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2022.08.09

クリエイターインタビュー第11回 メカデザイナー 樋口雄一<前編>

サンライズ作品のキーパーソンとなったスタッフ陣に、関わった作品の思い出を伺うクリエイターインタビュー。第11回のゲストは、メカデザイナー、イラストレーターとして活躍する樋口雄一さん。サンライズ作品には『伝説巨神イデオン』でのメカデザインの他、当時在席されていたデザイン会社「サブマリン」としてロボット作品のパッケージなどを多数担当している。今回は、『伝説巨神イデオン』のメカデザインについてインタビュー。前編では作品に関わるきっかけや「イデオン」のデザインの誕生の経緯などについて語ってもらった。

――樋口さんが本格的にサンライズとお仕事をされた作品は、『科学冒険隊タンサー5(以下、タンサー5)』(1979年7月放送開始)からでしょうか?

樋口 多分、その頃だと思います。その前から、僕が当時所属していた「デザインメイト」で玩具のパッケージの仕事をしていて、クローバーさんからお願いされたサンライズ作品のパッケージのお手伝いや取り扱い説明書を作って、その流れで『未来ロボ ダルタニアス』(1979年3月放送開始)の仕事が来まして。『未来ロボ ダルタニアス』は会社の先輩がやることになって、僕はメカの乗り込みや発進シーンの絵コンテみたいなものを描いて手伝っていたんですが、そこに『タンサー5』が入ってきたので、そちらを僕が引き受けた形ですね。

――デザインメイトは玩具関係のデザイン会社ですが、どのようなきっかけで入社されたのでしょうか?

樋口 株式会社デザインメイトはグラフィックのデザイン会社です。僕はデザイナーになるために、デザイン系の専門学校に行っていたわけでもなく、デザイナーに関しての知識はまったく無かったんです。ただ、新聞で「デザイナー若干名募集」という広告を見つけて入社しました。そこで、筆記試験にあたる形で絵を描いてイラストレーターとして採用してもらった形ですね。入社したのは1974年で、その後当時のヒット商品である『ミクロマン』のデザインをすることになりますが、試験を受けに行った当時はその存在も知らなくて。本当に玩具業界の知識はゼロで入った形ですね。

――まさに会社に入ってから勉強していったわけですね。

樋口 そうですね。うちの会社は1972年創業で、僕が入社した当時は社員が7人いたんですね。すごく忙しくて、会社から帰れない人ばかりで。そんな感じだったので、1年以内に3人辞めてしまって、4人しか残らなかった。4人のうち、デザインをするのは後に社長になる菅原裕介(スガワラユウスケ)さんで、あとの2人はいわゆる「版下」という印刷する際の原版になるものを作る人だったので、僕もとにかくイラストを描かなくてはならなくて。その後、大変だからということで、社員を増やしていって。そして、『伝説巨神イデオン』をやる頃には人数もかなり増えてきて。入ってきた後輩に手伝ってもらいながら作業した形ですね。

――『伝説巨神イデオン』では「サブマリン」という名前でクレジットされていますが、これはデザインメイトの別の部署みたいなものでしょうか?

樋口 1978年に作った(内容は)企画部署みたいなものでしたが株式会社でした。サブマリン=潜水艦という名前の通り、表に出ない企画を進めるようなところでした。その後、それぞれを会社形態としていたので、売上げも立てなければならない中で、2つの会社にしてクライアントを分けていったという感じです。今までメインでやってきたお菓子や食玩、玩具などのパッケージなどの仕事はデザインメイトでやり、その後に引き受けるアニメと絡んだ仕事をサブマリンに振ったという形ですね。サンライズさんと仕事をした後、どんどんサブマリンの名前が世の中に出ていったので、その後皆さんに知られるようになっていったという感じです。

――そうした流れの中で『伝説巨神イデオン』のお仕事をするわけですが、最初の発注は玩具先行の企画だったのでしょうか?

樋口 そうですね。先ほど名前が出た『タンサー5』は、「探査する」というのをキーワードに、陸・海・空で活躍するメカを描いて欲しいという発注がきたんです。それぞれのメカが変形するという話になるのは、スポンサーであるトミーさんとの打ち合わせから出て来たもので、ギミックを含めて「これだったらボタン1発で変形するワンタッチ変形ができるよね」というような形で進めていったんです。その後、サンライズの山浦栄二さんと次の作品の話をする中で、「樋口ちゃん、あれをロボットにできないかな」って言われたんですよ。

――つまり、『タンサー5』でやっていた陸海空のメカを変形させて、それをロボットにできないかということですね。

樋口 そうです。とは言え、サンライズさんにお願いはされましたが、商品化のプレゼン先はスポンサーであるトミーさんになるので、『タンサー5』と同じような形で玩具として作りました。もちろん、トミーさんの展開するミニカーの「トミカ」も意識しつつ、トミカとは違ってストーリーみたいなものもないとプレゼンできないだろうと、簡単なストーリー、シノプシスみたいなものも一緒に用意してプレゼンしました。

――どのように活躍するかを想定して、玩具の変形などをプレゼンするわけですね。

樋口 当時はみんなそういうやり方をしていました。最初に簡単な設定みたいなものを考えて「こんな形で活躍します」というものを提出して、それをクライアントとキャッチボールしながら詰めて行くという感じです。例えば、最初に「飛行する自動車です」というスケッチを渡すと、それをもとに玩具の試作を作る会社が「機構試作」という、バネがここに入って、電池をいれて動く……というような動きを再現・検証する試作の模型を作ってくる。これはギミック再現を重視してデザイン画とは似ていないことが多いのですが、今度はそれをこちらが持ち帰って、ギミックを活かした形で、生産用の金型に起こすデザインをする……というような形で、デザイン自体もやり取りを経て行くなかで、少しずつ変化していくんです。

――「こんなことをやりたい」という案を試作で実現した結果、内蔵部品の関係などで形が変わってしまったものを、再びデザインとして清書するわけですね。そうしたやり取りを経て、商品の形になっていくと。

樋口 そうなんですよ。だから、僕自身は今の作家さんやメカデザインの方のような感覚はあまりなくて。無責任に聞こえるかもしれませんが、責任が取れないような進め方をしているわけで。要するに「ここまでこうすればアニメの方でそれを動かしてくれるだろうし、玩具屋さんはそれを動くように作ってくれるだろう」と。ある種希望的憶測なやり方でしたね(笑)。今は反省していますけど、当時はそういうやり方がわりと多かったんですよ。

――その結果、当時出ていたロボットアニメの玩具が、劇中のデザインと大きく違ったりししていたということですね。

樋口 そうです。当時はそれがわりと普通だとおもっていたんです。

――イデオンは3体のメカが変形、合体するのが玩具としての「売り」だったわけですが、当時としては機構が複雑ですよね。

樋口 3体合体ともなると複雑になりますね。当時、僕も「複雑だ」と思っていました。一方で、トミーさんは、できればパーツなどを取り外さないで、変形・合体をさせたいということにこだわっていました。そうした要望を実現しようとすると、どうしても機構が複雑になりますよね。各部にヒンジを沢山つけたりしなくちゃならない。あんなに四角くて単純な形をしているのに、どうしても複雑になってしまっていくという。

――そういう意味では、最初にイデオンのデザインを雑誌などで見た時は、あんなストーリーの作品になるとは思ってもいなかったです。

樋口 それはみんな思っていたんじゃないですかね。そもそも、僕の書いた最初の設定は小学校低学年の子をターゲットにしたものでしたから。本決定の前に、トミーの部長さんなんかと1,2回お会いして、「大体こんな感じで」と話をしていましたから。最終のプレゼンをするにあたっては、トミーもサンライズも社長ほか全員揃ったところでプレゼンをしました。その帰りに富野さんから挨拶をされて、その際に「この話、ちょっと変えてもいい?」って言われたのが最初のやり取りでした。

その後、富野さんに呼ばれて、デザインに関して「もうちょっとこういう風にできない?」って言われたんですが、その時の印象は「随分難しいことを言う人だな」という感じでした。内容や世界観は全然知らなかったし、僕自身も最初にデザインした時は「ロボットだから『タンサー5』よりは多少戦ったりするのかな?」と思った程度だったんですが、まさかあそこまで派手に戦うとは思ってもいませんでしたから。

――当時の資料を見ると、デザインの変遷などを知ることができますが、富野さんからはデザインに関してどのようなことを言われましたか?

樋口 大きく変わったのは顔だけですね。身体は変形とかがあるので基本的なスタイルはあまりいじれないんですよ。外側のパーツなんかは後から付け足したりもしていますが、玩具用に出したデザインの基本は変わっていないですね。

――イデオンと言えば、大きく突き出た肩の形が特徴ですが、それらは変形機構を踏まえたもので当初から変わっていないわけですね。

樋口 ああいうのは富野さんでも「取れ」って言えないんです。逆に「特徴があっていいんじゃない」と言っていましたね。そういう機構的なものは仕方がないので全部残して、あとからいくらでもいじれる顔を変えたという感じです。だから、打ち合わせをした後で顔のデザインは随分描いていますよ。特にカメラ部分の形状は演出と関係するせいか、かなりこだわっていましたね。

――その後、樋口さんはアニメーション用のデザインも描かれていくわけですね。

樋口 各話の設定を受け持つと、さらにいろいろと富野さんからの要望が出ましたね。例えば、イデオンの身体の中を主人公たちに走らせたいとか。そういうことはありましたね。

――イデオンは各部にミサイル発射機構がたくさんあって、そこがどんな風に開いて、どんなミサイルが出るかというようなことですか?

樋口 そうです、そうです。そうしたことを打ち合わせで言われましたね。そのことでは設定制作の並木敏さんにお世話になりましたね。

――富野さんからはストーリー的なことも説明があったんですか?

樋口 ありました。ただ、第六文明がどうとか、そうしたストーリーが頭に入ってこなかったですね。僕自身SFも全然詳しくないし。そういうものを設定制作の並木敏さんに「多分、富野さんが言っているのはこういうことじゃない?」と通訳してもらって設定に落としていった感じです。それは助かりましたね。

――そういう意味では、それまでのお仕事とは関わり方が違ったということですね。

樋口 今まではさっきも言ったように無責任に「こんな変形で、こんなことをすればいい」という感じで、細かいメカ設定なんてしていなくて、物を作るまでの設定だったので。そういう意味では、アニメーションへの関わり方は『伝説巨神イデオン』で全部そうしたことを教えてもらった形ですね。


<後編>へ続く

樋口雄一(ひぐちゆういち)
1951年7月13日生まれ、新潟県出身。デザイナー、イラストレーター。
株式会社デザインメイトとデザインメイトが立ち上げた姉妹会社株式会社サブマリンでアニメ作品のメカニックデザインや玩具のデザインを多く手掛け、サンライズ作品では『科学冒険隊タンサー5』、『伝説巨神イデオン』にメカデザイナーとして参加。
退社後の2009年に曼荼羅webを主催。
近年では『平和のOS(方程式)』という作品に取り組んでいる。
また、2022年9月15日(木)~10月9日(日)まで、谷中のHOW HOUSE EASTで:「イデオン放映40周年記念展 メカニックデザイナー樋口雄一と8人の造形作家たち」が開催される。


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