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メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第1回】
父さんと母さんの記憶?
そうだな……
二人ともいつもとても忙しかったからね、
あんまり一緒にいなかったから、
どこかへ家族旅行に行ったとか
誰かの誕生会とか
クリスマスパーティーだとか、
そういったイベントの思い出は
ないかな。
それでも寂しくはなかったよ。
だって、
いつも両手で抱えきれないくらいの
笑顔をくれたから……
だからさ、ずっと思ってたんだ。
しっかり勉強して、いい大学に入って、
いいところに就職して、
絶対に父さんと母さんを喜ばせようって、
きっときっと、幸せにしようって。
* * *
超々バシレイオ・フラーレンの合成手法確立がブレイクスルーだった。全高490フィートと言えば、浦安にある某有名テーマパークのシンボルとも言えるお伽ばなしの城の塔の高さのおよそ3倍に匹敵する。それだけ巨大な二脚歩行構造物が機動兵器として活動するためには、強度と同時にその構造材の軽さが重要だった。剛性はダイヤモンドを遙かにしのぐとされるカルビンすらも凌駕し、抗張力はパラ系アラミド繊維の数十倍、それでいて比重はプラスチック以下というその革新的素材の発見は、巨大構造物を縦横無尽に駆動させると同時に、超高出力指向性エネルギー兵器やエリアA2AD絶対対抗策などにも大電力を供給する反水素対消滅反応動力炉の開発、そして、光量子ビットプロセッサをベースに稼働するアニーリング学習型親近感覚AIインターフェイスの実用化と共に、露島夫妻を『弩級ロボット工学』という新たな分野における世界的権威の地位に押し上げた。
しかし、夫妻にゴードン賞、ラス賞、ドレイバー賞を筆頭とした数え切れないほどの栄誉をもたらす多大なる成果を生み出させた動機は、地位や名誉や財産に対する欲求でも、ましてや世界人類に貢献したいとの思いでもなかった。
「世界の邪悪なすべてから、愛する息子を護ってくれますように……」
母は願い、父は彼が籠もるにふさわしい砦であれとの想いを込め、その弩級ロボットに『バシレイオン』と名付けた。
講演のためスタンフォード大へ向かう早朝に、それは完成した。徹夜続きだったすべての所員にねぎらいとバカンス休暇の指示を出すと、まだねぼけ眼をこすっている首都の街並み、碧灰(へきはい)色の高層ビルの森を東京港ごしに望む、ベイエリアの研究所から車を飛ばし、二人はギリギリで搭乗予定のフライトに間に合った。CAがドアを閉じアームドにセットすると同時にシートベルト着用を再確認するチャイムが鳴る。双発のターボファンが唸りをあげ、太平洋を飛び越えるため燃料をたらふく飲み込んだ機体は、供用されたばかりの新帝都国際空港C滑走路を目一杯使って羽ばたき飛び立った。
行く手一面めいっぱいを藍色で塗りつぶした空には、夏の到来を告げる積乱雲が、まるでマシュマロで出来た綿菓子のごとく真白くもっちりと浮かんでいた。
息子は見送りには来なかった。
二人はもちろん、満足だった。
* * *
「いい? 絶対に押さないでよそのボタン。絶っ対だからね」
甘い焼き菓子を思わせる様なその声は、ひと言つけ加えるのを忘れなかった。
「フリじゃないんだからね」
前に食べたことがある、なんて名前の焼き菓子だったか。真世は喉元まで出かかっている疑問の答えと格闘しつつ聞いた。
「……だったらなんで……こんな部屋のド真ん中に?」
「だから何度も言ってるんだけど」
蔑みもあらわな声だ。
「男のくせにぼそぼそ喋んないでよ、聞こえないし」
「……そんなの性別とか関係ないよ……しょうがないだろ……ずっと大声出す必要なんかなかったんだから……」
「き・こ・え・な・い・ん・で・す・け・ど」
久しく投げつけられることのなかった屈辱に、真世は思わず大きく息を吸い込むと、ムッと吐き出した。
「だったら、こんな部屋のど真ん中にそんなもん取り付けなきゃいいだろ!」
「出せるんじゃん、おっきな声」
冷ややかに告げる。
「……」
言われてみれば声を張り上げるなんてどのくらいぶりだろう、記憶を辿りながら真世は先の質問を再度問うた。押しちゃ駄目ならどうしてこんな部屋の真ん中にそんなボタンを取り付けたのか。
「知らないけど」
「なんでこんなに目を引く色にしたわけ?」
「知らないって」
まぁそうかも知れないなと、真世は問いを飲み込んだ。何故ならそのボタンをそこに備え付けたのも、その色を鮮やか過ぎてかえって毒々しいとも思える赤に決めたのも、声の主である彼女(?)ではない。真世の両親なのだから。
「っていうか」真世は問いを新たにした「押すと何が起こるの?」
「ボタンの事はもういいじゃん、それよりこっちこそ聞かせて欲しいんだけど」
問いを問いでかわしたちょっぴり舌足らずな声は、不機嫌を隠さない。
「なんであたしが、四半世紀に手が届くほども『ひきこもり』やってる奴のお守りなんてやんなきゃなんないの?」
「四半世紀って……」
「23年っていったらほぼそうじゃない」
「23はボクの歳。それに何度も言ってるだろ、ボクはひきこもってるんじゃなくて、ただこの8畳半の部屋を、自分の世界のすべてにするって決めただけだし」
「あんたの世界のすべての外では、それを『ひきこもり』って言うんだけど。そんなことも知らないの? だからひきこもりは……」
「『だから』はこっちのセリフ。ボクみたいなのをひきこもりなんていったら、本物のひきこもりの人達に失礼だよ」
「でも、やっぱあれなんでしょ?」軽く鼻にかかる声が決めつける「母親に向かってクソババァとか言うんでしょ?」
「言わないよ」
「おなか減ったら床ドンとかしてそのクソババァを呼ぶんでしょ?」
「だからクソババァなんて言わないし、って言うか床ドンなんてしない、って言うよりわざわざ呼ぶ必要ないから」
「なんで?」
「エステラが時間になったら持ってきてくれるから。食事の用意以外もなんでもやってくれるし、だからひきこもりっていうんじゃなくて、単に部屋から出る必要が――」
「……何テラ?」
「エステラ」
「……カステラ?」
「エステラ」
「エステラ……」
「うん」
「クソババァ?」
「エステラは母親じゃないし」
「じゃ、何ババァ?」
「ババァじゃないよ、ボクと同じくらいの歳じゃなかったかな」
「……何者?」
「家政婦だけど」
「……」
沈黙が言葉以上に驚きを伝えた。
「いまは休暇で故郷のスペインに帰ってるけど」
言い付け足した真世の耳に、チッと鋭い舌打ちが刺さる。
「ガッカリなんですけど。せめて野生のひきこもりならお守りのし甲斐もあったのに」
「野生って……」
「温室の中でひきこもってるなんて」
「だからひきこもりじゃないって」
「23年ものの養殖かよ」
「養殖……」
とにかく真世は、あきらかに誤っている部分から訂正していくことにした。
「何度も言うけど23は歳。ボクがこの8畳半の部屋の世界の住人になったのは中1の夏休みの後からだから、まだ10年くらいだよ」
「知ってた? ハマチは稚魚から2年で一人前になって出荷されんのよ。泡盛だって3年経てば立派な古酒になるし、安いワインだったらもうビネガーになってるって、10年もあれば」
「お酢と一緒にすんなよ」
「だいたい23にもなって『ボク』ってなに?」
「そんなのボク以外でもいくらでもいるよ」
「せめて『僕』って言いなさいよ」
「どう違うんだよ」
「違うし、『柿』と『牡蠣』くらい違うって」
そんなの勝手だろうと言い返しかけたところで真世は「あ、」と思い出した。
「ポルボロン!」
「…………はぁ? 『バシレイオン』だって言ったじゃん、あたしの名前なら。ちゃんと憶えときなさいよ露島、あんたの親がつけたんだから」
露島というのは真世の名字だ。
「じゃなくて、ごめん、ちょっと別に思い出したことがあって」
ポルボロンというのは、ずっと引っかかっていた焼き菓子の名前だ。家政婦のエステラがいつだったか故郷のお土産に買ってきてくれたことがあった。口に放り込むと、舌の上でふんわりと甘さがほどけて広がる。そう、バシレイオンAIの声色は(声色だけは)どこかそれに似ている。
喉につかえていた小骨がようやく取れたというか、授業が終わるまで冷や汗かきつつ押さえ込んでいた膀胱を、トイレで一気に解放させた瞬間の恍惚というか、見れば真世の顔には満足げな薄笑みが浮かんでいた。
「……きも」
容赦ない。
「って言うか、バシレイオンこそ巨大ロボットのくせに……」
「弩級ロボット」
「……。弩級ロボットのくせに『あたし』ってなんだよ」
「じゃあ、露島が考える弩級ロボットの一人称って何?」
暫しの間。
「『ロボが考えるに〜』…………みたいな?」
「だからあたしに聞かないでよ」
それにしても、口調はともかく妙に耳に心地のよいこの声はいったいどこから聞こえるのだろうか、真世は今更ながら部屋の中を見回した。ベッドの上には皺だらけのシーツとまるめ置かれたタオルケット。簡素なキッチンスペースには冷蔵庫にマルチレンジにeケトル。先月発売されたばかりの卓上ゲーム機が競合他社のそれと共に床に仲良く並び置かれ、傍らにはコントローラーとVRヘッドセットが転がる。机上はディスプレイとキーボードとトラックパッドが占領し、PC本体は机の下に押し込まれ、微かに鈍く冷却ファンが唸りをあげていて……。住み慣れた8畳半のその世界は一見、以前と変わりないように思えた。部屋の真ん中に大きくて真っ赤なボタンが現れた事と、その部屋が、バシレイオンと名乗るその弩級ロボットのコクピットとなった事をのぞけば。
* * *
「しくじった……」
静香は3トン冷蔵車の運転席で、ハンドルにコツンと額を当ててうつむくと、思わず小さく声に出して後悔した。いくら急いでいたからと言って、週末の夜便でこの道を通れば検問に引っかかるだろう事なんて、判りきっていたというのに。
「この運転免許証……本物?」
コンビニエンスストアのルート配送、この仕事を始めて以来、何度同じ質問を受け、そして、何度同じ面倒な説明を繰り返してきた事だろう。いや、それはもっと以前から、そう、高校の学費を稼ぐため(そして両親を養うために)働き始めてから今日まで。
「君、何年生? っていうか……まあこう見えてお巡りさんも若い頃はやんちゃでさ、まわりにも無免とか飲酒とか大概の事やった奴いたけど……」
一瞬の困惑。
「さすがに小学生で3トン車乗り回すってのは……」
「23です」
「え? いや、この大きさで23トンは……」
「いえ、わたしです、23歳です」
「……」
驚きと戸惑いと疑念とが入り混じった巡査の視線が、懐中電灯の明かりと共に、免許証に記載されている生年月日と開け放たれたサイドウィンドウ越しに見える彼女の幼い顔との間をくりかえし行き交う。
「本当です、よく間違えられますけど」
言い捨てる静香の声には、もう諦めしか込められていなかった。
はじめの頃こそ愛想笑いでやり過ごそうともしたこともあったが、無益なことだと痛感した今ではもはや表情を反応させる事もやめてしまった。無駄なエネルギーを使っている場合じゃない。これからまだ5件も店舗を回らなければならないのだ、ただでさえこの小さな身体のスペックには余裕などないのだから。
「でもキミ……あ、失礼、あなた、どう見ても……だって……自分の妹が来年高校受験だけど、いえ、ですが……その……」
20代前半といったところだろうか。年齢だけで言えば静香とそれほど違わないであろうその巡査は、懐中電灯を持つ方の袖で額の汗をひとつ押さえると、灯の矛先を第二次性徴を目前に止まってしまった彼女の身体に向け、しげしげと照らした。
「高校前のあいつ……いえ、自分の妹の方がずっと大人というか、立派というか……」
静香はひとつ息を吸うと、ため息にして吐き出した。
「本物です免許証。照会とかそういうの、してもらって構いません……っていうか早くやってもらえませんか。急いでるんです、すごく、仕事、遅れてるんです」
バックヤードが狭かったり最悪無かったりして在庫を多く抱えることのできないコンビニエンスストアは、弁当やおにぎりや総菜などを配送センターから定期的に届けるルート配達便の到着時間にとにかくうるさい。特に次に向かう予定の店舗の店長は、いわゆる……最悪なのだ。
遅れたのは決して静香のせいではなかった。
送り届けられる荷は、隣県にある配送センターにてトラックに積み込まれる。 商品を隙間無く詰め入れた番重(ばんじゅう)と呼ばれる業務用トレー、その最後の一つを荷積みしようとしていたまさにその時、いつもの如くペタペタと床をたたく足音が近づいてきた。
誰だかは見ないでもわかった。積み卸し場では厳禁とされているサンダルを履いてやってくる人物など一人しかいない。
「本当に感心だねぇ、そんなにちっちゃな身体で」
静香の背後で立ち止まったセンター長は、頭の脂を整髪料代わりに薄くなった髪をひとつ撫でつけると膝をかがめ、二人羽織の要領で彼女の背後から手をまわした。重い番重を両手に持つ彼女は振り返ることが出来ない、例によって。
「手伝ってあげようね」
静香のうなじに湿りけある声を吹きかけつつ、その手が番重ではなく、静香の胸をまさぐる。
「ごめんごめん、おじさん、手がすべっちゃった」
静香の眉間に、汚れを知らない清純な造形の顔には不釣り合いな皺が寄る。
「いい加減やめていただけませんか」
「そうじゃないだろう、もっと困った声で『いや〜ん、センター長さんのエッチ〜』だろう、静香くん」
自分でもあるんだかないんだかわからない乳だといっても、毎度毎度ここまであからさまに揉みしだかれて「いや〜んエッチ」で済むか。堪忍袋の尾が切れた音が聞こえた気がした。静香は罵りを握こぶし大の痰にして吐きかけんばかりの勢いで強く振り返り、拍子で持っていた番重を、先に積み重ねてあった商品に引っかけてしまった。弁当やおにぎりが荷台の床に派手に散らばる。
頭の中がカッと熱くなった。今月の目玉新商品であるネギトロ納豆手巻きを睨み、踏みつけ、躙(にじ)ろうとして……静香はハッと我に返った。
この仕事を失うわけにはいかない。この容姿で雇い入れられる職場などそうそうありはしないのだ。
気づけばセンター長の姿はなかった。バツ悪そうに逃げ去る姿が想像できる。これでしばらくはちょっかいも出してこないだろう。そんなことより――
とにかく駄目にしてしまった商品の代わりをできる限り急いで準備した。それでもセンターからの出発は予定時間を過ぎてしまった。
「詳しい話聞かせてもらえますか」
運転席のドアを開けるのを促す様子で、巡査は一歩後退った。
「ちょっと車から降りて下さい」
「だから急いでるんです!」
「降りて!」
巡査の口調が強ばる。
どうしてわかってくれない、私がいったい何をしたって言うんだ、それどころか私の方こそが、こっちこそが……静香は、やり場のない憤りをグシャと丸めて投げつけた。
「私10歳で身体の成長が止まってしまったんです!」
刹那きょとんと静香を見つめた巡査の眉が、次の瞬間「馬鹿にしているのか」と言わんばかりにつり上がった。その手が応援を呼ぼうと制服の胸にある携帯無線のマイクを掴む。こうなったらもう簡単には解放されないだろう。
万事休す、か……静香は観念し、力なくうなだれかけた、その時、
「ああいいのいいの、その子は」
ハッと声の方を見た静香は大きく安堵した。近づいて来るのは顔馴染みの女性巡査部長だった。
「ごめんね、彼、母屋――本庁からの応援。この辺りのこと何にも知らなくて」
彼女は巡査の背中をひとつポンと叩くと、人なつこい笑顔を静香に向け、
「ほら、アレがあそこに現れてから、このへん、やたら検問増えたでしょ? 所轄だけじゃまったく人手足りなくて」
その手が遠くに見えているアレを指差す。
「ですが!」
巡査は納得出来ない表情で二人の会話に割り込んだ。
「両親に成長を止められてしまったなんて、そんな話、信用するわけには」
「ここらへんじゃ有名な子」
「有名?」
静香は、心に飲み込んでいる鉛を思い出した。
「あの研究所の娘さん」
「研究所……露島研究所!?」
巡査はハッとアレのいる方を見た。
「ううん、露島の方じゃなくて、ほら、前に話したでしょ、もう一つの……」
「あ、ああ、あっちの、幽霊の方の……」
巡査はようやくと腑に落ちた様子だった。その視線に打って変わって哀れみが浮かび上がる、それがあからさまに見て取れた。
静香はとにかく逃げ出し、忘れたかった。
「もういいですか、行っても?」
「ええ、面倒かけちゃったわね」
「いえ」
「あの……すみませんでした」
こめられた哀れみが神経を逆撫でする。しかし彼は微塵も悪くない。そして静香はいつしか運命を恨み続けるのにも疲れてしまっていた。
生きねば。
少し冷たく当たりすぎたかもしれない。彼女はせめてもと、とびっきりの笑みを作って向けた。無敵のあどけなさと完璧な美貌との合わせ技に巡査の顔がドキッとときめく。制帽のつばに街灯の明かりが遮られ、表情が影になっていてもそれがわかった。
幼く低い身長を補うために、硬いクッションを何枚も敷いたシートに腰を乗せると、静香は覗き込むようにフロントガラスの外を見た。行き交う歩行者からも対向車線のドライバーからも、運転席の静香の姿は見えないかも知れない。ひょっとしたら運転手の乗っていない幽霊トラックが出没する、なんて噂のひとつでもたっているのではないだろうか。そんな事を思いつつ彼女は、検問の敷かれていた路肩から本線へ戻るのを手助けしようとしている女性巡査部長の誘導に従い、ヘッドライトの流れが途切れるのを待った。
いきなり頭上を、二つのターボシャフトのタービン音が空気を叩きつけるように通り過ぎた。静香はフロントガラス越しに、夜空の中を影となって飛び行く陸上自衛隊の観測ヘリを見上げ、その二機編隊(エレメント)の衝突防止灯を目で追った。
向かう先にアレはあった。座位、いわゆる体育座りの姿勢で鎮座しているその巨体が、自衛隊と機動隊、双方が遠巻きに取り囲み設置した複数のサーチライト、そのキセノンの光の筋が交差している結び目に明るく浮かび上がっている。
露島研究所の広大な敷地は静香がいる検問所から徒歩で20分ほどの距離の、かつて首都の台所と謳われた帝都中央卸売市場が移転する筈だった埋め立て地にあった。いまではベイエリアとしては異例の戸建て分譲住宅地として再々開発され、建売一軒家が立ち並んでいる一帯のド真ん中に、飾り気どころか窓もない、無骨と無機質を材料に建てた様な巨大な施設が鎮座している。その建屋を突き破って突如弩級ロボットが姿を現したのは、ちょうど1週間前の朝の事だった。
以来、今日までその弩級ロボットは、身動きのひとつもないままそこに座り続けている。
地上には東部方面総監部が指揮する陸自部隊が、東京湾には横須賀より第一護衛隊群のDDH(ヘリコプター護衛艦)とDDG(ミサイル護衛艦)が、そして首都の守りは譲らないとばかりに警視庁警備部より第六並びに第九本部機動隊大隊総勢約700名も緊迫の陣を張った。先程静香の頭上を飛び過ぎたヘリが、交代を待つ編隊と合流した。規制空域の外側ではTV局や新聞社の報道ヘリが、警視庁航空隊のヘリに追い払われながらも蠅のように群がり纏わりつこうとしている。
ラジオのニュースによれば、座った姿勢でも全高は優に80mはあるという。もし立ち上がったとしたら、いったい――。
ピッと促す笛が聞こえ、静香はハッと我に返った。ヘッドライトの流れが途切れている。女性巡査部長が誘導棒を大きく振り、静香を本線へと誘った。
関係ない。私にとって大切なのは、とにかくできる限り急いで次の店舗に辿り着くこと、ただそれだけだ。静香は柔らかく笑む女性巡査部長といまだときめきの余韻を残している巡査に小さく会釈すると、我が道を見据え、ようやくと足先が届くアクセルを踏んだ。
著者:ジョージ クープマン
キャライラスト:中村嘉宏
メカイラスト:鈴木雅久