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2017.01.19

メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第2回】

ベイエリアの戸建て住宅地に突如出現した弩級ロボット「バシレイオン」。そのコクピットとなった8畳半の部屋で暮らす真世は小生意気なAIに手を焼いていた。一方、3トン冷蔵車を運転しコンビニへと急ぐ静香の行く手を警官が遮った! ⇒ 第1回へ

「まーた触ろうとしてたでしょ、そのボタン」

 蔑みを隠さないバシレイオンAIの声に、PCのディスプレイに食い入って目当てのニュースを検索していた真世は、「はぁ?」と目線を上げた。

「してないって。ネット見てたじゃん、今」
「さっき」
「……」

 やれやれの気持ちを大きなため息にする。
 ネットでは目新しい情報も見つからない。
 キーボードとトラックパッドに添えていた手を降ろし、いったん椅子の背にもたれた真世は、立ち上がると硬く丸まっていた背を逸らし伸ばしてから、壁に大きく開かれている窓の方を向いた。外の景色は見えない。8畳半の世界がバシレイオンのコクピットとなってから塞がってしまっていた。間接照明とPCディスプレイを照り返すだけの部屋はぼんやりと薄暗い。壁に掛かっているアナログ時計の針は8時を指しているが、はたして朝か夜か。
 記憶を遡る間にも、ついつい部屋の真ん中にある赤い大きなボタンに目が行く。
「ねぇ」真世は問う度にはぐらかされる質問を再びしてみた。

「だからさ、これ押すとどうなるの? 何が起こるの?」
「そんなに知りたい?」
「そりゃ」
「ふうん……そっか……」

 暫しの沈黙。

「……ほんと、エロいんだから」

 理解するまでに更に沈黙。

「……え? え!? あ! これって、何かそういう奴!? ごめん!」

 慌てて真世はボタンから目を逸らした。

「……冗談なんですけど」
「……」

 問うたびこんな具合だった。

「なに慌ててんのよ、って言うか、そういう奴ってどういうヤツ? ……ったく、これだからクソ童貞は」

 まったくはこっちのセリフだ! だいたい一回り以上は年下(に聞こえる)の女子(に聞こえる)に、どうしてこんなに小馬鹿にされなきゃならないんだよ! って言うより、なんでこんなふざけたインターフェイスを弩級ロボットに与えたんだ父さんと母さんは! 真世は胸の中で盛大な悪態をぶちまけながら、再びPCの前に座り直すと画面に戻った。

「ホント、信じらんないんだけど」

 バシレイオンAIの声を懸命に意識から追い払いつつ、幾度となく試してみたキーワードを再びキーボードに打ち込み、目当てのニュースを探す。『南米』『飛行機事故』。

「ひきこもりって、こんな時でも部屋から出ないんだ」
「だから」反射的に返してしまった。「ボクはひきこもってるんじゃなくて、この8畳半から出る必要がないだけで、用があれば――」
「自分の両親が死んだっていうのに」

 リターンキーを叩こうとしていた真世の手が止まった。

 

 真世が中学生時代、その8畳半を自分の世界のすべてと決め自室から出てこなくなった時、父と母は心の底より歓喜した。それ以前に、もともと自然科学の複数分野において数々の最高賞の受賞が有望視されていた露島夫妻が、真世の誕生をきっかけに突如、弩級ロボット工学の道へと転身したのも、何を隠そう、自分たちに不測の事態が降りかかった際、代わってあらゆる邪悪から愛する息子を守護する砦となる鎧を作るため、ただそれだけが理由だった。
 国内の老舗や新興大手企業はもとより、米国や欧州のそれ、加えて防衛省、ペンタゴン、航空宇宙局、果ては中央情報局や国家安全保障局等を相手に、夫妻は案出したあまたの特許技術を売却した。どれもがまさに革新的な技術であり、それらがなければ、例えば、たった50台の手作りパソコンから起業し世界でも指折りにまで成長したとあるデジタル情報機器関連企業や、ネットを駆使して流通の仕組みに一世風靡の革命を起こし、世界の小売り流通をほぼ独占することとなったグローバルインターネット通信販売企業、あるいは、サーフェスウェブ情報検索エンジンの運営からスタートし、遂にはIT業界屈指にまで成長した某インターネット関連多国籍企業なども、今日の座に君臨することは不可能だったかもしれない。故に、夫妻が得た資金は莫大なものであり、そして二人はそのすべてを、息子を守護する巨大な鎧砦の開発に、惜しみなく投入したのだった。
 夫妻がおよそ7年間の基盤技術確立フェーズを終え、砦鎧の建造フェーズに入ろうとした丁度その時期に、帝都中央卸売市場の移転中止が都議会で正式に議決された。愛する息子が入学したばかりの小学校を転校しなくて済むよう、都内に広大な建造施設建設地を物色し難儀していた二人は、即座に潤沢な資金をもってその移転予定地の取得を申請。想定される莫大な補償費用に頭を抱えていた都は、渡りに船とばかりに一も二も無く認可、夫妻に売却した。二人は自身が持つ特許技術のひとつで一帯の土壌汚染問題を一気に解決すると、砦鎧の建造母屋となる露島研究所を設立、同時に周囲に一戸建て分譲住宅地を誘致し、うち一軒を自宅として愛する息子を住まわせた。
 起立した際の砦鎧の設計全高は150mを想定した。ところが4年に1度開催される国際総合運動競技会が誘致された関係で、世界中から押し寄せるであろう膨大な集客をさばくことを前提に、帝都国際空港を発着する航空機の進路が変更され、そのあおりで砦鎧の設計全高が高度制限に引っかかってしまい、よってその巨体は座位の姿勢で建造されることとなった。
 夫妻は息子に会う間も惜しんで砦鎧の建造に没頭し、基盤技術開発開始から22年の歳月を経て、遂にその巨人は完成した。巨人は真世の父によって、古代ギリシャ語で宮殿を意味する『バシレイオン』と命名された。
 夫妻はそれぞれの体にバシレイオンのブート鍵となるバイタルチェッカーを埋め込んだ。バシレイオンが起動するための条件は、夫妻の双方共が息を引き取ること、それだけだった。そして――
 今から1週間前、失われた二つの命と引き替えに、彼女に鼓動が与えられた。

 

 真世は信じてなどいなかった。なにせ父と母とは、彼が8畳半の自室を自分の世界のすべてと決めて以来の歳月に近いあいだ、面と向かって会ってもいないのだ。ドア越しの会話こそあったが、それもひと月に一度交わせば多いくらいである。真世にとって両親は、姿など見えずとも存在しているのが当たり前だった。
 もちろん確かめようとしなかった訳ではない。しかし親類縁者の連絡先など知る筈もなかったし、研究所はバシレイオンが完成した時点で両親がすべての所員にバカンス休暇を出しており、所内には文字通り人っ子一人おらず、それどころか両親の安否を尋ねたメールに対する返信の一通すら(研究所の休所を知らせる自動返信メール以外には)戻ってこない状況だった(まさに両親が長を務める研究所らしいと、逆に真世はほっこりした)。

「だから何度も言うけど」

 バシレイオンAIの声がうんざりしている。

「南米から衛星を中継して届いた露島の父親と母親のエマージェンシー・リクエスト・スペクトルを受け取って、あたしが起動した事と、あんたのこの小汚い部屋があたしにビルド・オンしてコクピットになったってこの事実が証明なの」

 バシレイオンAIが言うには、その信号は、名だたる観光名所ひしめくブラジルでも雨期だけに現れる事で有名な、レンソイス・マラニャンセスの湖を目指していたであろう小型飛行機から発せられたらしかった。しかしネットをどれだけ検索しても『ドクター露島夫妻が飛行機事故で死亡した』とのニュースはヒットしなかった。
 もちろん、ポルトガル語も英語も達者でない真世の検索力に疑問はあるし、日付からいって、講演を終えたのちのプライベートタイムを誰にも邪魔されずに満喫するため、パイロットライセンスを持つ二人が偽名でプライベート航空機をレンタルした、という可能性も大いにあったが、

「でも……」

 真世には、きっと週末にでもなればひょっこり二人が現れて、部屋のドアの前にブラジル産コーヒー豆か、扱いに困る民芸品のマラカスでも土産に置いて、また研究所に戻っていくような、そんな気がしてならなかった。

「バシレイオンの受信機が壊れてたって可能性もあるよね?」
「はぁ?」

 バシレイオンAIはカチンときた。カチンと音を立てるようなリレーなどもちろん備わってはいなかったが。

「ちょ、なにそれ? ないけど、そんな可能性」
「絶対に0%じゃないだろ?」
「そんなの悪魔の証明じゃん、それ言ったら近所の児童公園の働きアリがフランス大統領に就任する可能性だって絶対ゼロだなんて言えないじゃない」
「そうだけど……」
「あたしが故障する確率なんて、露島が今から1時間以内に童貞捨てられる確率よりずっと低いし」
「低いんだか高いんだか……」
「あんたの両親が事故に遭う確率の方が、比べられないくらいおっきいの!」
「んな言い方……」
「死んだんだって! 露島とあたしの産みの親は!」

 プライドを傷つけられた憤りをぶつけるように一気に吐き出して、バシレイオンAIはようやくハッとなった。
 いまそこに、まるで口撃の豪雨に濡れそぼってしゅんと小さくなり震えている、子猫のような23歳の姿がある。

「やっ、ちゃっ、た……」

 彼女は光量子ビットプロセッサのなかで後悔に舌を打った。
 この性格は決して露島夫妻がプログラムしたものではない。独自に開発されたAIアルゴリズムのバグとプロセッサの構造の歪みから染み出る、修正し尽くされていない欠陥、いうなれば彼女という個体の純然たる欠点――『個性』と言えた。
 夫妻もこの性格の調整作業に最後まで苦心したが、結局最後には「まぁ、これはこれでおもしろいか」としておくことにした。要は匙を投げたわけだ。
 史上最強完全無欠を自負して誇るバシレイオンAIにとって、この『個性』は唯一にして最大のコンプレックスとなった。
 彼女の中で、カチリと何かの音がした、そんな気がした。音を立てるものなど、何もないはずなのに。

「ま、まぁ……」

 周囲警戒や環境維持に費やす何百倍もの処理パワーを割り当て、バシレイオンAIは懸命にそのコンプレックスを取り繕おうとした。

「確かに、あたしのレセプターに不具合があった可能性も、絶対ないって訳じゃないかも……」

 真世は濡れそぼったまま(本当に濡れているわけではないが)「でも……」と気持ちだけ顔をあげた。

「女王蟻がアメリカ大統領になる確率より低いんだよね……?」
「働き蟻がフランス大統領、っていうか、ひょっとしたらそれよりは、ちょっとは高いかも……」
「ボクが今から1時間以内に童貞卒業する確立よりは?」
「それよりはまあ低いけど」
「蟻、以下……」

 再びうなだれる。
 もはやプロセッサのコモンエリアにパワーを割り当てられる領域は残されていなかった。これ以上特殊で複雑な計算処理を要求するには、特異事案用のスペシャルな領域を解放してパワーを注入するしかない。そして、バシレイオンAIにとっては、いまこそが『より特殊で複雑な計算処理を要求する事態』だった。
 彼女はそのスペシャルな領域を、静かに開いた。

「…………触らせてあげよっか?」
「…………?」

 何を言っているのか、真世は咄嗟には理解できなかった。

「……そのボタン」
「……え?」

 思わず頓狂な声を上げてしまった事にも気づかず、真世は、いまだどこから聞こえているのかわからない彼女の声に一旦天井を見上げると、

「だって、ずっと、駄目だって……」

 その視線を部屋の中央のボタンにやった。暫し見つめると、

「……いいの? ホントに?」

 拒絶の声は返されない。

「……なにが起こるの?」

 暫しの沈黙があった。

「……あたしって、そういう機能も、ついてたり、して……」

 真世は、鼓動がいきなり打楽器のように胸の真ん中を打ち始めるのを感じた。

「……そういう機能って……?」

 再びの沈黙。
 それを答えと受けとった真世は、全身がカッと熱くなるのを覚えた。くすぐったいようなもどかしいような、不思議なあの感触が下半身の芯の根元から突き上がってくる。

「……いいの? ホントにいいの?」

 今度も拒否の言葉はない。
 心の中で唾をゴクリ飲むと、幾度もの逡巡の末、決意の様子で真世はできるかぎりそっと、優しく手を伸ばした。

「……押すよ、ボタン……ホントに、押すよ!」

 緊張に堅く震える指で、ボタンを撫でようとしたその時、

「駄目!」

 真世はビシャリとはたかれた様に、慌ててその手を跳ね上げ引っ込めた。

「ごめん……やっぱり……」
「……また、冗談かよ…………またからかったのかよ!」
「だって!」

 その声はいつもとは調子が違っていた。
 それは、願うように聞こえた。

「……『アレ』、持ってない……よね?」
「……『アレ』? ……って?」
「……言わせる気?」
「……」

 『弩級ロボット』『AIインターフェイス』『赤いボタン』そして『アレ』。目の前に並べられたそれらのキーワードをどう結びつければ『アレ』が『ソレ』に行き着いたのか正直真世にもわからなかった。それでも頭ではなく心が、湿った灼熱に突き上げられるような芯が、男の男たる部分がその答えを導き出してしまった。実物を見たことはなかったが、成人ものの漫画やAVでは何度もお目に掛かったことがある『0.01mmの男の身だしなみ』。真世も好奇心から何度か通販でポチろうとしたこともあったが(使用する用事は無かったが)、そのたびに勇気が無くてキャンセルを繰り返していた。「あの時ポチっておけば」といまさら後悔してもあとの祭り、後悔先に立たずして臍をかむ。かくなる上は――

「か、かっ、か、買ってくるよ!」
「え? 買えるの?」
「買えるよ!」
「でも、露島……ひきこもりだよね」
「だからひきこもってるんじゃなくて、出る必要がないから出ないだけだって! それにVRの世界じゃいつも冒険の旅に出てるし! アウトドア派だし!」

 淡く、甘く、苦く、切なく、抗いがたい妄想。いちど抱いてしまった以上吐き出さないと決して消え去ることのない悶々とした青臭い性(さが)。23歳にもなってなにを必死に、いや、大人も子供もそしてひきこもりも関係ない。しかも8畳半の自分の世界が彼女のコクピットとなってからもう1週間、真世は一人きりになれる時間を持てていなかったのだ。
 クローゼットを開けると畳み置かれている新しい部屋着に着替えた。家政婦のエステラが季節毎に買い揃えてくれる部屋着は、どれも近所への買い物程度なら十分通用するセンスだった。

「じゃ……待ってる……」

 よくよく聞けば可愛い声じゃないか。真世は目を閉じ余韻を噛みしめると、ベッドの上に転がっているVRゴーグルを睨みつけた。お前はもう必要ない。なぜなら近所のコンビニを目指して今、ボクの本当の冒険がはじまろうとしているのだから。
 真世は一歩一歩を踏みしめドアの前まで歩むと、内鍵を解錠してドアノブを掴み、ひとつ大きく深呼吸の後、もげんばかりの力でそれを回し、引いた、いざ!
 ドアは、開かなかった。

著者:ジョージ クープマン

キャライラスト:中村嘉宏

メカイラスト:鈴木雅久

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