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【第13回】ぼくたちは人工知能をつくりたい
美少女AIの掟
- ひとつ、美少女AIはどんなことがあっても私たちを守る。
- ふたつ、美少女AIはどんなことがあっても私たちの願いを叶える。
- みっつ、美少女AIはどんなことがあっても自分の命を守る。
- ただし、掟は設定された順に優先される。ひとつ目とふたつ目が矛盾した場合、ひとつ目が優先される。
人工知能(キャラクター)を作るための五工程
- (0)※まず仲間を見つける
- (1)性格を決める
- (2)容姿をデザインする
- (3)CGモデルを作る
- (4)「学習プログラム」と「人格生成プログラム」の実装
- (5)ロボットのAIとキャラコン部オリジナルのAI、人間の連動訓練
第13回:魂~
部室を飛び出し、慌てて電話をかけた。
「はい」
直島はいつものように淡々とした声で電話に出た。俺は早口でまくし立てた。
「直島! ミサが目覚めた。目覚めたのはいいんだけどさ。顔が美作そっくりに変わってて。その上、変なこと言いだして……ミサが美作の妹だとか言うんだ。なぜか知らないけど、ミサは美作のことを知ってるみたいでさ。昔の思い出とかふたりで語りだしちゃって。これってやっぱり妹の生き霊が憑いたってことなのかな」
目覚めたミサは、美作との思い出を語り出した。美作は最初驚いていたが、すぐにその事態を受け入れたようだった。何しろ「妹しか知らないことを、知っている……ミサは、本当に私の妹なのかもしれません」などと、本気とも取れる顔で言っていたのだから。
直島の返事はない。スマートフォンの画面の中の通話時間だけが加算されていく。
「……直島?」
「ごめん。考えていた」
と直島は答えた。
「もう少し情報が欲しい。順に何があったか話してくれる?」
「あ、ああ……」
美作の個人的な事情を話してしまっていいのかという疑問はあったのだけれど、隠しておくことはできないと判断した。失踪した妹。美作がキャラコン部にきた理由。そして、ミサが目覚めたこと。すべてを直島に説明した。
直島は黙って話を聞いた後、こう答えた。
「部長は『美少女AIの掟』を覚えている?」
「掟って……みんなを守り、とか、最初に美作が書いたやつだろ」
「そう。正確には『私たちを守る』『私たちの願いを叶える』『自分の命を守る』の三つ」
「よく覚えてるな」
「その中に『私たちの願いを叶える』という部分がある。だからミサは美雨の願いを叶えて、妹になった」と直島は言った。
「でも美作の願いってのは、この世に存在しない幽玄の少女を作り出すことじゃなかったっけ。だから、ミサは幻想ミサになったんだろ」
「今回の謎を解く鍵が、そこにある」
「鍵」
「そう」
直島は続けた。
「幻想ミサを見たときから、違和感があった。美少女AIを生み出すためには、はっきりとした願望が必要。例えば、湖夏のミサは『秘密のない友達になってほしい』という願望の現れ。颯太の場合は『一緒に戦える部下がほしい』。部長は『自分がどうあるべきか。自分で考えられる人になってほしい』。では、美雨は?」
「美作は……」
そう言われてみると、幻想ミサはどのような願望を具現化したものなのか、はっきりと言えない。何か手の届かないところにあるものを見つめ、静かに微笑み、消える。そのひとつひとつの所作は美しいけれど、なぜそうするのかという、動機や美作の願望が見えてこない。
「おそらく、美雨の情報は欠けていたんだと思う。それをミサなりに埋め合わせた結果が幻想ミサ」
「じゃあ、その欠けていたっていうのは……」
「失踪した妹、美沙の存在」
と直島は言った。
「美雨の真の願いは『妹ともう一度会いたい』ということだった。そう考えると、ミサが目覚めなかった理由もはっきりする。ミサは幻想ミサの間違いに、どこか気づいていていた。だけれど、その間違いの原因までは分からなかった。だから、眠ったまま、その最後のピースをずっと探し続けていた。部長と美雨の話を聞いて、それがとうとう見つかり、ミサは目覚めた。そして、美作美沙にそっくりな、美雨の妹になった」
ミサはVR5のマイクを通じて、俺と美作の会話を聞いたのだろうと、直島は言った。
「でも美作は本物の妹に帰ってきて欲しいと思ってるんだろ。ミサが美作妹っぽくなったところで願いを叶えたことにはならない」
「たしかにそこは少し倒錯している。おそらく、ミサにはミサなりの考えがあってのことだと思う」
「それから、ミサが美作美沙を知っているのはどう説明するんだ。ミサはふたりだけしか知り得ない話を知ってたんだぞ?」
「それは知っているのではない。ミサはそう見えるように演じているだけ」
「演じている?」
「そう。ミサは表情を読むことで読心術が使える。その技を使っている」
「ああ……」それを使って湖夏や俺の思考を読んだことがあった。
「おそらくミサが本気を出した時、人間では演じているのか否かを見破る方法はない」
と直島は言う。
「何か気持ち悪いなそれ」
「なぜ?」
それはミサに騙されているということではないか。
その問いかけに、直島はこう答えた。
「人間も人前で完全に自由にふるまうということはない。そこには『見られている』という緊張感があり、『どう見られているか』という意識が働く。つまり、多かれ少なかれ、人間も人工知能も、『見られたい自分』を演じている」
「でもなぁ……」
なんとも鼻につく。
人間の演技は曖昧で不完全だ。それが可愛げになったりもする。対してミサの演技は完璧だ。ミサは綿密な計算に裏打ちされた、見破ることのできない役者なのである。
「ミサに悪意はない。だとしたら、そう感じる人間側に問題があるのでは」と直島。
うーん……人間と人工知能の差は思ったよりも大きいのかもしれない。
「大きく話がずれたけれど、生き霊の存在/非存在の議論を持ち出すまでもなく、ミサは美作美沙になりきることが可能、というのが私の意見」
なんとも言えないしこりのようなものは残ったが、最初の疑問は解消した。冷静になって考えてみると、人工知能とオカルト話は、あまりにもミスマッチだ。
「部長、生き霊の話って、本気だった?」
「え?」
「真剣で、ちょっと笑えた」そう言って、直島はくすりと笑った。
「忘れてくれ!」
俺は急に恥ずかしくなった。
颯太の指揮する六人の部隊は、朽ちかけた高速道路を車で走行中だった。その後を狼のような機械生物の群れが追っている。ミサは車に据え付けたマシンガンを掃射し、狼が群れを作るのを妨害していた。
「ミサ隊員、気を抜くな。奴らは密集すると襲ってくるぞ!」
「わかっています、兄様!」
「ここでは隊長と呼べ!」
「はい、隊長!」
「しかし、ミサが美雨の妹キャラになっちゃうとはね」
その日は、長椅子に座り、颯太とミサが「ディストピア6」で共闘するのを観戦していた。湖夏はパックの紅茶を飲みながら、のんびりと感想を述べた。
「キャラじゃありません。妹です。私だけではなくみんなの」
美作はぷりぷりと怒る。
「では、私たちも姉妹?」
直島は俺、湖夏、美作、颯太の顔を順々に見た。
「そんなわけないだろ」
「では、桃園の誓い?」
「義兄弟か」
「違います。ミサは血を分けた妹です」
「血を分けたということは、私たちは同じ父と母から生まれたということになるけれど」
「そんなわけないだろ」
そんな無駄話をしている間に、颯太とミサはミッションを終えたようだ。どうやらハイスコアを更新した模様。
「いい仕事だったぞ、ミサ隊員」
颯太はVR5を脱ぎながら、モニターの中のミサに声をかけた。
「ありがとうございます兄様」
「次は『ディストピア6VS』で格闘技の修練だ」
「はい!」
「まだやるのかよ……」
「当然だ。世界の視聴者が待っているからな」
颯太はミサとのプレイ動画をネットにあげていた。軍曹と二等兵という設定が受けて、颯太とミサのばかばかしいやりとりは、そこそこの再生回数を稼いでいるらしい。颯太がソフトを入れ替えている間、軍服から藤蔓高校の制服に着替えたミサは、ぷかぷかと部室を漂っていた。
「ハルさん。AWAちゃんの調整はどうですか」
「もう少しで終わるよ」
AWAちゃんとはロボットの名前だ。阿波踊りを踊るロボット。名付けてAWAちゃん。
「もうすぐミサの出番ですよ」
「オッケーだよ、お姉ちゃん」
ふたりはふふ、と笑いあった。
「しかし、似てるな、あのふたり」
「そうね」
ミサは目覚めた瞬間から、美作にそっくりになった。改めてふたりが並んでいるところを見ると、まるで双子のようですらある。
「モデルは私なのに。なんで私に似ないかな」
湖夏は首をひねる。
「湖夏にも似てると思うけど」
と直島は言う。
「どこが?」
「笑った時が特に湖夏っぽい」
「ほんと?」
直島と俺は同時に、こくりと頷く。
「なんであんたらまで動き似せてんのよ」
俺と直島は顔を見合わせた後、ふたり揃って無言で肩をすくめた。最近直島のモノマネが上手くなってきている。
「ハル、ずいぶん余裕じゃない。AWAちゃんの調整は大丈夫なの?」
「ああ。今、直島に最終チェックをしてもらっているところだ」
俺はAWAちゃんのセットアップを担当することになった。ミサが操作しやすいよう、ロボットの初期設定をする仕事である。直島には間違いがないか、確認作業をお願いしていた。
直島がキーボードを叩くと、AWAちゃんは目を赤や緑に点滅させたり、手をぐるぐる回したり、腰から上をぐるぐる回したりした。
「問題なさそうか?」
「概ね。けれどひとつだけ、未チェックのコマンドがある」
「え。マジか」
念のため、直島にチェックをお願いしておいてよかった。
「どれだ?」
「これ」
直島がコマンドを走らせると、AWAちゃんは右腕をまっすぐに構え、バネの力で肘から先を飛ばした。
「こんなのできたの」
「隠しコマンド」
昭和のロボットかよ。
「ていうか、いるのか、これ」
「使わないかもしれない。でも、できるからにはきちんと設定をしておく必要がある。それがセットアップという作業」
「そういうものか」
「そういうもの」
そんな最終チェックも終わり、いよいよミサによる、AWAちゃんの起動実験に移ることになった。颯太もゲームの手を止め、ミサの初めての挑戦を見守っていた。
「いい。まずは歩くことだけを考えて」と直島。
「わかりました」
「では第1回目の起動実験を行います」
「お願いします」俺たちは声を揃えた。
ミサは幾分、緊張の面持ちであった。直島は高らかに発進指示を出した。
「Armored Walking Architecture、A.W.A.、発進!」
「いや、阿波踊りのAWAだろ。しかもなんだアーキテクチャーって」適当すぎる。
「むむむ……!」
ミサは目を瞑り、眉間にしわを寄せて唸った。すると床に寝転んでいたAWAちゃんがゆっくりと起き上がった。
「おお……!」
部員たちから歓声があがった。みんないちいち大げさだ。
「前進」
直島が指示を出す。
だがAWAちゃんは微動だにせず、立ち尽くしたままである。我々はその第一歩が踏み出されるのを、固唾を飲んで見守った。
「タイム!」
ミサが叫んだ。
「どうした」
俺たちはAWAちゃんの周りを囲んだ。
「重い。足が重くて動かない。これが重力ってやつ?」
どうやらミサはAWAちゃんという仮の肉体を通じて、初めて重力というものを体験したらしい。
「その通りだミサ隊員。我々人間は重力という枷を引きずる、生まれながらの罪人だ」と颯太は頷いた。
「いちいち大げさなんだよ」
歩く、という一見単純なミッションは、困難を極めた。俺は直島とAWAちゃんとミサを連結するプログラムの調整を続けた。だがいつまでたってもミサは歩けるようにならなかった。その失敗の原因は特定できず、三日が経ってもミサはまだ足をあげることすらできなかった。
「では第五〇〇回目の起動実験を行います」
「お願いします……」
そう言う俺たちの声からは、覇気が失われていた。
「いきます……!」
モニターの中のミサは、ぴしゃりと頰を叩いた。
「あああああ……!」
ミサが気合を入れた。もはや格闘技のようである。
しばらく経っても何の変化もなく、今回もダメかと諦めかけた。
しかしその時。
AWAちゃんの右足がゆっくりと持ち上がった。
「右足が……」
直島が瞠目する。
「上がった!」
一同、思わず椅子から立ち上がる。持ち上げられたその右足が地面に無事着地すれば、初の一歩成功である。
「いけ、ミサッ!」
「がんばれ!」
俺たちは必死に応援した。
「あああああ!」
ミサはさらに気合を入れる。
「あッ」
美作が小さな悲鳴をあげた。
AWAちゃんが姿勢を崩したのだ。身体がぐらりと揺れた後は、あっという間だった。AWAちゃんは盛大な音を立てて転倒した。
「マジかよ……」
部員たちは揃ってため息をついた。
だが、当のミサは呑気なものだった。
「あっはっは。歩くって難しいね!」
などと笑っている。
「お兄ちゃん」
「なに」
お兄ちゃんとは俺のことだ。ちなみに颯太は兄様。美作、湖夏、直島はお姉ちゃん、こなっち、NAGIちゃんである。呼び方にはビッチミサの名残がある。
「人間って、どうやって歩くの?」
「どうやって?」
「うん。説明して」
「説明って……」
歩くという当たり前にやっていることを言葉で説明するのは、とても難しかった。少し考えて、こう答えた。
「左足に体重を残し、右足を出す……いや、ヘソのあたりの重心を意識しつつ、右足と左足でバランスを取りながら交互に踏み出す……あるいは、単純に右足の次に左足を出す、左足の次に右足を出す……とか?」
「なんだそれは」と颯太が呆れたように言った。
「全然わかりません」と美作。
「うるさいな。じゃあ美作、説明してみろよ」
「できません」
美作はきっぱりと言い切った。
「できないのかよ。全然分からんとかよく言えたな」
「私が無理でも、こなっちならきっとできます」
「え、私?」
「こなっち、よろしくお願いします」
美作は湖夏に丸投げをした。もはやここまでくると清々しさすら感じる。
「そうねえ」湖夏は少し考えて、こう答えた。
「重心を傾けると、自然と足が出る。それが歩くことの基本だ、って教わったことがあるわ」
「なるほど!」
「分かりやすいな」
感心する美作と俺を尻目に、颯太は鼻で笑う。
「教わったとは誰にだ。またエア彼氏か?」
「う、うるさい!」
「その説明通りなら水の上でも歩けそうだ」
「右足が沈む前に左足を出す」と俺。
「左足が沈む前に右足を出す」と美作。
「たしかに」
美作と俺は颯太にも感心した。
当然、湖夏はムッとする。
「ったく分かってないわね。ごちゃごちゃ言う前に、まずあんたら、やってみなさいよ」
「いいだろう」
「まず、姿勢を良くして」
俺と颯太と美作は、横一列に並び、背筋をぴんと伸ばした。
「その後、ゆっくりと重心を傾ける」
臍のあたりを意識しながら、そろそろと体を前に傾けた。
すると、俺も颯太も美作も、自然と右足が前に出た。
「おお!」
「確かに出ました!」
「む……!」
颯太も驚いた顔をしている。
「でしょ?」
湖夏は得意そうな顔をする。
「歩くとは、重心を移動させるということなんですね!」
「そういうこと。どう?」
「認めてやらんでもない」
などと、颯太は悔しさをにじませた。
「素直じゃない奴」
「だがミサがこれで歩けるようになるとは限らん」
「またそんなこと言って」
「じゃあ試してもらいましょう。ミサ」
「りょーかい」
ミサは湖夏の教えに従い、重心をゆっくりと前に傾けた。
「いけるか?」
期待に反して結果は散々だった。片足を地面から放すと、足を上げた途端にバランスを崩し、ころりと床に転がってしまった。その結果は、先ほどよりも悪くなっているようにも見えた。
「ほらみたことか」と颯太はしたり顔をする。
湖夏はムッとして言った。
「何事もすぐうまくいくわけないでしょ。自転車だって鉄棒だって、練習して初めてできるようになるもんでしょうが」
「つまり練習あるのみ。気合いと根性だね!」
「その通り。よく分かってるじゃない、ミサ」
ミサは人工知能らしからぬ根性論を持ち出して、その後も愚直に重心を傾ける動作を繰り返した。ゼロ・グラビティに似たその動きは、歩く練習には見えなかったけれど、本人は至って真面目である。
「では第二〇〇〇回目の起動実験を行います」
直島は淡々と言った。
「お願いします」
ミサはゆっくりと体の重心を傾け、右足を上げた。AWAちゃんの頭がぐらりと揺れる。AWAちゃんが倒れる盛大な音が部室に響いた。部員たちから、ため息が漏れた。
「ドンマイ、ドンマイ!」
ミサは明るく言うと、素早く立ち上がった。
「なかなかうまくいかないなぁ……」
「ですねぇ……」
ぼやく俺たちを尻目に、直島はPCで修正用のプログラムを書き続けていた。モニターを覗き込むと、プログラムがずらりと並ぶテキスト画面の上部に、0.7943(979,997,443,119)という数字が表示されていた。括弧内の数字が、刻々と加算されていく。
「何、その数字?」
「試行回数」と、直島は答えた。
「ミサはロボットを動かしながら、同時に実験空間内でシミュレーションを行っている。その試行回数はまもなく一兆になろうとしている」
「一兆!?」
美作がすっとんきょうな声をあげた。
「実験空間って、パソコンの中で歩く訓練をしてるってことか」
「そう。そして実験空間内では八割程度歩くことに成功している」
「じゃあなんでミサは歩けるようにならないんだ?」
「現実とシミュレーションでは、細かいところが違うから」
歩行制御プログラムというのはAWAちゃんが歩くために使っている人工知能だ。その人工知能を動かすためには、環境によって変化する数万の値を入力し続けなければならないのである。
「歩行制御プログラムに与える正しい数値がわかれば、ミサは歩けるようになる。けれど、ミサは未だその値を見つけることができないでいる」
「つまりこの訓練は、その数値を探すためにやっている」
「そういうこと」
「私たちに何かお手伝いできることはないんでしょうか」と美作が心配そうに言った。
「あるのかもしれない。でもその方法は私には分からない。だから、ミサには練習に取り組んでもらうしかない。失敗を繰り返すことでその数値の正しい組み合わせが見えてくるから。ミサの言う気合いと根性はあながち間違いじゃない」
それは、スマートな印象からかけ離れた、泥臭い作業だった。
「難しいなぁ」なんてぼやきながら、ミサは失敗にもめげず、ひたむきに練習を続けた。だが、一向に上達しなかった。それでもミサはまた立ち上がり、再び右足をあげるのだった。
ミサは我慢強かった。
俺はその姿を、見守ることしかできなかった。
なぜだろうか。
その姿を見ていたら、なんだか苛立ってきた。
「……ちょっと休憩。購買行ってくるわ」
気分を変えるため、席を立つことにした。
「じゃあ私も」
湖夏も後をついてきた。
「ついてくんなよ」
「別にいいでしょ。みんな、何かいる?」などと湖夏は周りに声をかけた。
湖夏を無視して、学食隣の自動販売機コーナーへと向かった。後ろから湖夏がぱたぱたとかけてきた。
「どうしたのよ、ハル」
「別に」
「別にって。なんかイライラしてるでしょ。はっきり言いなさいよ」
細かいことによく気がつく。こういう時に幼なじみってやつは厄介だ。
「嫌なんだよ。自分が何にもできないのが」
俺は仕方なく、答えた。
「それはしょうがないでしょう。あんたはまだ始めたばっかりなんだから」と湖夏は言う。
「わかってる」
「今はとにかく高校生キャラコンに出るのが大事。違う?」
「違わない」
「分かってるなら、なんでそんな顔するのよ」
「……」
きっと今の自分は愛想のない顔をしてるんだろうな、と思った。
「全力を尽くしてるつもりなんだ。でも何も結果に結びついていない。ミサを見てると、俺はもっとやらなきゃって思わされる。俺はどこか手を抜いてるからこうなってるんだって、そう思えてしかたがないんだよ」
ミサはめげることなく、何度も何度も、立ち上がった。その姿を見ながら思った。
俺はここまでひたむきになれない。
演算能力だけではなく、愚直に努力するということでさえ、俺は人工知能に負けている。
「まったく……変なところで真面目なんだから」
湖夏は呆れたように言った。
「私が思うに、ミサのアレは努力なんてものじゃない。そう私たちが仕組んだから、そうしているだけだと思うんだけど」
「仕組んだ?」
「そう。ミサは『飽きる』ってことを知らないんだよ」
と湖夏は言った。
「人間だったらあれだけ失敗続きだったら絶対にめげてると思う。でもミサはそうじゃない。なんでそうならないかっていうと、ミサは命令に従って同じことを繰り返しているだけだから。ミサは無駄だとか飽きちゃうとか、そういう感情を差し挟むことはないんだと思う」
ミサは計算機だ。計算機は命令に従って行動する。そこに感情を挟む余地はない。
「ハルがそれを見て、真似できないって思うのは分かるけど、やっぱり人間は人間。人工知能には人工知能の感じ方ってものがあるんだよ」
たぶん、湖夏の言うことは正しい。
でも、ミサを見ているとこう思うのだ。
「人工知能だとか人間だとか関係ない。それでも負けたくないんだ」
ミサの頑張る姿を見たからこそ、自分自身の行いを反省し、より一層頑張ろうと思わされたことは、揺るぎない事実なのである。
「知らなかった。あんた意外と負けず嫌いだったのね」
湖夏は茶化すように言った。
「知らん」と素っ気なく答える。
湖夏はふっ、と笑みをこぼした。
自分のペースでやればいいなんて、昔は思っていた。
けれど、そんな風には思えなくなっている。
みんなに負けていられない、自分にしかできないことを見つけなければならないと、そう焦っていた。
その時である。
視界の端を、何かが通り過ぎた。
「ん?」
「何、今の」
「お兄ちゃん、こなっち!」
見ると、足元で膝下くらいの大きさのロボットが、こちらを見上げていた。AWAちゃんである。
「えっ! あんた、今走ってたよね!?」
「うん。兄様とロボットアニメの一話を観たらできるようになりました」
AWAちゃんの口から、ミサの声がした。AWAちゃんの口の中には、スピーカーが仕込まれているのだ。
「歩くところすっ飛ばしてるけど」
「いやーブレイク・スルーって何がきっかけで起きるか分からないものだねぇ」
などと、ミサは呑気に答える。
「これってブレイク・スルーの一言で片付けられるようなもの?」
原始人が石器時代をぶっ飛ばして、いきなり携帯電話を駆使し始めたような跳躍ぶりである。
「あの地道な努力は何だったんだ」
「お兄ちゃん、今までのことは無駄じゃないよ。地道な積み重ねの上で起きたブレイク・スルーなんだよ」などと、ミサは一端の口をきく。
廊下を歩いていた生徒たちがざわついている。突如出現した弾丸のような速さで走り、人間と会話するロボットに驚いたのだろう。
「なんだか注目されてるわね……」
部室の外をAWAちゃんひとりで歩かせるのは、目立ちすぎる。
あれ? 無線LANの届かない部室の外には出られないって、直島が言ってなかったっけ。
「お前、どうやって部室から出てきたんだ?」
「お兄ちゃん、こう見えてAWAちゃんはスマートフォンと同じ。通信回線を利用できる端末なんだよ。インターネット回線を使って、部室のパソコンと繋がってるの」
「お前ケータイなのか!」
見た目は完全にロボットなのに。
「そう。だから携帯が繋がるところならどこでも自由に行き放題ってこと。というわけだから。私はちょっとその辺りをひとっ走りしてきます!」
再び走り出したミサは、はしゃいだ子供みたいだった。ただしその速度はオリンピック選手並であったけれど。AWAちゃんに足元をくぐられた生徒たちが悲鳴をあげている。
「ミサ。前みろ前!」と俺は声をかけた。
「あと、転ばないように気をつけて!」と湖夏も叫ぶ。
「大丈夫!」
AWAちゃんの姿はあっという間に見えなくなった。
「さっきまで歩けなかったのに……」
「成長早すぎ……」
取り残された俺たちは、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「ハルさん、こなっち!」
美作が慌てた様子で走ってきた。
「ミサ、見ませんでした?」
「あっちに行った」
「ありがとうございます!」
美作は走ってミサを追いかけ始めた。
「ミサ! 廊下は走っちゃダメですよ!」
「美作、お前もな」
美作の背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「湖夏」
「なに」
「俺が間違ってたわ」
ミサには絶対勝てそうにない。
人間は人間。人工知能は人工知能。その事実をまざまざと突きつけられた気分だった。
(つづく)
著者:穂高正弘(ほだかまさひろ)
キャラクターデザイン:はねこと