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はるかの星【第15回】
「お帰り姉ちゃん!」
おかってに顔を出した私は久々に珍しい絵をみた。ワタルがココで暇つぶしをするときは、決まってテレビの前でゲームをしているのだが、どういうわけか今日はパソコンの前の小さなイスにちょこんと座りこみ、慣れない手つきでキーボードを操作している。……それに、今日の夕飯当番はワタルのはずだが?
「珍しいわね」
私の問いかけに背中で応える弟。
「あぁ、次の試合会場の高校がさ、結構入り組んだところにあるんだよ。で、地図を調べてるってわけさ」
普段は私くらいしかパソコンに触れる人間はいない。それゆえこの光景は大変珍しい。当たり前だが、不慣れとはいえ使い方は心得ているらしく、普通、いやそれ以上にパソコンを使いこなしている。授業でちゃんと教わっているんだろうね。
「そういえば、あんた今日夕飯の当番じゃなかったっけ?」
「おぉ。母さんがパート先でいいおかず仕入れたみたいだから、ご飯だけ炊いておけってさ。いやぁ~助かるね」
なるほど。台所では炊飯器がシュウシュウと湯気を立てながら唸っている。お味噌汁の準備も出来ているみたいだし、夕飯の準備は完了しているみたいね。あとはお母さんの帰りを待つばかりか。いい夕飯のおかずってなんだろう? メニューのあらゆるシミュレーションを脳内で繰り返していると、たまらず私のお腹の虫が叫び声をあげた。
いや、違うな。スマホのお知らせアラートか。「はるかの星」はアプリを立ち上げていなくても、新着情報が届けばスマホのアラートで知らせてくれる「通知」機能がある。チーン、といった具合。どんなにお腹が空いていても、私のお腹はチーンとは鳴らないか。
アプリを立ち上げ、真っ先に画面をスクロールさせ、最新のメールにカーソルを合わせる。その知らせは、まったくなんの準備もしていなかった私の気持ちに、見事に不意打ちを食らわせてくれた。
重要度高に設定された、シンプルな件名。
メールの一部が表示される欄には、工事現場に貼られている警告テープのような配色。心理的にドキッとさせられる黄色と黒の縁取りに、Warning!の文字が配されていた。画面中央には、「警告」の二文字とやたら細かい注意詳細。これが噂に聞く「Yellow Card Penalty」ってやつか。
英語で書かれた細かい注記事項をすっ飛ばし、このメールが何故に私に送られてきたのかを必至に文脈から拾う。大体の察しはついているので、ソレを見つけるのに私の注意力はそれほど割かれることはなかった。先日書いた私の日記がwebマスターからイエローカード判定を受けていたという知らせのメールだった。
しまった、調子に乗りすぎた。警告メッセージとともに私に送られてきたメールには、ペナルティ詳細というものが添付されていた。対象の記事は、5日くらい前に投稿した「今日は晴れ」という、根拠の根も葉もないでっち上げ記事に対して。
そりゃそうか。この記事は明らかなウソだもの。雨の日なのに、晴れというバカ者は、全国各地を探してもそうそうみつかるまい。これは今になってはどうにも出来ないな。自分の行いを恥ずという反省の念も、多少なりとも私の心の中にあったにせよ、私に対して課せられる罰がいったいぜんたいどういうものなのかに、私の脳みその99パーセントを持っていかれてしまっていた。
メールに記載されているリンクにアクセスすると、厳重警戒の施された私の星『はるかの星』へとダイレクトでジャンプした。鎖で何重にもぐるぐる巻きにされていて、なんだか苦しそう。自分のIDとパスワードを入力し、その鎖を解いてみると、画面に大きくメッセージが表示される。
『ペナルティとして、はるか星のお店が消えました』
とのアナウンス。
どうやらイエローカード判定を受けると、今まで育ててきた星から、何かしらの物品がなくなるというものらしい。私の経験だけでの統計だから信憑性には欠けるのだが、今目の前で起こっていることを信じろというのなら、私の見解はあながち間違いではないはず。
星の現在状況を見ると、あれだけ繁栄を極めていた「はるかの星」の便利百貨店がつぶれていた。街の中心部に突如としてできた空き地。前回ログインしたときは、そこには確かにあの百貨店のようなコンビニが建っていたんだ。街の中心、最大勢力を誇っていたお店が消えたせいで、「はるかの星」が軽いパニックになっている。駅から降りた惑星人は目的地を見出せずうろうろ。ぷっつりと断線された線路上では電車が立ち往生。その様相は、まるで出口を探してさまよっているネズミそのものだ。
でも、私にどうしろというの? これを解決する方策なんて、私持ってないよ。見てることしかできないなんて……身から出た錆……もともと私の虚言が元で引き起こされた事態だ。これで誰かに助けを請おうというのが間違いなのか?
忙しく画面内の私の星を駆け回る惑星人を、あわあわしながら見ていることしかできない。そんな一人娘の背中を見た母親はなんと声をかける?
「あんた、大丈夫?」
夕飯のおかずをビニール袋に詰め込んで、気づかぬうちにお母さんが帰宅していた。既に中身を机の上に並べ始めているところからすると、結構前には帰っていたのだろう。まったく気づかなかった。
「ケータイとにらめっこなんてしちゃって……」
「あ、お母さん。お、おかえり」
心配というよりか、私を見るお母さんの目は、どことなく呆れたものに近いような気がした。だって、私の惑星がこんなことになっちゃったのよ? しかも私のせいで。この子たちは悪くないのに。自分がやってきたことに、今ほど残念ガッカリしたことはない。せっかくの星が。
娘の心配を知ってか知らずか、お母さんは続ける。
「本当、あんたは呑気ね」
お母さんだってやってみればわかるさ。ココまで来るのに結構時間がかかったんだ。ドミノ倒し、あと少しで完成というものを倒されたりでもしたらどうする? 頭抱えてうなだれるしかないでしょ。とはいえ、お母さんの言うことも一理あって、たかが電脳世界での出来事に一喜一憂している私も、どうかなぁと、客観的に物事を捉え始めた脳みそが伝える。99パーセントを締めていた不安が払拭されていく。
そうだ、そうだよ。これってばネットの中での出来事じゃない。こんなにビクビクする必要なんてなかったんだ。
「へへへ、ゴメンごめん」
あなたの娘は、あなたが思うほど落ち込んではいませんよ。ほら、私ってば社交的だし、明るいし。無理やり笑顔を作って私自身の健在振りをアピールするが、お母さんの表情は一向に明るくなる気配がない。目には活力がなく、口角はまるで筋肉を失ったかのように垂れ下がっている。疲れ、とはまた違う印象の面持ちで、いつもとはなにか違う、変なお母さんだ。
「お、母さん、お帰り」
「ただいま」
ワタルの顔を見て、ゆっくりとイスに腰掛ける。その挙動がまるでスローモーションのように見えたのは、私だけではないはず。きっとワタルにも同じように見えただろう。
「どうしたんだよ、疲れた顔しちゃって」
母の口がゆっくり告げる。
「……お店、なくなるんだって」
「は!?」
「ハ!?」
弟と姉、二人とも目が点になっているが、頭の中で渦巻いている考えはまったく別のものだろう。考えなくてもわかる。それは私が説明するよりも、脊髄反射よりも早く弟が示してくれた。
「母さんの勤め先がか!?」
今にもおかずに食いつかんとしていたワタルが前のめりになって、その姿勢を驚きによるものへと昇華させる。普通そうだろう。
お店がなくなる。
お母さんは、パートタイマーとしてスーパーに雇われている。その現状を考慮さえすれば、ワタルの導き出した答えは模範的な応答の一つだ。しかし、私の場合いささか状況が異なる。
つい今しがた自分が見て、体感していた出来事を、見事にお母さんは言い当ててのけた。偶然とはいえ、ぴったり過ぎるこのタイミングで。振り返って視界に入れた『はるかの星』では、「お店がなくなった」ことによるパニックで混乱を極めている。お母さんの言っていることは正しかったんだ。
「違うわよ。そうじゃなくて……」
多少の動揺をしてしまったとはいえ、いまだ視野は良好。パソコン画面や周辺機器、奥の壁に貼り付けられているメモ紙も良く見える。その目が手元のスマホ画面の中で未だ渦巻き続けているロードアイコンを捉えた。そういえば、今まで消えてなかったっけ?
「ちせお婆ちゃんのやってた駄菓子屋さん、つぶれちゃったらしいわ」
「え!?」
弟が目を丸くしてこちらを見ている。大きな声を出しすぎたか、突然の奇声にビックリでもしたのか。私を見る目は「なんでそんなに驚いているの?」と言いたそうだ。
そりゃそうだ。私が驚きを隠せないのにはそれなりの理由がある。この奇妙な重なりは偶然なのか? 警告を受けて今日のついさっきだ。驚かないほうがおかしいじゃない。ハテナマークで頭がいっぱいの私。机に放置された私のスマホ画面には、私が撮ったシャッターの下ろされた店の前でポーズをとっている、アイと里佳子ちゃんの写真が大きく表示されていた。
ちせ婆ちゃんの駄菓子屋がなくなってしまった。
「なんでも、お店を切り盛りしていたチセさんが倒れちゃったみたいでさ、そのまま店を畳むことにするんだって」
「そんな……」
「昔よく通っていたのにな……」
「本人は、倒れたとは言ってもまだまだ元気らしいし、命とかに別状はなさそうなんだけど。ご時勢って言うのかしら。お店を経営するってのも、そうそう楽な仕事じゃないのよね」
私やワタル、そして話で聞く限りでは、お母さんもよく通っていたという昔ながらの駄菓子屋さん。そこでの思い出はそれぞれ多く抱えていることだろう。私は黄粉モチが特別に好きだった。そんな御菓子は普通のスーパーでは売っていないもの。あそこでしか手に入れられないものって、いっぱいあるんだよ。子供たちの集まる場所でもあったんだ。そんなお店が突如として消えたことに動揺を隠せない。
それもある。だが、この動揺の震源地は、そこではない。
私の惑星のお店も消えた。それはいつぞや私が日記に書いた記事『私の家の近くにコンビにが建設される予定』によって作られたものだが、まったく同じタイミングで消えた。
いや、タイミングで言うなら私のほうが早かったのかな?
メールが送られてきていたのは昨晩のようだし、駄菓子屋がなくなるという話を聞いたのは今日の晩だ。私の星のお店が消えて、ちせ婆ちゃんの駄菓子屋さんがなくなった。そこまで考えが及んだ段階で、私の背中で冷汗が一気に噴出され、衣服にしみこんでいくような寒気が走った。願いが“叶う”星……いや、まさかね。
じっとりと汗が絡みつくような暑い熱い夏の日。水といういかにも涼しい雰囲気を醸し出しているこの水曜日でさえ、8月の猛暑日の前ではからからに乾ききってしまっている。
今日は、以前里佳子ちゃんと取り付けていた約束の日。ここからはるか南に遠い、三和の街を訪問する日だ。そりゃ、お洒落にも気合が入るというもの。自然と手に取る服の中には、三日前に着てすぐにしてキレイにしたあの服も入っている。流石にローテーション早すぎるか。
着替えている間ほったらかしにしていたスマホを手に取り、何気なしにアプリを起動する。すると、私の惑星メールポストに以前と同じようなメールが送られていた。
「は? え? これ、前のやつじゃないの?」
そりゃビックリするでしょう。つい先日にも同じようなメールを受けて、それからはこの星にアクセスしていなかったんだ。同じ内容の日記で二回もペナルティを受けるものなんか? いまだ整理の付かない頭はさておいて、反射神経が本能的にメール本文をクリックする。
二回目のペナルティー警告。
それは、里佳子ちゃんとアイとで遊びに行くときに買った服を、もらったと偽った日記に対してのものだった。
「えぇ、そんな……」
おかしい、いつもはうまくウソを書いて、それが本当のことになっていたのに。いつもと変わらないはずなのに、ふと気づく。
「ハッ……私、なにしてんだろ」
もともとは私の書いたウソの記事じゃないか。もらえなかったのは事実として、服は買ったんだから、結果オーライなんじゃないの? などと都合の良い言い訳を自分の中で作り上げたが、やはり私の行為自体はなんら変わらない。
うまく嘘を吐くなんて。
内心気づいていないわけではなかった。むりやり暗いところにしまい込んで、気づかない振りをしていただけだったのだが、自分で認識してしまうと、もはや歯止めは利かない。
気味の悪い空気、雰囲気が誰もいない“おかって”を一瞬のうちに暗くする。燦々と照りつける太陽は雲間に隠れてしまい、日中だというのに影がすべてを覆いつくした。
沸きあがる憔悴感、嫌悪感を胸に、サイトの日記、一番最後に記載された警告文に目を配らせてみる。そう、問題は、どんなペナルティが課せられているのか、だ。
『ペナルティとして、はるかの仲間がいなくなりました』とのアナウンス。
いなくなった?
どいういうことだ? 申し訳ないけれど、百貨店がつぶれたとはいえ、相当の発展を遂げ、あっちゃこっちゃにビルが立ち並び、一カ月前とは比較にならないほど惑星人が増えたこの星で、特定の人物を見つけることはほぼ不可能じゃない?
検索するにしても誰がいなくなったかなんて、知らなきゃわからないよ。
私は、はるかの星を繊細なプロボーラーが投球前にボウリング玉を確認するがごとく、惑星を嘗め回すようにして観察した。
誰がいなくなった?
もしかして、先日お店がなくなるという話を聞いた、ちせ婆ちゃんのことかな?
実際にお店は消えてなくなってしまって、ちせ婆ちゃんのお店もなくなってしまった。だとすると、店主のちせ婆ちゃんがいなくなったことが今回のペナルティの内容なのか?
里佳子ちゃんの街へと向かうために設定した、アイとの待ち合わせ時間。それまで多少時間はある。
私は駅へと向かわず、木漏れ日通りへと足を伸ばした。
前まで私たちの知っていたお店の姿は依然としてシャッターで閉められたまま。唯一あった変化といえば、落書きでスペースなどなくなってしまったところに、A4サイズの紙で、申し訳なさそうに書いてある『都合により閉店させていただきます』との張り紙が出されている点くらいだ。ということは、ちせ婆ちゃんがいなくなったのか? ますますわからない。
いったい誰がいなくなるというのだ?
駅へと向かう道すがら、私は他の可能性に気づいた。
つい一昨日、奇妙な重なりで偶然駄菓子屋が潰れてしまった。これを、単純に偶然の一言でも片付けることができることに。実際のところ、昨今の世情を見てみても、小さな町の駄菓子屋さんが長く営業を続けられていること自体が不思議ではないか? というか、都内で駄菓子屋さんなんて見ないぞ。
それにちせ婆ちゃんも、こういう言い方をしては失礼だと思うが、私が幼稚園生だったころからお婆ちゃんしてたんだ。心身的な限界が来てもおかしくない年齢のはず。
そこんとこを考えてみると、やはり先日の出来事の重なりは、偶然として捉らえたほうがイイのかもしれないな。
そうだよ、私の星でお店がなくなっちゃったから、駄菓子屋さんがなくなったなんて証拠、どこにもないじゃない。考えすぎ。
著者:クゲアキラ
イラスト:奥野裕輔