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2017.02.28

はるかの星【第22回】

はるか 矢立文庫


 下駄箱に靴を押し込み、誰もいない廊下へと歩を進める。

 土曜の学校は静かだ。教職員も部活動の顧問以外はほとんど来ていない。今日のような日に誰か人を捜すというのなら、こんなに簡単な日はそうないだろう。目の前を逆方向に疾走して行く、夏だというのに長袖の服を着ている特異な格好の男を探すと言うのなら、なおさらだ。
 アイがすれ違いざまに男の腕をとっ捕まえる。この子は本当に男に勝るとも劣らない腕力を持ち合わせているのか、力負けして後頭部を強打しそうになるその男子生徒は、間一髪受身を取り、お決まりごとのように両肘を冷たいアスファルトの床に打ち付けた。両肘をさするその姿は、なるほど、寒さを紛らわせるために長袖ジャージを着用しているのだと自然に思えるリアクション。だが、立秋を過ぎたとはいえ、まだまだ夏日が続く今日この頃。長袖でもまだ汗ばむこの季節に、なぜこの非運動系部活のこの子は長袖なのだろうか?

「保守チェックで大忙しさ」

 見た目は実にすがすがしい水色のジャージの袖をまくりあげ、強打した肘をさするコンピューター研の副部長、柏木青年は、やれやれといった表情でこちらを見上げ、

「やっとインフラ整備ができたと思った途端、次は校内パソコンの総点検。職員室のパソコン調べるのは休みの日じゃないと、先生方の仕事に支障が出るから、だって」

 ゆとり教育のおかげか、本日は正規の登校日にはなっていない。生徒は思い思いのゆとり休暇を満喫しているはず。もしくは、己が青春のために、午後もいい時間、陽が天辺まで上り詰めて暑さ最高潮のこの時間に大きな声を張り上げてグラウンドを駆け回っているか、楽器でも演奏しているかのはず。はずなのだが、そんな“ゆとり”とは真逆の奉仕の精神を持って登校する、珍しい生徒もいるわけだ。

「っていうことは、全員来ているの?」

 アイが、必要もないのに柏木青年の腕を持ち上げ、体の後ろの部分でひねりあげる。捕虜を尋問する際に有効な関節技なのだろうが、ヘリウムよりも軽いこの男子の口を割らせるのに必要な手段かと聞かれると、そうでもないだろう。完全に技が決まる前に、素早いタップの動作でギブアップを表明する。戦意喪失というより、もともと戦意すらない彼に逆らう気は毛頭ない。

「机の下とか潜り込んで作業するからな。ホコリまみれにならないようにオレは……」
「服装の話じゃない!」

 完全に技が決まった状態では、さすがに男といえど手出しはできないようで、私がタオルを代わりに投げ込んでやるとアイは実につまらなさそうに技を解いた。

「……ってぇ~な!」
「全員“来ている”のかと聞いているの」

 コンピューター研の扉を開けると、爽やかな涼しい風が心地よく頬をなでた。人類の英知が発明したクーラーとはいかに偉大なるものか。部室では全員が席に座って作業をしていた。
 運は尽きてなかった。部長の栄太のみならず、部員全員が揃っている。先日の不具合を改善した面子が全員揃っている画は、私にとっては壮観の一言に尽きた。

「なんだ、皆藤に二ノ宮、休日に登校なんて珍しいな」

 扉を開けてちょうど真正面、全員を一度に見渡せる席に座っていた部長の栄太が、視線を合わせるなりそう言った。それ以外、私たちの登場に関して口を出すものはおらず、日差しがカーテンから入り込むオレンジで塗られた空間は、機械が動く音、キーボードをタイプする音に支配された、不気味なくらい無機質な空間だった。先ほどまで高鳴る心臓と共にふくらみを増していた期待という思いも、日陰に隠れてしまった。
 本当のところを話したところで、彼らは信じてくれるのかな?

 カーテンを閉め切った涼しい部屋で、私はことの顛末を洗いざらい話した。信じてくれる、くれないは別の話。あきらめずに、私は話した。

 星のこと。
 日記をアップしたら本当になったこと。
 しかも私の星の記事だけ。
 ウソの記事でも本当になったこと。
 しかし、ひとたびイエロー警告を受けると、なにを書いても警告を受けるようになってしまったこと。
 それによって受けたペナルティと同じ現象が、今度は本当に起こるようになったこと。
 やっと仲良くなれた里佳子ちゃんとの離別。
 弟の再起不能の怪我。
 そして、今は母の危機。
 星が消える警告が出た瞬間から、母の危機は始まった。

 星が消える。

 それが、本当だとして、完全に星が消えてしまったらどうなる?

 嫌な想像が頭をよぎる。話をしながら、私はいつのまにか涙を流していた。止めようと思っても止められない。崩壊した防波堤はもはや波をせき止める能力を持たない。

「だいたいの話はわかった」

 部室の中央にイスを車座に並べて話を聞いていた栄太が静寂を切り裂いた。最終的に涙でぐしゃぐしゃになってしまった私の、要領を得ないぐしゃぐしゃの話を聞いて、栄太は一通りのことを飲み込み、理解してくれた。話したところで、どうせ理解なんてしてもらえないと多少の不安を抱えてはいたのだが、彼の自信ありげな表情は、いつになく頼りがいのあるものに見えた。
 アイが心配そうにこちらに視線を投げかけるが、私は少し首を横に振って答えてみせる。自分の足元にイスがあることも忘れ、私はその場に立ち尽くしていた。気を抜いたら、倒れそうになってしまう。
 はっきりと、自分の意思で私はここにいたかった。
 全部自分の責任。
 だから、最後まで自分の力で何とかしたかったのに。膝頭が高所に立ったときのように震える。それを知ってか知らずか、栄太がその視線の方向をアイに向けた。言葉は交わさなかったが、彼と彼女の仲で明確な意思の疎通が行われたことは確かだと言える。そっと私の両肩にアイが手をかけて、私は優しくイスへと誘われた。座ったあとも、ずっと私の肩を支えてくれているアイの手のひらは、ほのかに暖かい。

「つまり、今までのペナルティの傾向からして、星の消滅により、皆藤の母ちゃんが、その……死んでしまうんじゃないか、ってこと?」
「んな、アホな……」

 予想はしていた。私だって、突然そんなこと言われたら困るに決まってるし、信じろって言われても難しい。
 にわかには信じがたい設定に疑問符を投げかけるものはいるが、誰ひとり、笑い飛ばしたり一笑に付するものはいない。私がナミダながらに訴えかけたからなのかは正直わからないが、端から見ていてもわかるのは、彼らのトップが一番真剣に、私の話を聞いていてくれていたということ。

「で、皆藤のアカウント削除のタイムリミットはいつなんだ?」

 一番奥のイスに座っていた栄太が足組みを解きながら問いかける。話すのに全生命力を使い切ってしまい、今はえずくくらいしかできない私が返答に四苦八苦していると、横からアイが答えた。

「今晩の22時ぴったり。それがタイムリミットよ」

 アイの手のひらに若干の力が込められるのがわかった。私が震えているからではない、アイも震えているのが肩越しにわかった。
 前かがみになった栄太が床を見て動なくなっている。なにか必死で考えるとき、彼は決まってこのポーズを取る。両ひざの上にひじを突き、両手の五指を互いに絡ませあい、何かに祈るようなポーズ。次第に考えがまとまっていくと、かかとを上げては下げ、リズムを刻んでいく。こうなった状態の彼に、なにを言っても上の空。部員も皆それを理解しており、むやみやたらに口を開くものはいない。
 ちょっとした沈黙。
 部屋に私の鼻をすする音しかしなくなったとき、栄太が重い首を持ち上げて、全員を見渡した。

「今何時だ?」

 どこを見るでも、誰に合図するでもなく栄太が問う。それに応え、部員がそれぞれの腕時計に目を配らせる。全員が同じ動作を一瞬で行い、いち早く反応した柏木青年が答えた。

「14時51分」
「残り7時間か……」

 ボソッとつぶやくと、それまで石柱のように動かなかった栄太が、一気にその姿勢を崩した。両の手のひらを膝に勢いよく叩きつけ、その反動で立ち上がる。いきなりの行動に部員全員の視線が彼に集まった。ビックリした目、不安な目、懐疑の目、いろいろな視線を一身に受けながら、彼は言う。

「作戦会議だ」

 時刻は15時ジャスト。アカウント削除のタイムリミットまで、残り7時間。

 

「最近噂になっている、校内ネットワークの不具合、知っているよな?」

 ルーズリーフのバインダーを小脇に抱え、検事が被告人のアラを探すがごとくせわしない動きで栄太が部屋に入ってきた。

「そのウィルスは各地に広がり、被害は今や全国規模になりつつある」

 中央の大きなテーブルに証拠の資料を広げると、両の手をついて大見得を切りながら、部員をなめ回すように見渡した。誰も悪さをしている人間はこの部屋にはいないはず。ましてや、今回の一連の学校襲撃ネットハッキングに関係しているものは皆無のはずだ。目に見えない犯人に向かって投げられたであろうその視線は、その目標を失うや否や、いつもの――どこかすべての物事を達観してしまっているかのような――栄太のそれに戻った。

「先日、オレらが駆除した出所不明のウィルス。その正体がわかった」

 口で説明されたとしても、完全に理解するのに何年かかるかわからないほどの単語の数々が羅列してある作戦概要書。その一枚一枚を部員の皆は食い入るように見入っていた。赤や青のマーカーでペン入れされた資料が次々とめくられていき、最終的に残された最後の1ページに、大きな赤いまるで囲まれた、これまた謎の一文が全員の視線を集めた。

「やつらのやり口は、特定のHPに対する“寄生”だ」

 一人イスに腰掛けて、すでに別の資料に目を走らせている栄太が説明した。

「ある特定のサイトにアクセスした時点で自動生成するタイプのウィルスを忍ばせておく。もちろんそれだけでは感染するには至らない。そのサイトにある特定のスクリプトコードを挿入してダミーを作るんだ。偽造ページってやつだな。端末から見れば普通のページにしか見えない。そして不正なページへとアクセスしてしまったが最後、ウィルスに感染してしまう、ってわけさ。感染したパソコンは、保存されているデータを外部に流出させてしまう。やっかいなのは、うちの例から見てもわかると思うが、やつらは『ワーム』タイプだってことだな」
「ワーム?」
「自己増殖する、悪意のあるプログラムのことをワームっていうんだ」

 とりあえず、この輪に参加したはいいが、なんの話が進んでいるのかてんでわかっていない私たちに、柏木青年が救いの手を差し伸べてきた。知りたかった単語一言つぶやくだけで、私たちの頭の上に浮かんでいるハテナマークが全部消えるわけではないのだが、今のこう着状態を打破するには十分すぎる単語が彼の口を破って出た。

「そいつの住処が……『Planetぜろ』にあるのか……」

 一瞬の沈黙。栄太がこれからやろうとしていること、それが現状打破の鍵になる。

「やつらが作り出した捏造サイトは、この『Planetぜろ』にある、特定のページだ。ここにアクセスしたら最後、強制的にウィルスデータが組み込まれ、個人PCの中に駐在させられる。そのウィルスは自動的に個人のネットワーク内を徘徊し、自在にデータを操ることができるってわけさ。皆藤のアカウントデータも、恐らくどこかのサイトにアクセスした瞬間から、こいつにやられたんだろう」

 説明を受けてようやく事態を理解しかけた私をよそに、まだまだ理解の足りていないアイが、簡潔な答えを栄太に要求した。

「つまり『Planetぜろ』に住み着いている悪いやつらをぶっ潰せば、はるかの星は助かるってこと?」
「それだけだと不十分だ。原因を駆除しても、現状を打破できない。ウィルスの危険が去ったとして、本来のプログラムによる星の消滅を食い止めなきゃいけない。レッドカードを取り消さないとな。しかし、ペナルティの認定は本来、このサイトの管理者の正規プログラムだからな」
「それって……俺らが犯罪者になるんじゃあ……」

 久坂と皆本君が菊池に視線を投げる。わかっているけど、お前それを今確認するのかよ? といった疑問を投げかけるような眼差しは、次第に部長へと移っていった。恐らく、今回の一連の騒動に関する報告、対処法が栄太の持ってきたプリントに記載されていたのであろう。結構無茶な感じの内容で。

「侵入経路は残さない。もちろん、その痕跡もな」

 残暑の厳しさからではなく、明らかに違うものからくるプレッシャーで額に汗を浮かべている菊池に栄太が諭す。その表情は、今からとんでもないことをしでかそうとしている人間とは思えないほど、さわやかだ。

「説明する。時間がないんだ、きっちり一回で頭に入れろよ」

 こうなると、他の部員が口を挟むことは不可能だ。ましてや、部外者の私やアイが入り込む余地はない。テーブルの上に、今度はまっさらな紙が用意され、これまた理解不能な数式やアルファベットが次々に書き込まれていった。

「時間は思うほどないぞ。早速とりかかろう」

 栄太の調べによると、私の最近5、6回アップした記事は全てハッキングにより捏造されたものらしい。『Planetぜろ』を管理するサイト『webweb』の管理の方法もオートメーション化されており、レッドカード判定をつけるのがチェッカーで、その後の処理はすべて自動処理されるようになっているのだそうで。警告さえ取り除いてしまえばその処理はストップされるという仕組み、のはず。これも栄太が調べた。
 今回の一連のネットハッキングはここを発端として、ありとあらゆる情報を操作し、本来のデータをあらぬものへと変えていくものだった。『Planetぜろ』にアクセスするその過程で、個人PCにウィルスデータを強制的に収容させて、企業などのデータを収集するというものも典型的な被害例のひとつだ。
 その集団の目的に関しては知る由もない。知りたくもない。ただ、このウィルスによって作られた異常データを、警告文と共に消し去れば、あるいは全てが上手くいくかもしれない。
 そう、この星を救えば、私のお母さんも助かるかもしれない。それは、天界から垂らされた一本の蜘蛛の糸だ。

 陽は完全に傾いて、部室を照らす光は、モニターから零れ落ちる蒼白い光のみとなっていた。照明を灯す余裕すらない、ぎりぎりの攻防。
 完全駆逐をするまで、私の星をいじることができない。構成プログラムの都合上、私の星を救うのは一番最後の作業になってしまうのだそうだ。

「脅威を完全に排除するまでは、正規のデータを操作することはできないんだ。もともとがwebwebによって正しく作られたものだからな」

 時計の秒針が時を刻む音、キーボードをたたく音、なにかをクリアする音、実に静かな部室の中に響き渡る電子音の数々が重苦しい空間を飛び交う。
 アカウント削除、タイムリミットまであと1時間30分。

著者:クゲアキラ

イラスト:奥野裕輔

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