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2021.07.13

クリエイターインタビュー 第2回 谷口悟朗 <前編>

 


 

サンライズワールドのクリエイターインタビューの第2回は、今年で放送20周年を迎え、現在も多くのファンから支持されるバトルアニメ『スクライド』の監督を務めた谷口悟朗さんが登場。前編では、サンライズとの関わりから、自身の影響を受けたクリエイターや初演出作品など、サンライズに関わった当初を振り返ってもらった。

 

――どのようなきっかけでサンライズでお仕事をするようになったのでしょうか?
 

谷口 私は以前、J.C.STAFFという会社で制作の仕事をしていたんです。当時、J.C.STAFF ではビデオアニメを作っていたんですが、アクションやメカのアニメーターさんがサンライズの仕事をしている方とかぶっていたんですよ。問題は締め切りでして、サンライズはテレビアニメの制作が中心だったので、そちらを優先するアニメーターさんが多くて困っていたんですよね。支払いを調整したりしてなんとしてでもサンライズの仕事を後回しにさせたい。と、そういう競争相手のような関係でした。規模は勝負にならないんですけどね。だから、最初はサンライズに来るつもりは無かったんですよ。
その後、当時のJ.C.STAFFでは演出になれそうにないので辞めてしまいます。アニメ界から距離をおいても良かったのですが、ありがたいことにいくつかの会社からお誘いをいただけて。ただ、どこも制作デスクやアシスタントプロデューサーとして声を掛けてくるという感じでした。自分としては、その先の仕事として演出をやりたいと思っていたんですが、それに関してきちんと話を聞いてくれたのがサンライズのプロデューサーの内田健二さんだけだったんです。J.C.で監督をやっていた江幡宏之さんが内田さんになにかの機会に「こういうやつがいる」と話してくれていたらしいんですね。「演出になれるかどうかは、実力次第だけど、そのための試験を受けさせることはできる」と言ってくれました。だから最終的にサンライズでお仕事をすることを選んだんですが、当初の関係から考えると本当に事故みたいなものですね(笑)。

――そして、初めての現場として『絶対無敵ライジンオー』に参加されたんですね。

谷口 そうです。川瀬敏文監督の『絶対無敵ライジンオー』は、全くの新規企画だったので、サンライズ側のスタッフはすでに既存の作品に割り振られていて、スタジオが出来た当初は人手が足りなかったんです。そんな状況だったので、私の方でかつて一緒にお仕事をした色彩設計の方を引き入れてみたり、他の人は日本アニメーションで仕事をしている作画さんにキャラクターデザインコンペに参加してもらったりといろいろおかしなことをしていましたね。だから本当に寄せ集めみたいな感じで。ただ、演出陣だけはサンライズの生粋の方々にプラスして、アニメーターから演出になりたいと希望した佐藤卓哉さんが新人として入られていました。私は設定制作でクレジットされていますが、気持ちとしては演出のつもりで現場に入っていましたね。当時は他の会社では設定制作は存在しないポジションなので、どういう仕事かわからないんですよ。だから、いろんな作業をやっていて、次回予告に関しては全部書いたりしていました。
 

――その後、『絶対無敵ライジンオー』の総集編にあたる第45話「発表! 防衛組大百科」では初演出を担当されることに至りますね。
 

谷口 秋口くらいに演出家昇格試験みたいなものをやると言われて。他にも進行さんからひとりと、当時の勇者シリーズを作っているところからひとり、一緒に受けることになりました。他の演出志望の皆さんには『ライジンオー』の脚本を渡してコンテを切ってもらう形だったんですが、私は設定制作をしていたので『ライジンオー』に関してはいろいろ知っていて有利になるから、脚本から全部書いて持って来いと言われたんですね。脚本を書いて、コンテにして、バンクを入れるところを指示して持っていったところ、「お前は明日から演出ね」と言われたという感じです。
 

――制作進行や設定制作から演出になるにあたっては、そうした試験があったんですね。
 

谷口 会社のイベントとして絶対にやるというものではなくて、ある程度希望者が集まったらやるという、そんな感じだと思います。私の場合は『ライジンオー』のローテーション演出で入られていた杉島邦久さんの話を聞いて、学んだことが特に役立ちました。杉島さんは、富野さんのもとで設定制作をやっておられた方なんですけど、とある作品のときにコンテマンから全然コンテが上がってこないからと、自分でコンテを切って富野さんに出したらしいんです。すると富野さんが「お前は今日から演出だ」と言ってくれたということがあって。その話を聞いて、やはり具体的に行動に移した者の方が強いなと。実際に行動した人と出会えたのはやはり大きいです。J.C.STAFFの仕事でお会いする方は、大ベテランか初監督をするアニメーター出身の方が多く、ローテーションの演出さんと話す機会は少なかったので、とても勉強になりましたね。他、山口祐司さんや河本昇悟さん、佐藤育郎さんなど、このときにお会いした方々には感謝しています。
 

――サンライズに来て影響を受けた方として、高橋良輔さん、川瀬敏文さん、今川泰弘さんを挙げていらっしゃいますが、みなさんにはどのような影響を受けたのでしょうか?
 

谷口 自分にとっての演出の師匠が川瀬さんと今川さん、監督の師匠が良輔さんだと思っています。川瀬さんには、演出家としてやらなければいけないこと、必要なことのいろはや、考え方、姿勢というものを教えていただきました。次に、今川さんが監督されていた『機動武闘伝Gガンダム』の現場に入ったんですが、今川さんは川瀬さんのやり方とは違ったんです。ある意味、真逆でした。おふたりとも富野さんのところで学んだはずなのに、現れ方がこんなにも違う。つまり、間違いというものはなくて、演出家としてどちらも正解であるということを知ることができた。そして、今川さんからは哲学を学ばせていただきました。だから、今川さんも演出の師匠なんです。
良輔さんに関しては、演出のことは何ひとつ教わっていなくて、「監督作品というものはどうすれば実現するのか?」、「メーカーとはどう付き合えばいいか?」など作品を実現するために必要なことや作品の外側にあることを学びました。そのうちの一つが、「10歳以上下の世代に向けて作品を作れ」ということですね。これは学びと技術と営業のために必要なことです。他には、仕事の成果は自分で独り占めせずに、スタッフに全部あげろと。すると、そのスタッフが二度と一緒に仕事をしてくれなくても、その周辺の人達が集まってくるからと言われました。

 

――長い目で見て、監督としてやっていくためのやり方などを教わったわけですね。
 

谷口 そうです。だから、良輔さんと川瀬さん、今川さんでは、私の中ではテリトリーが違いますね。ちなみに、制作という仕事に関しての私の師匠は、J.C.STAFFの創業者の宮田知行さんと、内田健二さんです。
 

――初監督作の『無限のリヴァイアス』を経て、『スクライド』を手掛けることになった際、「こんな作品が作りたい」というビジョンはあったのでしょうか?

谷口 ありましたね。『無限のリヴァイアス』では群像劇、集団としてのドラマをやったので、今度は個人に特化したドラマをやりたかったんです。わかりやすく言うと、『空手バカ一代』みたいなものがやりたいと脚本の黒田さんに相談して、そこから始まっていますね。あまりややこしいことを考えずに、最初から最後まで殴り合いだけ。そこに人のあるべき道とか革新とか何もいらないという。当時は、私からすると何かおかしな理屈の言い合いをする作品が多くて、もうそういうのはいいだろうと。また、アクションものにしても、「大きい声を出したものが勝ち」というようなアニメも多くて。そういうのではなくて、「負けたっていいから純粋に殴り合いましょう」というのが、自分でやりたいものでした。エンタメとしての技名叫びとかははいってきてしまうので、まぁやれる範囲で、ですが。漫画畑の人からするとヤンキー漫画の構造に近いかもしれませんね。
いずれにせよ、『スクライド』は私にとってはボーナスみたいな作品でしたから。

 

――『無限のリヴァイアス』がヒットしたボーナスということですか?
 

谷口 そうです。「サンライズの仕事は、多分これでおしまいだ」と思っていたので。元々『リヴァイアス』の監督もやらせてもらえると思っていなかったんです。当時のサンライズで監督になるには、サンライズの制作進行になり、演出になって、富野さんのところで演出家として鍛えられて、役員の方に気に入られるというルートしか無かった。私はそこから外れているので、「もう少ししたらサンライズから離れてよその会社で監督をやろうか」と考えていた時期でもあったんです。でも、時勢が味方して、サンライズでも出戻りの人や外部の監督を使うようになっていたんです、さらにもっと血を入れ替えないといけないというところから、新人も抜擢しよう、若手にチャンスを与えようという流れがあって。勇者シリーズの監督をするはずだったんですが、それはシリーズごと流れてしまって。でも、『リヴァイアス』の企画が残ったから撮ってみたら上手くいってしまった。それは本当にたまたまという感じで。『スクライド』に関しては、さらにそのオマケという感じでした。それこそ、売れるとか売れないとかあまり関係なくやらせてもらえたんです。一方で、世の中的には美少女アニメが大ヒットしていて、それが主流になっていた時期でもあって。そういう大きな時代の流れの中で、「こういう作品があってもまあいいじゃん」という形でやることができる隙間がたまたまあったんですよ。

 

(後編に続く)

 

谷口悟朗(たにぐち・ごろう)
1966年10月18日生まれ、愛知県出身。アニメーション監督、演出家。プロデューサー。
1991年放送の『絶対無敵ライジンオー』に設定制作として参加。
1999年に放送された『無限のリヴァイアス』でテレビシリーズ監督デビュー。以降、『スクライド』『プラネテス』『コードギアス 反逆のルルーシュ』など、数々のヒット作を手がける。
最新作は『スケートリーディング☆スターズ』や『バック・アロウ』

 

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