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2018.11.07

【第09回】コードギアス断章 モザイクの欠片

第5編 ひとごろし と ひとごろし(前編)

 人間は自らの行動を正義の名のもとに選択する。
 また、正義は時に暴力を肯定し、あるいは人を見殺しにすることを推奨する。
 ある正義の名のもとに、苦しめられる者がいる。
 殺される者がいる。
 それら人々を傷つける正義を定めたのは、いったい誰なのだろうか?

 

 皇暦2017年――。
 極東のエリア11に突如として現れたゼロ。
 ゼロの出現と行動は世界に大きな波紋を投げかけた。
 そしてその波紋は、世界各地で静かに暮らす特殊な力を持つ者たちにも、少なからず影響を及ぼしていた……。

 台の上に、男が仰向けになっていた。
 遺体だ。
 全裸で、かすかな冷気を漂わせている。
 その遺体を見下ろしている男が二人いた。
 一人は背が高く体格のいい男。短く刈られた栗毛と勇ましい顔つき、ラフに着崩したジャケットなど、厳つい印象を与えてくる。
 彼の名前はブッチ・パーカー。ここ、ハーレム地区担当のブリタニア人刑事だ。主に殺人事件を担当している。
 もう一人は白衣を着た初老の男。小柄で、知的な印象を受ける。彼は検死官のロバート・スミス。
 ブッチは彼に呼ばれて、検死後の遺体を見せられていたのだった。

「例の遺体だ。やはり外傷はなかった」

 ロバートが重々しく口を開く。
 ブッチは黙って遺体を見つめた。
 眉一つ動かさず、じっと観察する。
 遺体には解剖した後が見られたが、それ以外は傷がなく綺麗なものだった。この程度の遺体を見ただけで動揺しているようでは、ハーレム地区で刑事などやっていけない。ときには元型をとどめない肉塊のような遺体を見ることだってあるのだ。

「どう思う?」

 しばらく観察したあと、ブッチはロバートにたずねた。

「死因と呼べるようなものがあるとすれば心不全だが……どうして心臓が止まったのか、解剖してもわからん。こいつはどうも酷い肝臓病みたいだが、それが直接の死因ってわけでもなさそうだ。薬物も毒物も検出されない」
「……これで10件目か」
「ああ。先月が3件。先々月が2件。そして今月が5件……もしかしたらその前にもあったのかもしれんな。俺たちが気づかなかっただけで」

 ロバートが肩をすくめる。
 ここ3か月で合計10件、死因不明の遺体がモルグに運び込まれていた。遺体に共通していたのは、すべてハーレムのスラムに住む貧しい層の人間だということ。
 ここハーレムでは毎日多くの死体が出る。それはマフィアどうしの抗争をはじめとした暴力事件が頻繁に起きているからだ。
 しかしそういう暴力によって死んだ者は傷だらけの無残な状態で運ばれてくる。
 いま目の前にある遺体には外傷がまったくなく、まるで眠っているかのようだ。
 普段だったら、気にも留めなかったのかもしれない。スラムの貧乏人が不摂生で死んだ――そのくらいにしか考えなかっただろう。
 ただ先々月、ブッチが懇意にしていた煙草屋の婆さんがモルグに運ばれてきたため、ブッチは遺体の不審さに気づいたのだった。

「何かわかったら、教えてくれ。何でもいい。手掛かりがほしい」

 ブッチが言うと、ロバートは少しだけ顔をしかめた。

「ブッチ、どうしてこの件にこだわる? スラムの連中が突然死するなんて、珍しいことじゃない。まともに病院にもかかってないし、酷い生活をしている。検死で死因がわからなくても仕方がないさ。彼らが野垂れ死のうとおまえには……」
「どの命も、等しく命だろ」

 ブッチはロバートの言葉を遮った。

「その重さに変わりはねえ。秤に載せたら、きっとみんな釣り合うと俺は思う」
「はあ、おまえには呆れるよ。だが、これは刑事の仕事か? どっちかっていうと慈善活動家の仕事のような気がするが……」
「何となくだが、殺しの匂いがするんだ」
「殺し? 外傷も毒物反応もないんだぞ? いったいどうやって殺してるって言うんだ?」
「わからねえ。ただ、スラムの連中が意味もなく死ぬとはどうしても思えねえんだ。あいつらの生活はたしかに荒れてるよ。けれど生命力だけは、人一倍強い。原因不明の突然死なんて、やつらには似合わねえ」
「刑事の直感ってやつか?」
「まあカッコつければ、そういうことになるな」
「わかったよ。こまめに連絡を入れる」
「よろしく頼むよ」

 

 署に帰り、ブッチは被害者・・・の資料を取り出した。
 被害者の数が仮に10人だとしても、かなりの大量殺人だ。ここまで多くなると無差別殺人の可能性が高いので、被害者の共通点を見てもあまり意味はないのかもしれない。とはいえ、彼らの生活圏を調べたり、遺体の発見現場を見比べたりすれば犯人の行動範囲など、何かしらの手掛かりが見つかる可能性もある。
 だが開始して数分で、ブッチは音をあげた。

「ダメだな、こりゃあ」

 ぼりぼりと頭をかくブッチ。
 被害者10人の死に場所に共通点はなかった。道端で死んでいた者、自宅で死んでいた者、川べりで死んでいた者……。
 刑事の直感なんてカッコいいことを言ってもらったが、これは自分の読み間違いかもしれない、と思い始める。

「俺ももう歳か? まあ刑事なんて一生続けるような仕事じゃねえか……」

 ブッチは今年で33歳。働き盛りと言ってもいいが、妻と娘がいるから危険な仕事は避けたいという気持ちも、若干芽生え始めている。
 とはいえ、やる気が萎えそうになったのは一瞬のことで、すぐに頭が仕事モードに切り替わる。

「検死結果を見ると、何かしら重い病気にかかってるやつばっかりだな。最初から歩けなかったやつもいるみたいだ」

 しかしだとすると、殺しではなく自然死になってしまう。
 やはり自分の読み違いか……。
 と、そのとき、携帯端末が着信を知らせた。
 ディスプレイを見て、眉をひそめる。

「知らねえ番号だな」

 セールスか、めんどくせえなぁ、と思いながら、いちおう出る。

《ブッチ・パーカーの携帯で間違いないか?》

 男の声だった。
 ずいぶんと偉そうだな、と不快になる。

「そうだが、まずは自分の名前を名乗ったほうがいいんじゃねえか?」
《失礼した。俺はトーマス・ラス。ブリタニア軍諜報部の者だ》
「軍の諜報部? 俺みたいなヒラ刑事にそんなお偉いさんが何の用だ?」
《君の報告書を読んだ。死因不明の遺体の件だ。会って話したいことがあるから時間を作ってもらいたい》

 ブッチの眉がピクリと動く。
 軍が関与してきた? あの件に? なぜだ? 単なる貧乏人の野垂れ死ににしか見えないアレに……。
 ――そもそもこいつは本当に軍の人間なのか? 上司からは何も聞いてないが……。

「信用ならねえな。本当に軍の人間か? どうして俺みたいなヒラに直接会おうとする? 普通だったら部長とか……」
《あまり情報を共有したくないからだ》

 ぴしゃりと言い放たれる。

《だが、そうだな……一つだけ言っておこうか。あの件は・・・・殺しで間違いない・・・・・・・・ 。君の勘は当たっている》
「!?」
《会う気になったか?》
「――いいだろう。場所は俺が指定させてもらう」
《かまわない》

 ブッチは行きつけのカフェバーを指定した。ハーレム地区の外れにあるバーだ。

 

 ブッチの前に現れたのは、痩身の男だった。背はブッチと同じくらいだから、かなり高い。私服姿だが、ジャケットもパンツも黒で統一しており、髪も黒かったので、周囲の陰に溶けて見えなくなりそうだった。
 諜報部の人間というよりは暗殺者に近い印象を受ける。
 死の匂いのようなものを感じ、ブッチは身構えた。
 客はブッチと痩身の男の二人だけだった。マスターに頼んで一時間店を早く開けてもらい、二人だけで会える時間をブッチは作っていた。

「トーマス・ラスだ」

 痩身の男――トーマス・ラスはそう言って、ブッチの隣に座った。

「ブッチ・パーカーだ。よろしく……」

 ブッチは答えながら握手をしようと右手を伸ばし、そのまま固まった。
 トーマスは右手に黒い手袋をしていた。左手は生身のまま。片方だけ手袋をしているのは、いったいどういうことなんだ?

「ああ、これか」

 トーマスは右手をあげる。

「以前、任務で怪我をしてしまってな。見せられたものではないんだ」
「そうか……じゃあ、よろしく頼む」

 二人は右手で握手を交わす。

「コーヒーでいいか? 仕事中に酒ってのもマズいだろうからな」

 ブッチが訊くと、トーマスは首を横に振った。

「必要ない。用件を済ませたらすぐに帰る」
「そう言うなって。ここのコーヒーはうまいんだ。もちろん、俺が奢る。経費精算じゃねえぞ?」

 歯を見せて笑うブッチだが、トーマスは無感動に見つめ返してくるだけだ。どうやら冗談を言い合ったりするようなタイプではないらしい。

「――わかった、いただこう」

 ただ、付き合いが悪いわけでもないようだ。愛想がなくて損をするタイプかもしれねえな、とブッチは思う。
 マスターがコーヒーを運んでくるのを見守りつつ、二人は話を始める。

「資料を読ませてもらった。不審な遺体があるそうだな。詳細を聞かせてくれ」

 トーマスにそう促されたので、ブッチは遺体について説明した。目立った外傷がないこと。死因が特定できないこと。皆、体に重い病気を抱えていたり、栄養状態が非常に悪かったりすること。そしてすべて、スラムの住民であること――。

「ほかに共通点はないか? 住んでいる場所とか、行きつけの店が同じとか……」
「その辺はこれから捜査を進めるところだ。で、そろそろ軍の諜報部がこの件に興味を持ってる理由について話してくれてもいいんじゃねえか?」

 じっと、トーマスはマスターのほうを見つめた。
 よっぽど情報が漏れるのが嫌らしい。

「すまん、外してくれ。すぐ終わるようにするよ」

 ブッチはマスターに頭を下げた。

「かしこまりました」

 トーマスはマスターが後ろに下がるのを確認してから話し始めた。

「――軍が試作している神経ガスが外部に流出した。それが使われた可能性がある」
「神経ガス!?」
「大きな声を出すな。流出したことを含め、極秘情報だ。マスコミに漏れたら爵位を取り上げられる貴族が出る」
「神経ガス……研究中の化学兵器ってことか? いったい何のために作ってんだ? いや、それより流出ってどういうことだよ。安全管理どうなってんだ?」
「詳細を知る権利は君にはない。ともかくそれが使われている可能性のある事件を俺は調べて回っている。調査の一環として警察から上がってくる不審死体の情報を見ていたら、君の報告書が目に留まったというわけだ」
「だが、毒物は何も検知されなかったって話だぞ?」
「件の神経ガスは体内で分解される。だから通常の検死では化学物質を検知できない。その特性を生かし、暗殺用に使われる予定だった」
「そりゃまた恐ろしいもんが流出したな……」

 ブッチは呆れてしまう。

「ただ、あんたの話はちょっと腑に落ちないな」
「なぜだ?」
そんな高度な神経ガス・・・・・・・・・・普通は一般市民相手に・・・・・・・・・・なんか使わねえだろ・・・・・・・・・
「……なるほど、それなりに切れ者というわけか」

 トーマスの目が細められ、ブッチは背中に悪寒が走るのを覚えた。
 ――やっぱこいつ、諜報員スパイじゃなくて殺し屋なんじゃねえの?

「君の疑問はもっともだ。たしかに、一般の市民――スラムの住人たちにそのような兵器を使用するのは不自然だ。だが現在の科学では、君の報告のような遺体が生まれる可能性は、その神経ガス以外にほとんど考えられない。だからこそ、君に調査を依頼したい」
「?」
「君は殺人事件を扱う刑事だ。動機不明の殺人を・・・・・・・・調査するプロだろう・・・・・・・・・ ? 君に頼みたいのは、犯人の目星をつけること、そして犯人の動機を調べることだ。遺体を調査し、本当に神経ガスが使われた形跡があるかどうかは、俺のほうで手配して調べる。君には刑事として犯人を追ってもらいたい。警察の上層部には、俺が話をつける」
「なるほどな。若干、回りくどいような気もしないではないが、任せてくれ」

 どのみち、ブッチはこの事件を捜査するつもりでいた。軍のお墨つきをもらえるのなら願ったり叶ったりだ。
 そして――殺人事件なのだとしたら絶対に犯人を許すつもりはない。

「さて、これで話は終わりだ。失礼する」
「あいよ。まあお互い頑張ろう」
「ああ。それと――」

 席を立って歩き出したトーマスが足を止めた。

「君の言う通り、旨いコーヒーだった」
「――だろう?」

 ニヤリと笑うブッチ。
 不愛想だが、悪いやつじゃないのかもしれねえな……。
 そんなことを思うブッチだった。

 

 トーマス・ラスはブッチと別れたあと、モルグに寄り、今回の事件の犠牲者の遺体を軍の施設に移送する手続きをした。
 その後、本部に電話で連絡を入れた。

「遺体を確認し、検死官から話を聞いた。死因は依然、わからないそうだ。やはりギアスの・・・・・・・関与が疑われる・・・・・・・
《了解。ジヴォン様にも・・・・・・・伝えておく・・・・・
「よろしく頼む」

 電話を切り、夜の街を歩き出すトーマス。
 トーマスは特殊部隊〈プルートーン〉の工作員だった。だが当然、そのことを知る者は少ない。〈プルートーン〉はブリタニア軍に籍を置く部隊ではあるが、その存在は秘匿されている。ブリタニア皇族の汚れ仕事を処理するのがその任務だからだ。
 その中でもトーマスは特殊能力者を処理する・・・・・・・・・・ことに特化した一人・・・・・・・・・だった。
 この世界にはギアスという特殊能力を持つ者が存在している。その中にはブリタニアにとって有用な者もいれば、都合の悪い者もいる。
 後者を秘密裏に始末するのがトーマスの仕事だ。
 ブッチに自分は軍の諜報員だと言ったのも、事件に神経ガスが使われた可能性があると言ったのも、どちらも嘘だった。〈プルートーン〉やギアスについて一般人に知られるわけにはいかない。
 この仕事をしていると息をするように嘘をつけるようになる。
 人間として問題があるようにも思えるが、一人で生きていく分には特に困ることはない。

 

 トーマスはこの任務の間、宿泊する安アパートへとやってきた。外見はアパートというよりも廃屋のように見える代物だった。

「――ん?」

 不動産屋から渡されていた鍵を差し込んだが、扉が開かなかった。
 携帯端末で不動産屋に連絡するが、留守番電話だった。遅い時間まで仕事などしない、ということなのだろうか。
 スラムではなくもう少し一般的な街に宿をとるべきだったか、と少し反省する。廃墟じみた場所を選んだのは、能力者と戦闘になる可能性を考えると人気の少ない場所に宿をとるべきだと思ったからだ。能力者がトーマスの存在を感知した場合、襲撃に遭う危険があった。その際に一般市民を巻き込むのは本意ではない。
 今日のところはモーテルにでも泊まろうか、と思案していたところ――。

「何かお困りごとですか?」

 背後から声をかけられ、振り返る。
 キャソックに身を包んだ同世代の男が立っていた。神父のようだ。表情は優しげで、声も落ち着いている。

「今日越してきたんだが、鍵が開かないんだ。不動産屋に電話したんだが、繋がらなくてね」
「それは災難ですね。そう言えば、この部屋は前の住人がストーカー被害に遭っていたとかで鍵を交換しているはずです。不動産屋には連絡が行っていなかったのでしょう。この辺ではよくあることです。いまオーナーに電話しますから、よかったら私の家にいらっしゃいませんか?」

 一瞬、身構えるトーマス。
 ハーレムのような街で、親切心でそんなことを言うようなやつがいるとは思えない。何か絶対に裏がある。
 だがすぐに、情報を手に入れるという点で考えれば、誘いに応じて話を聞くのは悪くないかもしれないと思った。所詮相手は人間だ・・・・・・・・。危険になれば息の根を止めればいい。

「――それは助かる。俺はトーマス・ラス。解体業者をやっている」

 トーマスは自分の素性をでっちあげるが、当然、相手は不審がる様子もない。

「私はジェラルド・ハイドニックです。神父を……」
「見ればわかる」
「ふふっ、そうですね」

 ジェラルドの部屋はトーマスの部屋の二つ隣だった。質素ではあるが清潔に保たれており、家主の性格を表しているように見えた。

「トーマスさん、オーナーに連絡はついたのですが、出先らしく、しばらくは帰ってこられないそうです。時間があるのであれば、夕食を一緒にどうです? 簡単なものですが」

 ジェラルドが提案してくる。

「――悪いがお言葉に甘えるよ。新しい街で、特に行くところもないから」
「困ったときはお互い様です。それでは用意しますので、少しリビングでくつろいでいてください」

 いまのところ危険な様子はない。本当にただのお人好しの神父なのだろうか。そんなやつでもハーレムで生きられるんだな、と思いながら、トーマスはジェラルドの背中を眺めた。
 そのとき――。

「おーい、ジェラルド、いるんだろう?」

 ピンポーン、という安っぽい音と一緒に聞き覚えのある声が聞こえた。
 姿を現したのは・・・・・・・ブッチ・パーカーだった・・・・・・・・・・・

「ブッチ? こんな時間に何の用です?」

 ジェラルドが扉を開けながら訊く。

「ちょっくら飲みたくなったんでな、来てみた」

 満面の笑みを浮かべながらバーボンの瓶を掲げるブッチ。

「私は飲まないと言っているでしょう」
「いいんだよ、酒は一人で飲むから――って、ええ?」

 リビングにいるトーマスに気づき、ブッチは目を丸くした。

「あんた……何でここに?」
「このアパートに越してきたんだ」

 トーマスも表情に出してこそいなかったが、非常に驚いていた。どうしてブッチがこんなところに来るのだ。

「ブッチ、知り合いなんですか?」
「知り合いって言うか……さっき行きつけのバーで会ったんだ」
「ああ、あのコーヒーがおいしいっていうカフェバーですか。仕事中に油を売ってちゃダメでしょう」
「違ぇよ、仕事で聞き込みをしてたんだ。そしたらたまたまこいつがバーにいて、ちょっと一緒にコーヒーを飲んだってわけ」
「なかなか旨いコーヒーを出す店だったよ」

 トーマスは話を合わせる。

「しかし、何であんたがジェラルドの家に……」
「さっきも言ったが、俺もこのアパートに越してきたんだ。ただ、もらっていた鍵が合わなくて入れなくて……そんなときたまたまこのジェラルドが通りかかったから、世話になった」
「なるほど、ジェラルドのお人好しに救われたってわけか」

 腕を組んで頷くブッチ。

「そろそろこちらから質問してもいいか」

 そんなブッチに、トーマスは質問をぶつける。

「二人は知り合いなのか?」
「まあ幼馴染だな。お互い途中で進路は別れたが、いまだに付き合いがあるんだ。こいつは頭がよかったから医者の道に、俺は警察官に」
「医者? 神父じゃないのか?」
「もともとは医者をやっていたんです。けれどいろいろと思うところがあり、神に仕える道を選びました」

 妙な神父だな、とトーマスは思う。

「おまえはホント、お人好しだよな。医者とか神父とか、知らない連中のためによく頑張れるよ」

 とブッチ。

「ブッチこそ、知らない人のためによく悪者なんて追いかけられますね」
「悪いやつが大嫌いだからだよ。一種の娯楽だな」

 言い合いながらブッチとジェラルドは笑う。
 ずいぶん仲が良さそうだ。
 幼馴染か……。
 トーマスは自分の過去の知人たちのことに想いを馳せ、その誰とも交流がなくなっていることを思い出すが、特に感傷は覚えなかった。
 食事の用意が整う。
 トーマスとジェラルドは食事を口に運び、それを見ながらブッチはバーボンをストレートで煽る。

「――浮かない顔をしていますね、ブッチ」
「何でもお見通しってやつか。ったく、怖いね、腐れ縁は」

 と言いながら、ブッチはまんざらでもなさそうな顔をしている。

「捜査が行き詰まってる事件があるんだ。犯人の動機がわからねえ。被害者に共通点が見当たらないから困っててな」

 リストを出してジェラルドに見せるブッチ。

「おい、いいのか? 捜査資料を一般人に見せて……」

 トーマスは思わず口を出してしまう。解体業者がそんなことを気にするのは不自然に思えたが、この事件はできるかぎり秘匿したかった。

「こいつは大丈夫だ。昔からの知り合いで信頼できるし、ときどき相談に乗ってもらって解決した事件もある」
「人を名探偵みたいに言わないでください。ただ愚痴を聞いているだけですよ」

 そう言いながらもジェラルドはリストに目を通す。

「話を聞いてもらうのが大事なんだ。話すことで頭の中が整理されるしな。で、知り合いとかいないか? おまえは神父だし顔が広いと思うんだが……」
「――いませんね。もしかしたら教会でお会いしている方もいらっしゃるかもしれませんが、私のほうでは覚えがありません。貧しい階層の方々のように思えますが……」
「それが唯一の共通点だな。ありがとう、ジェラルド」

 ブッチは資料をしまった。
 ちょうどそのとき、玄関のベルが鳴り、オーナーが部屋にやってきた。

「お、オーナーさんが来たか。そしたら俺もそろそろ帰るわ。じゃあな」

 ブッチがオーナーに軽く挨拶をして姿を消す。
 トーマスもオーナーから鍵を受け取り、自分の部屋へ向かうべく玄関を出た。

「トーマスさん。また何かあればいらっしゃってください。簡単なものしか用意できませんが」
「いや、うまい料理だった。また機会があったら寄るよ」

 もう二度と寄ることはないだろうな、と頭の中で思いつつ、トーマスは部屋を去った。

 

「誰か恨んでるようなやつとかいたか? タバコ屋の婆さん、けっこう明け透けにモノを言うだろ?」
「どうだろうな。まあ殺すほど恨むようなやつがいたとは思えねえな」

 ホームレスの男はそう言って首を振った。

「だよなぁ」

 ブッチは頭をかく。
 翌日、ブッチはハーレムを回って聞き込みをしていた。無差別殺人のようにも思える今回の事件だが、軍の神経ガスが使われている以上、何らかの目的があると考えたほうが妥当だ。
 しかし、目的って言ってもなぁ……。
 正直、軍が実験のために貧民たちを殺して回ってるくらいしかブッチには思いつかない。ただ、そうだとしたらトーマスが調査に出ているのが不自然だ。いや、もしかしたらブリタニア軍は一枚岩ではなくて、神経ガスの取り扱いについて部門ごとに分裂があるのかもしれないが……。

「あー、ダメだな、頭が働かねえ」

 頭をかきむしったブッチは、ふと、たまには日曜礼拝にでも行くか、と思う。一応休日なんだから、多少仕事をサボってもいいだろう。

「困ったときだけ神頼みとは、俺も調子がいいな」

 苦笑しながら、ジェラルドのいる教会へと足を延ばす。
 教会の礼拝堂で、ブッチは意外な人物を見つけた。

「――トーマス?」
「ブッチか」
「意外だな。神様だけは絶対信じねえ、みたいな顔してるくせに」
「同じセリフをそっくり返そうか」
「俺のはな、困ったときの神頼みってやつだ。あと、親友が働いてる姿を見るのも悪くねえと思ってな。お、出てきた」
「神父は見世物じゃないぞ」
「わかってるって」

 どっかりと、トーマスの隣にブッチは腰を下ろす。
 そしてたずねる。

「しかし、あんたこそ何しに来たんだ?」
奇跡の神父・・・・・とやらがどんなものか、見てみようと思ってな」
「奇跡の神父……? ああ、ジェラルドのことか。そういや、そんな風に言われてたな……」

 ジェラルドはこの地域ではちょっとした有名人だ。ジェラルドに触れられると、傷の痛みなどが引いてくるらしい。ゴッドタッチとか、奇跡の神父とか言って、もてはやす連中がいるようだ。ブッチは迷信を信じるほうではなかったので眉唾だと思っていたが。

「皆さん、今日もよくお集まりいただきました。この教会に仕える神父、ジェラルド・ハイドニックです」

 ジェラルドが説教壇について話し始める。
 参列者たちは神様でも見つめるような眼差しでジェラルドのことを見ていた。

「それでは祈り、内に救う痛みを取り除きましょう」

 そう言うと、あらかじめ順番が決められていたのか、老婆が娘らしき女性に支えられながら祭壇の前に出た。

「神父様。私はガンに侵されているらしい。身体中が痛くて痛くて……」

 老婆は涙ながらに訴える。

「わかりました。痛みを取り除きましょう」

 ジェラルドが優しく老婆の身体に触れる。すると、痛みが本当に引いたかの、老婆の顔がほころんだ。

「なんだ、ありゃあ……」

 ブッチは思わず声を出す。
 隣にいるトーマスも、声こそ出していないが不審げにジェラルドのことを見ていた。

 

「気休めですよ」

 礼拝が終わったあと、ブッチとトーマスはジェラルドを捕まえて、さっきのアレは何だと質問を浴びせた。
 すると、ジェラルドは苦笑しながらそう答えた。

「子供のころ、母に傷を撫でてもらうと、何となく痛みが和らいだような気がしたでしょう? あれと同じです」
「それくらいおまえが慕われてるってことだろう。もっと胸を張ってもいいと思うぜ?」

 ジェラルドがあまりに謙虚なので、ブッチは思わずそう言った。
 するとなぜかジェラルドは自嘲気味に笑った。

「私は無力な存在です。そして神も……」
「おいおい、神父様直々に不信仰発言されちゃあ、かなわねえぞ?」
「――私は神がいないと言っているわけじゃないんですよ、ブッチ。ただ私が思うに、もしかしたら神の司る正義は、われわれ人間にとっての正義とは少し違うのかもしれません――そんなことばかり思うのですよ」

 混ぜっ返そうとブッチはしてみるが、ジェラルドはあくまで真面目な様子だ。
 しばらく三人の間を沈黙が支配する。

「……しんみりしてしまいましたね。どうでしょう。これから私の家で食事でも。ブッチは奥さんと娘さんも連れてきたらいいです」

 そういうわけで、夜はジェラルドの家で食事会を開くことになった。

 ベランダでタバコを吸うブッチ。
 トーマスはその背中に声をかけた。

「ブッチ」
「おうどうした、トーマス。タバコか?」
「俺は吸わない。少し外の空気が吸いたくなった。狭い空間で大勢と一緒にいるのに慣れていなくてね」
「大勢って、おまえ入れて5人だぞ?」

 ブッチはガラス戸の向こうを親指で指さす。部屋の中ではジェラルドがブッチの娘と遊んでいて、その様子をブッチの妻が微笑ましげに眺めていた。

「独り身には、十分な人数だ」

 誰かと一緒に楽しく食事をするなんて、何年ぶりだろうとトーマスは思いながら言った。

「ジェラルドは料理が上手いんだな」

 トーマスが言うと、ブッチは嬉しそうに笑った。

「ああ、本当に上手い。神父にしとくにはもったいねえよ。料理人にでもなればよかったんだ。いやそんなことを言ったら、医者をやめたのももったいないな。外科医だったんだが、いい腕だったらしいぜ?」
「神父をやめるのももったいないだろう。あれだけたくさんの人に慕われているんだから」
「そうだな」

 ブッチは目を細めながら、タバコをくわえ、吸い込むと、煙をふーっと夜空に向かって吐き出した。

「あいつは昔から、何でもできたんだ。勉強も運動も……性格もよかったし、みんなあいつのことが大好きだった。だけど――あいつはいつも悩んでいたな。どうやったら世界から苦しむ人がいなくなるんだろうって……それで結局、神父をやっている」

 青臭い悩みだ、とトーマスは思う。だが面と向かって切って捨てられるほど、トーマスは無慈悲にはなれなかった。

「なあトーマス。おまえはどうして軍人になろうと思ったんだ?」
「ほかに選択肢がなかったからだ」

 ――なぜだろうか。
 普段は自分のことを他人に正直に話したりしないトーマスが、素直に口を開いていた。
 ブッチの人懐っこく誠実な人柄に惹かれていたのかもしれない。あるいは、ブッチとジェラルドの友情に感化されたのか。

「俺は貧乏だった。親も母親しかいなくて、その母親もろくでなしで……まともに暮らすためには、軍に入るか犯罪に手を染めるくらいしか方法がなかった」
「そうだったのか……悪いことを訊いちまったな」
「かまわない。それよりブッチ、君はどうして警官に?」
「正義の味方になりたかったんだ。コミックのヒーローみたいにさ、悪いやつをやっつけたかった。もっとも、現実の正義ってやつは複雑怪奇で、ある者にとっての正義が悪だったり、本当に正義だと思えるものが法律で禁じられていたりするがな」

 それを聞いて、トーマスはジェラルドの言葉を思い出した。
 ――もしかしたら神の司る正義は、われわれ人間にとっての正義と少し違うのかもしれません。

「刑事をやってみて知ったんだが、意外と根っからの悪人ってやつは少ないんだよ。みんな、何かしら事情があって悪いことをやってる。理由のない悪なんてほとんどない。何とかならねえかなぁって、ときどき思うわ」
「この世界は白と黒では分けられないということだ」

 柄にもなく、自分の意見を言うトーマス。

「そうだな。大人になるって、それがわかるようになるってことなのかもな」
「うまく付き合っていくしかないのさ」
「ブッチー! そろそろ帰るわよ!」

 ベランダにブッチの妻がやってくる。

「あいよ。じゃあな、トーマス」

 トーマスは小さくうなずくだけにとどめた。また会おうと言うわけにもいかない。
 家族と一緒に去っていくブッチは幸せそうだった。
 幸せか……。
 そんな単語、久しぶりに思い浮かべたな、とトーマスは思った。

「まったく、家に帰ってからも仕事ばっかりで。たまには忘れればいいのに」

 自室でブッチが資料とにらめっこをしていると、妻が背中を小突いてきた。

「悪ぃな。そういう性分なんだ」
「わかってるわよ。そういうところが好きで結婚したんだから」

 頬にチュッとキスをされる。
 ブッチは仕事人間だ。理解のある妻に、いつも感謝している。たまには家族サービスもしたいのだが、犯罪者はブッチに休みを与えてくれない。

「でも体には気をつけてね。もう若くないんだから……あら?」
「ん? どうした?」
「この人たち、事件の被害者?」
「ああ、そうだ」
ジェラルドさんの教会に・・・・・・・・・・・通ってる方々ね・・・・・・・
「!?」

 ブッチは頭の上に雷が落ちたかと思った。

「それ本当か!?」
「ええ。あなたはぜんぜん教会に行かないから知らないかもしれないけど、私たちは毎週行ってるから……。そっか、最近いないなって思ってたけど、亡くなってたのね……」

 ブッチは混乱する。
 通っているような連中だったら、ジェラルドが知らないはずはない。それなのにジェラルドは……。

「すまねえ、ちょっと外してくれるか。急ぎで資料を作りたいんだ」
「はあ、わかったわ」
「それから……もし俺に何かあったら、その資料をトーマスに渡してほしい。必ずだ」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ、もう」

 妻は冗談だと思ったのか、笑い飛ばしてくれた。
 ブッチもつられて笑顔を見せた。
 しかしその笑顔は引きつっていたかもしれない。

 ジェラルドの家でパーティをした二日後――。
 トーマスの携帯端末が鳴った。

《トーマス・ラスの携帯か? こちらは市警だ》

 眉をひそめるトーマス。

「何だ?」
《ハーレム地区の廃倉庫の裏で、ブッチ・パーカーが・・・・・・・・・遺体で発見された・・・・・・・・

 トーマスの手から携帯端末が滑り落ちた。

(つづく)

著者:高橋びすい

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