲のことを気にかけてなどおらず、心ここにあらずといった雰囲気で歩いていた。
 その後姿を見つめながら、悠一は思う。
 浮気、だろうか? 愛人として囲われている……? 
 フリードマンは科学大国ブリタニアの大学教授だ。経済的にはそれなりに豊かだろう。辺境の地に現地妻の一人や二人……。
 嫌な想像をしながらハタと気づく。
 ――聡美の体には火傷の痕がある。夫の自分にさえ見せたくないと思うほどの、大きく酷いものが。
 そんな体で、愛人関係を結ぼうなどと聡美は考えるんだろうか?
 ――やっぱり、何かの間違いだ。きっとフリードマンが聡美を見初めて、無理を言っているだけの話だ。聡美にその気はない。
 当たり前だ。
 俺たちは、愛し合っているんだから……。

 

 帰宅してから悠一は、何も見なかったかのように過ごした。
 一緒に夕飯を食べて、風呂を沸かし、悠一が先に風呂に入って……。
 聡美が何も言わないということは、自分で対処しようと思っているからだろう。悠一に心配をかけまいとしているのだ。
 ――明日あたり、彩奈に連絡して相談してみるか。
 湯船に浸かりながら、悠一は考えた。
 変にフリードマンと聡美の間に悠一が割って入って問題がこじれたら困る。フリードマンがどういう人間なのかもわからない。彩奈から情報をもらって、対策を練ってみたらいいかもしれない。

「お先~」

 タオルで頭を拭きながら居間に戻る。

「じゃ私も入ってくるね~」

 入れ替わるようにして、聡美が風呂場へと歩いていった。
 その背中を見つめていたときだった。
 ――そう言えば、火傷の痕って、どういう感じなんだっけ?
 ふと、そんなことを思った。
 記憶が曖昧だった。
 たしかチャペルが炎に包まれて、その際に火傷をしたはずで……あれ、でも体のどこを火傷したんだっけ?
 炎に包まれた瞬間、俺はそばにいた。
 だから一度は、火傷を見ているはず……。
 いや、見たことがないんだっけ?

「う……ぐ…………」

 頭痛がした。
 あのとき――ブリタニアによる日本侵攻時のことを思い出そうとすると、いつも決まって頭が痛くなる。
 普段なら、嫌なことをわざわざ思い出す必要もないから、考えるのをやめるのだが……。
 その日はどういうわけか、思い出せないと、余計に気になった。
 悠一は息をひそめながら、風呂場へと近づく。
 ――見るだけだ。たまにはいいじゃないか。火傷の痕があったって、俺は気にしない。それに、火傷の痕がどういう状態なのかを見ないと、今後の二人の関係についても、対策が立てられない。
 子供がほしい。聡美との間にできた子供が。
 火傷を見せたくないのであれば、それを隠した形で行為をしてもいいかもしれない。半袖やスカートから覗く素肌は、綺麗なものだ。
 傷ついていたって、聡美は聡美だ。きっと俺は、愛せる。
 だから――。
 悠一は脱衣所の戸を細く開け、こっそり中を覗いた。
 聡美はまさに、浴室に入ろうと、扉に手をかけていたところだった。

「な……!?」

 その姿を見て、悠一は息を飲む。

 {聡美の裸体は美しかった}。
 {その肌は傷一つなく滑らかで、まるで陶器のようだった}。

 ――さまざまな疑問が、頭の中で渦巻く。
 なぜ、傷があると嘘をついた?
 どうして俺と愛し合うことを拒否した?
 そして嫌な想像が、心を満たしていく。
 もしかして、俺以外の男とは体を重ねているのか?
 たとえばあのフリードマンという男と――。
 それは、金のためか? それとも、俺のことを愛していないから?
 ――{彼のために、自分の人生を棒に振ると言うのか}?
 フリードマンの言葉が、頭をよぎる。
 人生を棒に振るって、どういうことなんだ……!!
 悠一は思わず脱衣所に足を踏み入れていた。

「ユウくん!?」

 聡美は悲鳴を上げ、体を隠そうとして悠一から背を向けた。
 悠一はその手を強引に掴み上げ、確認するように聡美の裸体を見下ろす。
 やはり火傷はない。
 全身が、熱くなった。
 裏切られたという想いが、長年押さえつけていたものを開放する。
 聡美が欲しい。
 すべてを、手に入れたい。
 滅茶苦茶に、汚したい……。
 悠一は聡美の唇に噛みつくように自分の唇を重ね、乱暴に彼女の乳房を掴んだ。

「んぐっ、嫌、嫌ぁ!!」

 パーン、という乾いた音。
 頬をはたかれた悠一の動きが止まる。
 全身から、力が抜けた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 聡美はその場にうずくまり、震えていた。
 頬には涙が光っている。

「許してユウくん……。それだけは、ダメなの、絶対に……」
「どうして……。俺のこと、嫌いなのか?」
「違う! ユウくんのことは大好き! でも……ダメなの」
「なぜ……」

 聡美は答えなかった。
 ただ逃げるように浴室へと駆け込んだ。
 ――その晩、悠一は居間のソファーで眠った。
 聡美の横にいたら、自分が何をするかわからなかったから。

 

「伏見、元気ないな?」

 翌日現場で仕事をしていると、ヤマさんに言われた。

「元気ですよ?」
「元気なやつはそんなこと言わねえよ」

 明るく笑うヤマさん。

「――何かあったのか」

 そしてすぐ真面目な顔になると、そう訊いてきた。

「……ヤマさんは、奥さんのこと、信じられなくなったことってありますか?」

 一人で抱え込むのが辛くて、悠一はポロリと言葉をこぼしてしまう。

「たとえば、もう俺のことを好きじゃないんじゃないか、とか、浮気してるんじゃないか、とか、疑ったこと、ありませんか?」
「んなこといっぱいあるよ」
「――え? いっぱい?」

 悠一はちょっと目を見開く。

「全部信じられるような相手なんて、人間じゃない。人間は不完全な生き物だ」

 そう言うヤマさんは、何だか達観したような顔をしている。

「リアリストなんですね。じゃあ奥さんのこと、信じてないんですか?」
「いや、信じてるよ」
「???」

 悠一はヤマさんの言っていることがわからず、頭がこんがらがってくる。
 そんな悠一の様子を見て、ヤマさんは笑う。

「何て言うのかな……信じてはいるんだ。ただ裏切られることだってあるって理解してる。実際、何回か裏切られたこともあるしな。俺、女房に浮気されたことあるんだよ」
「それなのに信じてるんですか?」
「ああ。俺は、{裏切られてもかまわないから、あいつを信じる}って決めてるんだ」

 悠一は衝撃を受けた。
 理解できなかった。信じていて裏切られたら、傷つくだろう。実際いま悠一は傷ついている。最愛の人に裏切られたかもしれない、と思うだけで……。
 そういうことが現実にあると理解しながら――そして実際に裏切られた経験がありながら、なぜヤマさんは奥さんを信じることができるんだろう。

「どうしてそんなことできるんです?」

 だから思わず、悠一は尋ねていた。

「ま、惚れた弱みってやつかな」

 はにかんだように笑うヤマさん。

「それに、俺だって完璧な人間じゃない。そこはお互い様だ。ダメなところとか、嫌なところとか、そういうところも含めて俺だし、あいつなんだ。俺はそういうあいつを好きになっちまったんだから、仕方ない」

 そう言うヤマさんの顔は、すがすがしかった。

「裏切られてもかまわないから、聡美を信じる……」

 ヤマさんの横顔を見ていて、悠一は一つの決意をした。

「ヤマさん。俺、明日仕事休みます」

 

 翌朝。
 聡美とのぎこちない朝を過ごし、悠一は早々に家を出た。けれど仕事場へは向かわない。家の近くの路地に潜み、時間を潰した。
 時間を見て、家を出た聡美を尾行する。
 真実を知りたかった。
 だからまず、聡美の私生活を調べようと思った。
 手始めにレストランに行った聡美が、どうしているのか見るつもりだった。
 しかしその日、聡美は検問を通過しなかった。
 租界の外壁沿いに、シンジュクゲットーを進んでいく。
 ――いったいどこに行くつもりなんだ?
 疑問に思うが、悠一は追跡を続けた。

「おい、聞いたか? 租界でテロが起こったらしいぞ?」

 すれ違う通行人が、そんなことを言っている。
 空を見上げると、VTOLが慌ただしく飛び回っているのが見えた。
 テロの影響だろうか、と思うが、すぐに頭を切り替える。
 いまは聡美のことだ。
 聡美は、いまにも崩れそうな廃倉庫の中へと消えていった。

 このときトウキョウ租界では、エリア11の総督であるクロヴィス・ラ・ブリタニアの命令で、テロリストによって奪われたC.C.の奪還作戦が行われていた。
 テロリストたちも、ほとんどの軍人も、奪われたのは化学兵器――毒ガスだと思っている。
 真実を知る者はほんの一部……。
 悠一たち一般人が、その真相の一部にでも近づけているはずなどない。
 まして、このあとシンジュクゲットーが壊滅する運命にあるなどということを知っている者は誰もいなかった。

 悠一は放置されたコンテナの陰に身を隠し、聡美のほうを盗み見る。
 すぐに聡美のもとに、一人の男がやってくるのが見えた。
 ディンゴ・フリードマン――。
 彩奈の上司だという、大学教授……。

「私は明日、帰国する」

 先に口を開いたのはフリードマンだった。

「本当に、一緒に来る気はないのかね。あちらなら研究環境も整っているし、何より高い賃金を払って雇うことができる。わざわざこんな危険な場所に住んでいる必要はない。たしかに君の故郷ではあるのだろうけれどね」
「申し訳ありません。でもダメなんです。研究も、そろそろ辞めようと思っていますし……」

 フリードマンは沈痛な顔をしていた。
 悠一は思う。やっぱり、聡美は自分を裏切ってなどいなかったのだ、と。
 聡美はフリードマンに言い寄られていただけなのだ。どうして火傷があると嘘をついたのかはわからないが、火傷がないからといって他の男性と関係を持っていたと考えるのは早計だった。
 深く、反省した。
 だからこそ――悠一は建物の陰から駆けだした。
 聡美を連れ帰るために。
 あの男から、聡美を助け出すために――。
 悠一が姿を現すと、聡美とフリードマンは揃って目を丸くした。

「ユウくん、どうしてここに?」
「ごめん、聡美。あとで全部説明するよ」

 優し気な表情で悠一は聡美に言うと、フリードマンに向き直り、視線を鋭くした。

「聡美に付きまとうのはやめてくれないか」
「君は……伏見悠一くんだね。彩奈くんのお兄さんの」
「なぜ知ってる」
「写真を見せてもらったことがあるんだ。もっと若いときのだが……彩奈くんは君のことを本当に慕っていたから……」
「そんな話はいまは関係ない。聡美から――」
「悠一くん」

 フリードマンは悠一の言葉を遮った。
 その目は真摯で、悠一は戸惑った。およそ、他人の妻を母国へ連れ帰ろうとする外道とは、似つかわしくない表情だった。

「私も腹をくくろう。{君もブリタニアへ来たまえ}。落ち着くまでは、私が面倒を見る」
「はあ? 何を言っているんだ、あんた?」

 悠一は不審げに眉をひそめる。

「彩奈くんが君を救いたいと考えているのはわかった」
先生、やめてください・・ ・・・・・・・

 聡美が言った。
 だがフリードマンの言葉は止まらない。

「そして君に彩奈くんが必要だということも……」
先生・・!」

 悠一にはわからないことだらけだ。
 なぜ、聡美はフリードマンのことを先生と呼んでいるんだ?

「君も一緒にブリタニアに来ればいい。そうすれば、彩奈くんを救うことも、君を救うことも、できるはず――」

 ――ドン!

 派手な爆発音が、フリードマンの言葉を止めた。

「なんだ、いまの音……?」

 悠一はあたりを見回す。
 直後、廃倉庫の壁が吹き飛び、巨大な物体がぬっと中に入り込んできた。
 紫色のナイトメアフレーム――サザーランドが、三人の目の前に屹立きつりつしていた。

「聡美!」

 悠一は咄嗟に聡美の腕を掴んで、走り出す。

「軍の、ナイトメア……?」

 フリードマンの声が聞こえる。
 その声をかき消すようにして、サザーランドの胸の下に搭載された対人機銃が火を噴く。
 フリードマンの体に多数の風穴が開いた。
 フリードマンが地面に倒れる。
 悠一が咄嗟に聡美の腕を引いて走り出していなかったら、二人も同じ目に遭っていただろう。
 悠一は聡美を連れて廃倉庫を飛び出すと、地表に空いた穴に駆け込んだ。旧地下鉄の乗り場へと続く階段だ。

「どうして、ブリタニア軍が急に……?」

 聡美がガタガタと震えている。

「わからない」
「先生は? 先生は、無事!?」

 黙って首を横に振ると、聡美は肩を落とした。
 二人の関係が気になったが、いまは逃げることが先決だ。

「ひとまず家に戻ろう。ここにいたら殺される」
「――うん」

 旧地下鉄の線路を伝って、二人は自宅を目指した。

 

「聡美、すまない」

 線路を進みながら、悠一は口を開いた。

「俺、誤解してた。フリードマンさんと聡美が、浮気してるんじゃないかって」
「そんなことするはずないよ! 私にはユウくんだけなんだから……!」
「悩んでたんだ、ずっと。俺は聡美のことを愛してる。だから火傷なんて気にしないから、体を重ねたかった。もっと深く、愛し合いたかった。そして子供がほしかった。二人の子供が……」
「ユウくん……」

 思いつめたような表情をする、聡美。
 だがふっと、顔がやわらぐ。

「――ずっと夢を見ているわけにはいかないもんね」

 謎の言葉をつぶやく、聡美。

「わかった。家に帰ったら全部説明するよ。夢が覚めても、ユウくんが同じ気持ちでいてくれるとは思えないけど……それでもユウくんが望むなら、私は受け入れる。それはきっとユウくんが、一歩前に進むってことだから――」

 そのとき、白い光線が二人を照らした。

「いたぞ! イレヴンだ!」

 赤い光線が、閃く。

危ない、お兄ちゃん・・・ ・・・・・!!」

 一瞬の出来事に、悠一は何が起こったかわからなかった。
 気がつくと、非常灯が明滅する小さな通路に倒れていた。
 見上げた目線の先に、さっきまでいた線路が見える。
 {どうやらブリタニア兵の銃撃を避けるために、彩奈が突き飛ばしてくれたらしい}。
 ――彩奈・・
 聡美じゃなくて?
 意識が鮮明になるにしたがって、自分の上に何かが覆いかぶさっているのに気がついた。
 ゆっくりと抱き起こすと、それは――

「あや……な?」

 背中から腹にかけて、大きな赤い穴を開けた彼女は、悠一の妹である彩奈に見えた。
 だが次の瞬間、その顔は聡美に変化する。
 目の前には一人しかいないのに、聡美と妹の姿が、交互に認識される。

「よかった……お兄ちゃん……。無事、だったんだね…………」

 目を開き、弱々しく微笑む彩奈。
 その瞳には霞がかかろうとしている。

「どういうことなんだ……? おまえは、彩奈なのか、聡美なのか……」
「不思議な力を……もらったの。子供のころ、中国に行ったときに…………。相手に別人だと思わせることができる力…………」

 きゅっと、彩奈が悠一の手を握ってくる。

「お兄ちゃん……聡美さんが死んじゃって……抜け殻みたいになってて……あたしが聡美さんの代わりになれば、お兄ちゃん、元気になるかなって、思って…………」
「彩奈……」

 彩奈の手が、どんどん冷たくなっていく。
 悠一の目に、涙が溢れてくる。
 ぽたり、ぽたり、と彩奈の頬に、悠一の涙が落ちる。

「ホントに聡美さんになっちゃえばよかったのかもしれない……でもどうしてもできなくて……あたしは、お兄ちゃんの妹だから……妹で、いたかったから…………だから……ごめんね、辛い思いさせて、ごめんね…………」
「彩奈!!」
「お兄ちゃん、大好きだよ」

 彩奈の体から、力が抜けた。
 光を失った目が、悠一を見つめる。
 ――7年前の結婚式の日、日本はブリタニア軍の侵攻を受け、聡美は死んだのだ。あの夢と、まったく同じ状況で。
 日本占領の報を見て、急遽帰国した彩奈は、混乱の中、なんとか悠一を発見。しかし悠一は、聡美の死を受け止めきれず、幻想の中で暮らすようになっていた。
 見かねた彩奈は不思議な力を使って自分を聡美と認識させた。
 悠一はそのすべてを思い出した。

「彩奈……! 彩奈……!!」

 彩奈の体を、悠一は揺さぶる。
 だが彩奈は答えない。

「ぁぁ……あああああああああああああああああ!!」

 一か月後。
 黒の騎士団の新兵が集められている。
 黒い制服を着た面々の中には、悠一の姿もあった。
 その表情は、やつれていた。
 けれど同時に、瞳には闘志がみなぎっている。

「おい、伏見じゃないか」

 肩を叩かれて隣を見ると……

「ヤマさん!」

 ヤマさんがいた。

「無事だったんだな」

 ニカっとさわやかに笑うヤマさん。

「ヤマさんこそ。会えて嬉しいです」
「俺もだ。知らねえやつらばっかで、心細かったところだ」
「はは、ヤマさんがいるなら百人力だ。頑張りましょうね」

 しばらく、そんな感じで二人は談笑する。
 と――。

「――訊かねえのか? 俺がここにいる理由」

 ポツリとヤマさんがこぼした。

「せっかく再会したんです。辛い話をする必要なんてないでしょう?」

 悠一がそう言うと、ヤマさんは悲し気に目を細めた。

「……そうだな」

 

 ――悠一は歩み出す。
 もう大切な人はいない。
 だから、この命がどうなってもいい。
 ブリタニアを叩き潰すための糧として、使おう。
 そして命が尽きたら、もう一度夢で聡美と彩奈に逢いにいく。
 待っててくれよ、二人とも。
 二人の死は、絶対無駄にはしないから。

(夢で逢えたなら 了)

著者:高橋びすい

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