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はるかの星【第16回】
三和へは電車で向かうことになる。駅前で待ち合わせていたアイと電車に乗り、普段私たちが通っている学校の最寄り駅を通り過ぎて揺られること30分。そこに里佳子ちゃんの住まう街があるのだ。
行きがけの車中、私は例の件についてアイに聞いてみた。
「そういえばアイ知ってる?」
「ん?」
外を流れていく景色に目を奪われていたアイの視線がこちらに向く。暇な電車での移動中は、大概外の景色を見ているか、友達としゃべくりまくっているくらいだからな。景色を見るよりかは、私とお話していたほうが楽しいでしょう。それに、まだアイからは聞いていない話だ。
「ちせ婆ちゃんがやってた駄菓子屋さんさ、なくなっちゃったんだって」
「あぁ、それか」
いかにも知った風な対応を見せるアイ。これもカテゴライズするならアイにとっては大ニュースの部類にされるのだろうが、話の内容が明るいものではないため、切り出すのに躊躇しているようでもあった。
「私もつい2、3日前に知ってさ。ちょうどはるかとリカッチとで遊びに行った日の次の日だったかな? やっぱショックだよね……」
アイも気づいたのはやっぱり私の日記のイエローカード判定が付いた頃合いだった。タイミング的にはピッタリ重なる。
「急に倒れちゃったらしくてさ。もともと売り上げとか、客入りもいいほうじゃなかったからっていうんで、閉店にするらしいよ」
「ちせ婆ちゃんは?」
私の情報網だけでは手に入れることが出来なかった情報。そう、ちせ婆ちゃんは、果たしていなくなってしまったのか?
「とくに病状は聞いてないなぁ。そんなに深刻な状態じゃあないっていうから、たぶん大丈夫だとは思うんだけど、再開はムリかもね」
あの日もアイは言っていた。変わらない町並み、変わらない景色が好きなこの子にとって、幼稚園のころから足しげく通っていた思い出の場所がなくなってしまうんだ。忍びないことこの上ないだろう。私も同じ。やっぱり寂しい。
見慣れた景色がガラッと一変してしまうのは寂しすぎるものね。
できることなら長生きしておくれよ、ちせ婆ちゃん。
小高い丘の下をくぐる路線が短いトンネルに入る。暗闇から光の世界へと出てきたときに、私の心は暗転した舞台のように、次のステージへと切り替わっていた。
だとすると、もしいなくなるのが仮に、本当になったとしたら……いったい誰が?
三和の街は閑静な住宅街だった。今まで一度もこちらのほうに来たことはなったので、目に入るすべてのものが新鮮に見える。
高級そうなブティックが並ぶ駅前通りに、外国雑貨店が軒を連ねるショッピングストリートは、私たちが住んでいる大宮のそれとはだいぶ様相が違う。お嬢様は環境が育てる人種らしいな。
待ち合わせ場所で立っているのはいつもと変わらぬ出で立ちの里佳子ちゃん。
でも、この距離からでも、私には手にとるように彼女の心が読めてしまった。ん~心が読めるってのは言い過ぎた。いつもとは様子が違う、何かあったのかな、てことくらいは見て取れた。あんなに悲しそうな目をしているのは転校してきて初日の自己紹介のとき以来だ。
「リカッチ~お待たせ!」
声をかけられ、自分の友人がそばにいることを知るや否や、その表情はつもの見慣れた里佳子ちゃんのソレに戻っていた。
なんだろう、なんか頑張って笑顔を作っているように見えてならない。気のせいか?
「ううん、ぜんぜん待ってないよ」
「特に目的なんて決めてこなかったけど、良かったのかな?」
以前私たちの街、成城に来たときは確たる目的意識があったが、今回はその限りではない。ただ、里佳子ちゃんが住んでいるところに興味があっただけなのだが、どうやら私たちの心配は杞憂に終わりそうだ。
「それにしても、いろんなお店があるんだね」
右を見ればスペイン系の雑貨店、左を見ればアジア系の調味料のお店。コレだけ珍しいお店が乱立していれば一日なんてあっという間に過ぎ去ってしまいそう。ウキウキワクワクに目を輝かせているアイとは対照的に、里佳子ちゃんはしきりに何かを気にしている。現在時刻、お昼前の11時。
「はるかちゃん、あいちゃん、何が見たい? 珍しいもの扱っているところ、たくさん知ってるから案内してあげるわ」
「はいはい! 私はヌイグルミコレクションを増やしたいです!」
「あんた、また部屋にコレクション増やす気?」
一通りのウィンドウショッピングを終え、ちょうど良い具合に空腹になったのはお昼過ぎの14時。昼食をとり終えたOLの脇をかいくぐり、里佳子ちゃんお勧めのパスタ屋さんへと招待される。
「リカッチ……」
「なぁに?」
「その、なんていうか……」
アイの心配の原因はなんとなくわかる。この子供が注射を嫌がるときのような暗い表情。おしゃれな街の中で見てきた服や装飾品は、どれも魅力的で欲しくなるものばかりだったが、到底私たちの手が出るような代物ではなかった。というかレベルが違いすぎる。
きっとお食事もお高いことなんだろうね。はっきり言いましょう、私たちはそんなにお金持ちではありません。
「大丈夫。ランチメニューがある良心的なお店よ。私もよく行くわ」
安堵の表情を見せるアイとは対照的に、アイの不安がまるで乗り移ってしまったかのように、里佳子ちゃんの表情が曇るのを、私は見逃さなかった。
メインストリートの一角にあるパスタ屋さんはなるほど確かに良心的だ。ガラス戸が全面開放され、そよ風を受けながら食べる昼食は、里佳子ちゃんの別荘に言ったとき以来だ。
なんでだろう、大宮の私の家ではこうは行かない。
満面の笑みを作り、パスタをスプーンの上でせっせと丸めているアイも、対面する里佳子ちゃんの異変に流石に感づいたようで、
「さっきから元気ないね? どうしたの?」
こういうときの何気ない切り込みに関しては、アイの右に出るものはいない。なんと言うか、タイミングが良いんだよな。しかし、ちょうどいいチャンスだ、私も気になっていた。
「何かあったの?」
珍しいものばかりみてきたこの2時間近くが、私にとって強烈に新鮮な体験だったので、心に蓋がされてしまっていたのか、思い出したかのように悪寒が背筋を一瞬走った気がした。店内の冷房がよりいっそう冷たく感じる。
パスタを掬い上げていたフォークをそっと食器に戻し、目を合わせることなく、里佳子ちゃんはか細い声で呟いた。
「突然でごめんなさい……私、引越ししちゃうんだ」
唐突の申し出に、口を開けたままアイが凍り付いてしまっている。
なにを言っているんだこの子は?
つい三カ月前に転校してきたばかりじゃないか?
呆気にとられて里佳子ちゃんを見るしかできなくなった私たちの思考回路を再びONにするため、里佳子ちゃんが続ける。
「お父さんの仕事の都合で、また転校しなくちゃいけなくなっちゃって……」
さすがにこのままノーリアクションを続けるわけにもいかない。
「転勤が多いとは聞いていたけど、こんな急に……」
今まで固まっていたアイも、目をしばたかせて食らい付く。
「え、ちょっと待って、引っ越し?」
「ごめんなさい」
里佳子ちゃんが謝る理由なんてどこにもないんだ。別に彼女が悪いわけではない。
「え、で、急にそんな……」
「来月の末くらいには……もう」
早いな……引越しのタイミングが、いやに早い。親の都合とはいえ、そんなにも早く転居しなければいけない会社事情は、いかがなものか。今まで暗い顔しか作っていなかったアイは、しかし、いつものキャラで明るく振舞う。
「ま、連絡ならいつでも取れるんでしょ? 会いたくなったら、どこへでも行くよ。リカッチだって、あたしたちんとこ、来ればいいんだよ」
そうだ、たとえどんなに遠くても、電車やバスを乗り継げば私たちはどこへだって行ける。私たちだって駆けつける。その気概があるからこそのアイの発言だったが、彼女から返ってきた答えは、私たちの想像をはるかに超えるものだった。
「……遠くなの。今はまだ言えないけど。もう会えなくなっちゃう」
冗談で言っているわけでもない、ましてや私たちを煙たがっているわけでもないだろう。里佳子ちゃんの心の中まで読むことはできないが、涙を流しならがこんなことを話している。それだけで、気持ちを読むのには十分すぎる情報だ。
夏の分厚い入道雲に遮られ、太陽が一瞬姿を隠し、地表は異様な涼しさと、静寂と、暗闇に包まれた。
その間隙に里佳子ちゃんは続ける。
「だから、もう連絡取れなくなる。これからは準備とかで忙しくなっちゃうから、みんなと休みのときに会うのも難しい」
「そんな……そんな、急すぎる……」
私には、親しい友達が遠くへ引っ越してしまった、という経験がない。アイも同じだ。小中高と同じ学校で育ってきた友達も、大宮の町をつつけばボロボロ顔を出してくれる。里佳子ちゃんも……たぶん一緒なんじゃないかな?
うっすらと目尻にナミダを浮かべているアイも、里佳子ちゃんも、同じ顔しているもの。そういえばアイ、里佳子ちゃんが困っているときは、なにかにつけて面倒見てきたもんな。
「なんでよ……なんで、こんな急に……」
涙を堪えながら搾り出すようにアイが呟いたセリフが、あの厚い雲のように私の心の中に覆いかぶさっていたなにかを払いのけ、つい先ほどまで私の思考回路を奪っていた記憶が全身を駆け巡った。
はるかの星のペナルティ……。
『ペナルティとして、はるかの仲間がいなくなりました』
目尻の涙をぬぐい、鼻をすすりながらアイが続けている。確かにその声は聞こえていた。私も同じ気持ちだ。でもなんでだ、声が出ない。出せない。
「せっかく仲良くなれたのに」
アイ泣かないで、誰も悪くないんだよ……。
「こんな短い間に、こんなに仲良くなったのは、はるかちゃんとあいちゃんが初めて。本当にありがとう」
里佳子ちゃんも泣かないで……これは、
「……ごめん、私のせいだ」
「え?」
「私の、せい……なんだ」
「どうして、これは私の親の都合なの。はるかちゃんのせいじゃないよ。二人には、いっぱい良くしてもらえたから、私、幸せよ」
「はるか……?」
それ以上の言葉は、私には出せなかった。というか、何を言うべきか言葉が思いつかない。
言葉少なに、私たちはお店をあとにした。
里佳子ちゃんは、この後すぐにご両親と合流してやらなければいけないことがあるらしく、しきりに時計の針を気にしていたのも、どうやらそれが理由らしい。言うに言い出せなくて、ギリギリまで来てしまっていた。
夏日はまだ続いている。時折吹くそよ風が運ぶ、このシャンプーのいい香りは、里佳子ちゃんのもの。里佳子ちゃんは振り返ることなく、私たちの先頭を歩いている。里佳子ちゃんを家の近くまで送っていって、私たちは別れた。
最後、曲がり角を曲がる瞬間、こちらを振り向いて言った「バイバイ」が、力なさげに夏空を伝った。
3日前のチセ婆ちゃんのお店がつぶれた一件。そのときに私が、布団の中で立てた仮定が正しいのだとするなら。私の星、「はるかの星」は、願いをかなえてくれる星ではないということになる。
「はるかの星」で起こった出来事が、本当になる。
著者:クゲアキラ
イラスト:奥野裕輔