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【第02回】高橋良輔監督旅行記「飛行機雲に誘われて」
飛行機雲に誘われて……その2『ローマ』
連載に当たって第一回目の旅行先をどこにしようか、大いに迷った。
迷った挙句、ローマにしました。
今回の連載の核に“憧れて”と言うことを謳ったのだが、憧れと言ってもいろいろあることに気づいた。楽しいもの、暗いもの、重いもの、好奇心を揺さぶられるもの、絶対見たいぜひ会いたい触ってもみたい! 等々。で……、
ローマ。…その心は、第一回だから楽しいものにと言うことで。
あれは、たぶん1971年の春――とある劇団のヨーロッパ転戦公演に参加した時のこと、最初の公演地がイタリアのローマだった。最初と言えばあたしらの航空機経験もこれが最初、出発は羽田、航空会社は今は無きソビエト社会主義共和国連邦の4発のプロペラ機、はるばるとモスクワ経由パリに到着、そこからはバスで冷え冷えのアルプスを越えてローマに入った。
ローマと言えばなんでしょう?
ギリシャと並んでヨーロッパ文明の故郷、史跡累々、歴史&美術好きには、もーたまらん! の永遠の都だ。でもあたしら勉強不得手の落ちこぼれにとってはカエサルもルネサンスも三国同盟もちんぷんかんぷん、まるでペケ、じゃあアンタラにとって何がローマなのと問われれば、
「ローマの休日! ヘップバーン!」
これ一本なのである。映画『ローマの休日』を知らない人はいないでしょうけれど、またあの大スター『オードリー』を知らない人もいないでしょうけど、
「ああ、あの妙に体を鍛えているピンクの芸人」
違う――って!! なんてことを!? と言ったところでローマの休日もオードリー・ヘップバーンも今は昔か。――知らない人に簡単に説明すると、ハリウッドが1953年に発表したウイリアム・ワイラー監督オードリー・ヘップバーン主役のおとぎ話のような甘いコメディタッチの作品で、淡いロマンスと若い王女の成長物語とでも言っていい作品である。詳しくは覚えていないが、何部門かアカデミー賞も取ったはずである。アンと言ったか、ある小国の王女が外交の一環としての諸国歴訪でローマに寄り、ふとしたことで丸一日の自由な時間を持つ、その身分では考えられないようなハチャメチャな冒険の相手をするのがこれまた若いグレゴリー・ペックで、まあ嫌味なくまったく楽しい作品に仕上がっている。この作品を嫌いになるなんてことは相当なへそ曲がりでもあり得ない。そのアン王女のセリフの中であたしらがい―っちばん! 印象に残ったのがラストシーン。新聞記者の、
「歴訪の中どの都市が一番印象に残りましたか?」
の質問に、
「それぞれの都市それぞれに……」
と当たり障りのない答えを言い掛かったのだが一拍あって直後、
「ローマです! なんといってもローマです!」
と想いのたけを込めて言い切る。
(うーん、ローマ行ってみてえ!!)
と思ったもんである。
で、有り金はたいて、芝居の旅公演に潜り込んでのローマ――結論から言えばイメージ通りラテンの明るさ歴史の厚さ、スペイン広場でジェラートも舐めましたしトレビの泉ではコインも投げたし真実の口にも手をいれた、永遠の都フォロロマーノ、日光東照宮が裸足で逃げ出すこれでもかこれでもかのサンピエトロ寺院、奴隷でなくってああよかったのコロッセロにも入ったよ。まあ観光の目玉のあらかた、それとローマの休日の主な舞台は歩いちまったなぁ……と思った数日後、
(なんか足んねえ)と……、
サンタンジェロ城前のテヴェレ川の手擦りに座って石の上を這いまわる赤ダニを見ていた。ローマってどこもかしこも石造りなんだけど、その石の上を赤い小さなダニだと思うのだがこれが無数に這い回っている。まあ針の先ほどの小ささなんだけどね。暇な旅ではこれが印象的でね。ダニを見ているうちに気が付いたね、
(アハ、足らねえのはオードリーじゃん!)
永遠の都もラテンの青空もジェラートの甘さも、オードリー抜きのサンダルペタペタの一人歩きではそりゃあサビ抜きの鮨以上の空しさだよぉ…てなことでローマの旅はツーアウト走者なしの打席でファールを入れて5スイング三振てな感じだろうか。
取り立てて観光旅行以上の出来事がなかったローマだが一回だけ、ちょっとしたスリルが。ローマは皮製品が優秀と聞いていたのでこれからの気楽な旅用に上等な皮のサンダルでも買いたいなと、繁華なショッピング街を歩いていた時、
「ハイ、買い物ですか?」
と声を掛けられた。見ると紺のスーツの、まあ紳士と言っていい見てくれの若い男がニコニコ笑っている。
「ああ、靴かサンダルでも買おうかと」
とあたしらが気楽に答えると、
「靴なら私が知ってる店がいいよ」
と親切にも店を紹介してくれたのよ。まあこう書くとスラスラ言葉が通じているようだけど、そんなことはない半分は気分で分かるってなもので、ローマ滞在も数日、まああたしらも慣れたよお、の気分だったんだろうね。無事サンダルも買い終えたところで、
「いい買い物をしたね。一杯やろうか」
と来た。こう書けばいかにも危ない展開でしょ。でもその時はそう思わせないものがあったの。で彼の知ってるところへと行くことになって、今となっては何処の横丁だか特定はできないが繁華街を一筋入った石畳の坂道。ここだよ、と案内された店は日本と違って看板もなければ明かりも漏れてこないいうなれば京都の夜の二年坂みたいなところ。半地下風の階段を数歩下ったところで、背後の方で鉄の網格子のようなものがギリギリガッシャーんと音を立てて閉まったの、さすがに、
(あれっ!?)
と思ったね。厚手の木製ドア―をくぐるとすぐカウンターバーがあり屈強な男が数人値踏みするようにじろりと見た。かのスーツ男はこっちこっちと手招きしている。それはまた別室で入ると、あれまとびっくり! 世界各国の、つまり白い人黒い人黄色い人、赤毛金髪ブルネット、美しい女性がおよそ8人一斉にこっちを振り向いた。他に客はいない。案内された席に座るとその色とりどりの女性が全部あたしらの周りに腰を下ろした。これはもう駄目でしょう! あたしらも覚悟を決めました。どう決めたか。勧められるように飲み、望まれるように歌いましたよ。もちろんカラオケなんかない時代、アカペラ蛮声張り上げて、どんな歌かって? ええとね、
青江三奈、カルメンマキ、藤圭子に藤純子、都はるみに北原ミレイにぃ――って女性歌手ばっかじゃないって、いえいえ男の歌手だって、
小林旭に高倉健、北島三郎に北島三郎に……あれ? あと誰歌ったろう? ま、とにかくですね、歌ったのは、
『伊勢佐木町ブルース』『時には母のない子のように』『圭子の夢は夜ひらく』『懺悔の値打ちもない』『さすらい』『網走番外地』『唐獅子牡丹』『緋牡丹博徒』『兄弟仁義』てなところかなあ、なんだか暗い演歌と任侠モノばかりだってか。そうよ時代はそういう時代だったのよ。大学紛争と70年安保……角棒、ヘルメット、催涙弾、みんな肩を怒らせていたんだから。もっともあたしらは石も投げない軟弱ノンポリだったけど。
とにもかくにもローマじゃ誰も知らない歌を歌いながらあたしらの心はヨーロッパ無宿てなものでありました。
結末はどうなったかって? むろんそれは恐怖でありました。示された勘定は予想通りバカ高! そんな金ないと言った、言ったとたんにカウンターにたむろしていたタンクトップのこれ見よがし筋肉ムキムキマッチョが詰め寄る。柔道もカラテも全く通用しない感じ。あたしらなけなしという感じで15000円ほどを取り出した。相手は鼻の先で笑ったね。まああのお姉さんたちのサービスを考えれば、そっちの方が理の当然! でも無いものは無いの一点張り言い募るしかない。実をいうともう五倍ほどは持っていたのだがトイレに立った時靴下の中に敷き込んだのだ、見つかったらその時はその時だと。あとニコンのカメラも持っていたのだがそちらには目もくれなかった。あとで聞いたのだがブツは証拠が残るからこのテの商売では手を付けないらしい。押し問答の末、
「カス掴みやがって」
と仲間内に嗤われながらのスーツ男に石畳の路地に押し出されて一件落着。いやあ冷や汗が三斗の経験だった。面白かったのは日本に戻ってあの開高さんの、オーパの開高健です。開高さんの旅行記にローマで一から十まで同じ手順の呼び込み詐欺にあったエピソードが載っていた。まったく同じ。でもあっちは天下のカイコウタケシ、編集者と一緒だったので金がある。ばっちりやられたらしいヒヒヒ。
1971年ローマの4月。思えばずいぶん昔ではある。どんな時代だったかと言うと4月の時点で長く続いた1ドルが360円の為替固定相場制、その年の8月にアメリカはニクソン大統領が日本の発展に合わせて変動相場制に舵を切ったのだった。