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2017.02.23

メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第7回】

前回のあらすじ
ついにバシレイオンが立ち上がった!怒りに燃える真世がバシレイオンに攻撃を命じたのだ。プラズマ兵器『焼き尽くし光線』の砲口は草永のいるコンビニ、フレンドリーマートに向けられる。しかし、その照準の中心にはコンビニを守ろうと立ちふさがる静香の姿があった! ⇒ 第6回へ

 出現してから今日までおよそ1週間、座位状態だったマル特巨大脅威、通称『マル巨』が起立したとの報告を受け、総理大臣官邸地下にある危機管理センターに『その他の危機事態』として設置された対策本部会議室の円卓へ、内閣危機管理監によって招集されたメンバーの最後の一人として茂里外務大臣が新帝都国際空港から急ぎ駆けつけ席に着き全員が揃ったとき、時計の針は深夜1時を回っていた。
 参集したのは前出の外相の他、柴山内閣総理大臣、氏家副総理、百武財務大臣、伊藤総務大臣、阿久根法務大臣、森厚生労働大臣、永安経済産業大臣、菊野国土交通大臣、児玉防衛大臣、相馬内閣官房長官、江越統合幕僚長、徳野国家公安委員会委員長、万城目国家安全保障局長、宮沢警察庁長官、乾警視総監、河瀬海上保安庁長官、湊消防庁長官、並びに内閣府政策統括官をはじめとする関係省庁幹部職員(順不同)――その末席で大和田治輝は机に両手をついて立ち、まるで夜の帳を破らんかの勢いで身を前のめりに乗り出し、熱意に声を大きくしていた。

「2020年の夏に開催されました4年に1度の近代運動国際総合競技会、新国立運動競技場にて行われたサッカー準決勝での試合球爆弾テロ、1万3千近い尊い犠牲者を出したあの痛ましい惨劇を経てしてもなお、世論の顔色をうかがい、盧溝橋の呪縛に笠を借りて、国家国民の安全を動的積極的に保障するという基本的最大的な責務を放棄し、己の保身と事なかれを第一に考える公僕の、怠慢から産み出された臆病とも言える法体系に、憐れにも両手足を縛られたまま闘う事を強いられている自衛隊が、あの未知なるマル巨と対抗できるとは到底思えません!」

 思わず椅子から腰を浮かせた統幕長の江越を、苦虫を噛んでいる阿久根法相の隣で仏顔の児玉防衛相が、手のひらを向け押さえるように制止する。代わりに警視総監である乾が机に肘を乗せ、両手を顔の前で組んだ。

「我ら帝都警察の存在を忘れては困るが?」
「僭越ながら回転式拳銃やジュラルミンの盾で、あの巨体に対抗できるとお思いですか!」

 爛々と自信に満ちて輝く大和田の目に、「いまはカーボンコンポジット製だ……」と乾は視線を逃がすとふて腐れを眉間の皺に刻み、椅子に背もたれ直した。

「失礼だが――」

 由主党古参議員である児玉は、大和田ではなく官房長官である相馬に問うた。口調は柔らかかったが、目の前には、5年越しでようやく成功した禁煙を破り、某国大使から贈呈されたクリスタルガラスの置物の皿を灰皿代わりにして、吸い殻がうずたかい山を作っている。

「相馬君が目をかけている人間だということでひとつ席を空けたが……掃き溜め集団のいち参事官である彼の方こそ、この場で高度な専任職である防人業務について気を吐くには、似つかわしくない門外漢だと思うが」
「時代遅れの縄張り主義的慣習や――!」大和田が、口を開こうとした相馬を追い越すように、拳で机を叩いた。栄養ドリンクの空き瓶が、両脇にいる審議官の分も巻き込んで倒れる。「意味を持たない倫理・タブー等に縛られることなく、この国家の輝ける未来の礎を築く万般を担うのが、我々内閣官房長官直隷内閣府特別外局『夢・輝き・みらい庁』が、国民より付託された使命であります。少子高齢化・介護問題・貧困・格差・差別・いじめ等々に対する施策のみならず、子孫に夢溢れる平和な将来を譲り渡す――二柱の神の子としてこの国が生まれてより今日まで、連綿と継がれてきたその宿願の成就を、妨げようとする邪悪を排するのもまた、我々の万機のひとつであると自負しております!」

 まるで所信表明の如くいきいきと宣言する大和田の拳が、再び机を叩いた。周囲数名の参事官が、飲みかけの栄養ドリンクが倒れるのを慌てて一斉に押さえた。

* * *

 小学校の頃に引っ越して来てから今日まで、自分の8畳半の天井の壁紙にエンボス加工されている柄が、ただの無意味な幾何学模様ではなく、実は何気に猫や犬など可愛い動物の小さなパターンを組み合わせたものであることに、真世はその夜ようやく気付いた。内訳は犬が3942匹、猫が3938匹、キリンが1971匹、象が1969匹、熊かパンダかコアラかたぬきか不明瞭な動物が524匹、もはや動物なのか何なのかすらわからない謎の生命体が515体……ベッドで仰向けになり、そこまで数えたところで、閉鎖されている筈の窓から何やら陽の光が差し込んできた。真世は、昨日外の世界に飛び出した際に着ていた服も着替えないままの姿で、「?」と窓の方を向いた。

「ねぇねぇどう? お日様っぽいと思わない?」

 おはようの代わりとばかりにバシレイオンAIが話しかけてきた。どうやら彼女が、日の出日の入り時刻や天候と連動した疑似外光が差し込むよう仕込んだらしい。

「これで、部屋の中でも少しは気持ちが晴れるでしょ? ま、ほら……あれじゃん、何があったかは知らないけどさ——」原則バシレイオンAIは、体外での真世の行動はモニターしないようになっている、「外に出ようとしただけでもさ、露島、十分頑張ったと思うし」

 真世は「……」とそれを一瞥しただけで、また天井に視線を戻した。

「なにそれ、その態度、露島の癖に」バトルステーションモードが解除された事で口調も戻り、プロセッサも通常負荷となって辛辣さも帰ってきた。「せっかく現実世界の荒波に飲み込まれてずぶ濡れになったあんたを、温かい心で乾かしてあげようってしてんのに」

 結局真世は、朝まで寝付けなかった。徹夜自体は別段特別な事ではなかったが、いつもはネットの世界をこれといった意味も目的も持たずただ散策しているか、あるいはVRゲームに没頭しているかで、気がつけば陽が昇っているという具合だ。しかし今は、そのどちらにも気乗りがしない。
 真世は天井の壁紙のその先に、これまで目を逸らしていたモノを見つめていた。
 『両親が死んだ』という事実。
 『自分がひきこもりである』という現実。
 そして――もう一つ見えている、どこかで会ったことがある気がするあの少女、彼女の声。

「結局『アレ』、買って来れなかったんだから、絶対に触んないでよ」

 部屋の中央に相変わらずその赤いボタンはある。
 真世は天井を見つめたまま答えない。

「ねぇねぇねぇ、ぶっちゃけさ……」バシレイオンAIは真世の顔を覗き込むように悪戯っぽく聞いた「アレって何のことだと思ってる?」

 真世はベッドから立ち上がると、8畳半の一角にあるトイレへ向かった。さすがにそこにまではバシレイオンAIの声は聞こえない、彼の両親がデリカシーに配慮し、用を足している間は彼女に音声出力させない設定にしたらしい。そもそも、いまだにその声がどこから聞こえてくるのか判らなかったが。
 トイレはシャワーと一体になったいわゆるユニットバスだ。こうしてみると真世の部屋は一人暮らし用のワンルームマンションに似ている。シンクを備えたキッチンこそ無かったが、料理は家政婦のエステラがすべてやってくれる。いまは故郷のスペインに戻っているが。
 便座に腰を下ろし、考えを巡らせる。なにか答えを見つけようとしている訳ではない。ただ、色とりどりの断想の毛糸が頭の中でぐちゃぐちゃと絡まっているのを傍観しているだけだ。ほどこうにも糸の先端がドコにあるのかさえわからない。
 真世はふぅとほんの小さな息の塊を吐くと、せっかくだからと膝丈のパンツを下ろそうとして、トイレットペーパーが切れかけていることに気づいた。
 予備を探す、予備も切れている。
 普段はエステラがチェックしてくれているのだが……。真世は仕方なく手を洗いトイレから出るとPCの前に座わった。

「どうかしたの?」
「どうもしない」
「……ふぅん」

 答えればまた、それをネタにからかわれるだけだ。真世は適当にあしらうとキーボードをたたき、通販の45ミニッツ配達を頼もうとして、ふと気がついた。
 A3エリアディフェンス。
 真世を、バシレイオンを、あらゆる脅威から隔離防護する、目に見えない絶対防壁。それは現存するだけでなく、真世の想定寿命内に実用化されるであろうあらゆる兵器(核含む)に耐え、加えて『真世本人』もしくは『真世の両親が認証した人物』以外すべての人間の侵入を例外なく拒絶する。警察、自衛隊、マスコミ、泥棒、訪問販売、各種勧誘、そして――

「あのさ」
「どうもしないんじゃなかったの?」
「……」

 その辺の件は置いておいて――真世はまさかとは思ったが、念のため、

「宅配の配達の人は、バシレイオンの中に入れるよね?」
「入れないけど」
「……なんで?」
「露島の両親が認証した人間じゃないから」
「入れてあげてよ」
「できないし」
「なんで?」
「露島の両親がそう設定したから」
「どうして?」

 バシレイオンAIが「あーっ! もうっ!」と髪をわしゃわしゃ掻く姿が想像できた。

「もしその配達員があんたを殺そうとしてやってきた某国の工作員だったらどうすんのよ!」
「ありえないってそんなの」
「いい? 最大の敵は誰でもない自分なの! 己の中に巣くってんの! 油断慢心っていう名の凶悪な敵が!」
「そんな現れるんだか現れないんだか判らない敵よりヤバイ現実問題がいま、目の前に立ちはだかってるんだって」

 いや、トイレットペーバーに関しては最悪、温水洗浄便座があるから何とかなるとも言える。それよりも、と真世は、願うように冷蔵庫を開け、エステラが作り置いてくれた食事がとっくになくなっているのを再確認し、次いで棚の中に残っているインスタント・レトルト系食品が残り2食分しかない事に気付き、菓子も食べ尽くし見当たらないのを見て、そして、ガックリとうなだれた。

「あるよねー、それまではなんとも思わなかったのに、無いって判った途端、意識しちゃうことって」

 弩級ロボットとは思えない発言である事はともかく、確かに言う通りだ。真世は、急に空腹が襲ってきた……そんな気がしてきた。

「エステラが帰って来るのっていつだったっけ」

 自身に呟き問いつつPCの前に戻り椅子に座ると、焦りを滲ませながらリマインダーを確認するが、その日付はメモってなかった。まさかこんな事態になるとは夢にも思っていなかったし、いざとなれば通販でなんだって手に入ると考えていた。一つ屋根の下にいるのが当たり前だったから、連絡先を聞いておくなんて思いもよらず、それでも確か自宅1階のリビングの電話に彼女の連絡先がメモリーしてあった筈だが、8畳半以外の残り部分は、この部屋がリフトオフする時に作動した固形燃料ロケットモーターの火炎で、おおよそ焼失してしまっていた。

「もし、エステラが日本に戻ってくる時の飛行機が事故にでも遭ったら、このままボクは……」

 一瞬そう思い浮かんでしまって、真世は次の瞬間、自分に大きく愛想を尽かし、「くっ」と喉の奥を詰まらせ鳴らした。

「……なんで、んな不吉なこと考えるんだよ……ボクは……」頭をむしるように強く抱え、身を丸く小さくする。「……父さんと母さんが死んだんだぞ…………どうしてこんな時にも…………お腹なんて減るんだよ……」
「そんなの当たり前じゃない」

 バシレイオンAIの声に含みはなかった。

「あんたは生きてんだし」

 真世は、頭を抱え締めつけていた手を、ふと緩めた。

「それにさ、ゴハンならあるじゃん、いくらでも」
「え!?」

 声の方を見上げ、思わず椅子から腰を浮かせる。

「備蓄とか!? ドコに!?」
「露島のこの8畳半の世界の……外に」

 どうせそんな事だろうと思った。真世は、いったん上げた頭をいっそう深くうなだれると、大きく息を吸い込み、そして、長く吐き出した。
 再び挑まなければならないのか、あの荒波への航海に……。

「当たって砕けてくればいいじゃん、あたしが慰めてあげるし」

 バシレイオンAIは悪戯っぽくつけ足した。

「そうそう、ついでに今度こそアレ、手に入れてきたら?」

著者:ジョージ クープマン

キャライラスト:中村嘉宏

メカイラスト:鈴木雅久

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