特集
SPECIAL
- 小説
- バシレイオン
メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第14回】
前回のあらすじ
エステラの胸の感触を思い出しながら、この部屋に居続ける事こそがアイデンティティだと再認識した真世は、貫徹プレイでゲーム屈指の難関ステージを遂にクリアしてしまう。そんな状況に違和感をおぼえたバシレイオンAIはこの事態の謎を探ろうと、スタンドアローンの鉄則を破りネットの中にダイブしていった! ⇒ 第13回へ
夢・輝き・みらい庁の第二庁舎は、内閣府が置かれている永田町や、同庁のほとんどの部署が収まる霞ヶ関第八合同庁舎からほど遠い、自然が多分に残る帝都の西、『国民いきいき安心戦略特区』の名のもとに、現在は人の出入りが制限されている広大な森の、切り拓かれた一角にあった。一見地方の小さな役場を思わせる、年季の入った質実な建屋の地下深くに、その廊下はトンネルのように長く伸びている。
ひんやりとした湿り気の匂いがする中を、静香は、大和田の屈強そうな背中を見ながら進んでいた。
「あのマル特巨大脅威の暴挙に対して勇敢にもひとり立ちはだかり、ご自身の身を危険にさらしてでも帝都を護ろうとなさったあなたの姿に、強く胸を打たれましてね! きっと我々と志を同じくする方に違いないと!」
大和田の無遠慮に大きな声が、窓もドアもなく続く密閉された、細い通路を満たすようにこだまする。
「あ、ですからあれは、志とかそういう立派なアレじゃなくて――」
「ご謙遜を!」
「いえ、本当に――」
「ええ本当に偶然ですな!」大和田はマイペースを貫き続ける、「お嬢さんが、あのお二人の娘さんだったとは!」
聞けば大和田はかつて、静香の両親と懇意な間柄だったのだという。
初耳だった。今では人の目をさけて隠遁し、趣味の研究にだけ打ち込んでいる二人が、みらい庁の人間と関係があったなどとは。
「あの……父と母とは、どういった……?」
「はい! ご両親とご一緒させて頂いていたのは、まだ静香さんが物心つく前、その頃はお二人とも『藤原』さんというお名前でした!」
ハッとした。そういえば静香はいつだったか両親から、自分たちの元々の姓が『平』ではないと聞いたことがあった。なにやら複雑な手続きを経てそれを変えたのだという。しかし理由を問うと二人はいつも口ごもり、それでも以前は事ある毎にそれを尋ねてはいたが、日々の生活に追われているうちに、いつしか両親が名字を変えた事すらすっかりと忘れていた。
「静香さんのお父様とお母様は、もともとは私が指揮をとる部署で、主任研究員としてとある研究に従事して下さっていたんです!」
とある研究?
「まだあなたが随分と幼い頃、某隣国が、核武装を前提とした巨大ロボット兵器の開発を始めようとした事があったのをご存知ですか!」
「あ、はい、うっすら……聞いたこと、あります」
「当時その隣国は、我々の常識や社会通念がまったく通用しない独裁国家で、もし開発が成功すれば、彼らはその巨大ロボット兵器を、自国に対する侵奪をとどまらせる為の抑止力としてではなく、指導者の専横を非難する国際社会に対し得手勝手を押し通すための恫喝の攻撃力として、何ら躊躇なく使用する恐れがありました!」
大和田は、静香に背を向けたまま、ずんずんと進んでいく。
「もちろん我々も、ただ指をくわえて見ていたわけではありません! 実はその頃、防衛装備高等研究開発庁の音頭のもとに、我が国でも巨大ロボット兵器開発がキックオフしておりまして、対GDP比2.3%の不文律という限られた防衛予算の中、当初の進捗状況こそはかばかしくなかったのですが、この危機なる事態の到来を契機に国防に対する世論のあと押しが大きく熱を帯び、開発の流れは一気に加速することとなりました! ところが結局、件の隣国は、巨大ロボット兵器の開発を断念します! ドンガラはなんとかこさえたのですが、その複雑なシステムを制御できるAIが開発できなかったのです! 結果、拍車を失った我が国の巨大ロボット兵器開発も次第に下火となり、遂には立ち消えとなって現在に至ります!」
トンネルの様な廊下はまだまだ続いている。
「しかし当時、装備開発庁と並んで巨大ロボット兵器の開発に邁進していた官庁がもうひとつあったのです! それこそが内閣官房特別外局であります我らが、夢・輝き・みらい庁です! みらい庁は、この国の豊かで平和な未来を切り拓くためであれば、用途を縛られない夢予算……古来よりこの日の本の国を影より支え続けてきた闇の金塊資金の流れを汲む、いわゆる官房機密費を、国会の予算決議を経ずして自由にできる裁量を与えられております! その潤沢なる予算をもって今日まで、いつかはこの国の脅威となり得るであろう敵対する巨大ロボット兵器の出現に備え、対抗しうる鋼の巨人の開発を続けておりました! しかしそんな中に於いて結局のところ我々も、件の隣国同様、複雑極まるシステムを制御するAIの開発で堅い壁にぶつかることとなります! そこで、その壁を打破する研究にご従事下さったのが、若くして生体頭脳工学という新しい切り口で人類の明日を切り拓こうとなさっていた……静香さん、あなたのお父様とお母様です!」
話の中にようやく二人が登場して、静香は少しホッとなった。
「無能で役立たずなAIに代わって、人間の脳を使い巨大ロボットを制御する方法を、お二人に模索していただくこととなったのです!」
なにやら違和感を感じた。
「……人が操縦するって事ですか?」
「とんでもありません! それが出来るくらいなら、ハナから専用のAIを開発しようなどと考えたりしませんよ! 簡単に言えば、人間から脳を取り出して、それを巨大ロボットという体に与える、そういう意味です!」
一瞬、大和田が何を言っているのか、静香には理解できなかった。
「あなたのお父様とお母様には当初、試作素材として、この国の未来を憂いつつも道半ばで天に召された、雄志の方々の献体より摘出された脳が提供されました! しかし開発は困難を極め、繰り返される試行錯誤の中、献体の数はすぐに底を尽きます! 我々は、お二人に提供する新たなる脳素材を入手するため、文字通り東奔西走しました! 引き取り手がない刑執行後の死刑囚、身元不明の事故被害者に凍死餓死したホームレス……」
「そんなこと……法律とか、破ってるんじゃ……?」
「法を破る勇気などありませんよ! 政治家先生方々には!」
目の前を行く屈強な肩が、小さくクスリと揺れた。
「ですから破らないように、法の方を動かすんです!」
その笑いは、法の方というつまらない洒落がツボにはまったからか、それとも……
「例えば静香さん、自動車の免許証をお持ちですよね! しかも自動運転限定じゃなく自己運転免許! いやはや大したものです!」
「あ、いえ、限定解除してたほうが、仕事、見つけやすいので……」
「裏面に、脳死あるいは心停止による死亡の際の、臓器提供拒否意思表示欄がありますよね!」
「え? あ、はい……臓器の名前がいろいろ並んでて、提供したくないものにチェックを入れる……」
「法で記入が義務づけられている訳ですが、以前は、いっさいの臓器の提供を拒否する『臓器を提供したくありません』という選択肢が選べたんです!」
そういえば、静香も聞いたことがあった。
「でも、それって、いっぱい並んでる選択肢をみんなチェックすれば、全部を拒否するのと同じことだからって、法律が改定されて、選択肢がなくなったと」
「その通りです! そして蓋を開けてみると、衝撃の事実が判明しました! 不幸にして死亡事故に遭われたドライバーの中に、脳みそを提供したくないという意思を示していた方は、ほとんどいなかったのです!」
静香は、大和田の発言を理解しようとしばらく頭の中で咀嚼し、ハッと気づいた様子でポケットから財布を取り出すと、納めてあった免許証を確認した。アイドルの宣材すら霞むであろう、まるで引き込まれそうな笑みをたたえる顔写真が貼られた記載面を裏返す。臓器提供拒否意思表示欄には、肺、心臓に始まり、眼球に至るまで20を超す項目があるが──
「そっか……脳の提供を拒否する選択肢がないんだ……! これじゃ断わろうと思っても──」
「いいえ、ちゃんと断れますよ! ほら、最後にあるでしょう、括弧のついた『その他』という選択肢が! 自分で書き込めばいいんです! ちゃんと自身で意思を表示する、ただそれだけですよ!」
「確かにそうですけど、でも、たいていの人は……!」
「ええ! たいていの方が自身の意思を表示していなかった……つまり、脳の提供を拒まないでくれた! おかげで事故遺体から入手できる脳の数は飛躍的に増加しました! 静香さんのご両親の研究も随分と進み、そしてついに二人は導き出したのです! ……皮肉な結論を!」
皮肉な?
「遺体からの脳みそでは……一度死んだ脳組織では、いくら蘇生させ調整を施しても、複雑な巨大ロボの制御には不適格だという答えです! それを遺体から取り出した脳自身が教えてくれました! ですが、幸いも同時に、五体満足な人間から摘出した脳なら、かなりの成功率で巨大ロボの制御が可能であることも判明したのです! ただしその際にも、その脳に対し、とある特殊な処置を施さねばならない旨が、合わせて解明されたのですが──」
みぞおちから手を差し込んだ様に、何かが彼女の胃を、底からぐっと持ち上げた。
「……五体……満足って…………生きてる……?」
「ええ! ピチピチした人間の頭蓋から、ほらアレですよ! ハマグリの殻をこじ開けて、中身をズルッと掻き出す、あんな感じで!」
持ち上がりこみ上げたものが、喉の奥につっかえる。
「そんな……でも、そんなの……いったい、誰の……」
「世に必要とされていない人間なんていくらでもいますよ! 自由と身勝手をはき違えている馬鹿! 義務も果たさず権利ばかりを主張するクズ! 他人の人権を踏みにじっておいて自身は人権を盾に守られようとする不良品! エトセトラ! エトセトラ! そんな者どもでも、最期の最期でこの国の未来を築く石垣の欠片の一つとして花咲かせることが出来るのです!」
「……いいんですか? ……みんな、賛成なんですか? ……政府、とか総理大臣とか国会議事堂とか……」
「だから先ほども言ったでしょう! 政治家ごときがそんな勇気、持ち合わせているわけありません! 内閣は当然この計画の継続を諦め、野党から浴びせられる罵詈雑言のシャワーのなか、国会にて即座に中止が議決されました!」
ホッと緊張がほぐれた反動で、思わず泣き出してしまいそうになった静香は「しかし!」といっそうの音圧でこだまする声に、再びビクッと身を硬直させた。
「我々みらい庁は、決して日本の未来を諦めません! なぜなら──」
何やら溢れ出た自信と誇りが大和田に胸を張らせた、静香の前を行く見上げるような体躯が、更にひとまわり大きくなる。
「この計画の遂行は、真であり絶対の創始者の住処として、再びのバベルを築かんとする血族より選ばれし者だけが席に着くことの出来る、円卓の意思によって印を押されたものだからです!」
その意味を、静香は汲むことが出来なかった。
なのに彼女は、自分の鼓動が音を立て、呼吸が速くなるのを感じた。
「ところが残念なことに、摘出する脳に施さねばならない特別な処置について、机上計算を続けて下さっていたあなたの父上と母上も、この事案から手を引きたいと申し出るようになりました! 私は必死に留めました! これはこの国、いいえ、すべからく人類の未来のためなのです! しかし、遂に訪れた最初の一歩、門出を迎えたその日──」
静香は、こみ上げるものを何度も飲み下しながら、大和田の背中が立ち止まったのを見て、慌てて歩みを止めた。トンネルの行き止まり、屈強な警備員に護られた、見るからに重量のある頑強な金属製の扉の前。
「確か冬の公園でホームレス生活をしていて凍死寸前だった、両親に見捨てられた小学生ほどの兄妹だったかと思います、その二人を当庁の専任職員が確保し、生存しているまま状態の二人から、二つのソレを摘出する予定だったその晩に、お二人は、とうとう我々の前から姿を消してしまったのです!」
大和田は警備員にIDを提示すると、自身の部署と氏名を告げて声紋照合をクリアし、次いで虹彩・掌紋にて認証を行い、続いて静香が申請してあった特別なゲストである事を確認させ、ようやく幾重ものロックが解除され開いた厚い扉をくぐると、ドアの先には、俗に言うドーム球場何個分という広さの空間が広がっており、そしてそこに、それは聳え立っていた。
「『虹1号』です!」
静香は、開いた口を忘れたまま引き寄せられるかの様子で一歩二歩と目の前のファクトリーに歩み入り、凜と立つ巨大ロボットを高く見上げた。
「実は私は、静香さんのご両親が、我々のもとを去る直前に、生きた人間の脳と巨大ロボットとを一つに繋げる方法仮説を、机上にて既に確立なさっていたのではないかと考えておりまして!」
静香は「え?」と、大和田に目をやった。
「怖れ逃げることなどないというのに! それは、御心より選ばれ与えられた力なのですから!」
大和田の背中は、満足げに虹1号を見上げている。
「私が静香さんに目を付けたのは偶然です! そして静香さんが、幽霊研究所とも噂されるゴミ屋敷で『平』と姓を変え、我々の目から逃れながらひっそり暮らしていたあの二人の愛娘さんであった、というのもまた偶然でした! しかし──」
鼓動が動悸となり、頭がクラクラし始めた。
「お父様とお母様があなたに施した処置の事を知り、やはり二人が、特殊な処置の方法仮説を確立していたことを確信することが出来、すべてが導きであったことを理解しました!」
「私を見て……?」
「はい!」
恐れ逃げ出したい気持ちと、確かめたい気持ちとが、入り混じる。
「……どんな方法なんですか?」
それまで背を向けていた大和田は、ようやく静香を振り返った。
「体を成長させないようにする遺伝子操作です! それによって脳を、身体が成長しないという状況に適応させるんですよ!」
まばたきのない目が、真っ直ぐに静香を向いた。
「ほら! ロボットの体は成長なんてしないでしょう!」
その焦点は彼女を通り越し、遙か時の彼方をめざしていた。
著者:ジョージ クープマン
キャライラスト:中村嘉宏
メカイラスト:鈴木雅久