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2018.08.28

【第12回】サン娘 ~Girl's Battle Bootlog セカンドシーズン

断章Ⅲ

「はじめまして、神月楓さん。貴方に会いたかったわ」

 あたしに会いに来たそいつは、親しげな笑みを浮かべながらそう言った。
 突然現れた不審人物。
 あたしが黙って睨みつけていると、そいつは勝手に自己紹介を始めてきた。
 なんだか面倒な奴に絡まれたと思い、無視してその場を離れようとした。あたしの素行の悪さは学科中に知れ渡っている。今さら気にするほどの体面はない。
 だが。

「貴方でしょ、ERINUSSに色々とイタズラしてるのは?」

 その言葉に足が止まった。
 振り返って、もう一度そいつを見る。落ち着いた態度と平静な顔つき。こっちにカマをかけてるわけじゃない。そうだと確信している者の顔。
 証拠は……?
 そう聞こうと思ったが――途端に面倒くさくなった。アホらしい。そういうやり取りをするだけで疲れる。

「好きにすれば」

 ひと言だけそう言った。教師に密告するなり、教室の連中にとっておきの特ダネを提供するなり、思うようにやったらいい。
 だけど、そいつの反応は予想していたどれとも違った。

「ふふふ。想像通りの人ね、貴方」

 口元に手を当て、可笑しそうに笑った。
 何もかもどうでもいいと思ってたあたしだが、その笑い顔にはカチンと来た。
 ――舐められてる。このあたしが。こんな奴に。

「あんたね、喧嘩売ってんなら――」
「誤解しないで。からかっているわけではないの。現にここへ来たのも貴方に正直な気持ちを伝えたかったからよ」
「はぁ? 気持ちって……愛の告白とかなら勘弁よ」

 妙な肩透かしを食らった気分で言った。
 だが、そいつはひどく真剣な眼差しで、

「貴方のプログラム、とても美しかったわ。自由で、奔放で、遊び心に富んでいて、同時に少しだけ意地悪で……見ているだけでこちらの胸が躍ったわ」
「…………」
「それを伝えたかっただけよ。それでは失礼するわね」

 丁寧に頭を下げ、去っていこうとする。
 その後ろ姿に。

「……ちょっと待ちなさいよ」

 気付けば声を掛けていた。
 考える前に言葉が口から出ていた。そのことに自分でも驚いていた。
 そいつは振り返り、首を軽く傾げ、

「何かしら?」
「……いや……その……」

 口ごもってしまう。
 なんで呼び止めたのか、あたし自身にも分からなかったからだ。
 だから、仕方なく――

「……あんた、名前は?」
「?」
「だから、名前」
「それならたった今、名乗ったはずだけど」
「聞いてなかった。覚える必要もないかと思って」

 なぜあたしはこいつに名前なんて聞いてるんだろう。
 学園にいる奴らは、みんな嫌っていたはずなのに。
 学園にいる奴らも、あたしを嫌っていたはずなのに。

「教えてよ、名前。……今度は覚えるから」

 ただ……そう。
 そんな嫌われ者にわざわざ感想を伝えに来るような変わり者と、少しだけ別れがたい気分になったのだ。
 そいつは気分を害した様子もなく、改めて自分の名前を名乗った。
 あたしはその名を口にした上で、こう話しかけた。

「……ねえ。ちなみにあんた、プログラミング言語とかに興味ない?」

 

「ホント……信じらんない……」

 今日一日でいったい何回その言葉を口にしただろう。
 目の前のそいつは謙遜の笑みを浮かべ、

「貴方の教え方が上手なのよ 」

 その言葉も今日一日で何回耳にしたことか。
 そこは、あたしの住む寮の部屋だった。1LDKのありふれた洋室。……まぁちょっとだけ物が溢れてて、足の踏み場に困るほど散乱しているぐらいだが。

「とても個性的なお部屋ね。初めて見たわ」

 床に脱ぎ散らした衣服や、転がったペットボトル、積み上がったダンボールの空き箱をまじまじと眺める。

「そんな観察するように見ないでよ。……散らかっててハズイじゃない」
「そう? 私は個性的でステキだと思うけど。……これだってそう。他の子の部屋には無いわ」

 机の脇に置かれた、大型のタワー型PCの筐体を見る。

「そりゃね。自慢じゃないけど、たぶん個人の持つ物としては学科……いや学園中を見渡しても群を抜いたスペックだと思うわ」

 独自に改良を積み重ねた、自慢の一品。性能はもちろん折り紙付き。……まあ相応のお金はかかったんだけど。

「まあ。あんたの呑み込みの速さも化け物級だけどね」
「あんまりな言いぐさね」

 そいつは不満じみたことを言いながらも、声は楽しげだった。
 そう。今日は休日を利用してあたしが直々にこいつにプログラミングとソフトウェアのいろはを教えていたのだ。いろはと言いつつ、あたしのデータ改ざんの痕跡を見抜いたほどの人間だ。相応の知識と腕は備えていると思ったが……それは大きな勘違いだった。
 こいつは、何も知らなかった。『電子情報工学科』を目指す中等部以下の知識量だ。

「あんた、それでどうやってあたしの仕業だって知ったの?」
「書店で専門書を立ち読みしたわ。後は試行錯誤しつつやっただけよ」

 なんてことをのたまってくる。

(あたしのことからかってんの……?)

 と、本気で疑いかけたが、そもそもビギナーを装う理由がない。本当に騙したいのなら、そもそもあたしに『犯人は貴方ね』などと指摘しないだろう。
 ということは、実に信じ難いことだが、本当に言葉の通りなのだろう。
 書店で立ち読みした程度で学科のぼんくらどもの一年を軽く追い越せるぐらいの適性がこいつにあるわけだ。
 センスの一言で片づけられるものじゃない。
 あたしは俄然興味が沸き、わざわざ自宅に呼んで色々とやらせてみた。教えるという名目ではあったが、ほとんど腕試しのようなものだった。
 ソフトウェア工学から情報数学論、データ構造論など様々な難問を出すが、その度にこいつはあたしの予想を超える速さで正解を導き出していく。

「マジ……?」

 そうつぶやかざるを得なかった。

「あんた……もしかしてさ、IQ200を超える天才だけが利用できる精子バンクから子種を頂戴して生まれた子?」
「残念だけど、母はごく普通の主婦で、父も中小企業の会社員よ」

 さらりとそんなことを言い放つ。
 もう……認めるしかない。
 目の前にいるこいつは、紛れもない本物なのだ。
 正真正銘の『天才』。
 そう形容する他ない 。
 そのことを認識した時、最初に感じたのは激しい怒りと悔しさだった。

(信じ……らんない……)

 桁外れの才能に対する、激しい劣等感 。
 こんなの絶対に反則よ。認められるわけがない。不公平にも程がある。
 こんなことあっていいはずがない。
 だが、そんな怒気も時間が経てば消え失せる。
 そして――残ったのは、圧倒的な敗北感だけ。
 これまで自分を支えてきたプライドが、ガラガラと派手な音を立てて崩れ去っていくのが、自分でも分かった。
 『特別』だからこそ、孤立しているのだと思った。
 『特別』だからこそ、孤独を受け入れることができた。
 でも、もし自分が『特別』ではないのなら……ただの凡人なら……あたしはなんだ。
 ただの社会不適合者のぼっちでしかない。
 その言葉に意地と尊厳を見出せるほど、あたしは屈折しきれてもいない。
 だから――そう、ただ絶望するしかない。
 何もない自分に。

(そうか……これがあれか……『挫折』ってヤツなのね)

 暗い暗い失意の中、フッとそんなことを思った。

「ねえ、貴方……」

 そいつはあたしの異変に気付いたようだ。
 あたしの顔を見るや、訝しげな顔をして尋ねてきた。

「貴方……どうして、笑っているの?」

 そう……あたしは笑っていた。
 クククと声を漏らして。
 一回自覚すると、もうダメだった。笑い声が一気に弾け、「あはははは!」と大声で笑い始めた。
 さすがのそいつも、この時だけは面食らった顔をしていた。
 気が狂ったとでも思ったのだろう。
 その顔を見てあたしはさらに爆笑する。目に涙すら滲ませて。
 しばらくそうして笑い続け、ようやく収まった頃、そいつが待ちかねたように聞いてきた。

「どうしてあんなに笑っていたの?」
「あー。勘違いしないで。別に頭のネジが吹っ飛んだわけでも、あんたのことを笑ってたわけでもないの。むしろ……あたしは自分のことを笑ってたの」
「自分のこと?」
「そっ。自分のことが物凄くバカらしくなってね」
「…………」

 そいつが眉をひそめ、考え込む。
 あたしが用意した難問を解いている時にも、見せたことのない顔だった。
 まぁでもたぶん、いくら考えてもあたしの気持ちは分からないだろう。
 本当に言葉の通り、あたしはあたしのことがバカらしくなっただけなのだ。
 他人よりちょっとばかし腕が立つだけで、周りを見下して、退屈だと口にする。そのくせ、自分の能力をちょっと認められた程度で、ほだされ、こんな風に色々と構いたがる。

(あー……なんて小物なんだろう、あたしは)

 あたしはこいつに比べたら『特別』でも何でもない。どこにでもいる凡人。イキってただけの一般人だ。
 そのことが、ようやく実感できた。
 実感した途端、急に肩の重荷が降りた気がした。なんだかスッキリした気分になって、それで思わず笑ってしまったのだ。
 自分の小物さが理解できると、途端に色々な感情が理解できるようになる。
 プライドが邪魔をして、見て見ぬフリをし続けていた自分の気持ち。
 あたしは、そう……きっと寂しかっただけのだ。
 ひとりでいることが。
 そんな当たり前の気持ちを認められないぐらい、幼くて、バカで、器の小さい人間だった。
 ただ、それだけなのだ。

「ねえ、今日は泊まっていきなさいよ。あんたに教えたいことが山ほどあんの」
「構わないわ。私もこのままでは帰れないし。どうして貴方が笑っていたのか……気になって眠れなくなりそうだもの」
「だから、たいした理由じゃないって。でもまっ……はい」

 あたしはそいつに向かって右手を差し出した。

「何かしら?」
「『友達になりましょう』って意味よ。分かりやすいでしょう?」

 そいつは『まったく分かりやすくない』という顔をしながらも、晴れ晴れとしたあたしを見て、いつものように微笑み、

「……それでは失礼するわね」

 あたしの右手を取った。
 互いに手を握り、握手を交わした。
 その日、あたしは聖陽学園に来て、初めて友達ができた。

(つづく)

著者:金田一秋良

イラスト:射尾卓弥

©サンライズ

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