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クリエイターインタビュー第11回 メカデザイナー 樋口雄一<後編>
サンライズ作品のキーパーソンとなったスタッフ陣に、関わった作品の思い出を伺うクリエイターインタビュー。第11回のゲストは、メカデザイナー、イラストレーターとして活躍する樋口雄一さん。サンライズ作品には『伝説巨神イデオン』でのメカデザインの他、当時在席されていたデザイン会社「サブマリン」としてロボット作品のパッケージなどを多数担当している。後編ではロボットアニメの時代の変化や重機動メカのデザインへの関わり、そして現在進められている「イデオン放映40周年記念展 メカニックデザイナー樋口雄一と8人の造形作家たち」への思いなどを聞いた。
――『伝説巨神イデオン』へ参加してみて、ロボットアニメ自体の時代の移り変わりみたいなものは感じられていましたか?
樋口 歴史的に見ても、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』、そして『伝説巨神イデオン』あたりから、メカの設定が急に細かくなった感じですね。その前はそうでもなくて、概念だけで作業をしていたので。
――確かに、メカの設定もその頃からどんどん掘り下げられていった感じはありますね。
樋口 そういう時代の境目でもあったので。マニアックなファンの人たちに会うと「バッフ・クランのメカの紫の水玉模様は、本当はみんな同じなんですか?それとも機体分けを見分ける為に違うんですか?」みたいな細かい設定的なことを聞かれることがあるんですが、答えられないんです。僕は理屈ではなくて気分で書いているところがあるので。そういうことはすごく感じましたね。
――富野さんとのやり取りで印象に残っていることはありますか?
樋口 よく怒られましたね(笑)。それはよく覚えています。あとは本当に細かくて。僕なんかは「アニメなんだから、ロボットは自由に飛ばしてもらっていいよ」と思っていたんですが、「噴射口はここにあって」みたいなことは細かく言われましたね。でも、時代的にはそういう部分にこだわっている方は富野さんの他にもいらっしゃって。いろんな理屈を言われるともっともな話で、抵抗することは何もなくて。お話を聞きながら「なるほどね」という考え方がいっぱいありましたね。
――一方で、「これまでとは違う仕事になったな」と実感できたのはどのようなタイミングでしたか?
樋口 途中の段階で「これは子供向けの作品じゃないな」というのは気付きましたよ。テレビシリーズの放送中のLPレコードのジャケットあたりから絵画風のイラストを描くようになったわけですが、その頃にはイデオンはヒーローロボット風には描かないと決めていました。暗い世界のイメージで描こうと思ったりしていましたね。そもそも、当初の作品のタイトルは当初は『伝説巨神イデオン』じゃなかったんですよ。もっとヒーローロボット風のタイトルだったんですが、富野さんが監督することになって後から『伝説巨神イデオン』というタイトルになった。かなり精神的な要素へのこだわりがあるのは、タイトルの響きからもわかるので、そのイメージに沿ってなるべく暗いイラストにしようとしていましたね。
――『伝説巨神イデオン』以前にも絵画風のイラストなどは手掛けていたのでしょうか?
樋口 チェリコという会社の「ビッグレーシング」という、スロットカー商品のパッケージイラストを描いていましたね。そちらは、レース風のリアルなイラストを手掛けていました。そうした商品に比べるとイデオンは最初は描くのに苦労しましたね。ロボットなので、どうしても硬い感じになってしまって。だけど、ある時から割り切って、関節は描かなくてもいい、自由に動かしてもいいと思えるようになってからは、かなり気持ちが楽になりましたね。当時は、忙しくてアニメの本編をほとんど見ることができなくて。そこをお手本にすることもできなかったんですよね。
――『伝説巨神イデオン』に登場する他のメカのデザインに関しては、どの程度関わられているのでしょうか?
樋口 ソロシップや波動ガンなど、商品になるものは全部関わっていますね。その他のものは時間があるときに少しずつ手掛けた形ですね。最初期に発表されている基本的な設定は全て僕がやっています。
――バッフ・クラン側の重機動メカなどは、デザインとしてかなり特殊ですが、どのように決まっていったのでしょうか?
樋口 重機動メカに関しては、別々にというか、関わっているデザイナーがそれぞれ勝手にアイデアを出してみようという感じでしたね。それこそ、人類とは完全に違う人種じゃないですか。文明自体が違う。だから違う発想のデザインを出して欲しいと言われたんですが、そうすると何を出していいかわからない。でも、とにかく思いついたものをどんどん出そうぜと、バラバラとサブマリンのスタッフたちと一緒にラフのデザイン案を出していって。それを富野さんが見て「これ、面白いんじゃない」となったものを、劇中用にリライトするというそんな感じでしたね。その他にも富野さんが大ラフを描かれたもの、湖川友謙さんが描かれたものもありますね。奇妙なヌメっとした感じのデザインは湖川さんですね。重機動メカに関しては、最初はコンセプトがあったわけじゃないです。ある程度進めた段階で、統一感としてデザインとして黒地に紫色の目玉のような模様を入れて欲しいという要望はありましたけど。その模様に関しても、個体識別するために少しずつ形状が違う方が便利だというような話も聞きました。
――そうしてデザインされた重機動メカはプラモデル化もされていますね。
樋口 そうなんですよ。本当に商品化されると思っていなくてデザインしていますからね。まさかプラモデルになると思っていなかった。多分、富野さんだって思っていなかったんじゃないかな。
――当時のガンプラブームの影響も大きい時期ですからね。
樋口 ガンプラブームが始まった翌年ですからね。少なくともプラモデルとして発売されなければあんなにたくさん商品化はされなかったと思うし、あの世界観がさらに広がることは無かったと思うんです。先日、プラモデルを出された模型メーカーのアオシマさんが「伝説巨神イデオン アオシマボックスアート展」というのを開催したので、行ってきました。僕もちょっとだけ寄稿しているんですが、やはり『伝説巨神イデオン』が今もこうして残っているのは、アオシマさんの商品の影響が大きいなと思いますね。ちょっと前にタカラトミーの若い方とお仕事をした際に、「昔トミーから『伝説巨神イデオン』の商品を出していて、樋口さんはその仕事に関わっていたんですね」と言われたことがあって。彼は『伝説巨神イデオン』の玩具がトミーから出ていたことを知らずにいて、誰かから聞いたらしいんだけど、彼にとっての『伝説巨神イデオン』と言えばアオシマのプラモデルだったようなんですよね。だから、やはり玩具よりもプラモデルの認知度の方が高かったんだなと思いますね。
――子供にとっては、合体変形する商品は高額ですから、プラモデルの方が手が出しやすいし、年長のファンも玩具は買わずにプラモデルを買っていたという感じでしょうね。
樋口 実際にトミーさんもイデオンの玩具は困っていたと思うんです。トミーさんの玩具だと胸に付いているボタンを押すとサウンドが鳴る「ミラクルサウンド」なんてギミックがあったわけですが、どう考えても5歳児向けで。あの作品を5歳児に見てもらうには無理があったと思いますね。そういう意味では、先にある程度ターゲットが判れば、もうちょっとそっちに寄せられたんじゃないかなと後から思ったことはありました。でも、そうやってスポンサーにお金を出してもらって、上の年齢を狙ったお話を作るのは、富野監督の作戦なんですよね。
――玩具は変形ギミックを重視しているから、劇中でイデオンが見せるダイナミックなパンチやキックを再現できないですからね。
樋口 踵落としとかやっていますからね。でも、あのデザインをあそこまでよく動かしたなと感心しました。そういう意味では、『機動戦士ガンダム』以降の時代が移り変わる中で関わった作品なので、面白い時代を体験できたなと思いますよ。
――サンライズとはその後は『絶対無敵ライジンオー(以下、ライジンオー)』でも一緒に仕事をされていますね。
樋口 『ライジンオー』は僕が企画して持っていって実現したものなんですよね。トミーの社長がロボットものをやりたがっていると言う情報を社員から聞いてすぐに社内で企画を進めました。企画の目処が立ったところで、お付き合いがあったサンライズの山浦さんと同じくお付き合いのあった某代理店の方に連絡をして、「僕と一緒にプレゼンしてくれませんか?」と言って一緒に行ってもらいました。あの頃はサブマリンもスタッフが揃っていて、ほとんど彼らに任せて僕は営業をやっていればいい感じでしたが。同じタイミングで勇者シリーズにもパッケージ制作などで関わらせてもらって。そうしたお付き合いから、うちの方からもアニメ好きのスタッフをサンライズに出向させるというようなことをしていた時代でしたね。
――樋口さんは最近では『平和のOS(方程式)』という作品群に注力されていますね。これはどういう作品なのでしょうか?
樋口 『平和のOS』は、僕のライフワークみたいにしていこうかなと思っている作品です。僕はずっとロボットを作ってきたけど、これってやり続けるとキリが無いんですよね。ロボットが持つ武装はどんどん強くなるような道を進むしかないし、考え方もみんなそっちへと向かいますよね。「その逆方向はないのかな?」と思ったのが、この企画のきっかけなんです。戦わないロボット。でも、戦わないと言っても、物理的に戦わないだけで、平和を作るためには戦うんです。例えば、裁判官の判断に関しても、裁判をする人によって変わる部分もあるし、お金や力がある人が優秀な弁護士を雇えば、裁判でも力に差が出てしまう。そうならないように、互いの言いたいことを全部データ化して、コンピュータに戦わせる。意見の対決を理論的に整理する……それってコンピュータ同士の将棋や碁みたいなものですよね。そういうことをできないのかな……という思いが、『平和のOS』という作品を手掛ける元になっているんです。ただ、自分は専門家じゃないので、いろんな発言に責任はとれない。だったら、なるべく発言することは避けて、自分の作品の中で表現する分には完結もできるし、責任もとることができる。そういうことをやりたいと思っていたんです。
――そうしたことへの願いを込めたイラスト作品ということなんですね。
樋口 そうです。これだけ世の中にすぐれた人がいっぱいいるんだから、コンピュータ関係のエンジニアもそういうことをやっていいんじゃないかと。そういう思いはありますね。こちらは展示会などで作品を発表していますので、興味があれば観に来てもらえると嬉しいです。
――樋口さんは現在、「イデオン放映40周年記念展 メカニックデザイナー樋口雄一と8人の造形作家」のご準備をされていらっしゃるんですよね。
樋口 そうですね。新型コロナの感染拡大の影響で何度か延期しているんですが、ようやくという感じですね。9月15日から10月9日まで東京・谷中にあるHow House(ハウ・ハウス)というところでやります。これは以前僕が『平和のOS』を描いて参加した「ゆけ!!俺のロボット展」という展示会に参加させてもらったのがきっかけになっています。その展示会でオリジナルロボットの絵や造型をやっているアーティストの方々に出会って、その中から8人が集まって『伝説巨神イデオン』をテーマに何か作ろうということになり、作品を持ち寄って展示会を開くことになった形です。僕の方は、これまで描いてきた『イデオン』関係の旧作のイラストを展示しつつ、もちろん新作の絵も飾ります。参加してくれる作家の方たちは、40代から50代の方なんですが、ちょうど『伝説巨神イデオン』にハマった人たちが多くて、こういうチャンスがないと関われないと、みなさんかなり真剣に参加してくれていますね。
――『伝説巨神イデオン』という作品だからこそ、いろんなアレンジができるという感じでしょうか?
樋口 みんな作家だから、自分の色を出したくて仕方がないんですよ。そのモチーフが『伝説巨神イデオン』だとすごくやりやすいんでしょうね。何をやっても自分の作品だけど、モチーフはイデオンだから他の方に理解してもらえるし。だから、みんな、すごく生き生きして作業されてますよ。そういう意味では、皆さんに喜んでいただいて、楽しんでもらえれば最高ですね。『伝説巨神イデオン』の放送から42年が経って、こういった展示会を催せる。そういう作品出会えて、関われたということはとても嬉しいですね。だから、懐かしさもありつつ、最近の『伝説巨神イデオン』も見ることができますので、ぜひいらっしゃっていただければと思います。
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樋口雄一(ひぐちゆういち)
1951年7月13日生まれ、新潟県出身。デザイナー、イラストレーター。
株式会社デザインメイトとデザインメイトが立ち上げた姉妹会社株式会社サブマリンでアニメ作品のメカニックデザインや玩具のデザインを多く手掛け、サンライズ作品では『科学冒険隊タンサー5』、『伝説巨神イデオン』にメカデザイナーとして参加。
退社後の2009年に曼荼羅webを主催。
近年では『平和のOS(方程式)』という作品に取り組んでいる。
また、2022年9月15日(木)~10月9日(日)まで、谷中のHOW HOUSE EASTで:「イデオン放映40周年記念展 メカニックデザイナー樋口雄一と8人の造形作家たち」が開催される。
インタビュー掲載記念でサイン色紙をプレゼントいたします。
詳しくはプレゼントページでご確認ください。