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2017.01.31

はるかの星【第18回】

はるか 矢立文庫


 帰りの下り電車のなか、いつもどおりアイと一緒に電車に揺られ、家に到着するころには完全に陽は落ちてしまっていた。民家は夕飯の支度に取り掛かっていて、あたりにはいい匂いが立ち込めている。家の玄関を開けると、さらに食欲を掻き立てるカレーのいい匂いがしてきた。そいうえば、半日登校日で昼食を取っていなかったんだ。お腹減っているときのカレーの破壊力は20パーセント増しになる。

「お帰り。姉ちゃん、遅かったな」

 変なとこ几帳面な弟は、ご丁寧に私服のうえからエプロンをつけて、台所に向かって立っていた。つけ合わせのサラダの準備をしているうしろ姿は完璧な主婦のそれだ。

「もうすぐできっからさ、着替えてきなよ」

 もう8月中は使わないであろうカバンをベッドの上に放り投げ、私自身もベッドにダイブする。ちょっとした眠気がいい具合に体を包み込む。大きな睡魔へと成長する前に体に鞭打ってはるか起動。そういえば、学校でもらったプリントをお母さんに渡さねば。実のところ何のプリントだったか忘れてしまいましたが、渡さずになにか弊害を起こすのはゴメンこうむりたい。
 鞄をひっくり返してモノを出す。ボロボロ落ちてくるノートやら手帳やら筆記用具やら。
 ……あれ?
 もう一度ひっくり返して中を確認する。このバックが四次元空間へと繋がっていない限りあり得ない。あるべきものが降ってこない。学校でなにを受け取ったのかは、はっきり言って覚えていないが、おそらく地球の重力に引かれて堕ちてきたこの2枚のプリントだろう。あとは、筆記用具、コスメポーチ、手帳、飲みかけのペットボトル……やはり、ない。試しにネコ型ロボットよろしく、バックの中をまさぐってみる。が、やはりない。
 お財布が、ない!?
 不幸中の幸いと言うべきか、私の財布には若干という言葉では補いきれないほどの空間的余裕が出来ており、拾ったところでその人の経済力を潤すことができるほどのお金は入っていない。お店のポイントカードと、硬貨しか入っていなかったはず。でも、財布それ自体がお気に入りだっただけに、失くしたとなるとショックはでかい。
 問題はどこでそれをなくしたか、だ。朝コンビニで飲むヨーグルトを買ったときに使ったから、学校の近くで失くした可能性が高い。

 翌日、私は拾った人にはなんとも申し訳ない感丸出しなお財布を捜すべく、一橋星陵へと旅立った。幸いにも、定期券の入っているパスケースと財布を分けていたおかげで、私が通う一橋星陵高校まで自転車を漕いでいく必要はまったくなかったのだが、駐輪場の一番奥に眠っている私の自転車が、なにかを私に訴えかけるように、ヘッドライトをこちらに向けて首をかしげていた。
 正直、いつもは視界に入らないのだが、この日この瞬間、たしかに私の心は自転車に釘付けになっていた。というか、目が合ったような、そんな気がした。

 残暑まだまだ厳しい。といいますか、残暑というにはいささか時期尚早な感じはする。
 8月後半には立秋を通り越し、処暑にまで暦は足を早めているというのに、暑さのやつが長居をするもんだから、秋ものの服を買う気も起きないというものだ。
 校門はいつもどおり開いていた。夏休みとはいえ、学校に誰もいないわけではない。夏の特別授業、サッカー部、野球部がグラウンドで練習、吹奏楽部が中庭で個人練習。日常の風景はないにしろ、これぞ夏休みの過ごし方、と思わせる風景が今まさに目の前に広がっている。そんな中に一人、私服で歩き回っているのも気が引ける。
 まずは教室をくまなく探すが、一向に見つかる気配はない。昨日の喧騒とは打って変わって静まり返っている廊下に、足音のステップを小気味よく響かせながら歩いていると、昨日と同じアングルで、向こうから歩いてくる生徒に出くわした。

「お、皆藤! 私服で何してんだ?」

 目の前に現れた陽気な柏木青年も、なにやら小難しそうな表情で手に持った書類に目を通している栄太も、例に漏れず夏服の出で立ちだ。コンピューター研も相変わらずご出勤のよう。

「ちょっと、ね。それより、あんたたちは何してんの?」
「アフターサービス、みたいなもんだよ」

 アフターサービス?

「ウィルスの脅威は去ったとして、だ。易々とソレを通してしまうネットワーク設備は大いに問題ありだ。ソレを放っておいたらまた被害を受けかねないからな」

 どうやらコンピューター部は休みを返上し、学校のネットワーク環境の改善のため日々登校しているらしい。日本のサラリーマンよろしく無給で学校のために尽くすとは、なんとも……ご苦労様です。
 彼らと話していて気づいたのだが、そういえば一番怪しいコンピュータ研の部屋を捜索していなかったことに気づいた。デスクトップが並んでいる以外、コレといった障害物のない部屋の中で財布を見つけるのは至極簡単だ。もしあったとしたら、この二人も絶対に目にかけているはず。なんてったって、出入り口付近であんまり動かなかったから。

「あのさ、部室に私の財布、落ちてなかった?」
「財布? どんな形の?」
「カーキ色のロングウォレット。星のでっかいピンズがついているのよ」
「財布……ね。栄太知ってる?」
「ん……見てないな。しかし、財布をなくすとは……目立つ目印がついているのに、あんな狭い部屋で見かけないとなると、あの部屋にはもうないと踏んだほうがいい。他の部屋を当たるべきだな……たとえば、図書室とか。ま、見つかっていたら職員室にとっくに届けられていてもおかしくはないだろうな。」

 なんと明快かつ論理的な考え方なんでしょう。言われなくても行くつもりだいっ。決して悪気があって言ってるのではないんだろうが、こうも完璧に言い渡されると、なんだかモヤモヤするよね。曇った顔を察してか、それとも早く仕事を終えてしまいたいのか、この空気をどうにかしたいのか、柏木青年が慌てふためいて場を取り繕う。

「ほ、ホラ、さっさと今日の分終わらせちまおう。じゃあ、皆藤、またな」

 柏木青年に背中を押されて、栄太たちは足早に去っていった。機嫌が悪いのは確かだけど、あんなふうに言われたら、そりゃ表情ももっと曇るっての。

 その後、職員室でたまたま当直当番をしていた重国(しげくに)先生に聞いてみたが、私服で登校してきたことをたしなめられ、結局のところ財布は見つからなかった。ガランとした購買部、トイレに体育館。教室、図書室、保健室。心当たりのある場所はひととおり当たってみたが、私のお財布はこの日、顔を見せることはなかった。
 屋上でフェンスに寄りかかり、ふと稜線に目をやると、傾きかけた太陽が薄オレンジ色の光を放ち、今日の仕事を終えようとしている。
 いったいどこで落としちゃったんだろう。ふと、両手をポケットに忍ばせてから気づく。この手の情報に強い、アイを頼ってみるのを忘れていた。もしかしたら、いや、万が一ってこともあるじゃない? 私の財布のありかを知っているかも。大ニュース好きのアイのことだ。
 握り締めていたジュースの缶を左手に持ち替え、右ポケットからそっとスマホを引き出し、ディスプレイをスライドさせる。
 この日は、私の厄日だったに違いない。
 ジュースの結露した水滴が手に残っていたせいで、スマホを地上14mほどの高さから落としてしまった。

「あっ! ちょっ……」

 こういうとき、人ってすぐに動けないよね。必死につかもうとする私の脳細胞が、右手に『虚空をつかめ』と電気信号を送っている。私の右手はせわしなく動き続けているが、私の目は落ちていくスマホの軌道だけを見ていた。自由落下していく私のスマホを、絶命の瞬間まで見届けてから、私は大きなため息とともに階段を下りていった。
 昇降口を出てすぐのところにある大きな花畑の手前に、無残な姿に変わり果てた私のケータイが四散している。さぁ、また一つ仕事が増えた。コレをなんとかして元に戻さねば。

 夏休み中の私のスマホ修理は絶望的だそうだ。幸いにして電話帳などのデータ類は飛んでおらず、代替機を用意してもらって当面の凌ぎとする。しかし、なんとも無骨なデザイン……もとい、シンプルなデザインなんでしょ。
 駅前のケータイショップを出て、いつもの駐輪場に到着したまでは良かったが、私は大事なことを忘れていた。

「あ、今日はバスで来たんだっけ……」

 いくら探せど、乗り付けてきていない自転車が見つかるはずもなく、私は疲労しきった体をバスのシートに委ね、帰路へと着いた。
 家に着くころにはとっくに夜になっていて、ぐったりした私を妙に気遣った様子のワタルが出迎えた。

「お帰り。どこ行ってた?」
「ただいま……学校まで行ってきたよ。行方不明の財布を探しにね」
「けっこう遠くまでいったね」
「なによ?べつにめずらしくもない……」
「いや、自転車でよく行く気になったね」
「……は?」
「自転車で行ってきたんだろ?」
「なんでそんな疲れることを?」

 実際、疲れることを予想してもしなくても、私は学校まで自転車で行く気は毛頭ない。

「だって、姉ちゃんの自転車なかったからさ」
「え!?」

 半分まで脱ぎかけていたスニーカーをつっかけ代わりに外へ出て確認してみると、確かに朝方私を見送ってくれた自転車が駐輪場から姿を消していた。鍵はスペアを含めてちゃんと2つある。
 あわてて家の中に舞い戻り、今晩の夕食当番であるお母さんに聞いてみた。

「お母さん、私の自転車知らない?」
「帰ってきたときにはなかったわよ……てっきりはるかが乗って、どこかへ出かけているものだとばかり思ってたわ」

 まさか、こんな辺境の地で自転車を盗まれるとは。
 ちょっと怖い。
 それこそ、窃盗や強盗なんかの話はニュースでしか聞かないような土地だから、こういうことをする人間が近くにいる恐怖を、私は今まで感じることはなかった。
 それがどうだ、財布をなくしたショック、ケータイを壊したショックで疲弊しきった私の精神に追い討ちをかけるようなこの仕打ち。
 願わくば、スマホだけでも一週間後から始まる二学期に間にあってほしいなぁ。

 ツいてないときはとことんツいてないことが起こる。しかも立て続けに。

 私の失せ物が見つかる気配は、週半ばを過ぎても一向になかった。そもそも、どこで失くしたのかすら記憶にないのだから探しようがないよね。わざわざ学校まで出向き色々と探し回ったのに得るものはなく、逆に失うもののほうがかえって多くなってしまった。
 警察に届け出をしたから見つかった、なんてこともなく、私のお財布は依然その行方をくらましたままだ。

 代打の財布をぺりぺり開けて中の所持金を確認する。開閉方式がマジックテープの財布とはいえ、ブランドものですよ、これ。だから笑わないで。

「あっははあはは、ゴメンゴメン。でも、あはははハハは……」

 バイト場のバックヤード、従業員用の休憩室で、私の財布を開け閉めしてはバカみたいに笑っているアイ。ちょうど今日は二人でシフトが入っている日だったので、先日電話で話題になった代わりの財布が、今テーブルを囲んで話題の槍玉として掲げられている。前に使っていた財布は、このマジックテープのやつしかないんだもん。

「笑うなよぉ……でも、本当、どこいっちゃったんだろ……私のお財布」

 テーブルの上にアゴを乗せ、ため息混じりにホコリを一掃する。代わりの財布っていうのはちょっと慣れない。なんていうか、お金を入れるものって、自分のものっていうちゃんとした所有意識があるじゃない? 代わりはないんだよ。自転車だってそう、携帯電話もそう、友達だってそうさ。家族だってそう。代わりなんていないの。

「最近、私ついてないんだよ。なんか呪われてるみたい」

 しっかりとした手ごたえのある財布の開閉作業に飽きたのか、私の財布をテーブルに置いたアイは、手を頭の上で組みながら考えに入った。

「そうだねぇ……一日に不吉な出来事が重なるってのは、確かに妙だね」
「でしょ? そう思うよね? なにかきっと良くないことの前触れだよ」

 生首よろしく、机の上で顔をごろごろもてあそんでいると、対面するアイも真似をして、毎度のことながら私を諭し始める。

「だぁかぁら、深刻に考えすぎだって。そんなに暗い気分でいるから、また良くないことが起こるんだよ」
「だってぇ……」

 簡単に、ぽんと変わりのものが用意できないからこそ、その一つを大切にすべきなんだ。

「仕方ないだろ、お気に入りだったとしてもさ。ほら、気分一新。そんなんじゃあ楽しめないぞ。今日の花火大会」

 明日から2学期が始まる。今まで起こったことは私がどうあがいても変えられないんだったら、今ある問題をどうやって片付け、どう新しい人生を歩んで行くかが重要になるんじゃないか。つい先日までの私は、そこまで気持ちを盛り上げることはできなかったが、夏休み最終日のバイト先で私は決意を新たにした。
 それに今日はかねてから約束していた、3年に一度の大花火大会の日だ。気分を一新するのにはもってこい。今日から、皆藤はるかは生まれ変わるのです!

「あ、そういえばアイ、連絡ついた?」

 主語が抜けています。しかし、アイはどうやらその答えを持ち合わせていたようで、

「いや、ぜんぜん。メールしてはいるんだけどね」

 里佳子ちゃんとはいまだに連絡が取れていない。「待ち合わせ場所と時間」を記載したメールなら、ずいぶん前から迷惑メールかと思われるくらいの頻度で送り続けている。というか、親しい仲だとしても、迷惑がられるレベルだ。
 日曜の午後6時。ココからの時間が込み合ってくる絶好のかき入れ時、私たちはすでにバイトを切り上げて、花火会場へと向かえる権利を勝ち取っている。問題は3人揃うか。

 それだけだった。

 あの日以来、里佳子ちゃんとは連絡がほとんど取れていない。6日くらい音信不通になってしまっているこの状況、本来ならなにか事件にでも巻き込まれたのかと疑ってしまうくらいなものなのだけど、引越しの準備をするという理由も、私たちにとっては大いに事件として扱える出来事だ。

「どこでなにやってるんだか」
「今、こっちに向かってるのかもよ?」
「だと、いいんだけど」

 バックヤードはお店の裏手側に面しており、ちょうど太陽が沈むところを一望できるところにある。ともすれば、ここでじっと座っているだけでも良かった。ココからの眺めは、恐らく私の計算上、花火を見るにはもってこいの場所のはずだ。でも、そうもしていられない。私たちは、里佳子ちゃんを約束の場所で待たなければならなかった。
 沈み行く太陽をしばし呆然と眺める。次第に光がなくなっていき、バックヤードにも文明の光が射す頃合い。二人の静寂を打ち破る音が、私のバッグの中から、部屋中に響き渡った。このメロディは……着信か?

「もしかして!」
「里佳子ちゃんからかも!」

 つい先ほどまで、外に映っていた太陽の光のように消えかけていた希望が、再び私たちを照らした。なんだ、やっぱり連絡つくんじゃん。もう、心配させないでよ。半ば確信に満ちた笑顔を作り、アイがイスから飛び跳ねた。せっせと外へ出る準備を始める。荷物まとめる前に着替えろよ。
 疑うことすら忘れた私は、電話口にいるのが私たちの親友、里佳子ちゃんであると思い込みすぎていた。だからというわけではないが、私を呼ぶお母さんの声も、若干か細く、繊細なものに聞き取ってしまったのかもしれない。
 電話口にいたのは、私のお母さんだった。

「もしもし、はるか?」

 とりあえず空いている左手を、礼拝するときのようにぴっちりと立ててアイに合図を送り、

「なぁに、お母さん」

 と言い切る前に、目の前ではしゃいでいた女の子は力なくパイプイスにへたり込んだ。今にも消えてしまうそうな太陽をバックにして、なんと絵になる構図だこと。

「あんた、すぐ西方大宮病院に来れる?」

 病院? なんで?

「どうしたの?」
「ワタルが……怪我したのよ」

 震えるお母さんの声は、その出来事がなにかただならぬものであることを暗に物語っていた。

「ゴメン、アイ。弟が怪我したみたいで、お母さんが病院にこれないか、だって」
「ありゃ。ワタル君? 大丈夫なのかよ?」
「どうなんだろう。行ってみなきゃわからない……待ち合わせまでには戻れると思うから、ちょっと病院行って来るわ。それまで待ってて」
「おう。早く行ってあげな」

 待ち合わせまであと一時間ある。少ない時間を使い、私は弟がいるであろう西方大宮病院を目指した。

著者:クゲアキラ

イラスト:奥野裕輔

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