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2017.04.20

メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第15回】

前回のあらすじ
静香が大和田に連れられ地下の扉をくぐったその先に巨大な『虹1号』の姿があった。そこで静香が知らされたのは、両親が政府機関で行っていた研究の恐るべき秘密!大和田は静香を使って『虹1号』の完成を企んでいたのだった! ⇒ 第14回へ

 真世は、じっとりとした部屋の蒸し暑さに起こされ目を醒ました。ベッドの上で暫くぼんやりしたあと体を起こし、汗に湿る腕、火照った顔から首筋、Tシャツからのぞいている胸もとを、思わずタオルケットで拭う。
 8畳半の空調はCBRN(Chemical 化学物質 / Biological 生物 / Radiological 放射性物質 / Nuclear 核)汚染対策の為、バシレイオンが外気を完全濾過し、温度湿度も最適となるよう管理している筈だが。

「ねぇバシレイオン、暑いんだけど」

 返事がない。

「ムシムシするんだけど!」
「……え?」大声に、ようやくと気づいた様子で、「虫!?」

 いきなりぼわんと殺虫剤が散布された。真世がゲホゲホと咳き込む。

「虫じゃなくて蒸し蒸し! 暑いんだけど!」
「あ、ゴメン!」

 打って変わって部屋が急速冷却された。いきなりの気温の急降下に、先程までの湿気が靄(もや)となり、部屋中が真白に包まれる。

「ちょっ……! 凍る凍る!」
「……あ!」

 そしてようやく真世の8畳半は、快適な通常を取り戻した。

「冷凍マグロになるかと思った……」
「え!? 露島が『マグロ』に!?」
「ううん、注目するなら『冷凍』の方。そっちはみかんでも何でもいいんだって」
「あ! そっか、だね……ほんと、ゴメン……」

 真世はやれやれと、冷蔵庫からエステラ自慢のマンサニージャ・ティー(スペイン語でカモミール茶の事だそうだ)のポットを取り出した。注ぎ口に口をつけ、乾いた喉に快感が十分に染みこむまで一気に直飲みすると、ぷはぁと大きく息を吐き、そして、

「どうしたの?」
「……え?」
「なんだか変じゃないバシレイオン? 少し前から」
「へ、へ、ヘンじゃないけど」

 と言う声が、AIの癖に裏返っているという時点で明らかにヘンだ。

「ほら」
「ヘンじゃないし。っていうか、もともとあたし、ヘンなトコあったし。あ! 『あたし』と『あったし』は洒落じゃないし!」
「……まぁ、もともとヘンだってのは、否定はしないけど」
「でしょ! つまり、前々からヘンなんだから、今ヘンだって事は、すなわちヘンじゃないって事じゃん。はい、解決」
「けど──」
「まだ食い下がるか」
「だって、こんな空調ミスなんて、したことなかっただろ、いつも快適だったし」
「そ、そんなことないよ。わたしの空調管理なんて、たいがいメチャクチャ適当だよ」
「それはそれで困るけど……」
「ほらエアハンドリング・ログ見ても、温度・相対湿度・加圧状況──はいつもいい感じだけど、浮遊細菌・真菌等有害粒子フィルトレーション──は絶えず完璧だったりするけど、気流攪拌──は0.1~0.2m/sで快適で、CO2濃度は1000ppm以下、CO濃度は10ppm以下、浮遊粉じん0.15mg/m3以下、ホルムアルテヒド0って、あたしやっぱパーフェクトじゃん! …………あ」

 こんな墓穴掘りも、何だか彼女らしくない。

「ほんと、どうしたの?」
「どうもしないって……」
「ほんとに?」
「ホントだって……!」
「ほんとのほんとに?」
「しつこいんだってば!!」
「……」

 彼女の事だ、これ以上押したところで無駄だろう。真世は「ふぅん」とひとつ鼻から息をつくと、壁のアナログ時計を見た。針は1時過ぎを指している。

「やっぱ夜だよね?」
「真っ昼間」

 貫徹の『いろシチュ』明けで、溶けるように眠りについたのが午前だったから、つまり睡眠時間はほんの数時間。また随分な早起き(?)だ。エステラに起こして貰ったのならともかく、自分で目覚めるなんて、よっぽど蒸し暑く寝づらかったらしい……思いつつ真世は「そうだ」と、気づいた。

「やっぱバシレイオン、ヘンだよ」
「まだ言うか」
「だって、寝る前に『エステラにお昼ごはん、麺類お願いって伝えといて』って頼んだよね? お昼お願いした時はエステラ、必ずピッピッポーンで12時に持って来てくれるのに……伝えるの忘れたんでしょ?」
「はぁ?」
「バシレイオン、口は悪いけど、頼み事は絶対に忘れないでやってくれるよね? なのに──」
「違うし、それ」
「……どれ?」
「忘れたんじゃないし」
「え?」
「エステラがどこにいるか判んなくて、伝えられなかったの」
「あ、そうなの?」

 言うまでもないかもしれないが、真世とエステラは普段、8畳半で一緒に暮らしている訳ではない。彼女には彼女の部屋があり、それはいま、真世のそれ同様バシレイオンの中にあって、真世が用事を頼んだり、向こうに用事がある時にだけ、この8畳半へと顔を出すのだ。

「お風呂とかかな? エステラ、日本に来て湯船に入るの憶えてから、えらく気に入っちゃって、いっつも長湯だから」
「覗いて確かめて来てみてくんない」
「んな事できないよっ!」

 ようやくと火照りのおさまった真世の顔が、再びポッと赤くなる。まあ、実際に覗いたところでエステラは、慌ても戸惑いも拒絶もしないだろうが。

「にしても……」バシレイオンAIが感心する。「本当に彼女って露島の父親と母親に気に入られてたんだね。あたしに感知されないで、ここまで自由にしてられるなんて、あたしの中で」
「それより、ボクのお昼、どうなるのかな」

 思い返してみれば、いろシチュ空菜編のクライマックスパートはまさに、あまたの困難を乗り越えそこまで辿り着いた到達感と、挑みごたえのある難易度と、ゴールに手が届くまであと一歩という焦燥感と、登り切った先に何が待ち受けているのだろうかという期待感がまさに絶妙なバランスで盛り込まれており、延々と繰り返すゲームオーバーとリトライとに没入するあまり、真世は10時間もの間、まともな食事を口にしていなかった。

「おなか減ったなぁ……」

 縮んだ胃を抱える様に身を丸くして、せっかく起こした身をごろんと横にする。

「……じゃあ、さ……」

 と、バシレイオンAIは、ぽそり小さくそう言い……そして、暫く黙り込んだ。
 真世が「ん?」と再び身を起こす。

「……なんか、買ってくれば……?」

 ようやくと口を開いた。

「……あたしの、外に出て……」

 恐る恐るの口調だった。
 刹那の沈黙があった。

「……はぁ?」呆れとうんざりを一緒くたにして、真世は吐き出した。「行かないよ~、外になんて。ボクはもう、この8畳から出ないって決めたから」

 ベッドに張りつくようにうつ伏せに横たわる。

「だって、バシレイオンの中より快適な世界なんてないし~」

 バシレイオンAIはプロセッサの中で、安堵にぱっと大きな笑みを開いた。

「だよねーっ!」
「だよ~っ!」ごろりと身を仰向けにすると、真世は、長い手足をノビノビと大の字に広げた。「それこそさ、エステラがいま、外に買い物、行ってくれてるのかも知れないし、それが長引いてるのかもー」
「知れないよねーっ!」

 そしてバシレイオンは「そうそう!」と続けた、できるだけ何気ない口調で、

「あのさ、ほら! このあいだフレッシュマートの前に立って、あたしの攻撃を止めようとした女の子いたじゃん、あの子がさ──」

 

 聞いた瞬間、真世は、跳ね上がるように立ち上がっていた。クローゼットに走り寄り、扉を開け、どうやらエステラが使用した後らしく今はそこにいないチューブリフトが、部屋にまで昇ってくるのを待つ。

「なんで!」バシレイオンAIは叫んだ「だってあたしの中が一番快適だって言ったじゃん!」
「だからってほっとけないよ!」
「どうして!」
「わかんない!」
「行ってどうすんのよ!」
「わかんないけど!」真世は必死に理由を探した。「ボク、あの子のこと、ずっと昔から知ってるような気がするんだ! だから!」
「だからってなんで!」
「わかんないって言ってるだろ! でも!」

 ようやくチューブリフトがやって来た。真世は飛び乗って、

「もしかしたら、それを確かめたいのかも知れない!」
「露島!」

 クローゼットの扉が閉まった。
 バシレイオンAIには、チューブリフトを止めることは──真世の行動を止めることは出来ない、そう設定されている。

「露島……」

 バシレイオンAIもまた、真世と同じだった。何故それを伝えたのか、自分でもわからなかった。それでも真世に、彼女の危機を知らせなければならない気がした。
 いま彼女を満たしている気持ちは、伝えてしまった事への後悔ではない、伝えなかった時にこそきっと後悔するであろうという恐れだ。だからこそ、余計にどうしようもないのだ。プロセッサに絡みつきわだかまっている、この正体不明の鈍い味をどう飲み込めば、いいのだ。
 おさまるべき場所を見つけられない想いが、サーキット(回路)の中をひたすらグルグルとさまよう。経験したことのないアルゴリズムと理解不可能なロジックに、バシレイオンAIは、迷いの永遠ループにひたすら流され、次第にもがくことにも疲れ、もはやオーバーフローしそうになって、そして……ふと、とあるコードに目をとめた。
 彼女はそのコードを、小さな声で呟いてみた。

「真世……」

 何かが見つかりそうな気がした。
 次いで、届けとばかりに叫んでみた。

「……真世ー!!」

 クローゼットの扉が開いた。
 彼が立っていた。

「真世!」

 戻ってきてくれたのかと喜びを告げようととしたバシレイオンAIは、なにやら様子がおかしいことに気づいた。
 真世の表情が驚きに青ざめている。
 彼の背後に彼女の姿があった。

「エステラ……?」

 その手がモデル205+を握っていた。
 形状記憶ポリマーで作られたそのスペイン製特注ピストルの銃口は、真世の背に突きつけられていた。

* * *

 少し時間を遡る。

 露島夫妻が天に召され、バシレイオンが起動し、そして遂にエステラは使命を果たす為、行動を開始した。本国は、とにもかくにもまずは、著名無名に関わらず世界中のどの研究機関や大学においても実用化出来ていない光量子ビットプロセッサAI、あるいは未知の構造材である超々バシレイオ・フラーレンの技術情報を欲していたが、彼女は当然、切り札からテーブルに広げるようなマネをする程お人好しなエージェント(諜報員)ではなかった。

「お楽しみは、じっくり焦らしてから」

 まずは、主動力源である反水素対消滅リアクターの秘匿基盤ノウハウから提出することとした。それにしたって、本国にとっては喉から鼻から耳、体中の穴という穴のすべてから手が出るほどの、垂涎の情報である。
 エステラは、手に持ったタバコ程の大きさのオールマイティ・デバイスを三次元マイクロフォーカスXレイCTチャンネルにスイッチし、薄青く点灯していた小さなパイロットランプがオレンジ色に変わり、出力がブーストモードにて稼働しはじめたのを確認すると、リアクターの内部構造を透過撮影を開始しつつ、こうしてバシレイオンの中を自由に行動できる程の信用を露島夫妻から得るまでの、長い年月を振り返った。

 

 真世の両親に一目惚れされ、彼の世話を始めることとなって暫くしたある日、夕食の食材を買い求めていたエステラに、その男は接触してきた。陽に焼けた肌にギラギラとした目、口許にはニッと白い歯がのぞいている。ひと目で本国の人間である事がわかった。はじめは遠い極東の地で偶然出会った同胞に思わずナンパの声でも掛けたのかと思ったが、程なくしてその男は、自分がスペイン大使館付きの駐在武官である事を説明し、そして、当の日本に属する各調査・諜報機関はもとより、議会や連邦最高裁と真っ向から対決し米国史上初の弾劾大統領となった、ある意味勇敢ともいえる前任者によって骨抜きにされたCIA、更にMGB(ロシア連邦国家保安省)、モサド(イスラエル情報特務庁)、ヨーロッパ各国のそれ、ひいては隣国である韓国、中国、台湾に至るまで、あらゆる国家が知り得ていないインテリジェンスとして、露島夫妻が巨大ロボットの開発をしている事を告げた(さすがに初対面の頃には詳細は伏せられたが)。
 エステラはただちに悟った。露島家に入り込んだ自分に、本国のスパイとなってロボットの情報を入手して欲しい、すなわちそういうことだ。
 白い歯が眩しいその大使館武官──インテリジェンスオフィサー(工作担当官)が言うには、本国は、その技術を決して軍事的優位性を築く為には利用せず、産業振興に役立てたいとの事であった。現在ではEU内でも底辺に沈んでいる本国を、再び太陽沈まぬ帝国として蘇らせたい、その熱い想いに偽りはないように思えた。
 まるで師と生徒のよう、オフィサーとの間に男女の関係は介在せず、接触は健全に続いた。きっとだからこそ、その大望は彼女の心の中に、次第に確固とした錨を降ろし根づいていったのだろう。
 見回せば、陽出ずる黄金郷ジパングの、なんと豊かで眩しいことよ。想いを辿れば、陽を失った我が祖国の、なんと貧しく、侘しい事よ……。
 エステラは自身を拾ってくれた露島夫妻が大好きだった。しかしまた、女手一つで自分を育ててくれた母も愛していた。そんな彼女を産み育んだ、哀しき愁いの染み入る白く乾いたその砂の地を。
 そして彼女は、王に仕える、犬となった。
 以来エステラは、夫妻に代わって粉骨砕身し真世に献身した。同じくして大使館より、家事のイロハからビジネス、教養のA to Z、果ては女性の武器の研ぎ澄ましまで、あらゆる教育を施された。今日のこの日のため、真世から──真世の両親からの絶対たる信用を得るため。それは長い年月だった。
 彼女はとても優秀だった、エージェントとして必要なあらゆる素養を持ち合わせていた。しかしたった一つだけ、本来なら捨て去らねばならない感情と、彼女は決別できなかった。
 本当に長い年月だった。
 ひとつの愛を種から芽吹かせ育むのに、十分なほどに。

 

 デバイス上で明滅していたオレンジ色のパイロットランプが、薄青い点灯を戻した。リアクターの透過撮影が終わった事を示している。データはデバイス内に残さず、ただちに大使館経由で本国に送信する手筈になっている。エステラ自身はバシレイオンの中と外とを自由に出入りできるが、バシレイオンに関する情報は、外界へと通じるゲートをくぐった瞬間に、探知・消去されてしまうからだ。彼女はデバイスをCTチャンネルから、電波遮断されているバシレイオン内からでもデータの送信が可能なXレイ多相通信チャンネルにスイッチすると、擬態送信操作した。パイロットランプが今度はイエローに明滅する──筈だったが、赤く点灯。エラーだ。チャンネルを何度かスイッチしてみる。エラー警告が続く。

「ちょっ、もうっ! ちゃんと動きなさいヨ!」振っても駄目だった。「これじゃせっかく盗んでも本国に送れないでしょうバシレイオンの情報!」叩いても無駄だった。「こんなだからメイド・イン・シエスタって言われるのヨ!」

 鷲掴んだデバイスに面と向かって叱咤するエステラは、そこでようやく「ハッ」と思い出し、慌ててポケットから銅色の懐中時計を取り出した。思わず「ヤバッ!」と叫ぶ。

「お昼とっくに過ぎてる……真世のお昼ご飯! 忘れた事なんてめったになかったのに! 怪しまれちゃウ!」

 急ぎキッチンへ向かおうと振り向いた。
 目の前に、驚いた表情の真世が、立ち尽くしていた

著者:ジョージ クープマン

キャライラスト:中村嘉宏

メカイラスト:鈴木雅久

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