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【第11回】ぼくたちは人工知能をつくりたい
美少女AIの掟
- ひとつ、美少女AIはどんなことがあっても私たちを守る。
- ふたつ、美少女AIはどんなことがあっても私たちの願いを叶える。
- みっつ、美少女AIはどんなことがあっても自分の命を守る。
- ただし、掟は設定された順に優先される。ひとつ目とふたつ目が矛盾した場合、ひとつ目が優先される。
人工知能(キャラクター)を作るための五工程
- (0)※まず仲間を見つける
- (1)性格を決める
- (2)容姿をデザインする
- (3)CGモデルを作る
- (4)「学習プログラム」と「人格生成プログラム」の実装
- (5)ロボットのAIとキャラコン部オリジナルのAI、人間の連動訓練
第11回:合宿二日目~
合宿二日目。日曜日。西の空からやってきた、どんよりとした雲が空を覆っていた。スマートフォンの天気アプリによれば、午後から雨になるらしい。
合宿所である美作家の玄関を開けると、腫れぼったい目をした美作と湖夏が出迎えた。
「おはようございます、ハルさん」
「どうしたんだ、お前ら」
「いやぁ」
「別に?」
「寝ないで話でもしてたんだろ」
「そ、そんなことないです!」
などとむきになる美作。
「そんなことより見て、ハル。すごくない?」
湖夏は自分のノートPCを差し出した。モニターの中、畳の部屋にミスマッチなショッキング・ピンクの熊が寝転んで、頬杖をついていた。
「何がすごいの」
ふてぶてしい顔の、ケン・クマモトである。昨日と何も変わっていない。
「ちゃんと見て。ほら!」
湖夏はふたつの画像データを並べた。
「あっ!」
たしかに違う。どんよりとした徹夜明けみたいに淀んだ目が、切れ長で涼やかになっていた。
「ね。目元が全然違うでしょ。話し方は変えられなかったけど、外見の攻略に成功したの」
そう言って湖夏は胸を張った。
変化というものは直線的に起こるものではない。あるポイントを境にして、劇的に変わるものである。合宿二日目は、まさにそれを実感させられる日となった。
「できた!」
昼前にはケン・クマモトの緩みきった顔が、中学生みたいにあどけない顔になっていた。
「でも、気持ち悪いですね、これ」
「ああ。体はピンクの熊なのに」
「顔だけは若返ってるし」
そんなことを言い合って、はしゃいだ。自分たちの手でケン・クマモトを変えることができる。その確信が、夢中にさせた。窓の外で、エルガーの愛のあいさつが流れた。役所が放送している十二時の時報だ。気がつくと四時間が経過していた。
「あ。お昼……」
「今日はハルさんの当番ですよね」
「くっ! 今がいいところだったのに……!」
渋々立ち上がり、キッチンへと向かった。
「面倒だったら何か買ってきてもいいけど」
「いや作る! すぐに作る!」
早朝から開いているスーパーに立ち寄って、すでに買い物を済ませていた。冷蔵庫から買ってきた食材の袋を取り出し、たまごを茹で、トマトを切り、レタスを手でちぎり、食パンにバターを塗った。料理をしたことのない俺でも作れるお手軽料理、サンドイッチ。手早くその簡単な昼食メニューを完成させると、我々は料理の感想も述べ合うこともなく、それを黙々とかじりながら、作業を続けた。
夕方、雨音が聞こえてきた。窓を開けてみると、いつの間にか分厚い黒雲が空を覆っていて、大きくて重たい雨粒が、土砂のように降り注いでいた。
「直島、大丈夫かな……」
インターフォンが鳴った。
「濡れた」
そういう直島は全身ずぶ濡れだった。黒い髪が額にぺたりと張り付いて、形のいい頭が露になっている。こうしてみると、直島は随分と小顔である。
「大丈夫ですか、NAGIちゃん。タオル今すぐ持ってきます」
「助かる」
「あとお風呂も入れます」
「いや、別にそれは……」
そう言いかけて、直島は小さくくしゃみをした。
「体を温めなきゃ。ほらこっちへ!」
「え、あ、あれえぇぇぇ~……」
美作は直島を風呂場の方へ引きずり込んだ。
「……直島、悲鳴あげてなかったか?」
「え、あれ、悲鳴だったの?」
「たぶん」
「お風呂? いいね~楽しみだね~」
画面の中の熊がニヤニヤしていた。ケン・クマモトの容貌は整ってきた。しかし態度や口調は相変わらずで、こちらをおちょくるようなところがある。
「どんどん気持ち悪さが増してないか、こいつ」
「そうね」
顔が整った分、元々持っているおっさんぽいキャラクターが悪目立ちしている。
顔を変えた要領で「話し方修正プログラム」を組もうとしたが、うまくいっていなかった。そのプログラムはコンセプトからして全くの別物だったのである。
「前途多難だな」
「でも、一歩前進した。諦めなければきっと辿り着ける。絶対にやり遂げてみせるんだから」
そう言いながら、湖夏は画面を睨みつけていた。
「すげーやる気……」
「何よ」
湖夏がむっとした様子でこちらを見返した。
「いや。最初やる気なさそうだったからさ」
なのに、今では俺や美作よりも、真剣に取り組んでいると言っても過言ではない。
「いいでしょ別に。私は凝り性なだけ」
照れ隠しなのか、湖夏は澄ました様子で答えた。様々な技術を短時間で圧倒的なレベルに達するまで習得できる彼女の秘密は、その凝り性という性格にあるのかもしれない。
「よし。俺も負けないぞ」
再び自分のノートPCに向かう。
「本当に勝てると思ってるの~?」
画面の中のケン・クマモトがのんびりとした声で言った。なんて憎らしい熊だ。
「ああ、そうだ。勝つのは俺だ」
「こなっち、あんなこと言ってるけどいいの~?」
「ふふん。ハルが私に勝とうなんて百年早いわ」
ケン・クマモトはハフハフと奇妙な声をあげて笑った。
「でもふたりとも無理だよ~。ぼくはぼく。君たちふたりなんかじゃ、絶対変えられないも~ん」
その挑発的な態度が俺たちのやる気をさらに焚きつけた。
「いいだろう、ケン・クマモト」
「私たちと勝負よ!」
濡れた服を乾かす間、風呂上がりの直島は、Tシャツにショートパンツという姿だった。美作から借りたらしい。俺はむき出しの白い足の眩しさに、ひとりくらくらした。
「NAGIちゃん、今日はなにを作ってくれるんですか?」
食欲には勝てないことを自覚した美作は、今日は最初から作業をすることを放棄していた。キッチンカウンターに取り付いて、直島の手元を覗き込んでいる。
「天ぷらうどん」
直島は持ってきた野菜やエビを下ごしらえして、粉を叩くと、油の中に次々と泳がせた。水分が抜けて、ぱちぱちとはじける音とともに、ごま油の香りが部屋いっぱいに漂った。
「ああ……幸せの香り……」と美作はうっとりした。
「カレーに揚げ物……直島、意外と料理上手なんだな」
「そ、そんなことはない……」
思わず直島の手際の良さに見入っていると、湖夏が一喝した。
「ハル、手が止まってる!」
「は、はい!」
雨は止み、窓から光が差してきた。直島が盛り付けをしている間に、美作は室内のテーブルを拭いた。大皿いっぱいの天ぷらを直島が運んでくると、美作がわっ、と歓声をあげた。今日は湖夏も入れて、四人で食卓を囲むことになった。
「ほほう。こいつは立派なものですなぁ。何の天ぷら作ったの?」
手を洗ってきた湖夏は、テーブルを彩る料理の数々に目を輝かせた。
「エビにかぼちゃになす」
直島は天ぷらの解説をした。
「これは?」
うどんの入った丼の中に、白く柔らかなかたまりがのぞいている。
「もち」
と直島は答えた。
「力うどんっていうんだっけ。なんか合宿っぽいね」
「そうか?」
「アスリートもネバネバした食べ物食べるっていうじゃない。験担ぎの意味で」
「なるほど。これで力をつけろというわけですね」
「もちで力がつくってどういう原理?」
「だから験担ぎでしょ」
「それは置いといて……冷めないうちに食べましょう!」
一同、顔の前で手を合わせた。
「いただきます」
「いただきま~す」
うどんをすする。昆布と鰹節で引かれた丁寧な出汁が香る。優しい味だった。
「うん、うまい」
「ほんと。香りがいい」
「NAGIちゃん、この技もまさか」
「合宿で」
と直島は頷いた。
「すげーな、大島合宿」
「私もそんな合宿があるなら参加してみたいです」
「美作、料理合宿じゃないからな?」
「分かってますよ!」
「でもさ、スタッフみんな映像の仕込みをしてるんでしょう? 料理なんかしてる暇あるわけ?」
「オフの日に料理したりする。一度ツアーが始まると、世界各地を転々とすることになるから」
「へぇ。ツアーってどれくらいの期間やるわけ?」と湖夏は聞いた。
「一カ月とか、二カ月」
「そんなに!?」
湖夏は驚きの声をあげた。
「直島はいつからそんな生活送ってたんだ」
「中学」
「へぇ~……」
中学生の頃、バカなことしかしていなかったな。と、自分の過去を振り返った。その間に直島は世界中を飛び回っていたらしい。その経験の差は圧倒的だ。直島と同じレベルのパフォーマンスを発揮したいのなら、どれくらいの経験を積めばいいんだろう。一生かけても、その差を埋めることはできないんじゃないかと、そんなことを思った。美作と湖夏と目があった。お互い、気恥ずかしくなって、視線を逸らす。どうやら、同じようなことを考えていたらしい。
「どうやって大島さんのチームに入れてもらったんですか」と美作。
「メールを送った」
「返事きたの?」
「そう。『来たけりゃ今すぐ来い』って」
「軽!」
「それですぐに東京の会場へ行った」
「ご両親は心配しなかったの?」
直島はそれには答えず、肩をすくめただけだった。
中学生の娘を二カ月間、人となりも知らない相手に任せるなんて、浜松家では考えられない。直島の家は寛容なのだろうか。美作といい、直島といい、すでに自由気ままな生活を送っているふたりがなんだか羨ましくなった。
食事が終わり、洗い物をしながら、ケン・クマモトの顔面が変わったこと、話し方を変えようとしているが、なかなか上手くいかないことなどを直島に報告し、アドバイスを求めた。
「何で上手くいかないんだと思う?」
テーブルを拭き終えた湖夏は、食後の緑茶をすする直島と話をしていた。
「端的にいうと、難易度が高い。顔は星ひとつ。話し方は星みっつくらい」
「私たちにはまだ早いんでしょうか……」
そう言って美作は肩を落とす。
「難しいけれど、挑戦する価値はある。『話し方修正プログラム』は、ミサに直接、応用することができるし」
「そうなの?」
「もちろん全く同じではないけれど、基本コンセプトは同じ。その道は、ミサに繋がっている」
その言葉は、暗く深い森の中に射し込んだ、一筋の光になった。
後片付けを済ませると、直島は帰宅した。その後間もなくして、再び雨が降り出した。また濡れたりしていないだろうか。SNSでメッセージを送ると、「間一髪」と返事が返ってきた。それから数時間。その雨音をBGMにしながら黙々と作業を続けた。すると、隣で湖夏が呟いた。
「見つけた……」
「なにを?」
湖夏がPCの画面を指差した。そこにはあるコードが表示されていた。
「これが問題解決の鍵よ」
と、湖夏は言った。
「ケン・クマモト」
「なに~?」
ケン・クマモトは面倒くさそうにごろ寝をしたまま返事をした。
「ついにあんたのそのうんざりする話し方を治す方法が見つかったわ。私がこのプログラムを走らせれば、あんたは変わる」
「本当ですか、こなっち」
「ええ」
湖夏は確信に満ちた様子で、すっと、エンターキーの上に指を置いた。
「本当にそんなことができるの~?」
ケン・クマモトはいつものごとく、おちょくるような返事をした。
「そう言ってられるのも今のうちよ。覚悟!」
エンターキーを叩いた。計算が始まった。コンソール画面のカーソルの明滅が止まった。PCは静かに、だが凄まじい量の演算をこなしていた。
「どうなんでしょう。どうなっちゃうんでしょう!」
美作は目を輝かせた。しばらくすると、コンソール画面に「complete」というそっけない文字が表示された。湖夏の組んだプログラムが終了したのだ。
「終わった?」
「さぁ、ケン・クマモト! 気分はどう?」
「……」
湖夏が声をかけても、ケン・クマモトは無言だった。畳の上に寝転んだまま、目を閉じている。
「ケン・クマモト」
湖夏がもう一度声をかけると、熊はゆっくりと目を開けて、答えた。
「ハイ。KEN・KUMAMOTOちゃんだヨ」
「よし成功!」
湖夏が小さくガッツポーズをして、椅子から立ち上がった。
「え、これ成功なの?」
「KEN・KUMAMOTOちゃん、こなっち大好きダヨ」
そう言って、ケン・クマモトは朗らかに笑った。
「たしかに変わりましたね!」
美作ははしゃいだ。
「ていうか、なんで片言?」
「知らない」
ケン・クマモトは畳から立ち上がると、両手を突き上げ、手をひらひらとさせた。
「私、生まれ変わったような気分ヨ。なんだか、不思議なものデスネ」
そう言いながら、ケン・クマモトは右手と左手を交互に伸ばしたり縮めたり、まっすぐ前に突き出したりする、奇妙なダンスを踊った。
「これは一体……」
呆然とする俺を尻目に、湖夏と美作はハイタッチをした。
「さすがこなっちです!」
「まあね!」
結果は大成功と呼べるようなものではなかったけれど、これは大きな前進であった。その成果は、疲労困憊の俺たちを再び奮い立たせるには十分だった。その後、夢中でキーボードを叩いた。ちょっとしたアイデアが呼び水となり、ダイレクトに結果につながった。やればやるほど、成果が出た。俺たちははしゃいだ。ケン・クマモトがどんどん学び、変わっていく様を見ていると、楽しくてしかたがなかった。
目覚めると、暗闇の中に、うっすらと白い何かが見えた。つ、と目をあげると、静かに寝息を立てる美作の顔があった。
「……」
冷静になろう。
自分に言い聞かせた。そして、静かに目を戻す。そこには、Tシャツからのぞいた、美作の胸の谷間があった。
「……!」
とっさに身を起こした。暗闇の中、目を凝らすと、俺を挟むようにして美作と湖夏が床で寝ていた。
一体何があった!?
スマートフォンで時刻を確認すると、朝五時。もうすぐ陽が昇る。
冷静になろう。
もう一度自分に言い聞かせて、机の上のペットボトルの水を、ごくごくと一気に飲み干す。
思い出してきた。無我夢中でキーボードを叩き続けていた。気分は高揚していたけれど、体の方が先に音を上げたようだ。三人とも体力の限界を迎え、あぁ……疲れた、なんて言いながらうつらうつらしたあたりから記憶が曖昧になる。どうやらいつの間にか床の上に転がっていたらしい。
深い闇が光を帯びて群青に変わり、だんだんと白んできた。そんな中、目が自然と美作の胸に引き寄せられた。いやいや落ち着け。頭をふる。
「ううん……」
美作が小さく声をあげた。慌てて目を逸らす。左隣をみる。湖夏もぐっすりと寝入っている。
そこであることに気がついた。スマートフォンのランプが点滅している。着信履歴を見ると、昨夜十二時ごろ、家からの電話があったらしい。母親のキレかけた顔が目に浮かんだ。
ああ、とひとつため息を漏らし、荷物を引っつかむと、ふたりを起こさないよう、そろそろと玄関へと足を運んだ。美作の家の鍵を取り、外から鍵をかけ、ドアポストに放り込んだ。鍵の場所は後でメールしておこう。自転車に跨ると、全力でペダルを漕ぎ、家路に着いた。
空は青く染まっていた。雨に洗われ澄んだ空気。太陽の光がきらきらと輝きを増していた。本日は快晴なり。
家にこっそりと忍び込んだ。母親はまだ眠っているようだった。部屋に戻り、布団をひっかぶった。
朝七時に携帯のアラームが鳴った。短い眠りから覚めて、重たい体を引きずりながら台所にいくと、母親が朝食の準備をしていた。
「あんた昨日遅かったじゃない。何してたの」
母親は振り返らずに言った。母は足音だけで俺の気配を察することができるのだ。
「いや~作業が思ったより捗っちゃってさ~」
「十二時には帰るって話だったでしょ。約束は守りなさいよ」
「分かってるって」
これは、バレてないってことなのか? 内心、ホッとしていると、母親はこちらをじろりと睨んだ。
「ハル、次はないからね」
「は、はい……」
母は全てを知っている。そう確信した瞬間だった。
美作の家のドアを開けると、眠そうな顔のふたりが迎えた。
「おはよう……って、昨日以上に酷い顔だなお前ら」
「……あんたもだよ」
「人のことは言えませんよ、ハルさん」
ふたりはますます寝不足で、どんよりした顔をしていた。たぶん、俺も同じようなものだろう。しかし、なぜだろう。お互いの顔を見ていたら、急に笑えてきた。
「ふふ……」
「うふふ……」
「なんだよ気持ち悪いな」
「そういうハルさんだって」
「ほんと。バカみたい」
「それで。例のアレは終わった?」
「もちろん」
モニターに映し出されたコンソールには、「complete」と表示されていた。昨日寝落ちする前に時間のかかる処理をかけておいたのだ。プログラムがきちんと機能していれば、ケン・クマモトに劇的な変化が生まれているはずだ。俺は美作、湖夏と、順に顔を見る。ふたりは無言で頷いた。
「いくぞ」
画面の中にはしかつめ顔のピンクの熊が、寝っ転がっている。
「ケン・クマモト」
呼びかけるが、反応なし。
「ケン・クマモト!」
美作と湖夏もその名を呼んだ。
「起きろ!」
熊はゆっくりと目を開けた。そして俺、美作、湖夏と、ひとりひとりの顔を順に見た。熊はおもむろに手を挙げると、口元に当てた。
「あんたたち、眠そうな顔。あんたら若いからって無茶しちゃだめよ~。寝不足はお肌の大敵よ」
「……オネエっぽくなってる!」
俺たちは思わずのけぞった。
その夜。直島は俺たちが施した処理の数々に目を通して呟いた。
「興味深い結果」
美作は肩を落としていた。
「本当はもっと子供向けアニメのキャラクターみたいにしたかったんですよ」
「『好物はどら焼き!』みたいな」
「そういう猫ロボットみたいな」
手を尽くしてケン・クマモトの「話し方」の学習を試みたのだけれど、結果は芳しくなかった。ケン・クマモトはオネエキャラで固定されてしまい、そこから動かなくなっていた。なぜオネエになってしまったのか。「繊細で、コミュニケーション能力が高い人たちを手本にした結果よ」というのはケン・クマモト本人の談。
こちらの意図していたものとは全く違う方向に進んでしまったケン・クマモトの軌道を修正することはできず、未だその糸口もつかめないままだった。俺たちは鬱々としながら、直島の作ったボルシチ(大島チームにいたロシア人直伝)を啜った。
昨日の夜中に感じた全能感は一体何だったんだろう。まるで、自分が世界の中心にいるみたいだった。
でもそれは幻だった。
実際には、自分たちは全くの無力だった。
美作は食が進まないようで、皿の中の牛肉をスプーンで転がしていた。
「この熊のキャラクター。私は嫌いではないけれど」
励ましのつもりか、単純な趣味なのか、直島はそう感想を述べた。
「いやいや。直島は嫌いじゃないかもしれないけど」
「全然狙い通りじゃないし」
「それはよくある話」
「それより問題はさ、なんでこうなるのかが分からないってことなのよ」
湖夏は頬杖をついてぼやいた。攻略の立役者である湖夏は、この中の誰よりも大きなショックを受けているようだった。
直島は再度、処理に目を落とす。
「ひとつひとつは悪くない。でも少しずつズレている。ひとつのズレは小さいけれど、積み重なると増幅されていく。小さなミスが呼び水となって、予測不能の結果をもたらす」
「大きくは間違ってないけど、どこかちょっとずつミスってるってこと?」
「そう」
「マジか。完璧だと思ってたのに……」
「それは奢り」
直島はぴしゃりとやる。
「おっしゃる通りです……」
「ねえ渚。そのミスをなくすにはどうすればいいわけ?」
「私たち三人で何度もチェックをしたんですよ?」
美作のいう通り、三人で何度も何度も、その内容を検分した。にも関わらず、ミスは起きた。
「それは、経験を積むしかない」
と直島は答えた。
「経験とは、量をこなすこと。時間をかけ研鑽を積むこと。そうすることで初めて、正しい使い方が身につく。そこに近道はない」
そういう直島の言葉には、いつになく熱がこもっていた。
手っ取り早く結果を出したい。そう思っていた。
だが、それではなし得ないものがあるのだ。
「あー悔しい!」
湖夏が天を仰ぎ、叫んだ。
「絶対できたと思ったのに。なんで!?」
「湖夏、落ち着けよ」
「落ち着いてるわよ!」
湖夏はきっ、と画面の中の熊を睨んだ。
「このままじゃ、自分を許せない。もうミサとか関係ない。あんたを絶対倒すからね、ケン・クマモト!」
「できるものならやってみなさい」
ケン・クマモトは、鼻であしらった。
「湖夏が燃えている……!」
「ハルさん、私たちもやるしかありませんね」
肩を落としていた美作は、湖夏の熱に感化されたようだった。
「落ち込んでいる場合じゃありません。今日は食べましょう」
そう言って美作は直島のボルシチを一気にかきこんだ。
「お代わりです!」
美作は空になった皿を差し出した。
直島は皿を受け取り、おかわりをよそう。
「おかわり!」
美作は再び一気にかきこむと、空の皿を差し出した。
「早ッ! 大食い選手権じゃないんだぞ」
「NAGIちゃんのボルシチを食べたら元気が出てきました。やっぱり人間、お腹いっぱいになると元気になれますね!」
「そういうもんか?」
「おかわりならいくらでもあるから。どんどん食べて」
そう言って、直島はなみなみと注いだ皿を出した。
「部長も」
「うん。ありがとう」
直島のボルシチを食べると少しだけ元気になれる気がした。
たぶん直島は最初からこうなることを分かっていたのだ。
誰しも失敗する。そんな時、美味しいものを囲んでみんなで励ましあうことが必要なのだということを。
(つづく)
著者:穂高正弘(ほだかまさひろ)
キャラクターデザイン:はねこと