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2021.10.11

クリエイターインタビュー 第5回 谷田部勝義 <前編>

 

 

 

 

昨年30周年を迎え、超勇者展などで盛り上がりを見せている「勇者シズ」のインタビュー企画の第1弾。記念すべき勇者シリーズ第1作目となる『勇者エクスカイザー』から、『太陽の勇者ファイバード』、『伝説の勇者ダ・ガーン』までの監督を務めた、谷田部勝義さんに話を伺った。前編では、サンライズ入社からお世話になった先輩監督たちとの関わり、そして初監督作品であるOVA『ダーティペア』から「勇者シリーズ」の立ち上げに至る経緯を伺った。


――サンライズとは、どのような経緯で関わることになったのでしょうか?
 

谷田部 サンライズに入る前は、タツノコプロの下請け会社で制作進行をしていたんです。演出の仕事をしたいと思っていたのですが、仕事を通じていろんな人と会ううちに、この先、下請けに所属し続けていてはダメだということが判りまして。その後、いくつかの伝手を辿って、タツノコプロ、東映アニメーション、サンライズを紹介してもらったんです。タツノコプロは前の下請け会社との関係で採用してもらえず、東映アニメーションは労働争議などがあった直後ということで、社員を採らないという状況でした。続いてサンライズに行ってみると、後にプロデューサーになる長谷川徹さんとお会いできて。話をしながら、「いきなり演出での採用は無理だから、1年間制作進行をやって欲しい」と言われて採用してもらいました。最初に入ったのが高橋良輔監督の『サイボーグ009』の現場で、そこで1年間制作進行を担当すると、長谷川さんが約束を守ってくれて、翌年には富野由悠季監督の『伝説巨人イデオン』に演出助手とバンク係という形で入れていただけて。それから随分後に関わることになる勇者シリーズは、バンクが多い作品で、1本の作品に100カットくらいバンクがあるんです。それも、バンクを1つ持って来て組み込んで終わりではなく、ストーリー展開に合わせて、このロボットとこのロボットのバンクを組み合わせて1カット作るとか、そういうケースが多くて。そんな複雑なバンクの組み合わせをどう管理すべきかという簡単なシステムを作るんですが、それはこの頃のバンク係での経験が生きている感じですね。
 

――富野由悠季監督や高橋良輔監督とはどんなやり取りをされたのでしょうか?
 

谷田部 富野さんのところに行くと、まず『伝説巨神イデオン』の第1話の予告編を作れと言われました。上がっていた第1話のコンテを切り貼りして持っていったら「こうじゃない!」って直されたんですが、その場でササっと直しを入れられて「なるほど」と思いましたね。その後は、まったく経験が無いのに撮影出しという背景とセルを合わせて撮影に渡す仕事を任されまして。まだ経験が浅くて、リテイクとかもわからない状況だったこともあって、セルの長さが足りない部分は撮影で何とかしてみたりもしましたね。そして、今度は第1話のフィルムが上がると編集も任されて。これも全然わからないから、相当時間をかけて作業をするわけですが、その間も富野さんは別の作業をしながらずっと黙って待っていてくれて。「出来ました」って持って行ったら「遅い!」って言われながらもチェックしていただいて、その場でパパッと作業して「これでいいんだよ」と直してもらったり。そんな感じで、最初の現場で富野さんにはいろいろ教えてもらいましたね。その結果、『伝説巨神イデオン』の終わりの方で演出を任せてもらえたという感じです。もちろん、良輔さんにも現場でいろいろと勉強させていただいて、演出としては『太陽の牙ダグラム』、『装甲騎兵ボトムズ』、『機甲界ガリアン』、『蒼き流星SPTレイズナー』などたくさんの作品でご一緒させていただきました。
 

――富野監督、高橋監督、そして神田武幸監督をご自身の師匠だと語られていますが、どのような要素を学ばれたのでしょうか?
 

谷田部 富野さんは技術ですね。先ほどお話した予告編の作り方をはじめ、ひとつひとつ見本を見せて身体で教えてくれるんです。演出的な考え方に関しても、テレビアニメとしてどううまく省略して見せるか、カット尻を長めにすることでカットの切り替わりを観ている側に意識させない見せ方など、テクニック的なことをいろんなことを学びましたね。また、こちらに投げかけられる言葉乱暴ですが、すごく面倒見がいい方で。『伝説の勇者ダ・ガーン』をやっていた時は、全然違うスタジオなのに富野さんからお褒めの言葉と「ここはダメだ」と意見が書かれた長めの手紙をいただいたことがありました。富野さんはスタッフとお酒を飲まれなかったので、会ってお話をする機会が少ないんですが、そうした面倒見がいいところが印象に残っていますね。
良輔さんは、そうした細かい技術的なことは言いませんが、プロデュース能力や企画力が凄くて。作品制作を通じて、人と人を繋げていくようなことを得意としていて、人望でどんどん状況を動かしていく感じで。プロデュースタイプの監督というのはこういうことかという部分をいろいろ見せていただきました。『太陽の牙ダグラム』や『機甲戦記ドラグナー』などでご一緒した神田さんは、本当にフィルムが大好きな方で。編集作業が終わった後に編集さんを帰らせて、さらに自分で編集後のフィルムをいじるんです。人に指示を出すよりも、自分でチマチマとこだわり続ける。そういう方でしたね。あと神田さんは実写映画が大好きで、キャラクターを作って欲しいと頼むと、「ハンフリー・ボガートみたいな感じで」と実写の役者さんを挙げたりとか、そうした引き出しの仕方などには感心したことがあります。
あとはもう一人、影響を受けた人と言えば劇場版『ダーティペア』でご一緒した、真下耕一さんですね。真下さんは絵描きを乗せて描かせるのに力を注いでいて、「アニメは絵だから」とこだわって、そこで制作サイドとケンカする位の感じの方でしたね。だから、絵描きからいい絵が上がってくるとそれを取り入れていくような感じの理知的なところは学べる部分が多かったです。

 

――そうした監督たちとの関わりを経て、OVA『ダーティペア』で監督デビューされるわけですね。


谷田部 『ダーティペア』という作品では、真下さんが監督をした劇場版に演出で関わらせてもらって。その後、真下さんの橋渡しがあって、次のOVAへと繋がっていった感じです。それもちょっと変わった経緯があって、劇場版の打ち上げの際に、ビンゴだったかクジの景品に、関係者の名前を勝手に書いた冗談半分の景品の「1日奴隷券」というのがあったんです。その券を持っている人に1日言うことを聞いてもらうことができると。その時、僕が当たったのは主題歌を歌うアーティストの方の券だったんですが、それは真下さんに取り上げられまして「お前はこっちにしろ」と渡されたのが原作者の高千穂遙さんの1日奴隷券でした(笑)。真下さんは、『ダーティペア』という作品は、『007』のように同じキャラクターを毎回作品ごとに監督を変えて描いていくものだと考えていまして。だから、テレビシリーズ、その後のOVA、劇場版と監督が代わっていくべきだということで、その後に僕がOVAで監督をすることになったんです。『ダーティペア』のアニメでは映像化するにあたって、高千穂さんから「シャワーシーンはNG」、「ダーティペア側から先に攻撃するのもダメ」という禁止事項があったんです。OVAは2話がひとつのパッケージで、全部で10話作ることになっていて、2話のうち1話は『ダーティペア』らしいエピソードにすれば、残りの5話をちょっと遊び心を入れた話にしてもいいということで、ホラーやラブコメ、オカルト、ハードボイルドなどのエピソードを入れさせてもらって。その中のラブコメ回は僕がコンテを担当して、そこにシャワーシーンを入れてしまったんです。もちろん、高千穂さんからは「これはダメだって言っただろ」と言われたんですが、「1日奴隷券があるので、それで今回は許してやる」と言ってもらったことがありましたね。真下さんは、そうしたことも見越して、「1日奴隷券」を僕に渡したんだなと思いましたね。
 

――その後、いよいよ「勇者シリーズ」が立ち上がるわけですが、企画にはどのような段階から参加されていたのでしょうか?
 

谷田部 本当に最初期からですね。乗物から変形するロボットあるので、それをもとに何か話を作って欲しいというのがスタートでした。そこで、メインはパトカーにして、他の乗物から変形するロボットが登場して、そのロボット同士も合体するという話で行こうと。演出で参加してくれた高松信司君と相談して、2人でお話を考えていきましたね。その頃にOVAの『ダーティペア』の演出をしていた渡辺信一郎君が面白そうなので参加してもらって。スポンサーであり、玩具の発売元のタカラさんも試作段階のものをもってきてくれて、その玩具が出来上がっていく様子も知っていった感じですね。
 

――スポンサーであるタカラさんとは、「勇者シリーズ」に関しては、どのような話をされたのでしょうか?
 

谷田部 タカラさんはずっといろんな変形合体ものを作ってきたんですが、アメリカに進出するとハズブロ社に『トランスフォーマー』という名前で括られてしまって。その結果、『トランスフォーマー』の権利が複雑になってしまったので、同じようなコンセプトの玩具を違うタイトルとして、日本国内での発売向けに作ろうというのが、「勇者シリーズ」の始まりになります。もちろん、玩具として『トランスフォーマー』になったもののノウハウがありますからそれを活かした開発がされていたんですが、「勇者シリーズ」を始めるにあたっては、ストーリーを作って欲しいというのがメインだったようです。一方で、サンライズのプロデューサーとして関わっていた吉井孝幸さんは、『機動戦士ガンダム』以降はリアルロボットものがどんどん出て来たけど、ヒーローロボットものが無くなってしまっていることを不安に思っていて、年齢層が高くなるのはいいけど、その一方で小さい子供向けの作品があれば、そこから先に広がっていくだろうとも考えていたんです。僕もそれには同感で、小さい子供向けにコンセプトを考えていきました。

<後編>に続く

谷田部勝義(やたべかつよし)
1956年7月11日東京都出身。アニメーション監督、音響演出。
1979年に制作進行として入社。演出助手、演出を経て、1987年発売のOVAダーティペアで監督デビュー。
1990年に放送はスタートした『勇者シリーズ』の第1作の『勇者エクスカイザー』から、『太陽の勇者ファイバード』、『伝説の勇者ダ・ガーン』までを監督。
監督作品に『古代勇者 恐竜キングDキッズアドベンチャー』、『フラッパー』、『こんにちはアン』などがある。
大阪芸術大学 キャラクター造形学科 アニメーションコース教授。

 


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