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2017.05.11

メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第18回】

前回のあらすじ
囚われの静香を救うため、ついにバシレイオンは動き出した!街を壊さないようにと東京湾へ出たとき、バシレイオンの前に巨大なロボットが飛来した。その「虹0号」の攻撃に対抗しようとするバシレイオンだが……。 ⇒ 第17回へ

 覗き込めば、灯なく暗いコンビニ店内の陳列棚に、商品が並んだままになっている。ひょっとすると冷蔵を必要とする弁当や総菜なども、そのままうち捨てられているのではないだろうか。中年男性アルバイト店員が律儀に書いたものだろう、ドアに『店長行方不明のため暫く休業します』と貼り紙されたフレッシュマート前の駐車場で、大和田は、自らハンドルを握ってきた黒塗り公用車のシートを一番後ろにまで後退させ、ひとり、心地よく冷ややかな本革の背もたれに身を委ねていた。窮屈そうに揃えられた膝の上に、ラップトップPCが載せられている。そのディスプレイを、どこか他人事のように、愉快そうに眺めている。

「いやぁ、まさかまさかひょっとしたらと、退役したヴォルテックス衛星を苦労して叩き起こし、ファイブアイズ(アメリカ・イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ)のUKUSAシギント(5ヶ国供給協定通信傍受システム)に潜り込んでおいて、大・大・大正解でした!」

 歓喜に、誰に聞かせるともなく大声となった独り言が、閉め切った車窓の外にまで漏れて聞こえる。

「徹頭徹尾スタンドアロンを貫かれていたら、それこそ、とりつく島もありませんでしたからねぇ! そういえば大昔の中国の思想家も誌しておりましたなぁ! どんなに頑強な大河の堤防であろうと、蟻いっぴき出入りできる隙間さえこさえれば、しまいには決壊する、まさにあれです!」

 がっしり逞しい手から伸びた長い中指が、トラックパッドの上を器用に滑り、バシレイオンのFCSとDMS機能をブロック操作している。
 寸分の隙も見落とさないとばかりに網を張っていたみらい庁のクラッキングツールは、バシレイオンAIが静香の危機情報を得た、あの一瞬のアクセスを逃さず、彼女が気づかない、まさに蟻いっぴきがようやく出入り出来る程のささやかなリンクを維持し続ける、バックドアを仕込むことに成功した。障壁は強固で暗号化も強力だったが、それでも、寄生させたバグは、ビットデータのペイロードを背負い、大和田のPCとバシレイオンAIとの間の入り組んだ迷路を巧みに行き来し、彼はついに、自身のPCから遠隔で、彼女の動きを阻害する術を確立した。
 効果のほどを確かめるべく窓外に目をやれば、しがらみに手足縛られ身動き許されず、無念に奥歯を噛みながらも固唾を吞み状況を見守る陸自部隊越しに、東京湾に立つふたつの巨体が見える。一体は、大和田のクラッキングにより防御と反撃の手段を奪われ、受けた猛攻撃に今しがたまで全身を爆炎に包み、ようやく風に流れ去った爆煙の中から姿を現したバシレイオン。そしてもう一体は、積怨の矛先をバシレイオンから帝都へと変え、今まさに復讐の弾道ミサイルをロフテッド軌道にて撃ち出さんとしている虹0号。

「まぁ今の時代にツァーリ・ボンバ(史上最強の核兵器)でもあるまいし、一発で1400万人は難しいでしょうが! それでも、この国によりよき未来をもたらすにあたって、クソの役にも立たないどころか、手前勝手でかえって足手まといにすらなる、存在するだけで有害な害虫がごとき庶民を、一人でも多く焼き払っておこうとは殊勝な心がけ! さすがは私が目を付けただけの事はあります!」

 にしても──と、大和田は、PCを操る手を休め、いっとき落ち着くと、ダッシュボードを開け、某有名グローバル製薬企業のロゴとサンプルとの特記が印されたピルケースを取り出した。蓋をひらき、鮮やかな青い錠剤を手のひらに転がす。

「全世界同時発売日が楽しみですな! どうやら、今度試作したこの総合感冒薬は、その効果が大いに期待できそうですから!」

 満足そうに虹0号を──その鎧に自身を捧げた草永を眺める。

「特に、彼のように無垢で純粋でまっすぐな青年に投与すれば、より正しき道に誘い導けるようです! それこそ、己の全てを犠牲にしてでも、植え付けた信念を貫き通すほどに! ただしそんな彼も、いまだひとつだけ大きな勘違いを犯している様子ですが!」

 大田和は、やれやれと揉みほぐすように首の後ろを撫でた。

「あのマル巨を生み出した露島夫妻は、決してネオイリュミナティなどではありませんよ!」その声がふと、冷ややかにトーンを落とす。「ネオイリュミナティは……我々は、断じて悪などではない。人類を真の高みへと導く、神聖なる導師だ」

 うっとり目を閉じると口の端で小さく笑み、しばらく余韻を噛みしめて、ふたたび膝上のラップトップPCに向き直った。
 目の前にいきなり、何やら煙草大の箱が差し出された。
 次の瞬間、パンッと何かが弾けた様な音がして、ディスプレイがブラックアウトした。PC本体から煙が立ち上がり、車内が焦げ臭さで満たされる。何が起こったのか暫く判らずPCを見つめていた大和田は、ようやく隣に人の気配を感じ、顔を向けた。

「こーんな所で会えるなんて思いませんでしたヨ、ワールドワイドな陰謀結社の一員サンに」

 助手席に少女が座っていた。その手が、持っているオールマイティ・デバイスを、マジシャンのような軽やかな手つきで、ふくよかかつ大胆に開いているメイド服の胸元にしまったかと思うと、一瞬の手際でモデル205+に持ち替え、その銃口を運転席の大和田に向けた。

* * *

 真世の心を大きく傷つけ、自身の心の大切な部分を深く削りながら、エステラは、本国が要求していたバシレイオンの最高機密である光量子ビットプロセッサAIについてのインテリジェンスを盗み取るべく、バシレイオンAIの思考ログを複製しようとして、ふと、不可解な一点を見つけた。
 それは、バシレイオンと外界とを繋ぐ、ほんの些細なバイパスだった。
 あるいは普通なら、たとえ想定外だったとしても、その程度の外部リンクになどなんら気を止めなかっただろう。むしろ、ちょっとした設計上の見落としや、もしくはいざという時の裏窓として、あって当たり前と受け流したかもしれない。
 けれどエステラは、真世の両親の事をよく知っていた。二人は一度こうと決めたら必ず貫く。自らに対し、どんな些末な妥協も許さない人だ。特にそれが真世を守る事に関してだとすれば、なおさら、絶対に。
 だから、二人がバシレイオンを外的脅威の侵入から隔離保護すべく、スタンドアロンとして作り上げたとすれば、その外部リンクは絶対に存在する筈のないものだった。
 思考ログを遡ると、ある一時期、バシレイオンAIの論理ロジックが崩壊直前だったことが解明された。その際、彼女は、緊急避難的に外部情報にアクセスしたらしい。
 バシレイオンAIを保護すべく、あらかじめ備わっている冗長性として、それが許されたこと自体は理解に難くない。問題は、その一瞬の外部アクセスの後、バイパスが残された点だ。たとえ名残的些細なものであっても、バシレイオンAIがそれを置き去ることは、仕様としてあり得ない、そうしようにも彼女にはそれが出来ない。となるとそのバイパスは、隙に乗じて外部からこじ開けられたものだ。
 ならそれは、誰が穿ったのか。
 バシレイオンが出現した後、その正体を探ろうとするやからが現れるのは、当然の予測された事だった。それでも本国としては、取得した技術を囲い込みたい。横入りを阻止する為にも、その者の正体を知りたがった。オールマイティ・デバイスをアドバース逆流モードで作動させると、本国にあるメインフレームのパワーサポートを受けながら、まさに力わざで天文学的回数のトライ・アンド・エラーを繰り返し、複雑に絡み合ったネットワークの毛糸を丹念にほどいて、エステラはようやく出発点を探し当てた。
 演算規模や記憶媒体容量からみて、どうやらバシレイオンAIと繋がっているのは、パーソナル・コンピュータらしかった。個人宅のデスクトップか、あるいはラップトップかも知れない。確かに、絶えず持ち運び移動し、必要なタイミングでのみアクセスすれば、発見される可能性も位置を特定される危険性も少なくなる。だとすれば、こうして探知できたのは、まさに幸運だったと言えよう。
 ただし、ターミナル端末に辿り着くことは出来たが、数え切れないほどのデコイ・プロキシサーバーを念入りに剥がし、その正確な現在位置を特定するまでには、まだしばらく時間が掛かりそうだった。オールマイティ・デバイスが作業を継続している間に、相手が盗み取ったであろうバシレイオンのインテリジェンスを探る。幸運にもそれらしいものは見つからなかった。ひょっとしたら引き抜くことが出来なかったのか、あるいは、もしかすると、なにか別に目的が……思案を巡らせつつ、ストレージの引き出しを一段一段と開き、暗号化された中身をデコードしていたエステラは、ふと、一番奥の引き出しの更に深い場所に、隠し扉があるのを見つけた。万能合鍵を使ってこじ開ける。隠してあったのは、どうやら儀式か何かの詳細な取り決めらしかった。厳かだがどこか奇妙で、ちょっぴり淫靡でかつユーモラスな所作もあり……なぜこんなものがこんなところに大切にしまってあったのかも不思議だったが、それ以上にエステラを戸惑わせたのは、この儀式について、どこかで聞いた憶えがあったことだった。めでたさや華やさの印象は浮かんでこない、それどころか薄暗く、邪悪なイメージ……。
 かつて大使館にて、寝る間すらも使って仕込まれた膨大な極秘資料を、頭の中でひとつひとつ紐解いて──ようやく探していた荷物を見つけたエステラは、喉に引っかかっていた小骨飲み下したようにスッキリとひとつ息を吐こうとして──ハッと飲み込んだ。
 これは、参入儀式イニシエーションだ。そう、自らを神より選ばれた種族と奢り、その栄華と繁栄のために、我が母なる本国の経済を踏み台とし、衰退の道へと叩き落とした、諸悪の権化たる全世界規模陰謀結社──エネルギー・食料・医療・コンピューター・インダストリー・運輸・不動産・金融・武器・マスメディアを牛耳る、名だたる企業・組織・国家・王室の重鎮たちが、人類を家畜のごとく飼育し使役しようという目的のもと、闇の中で契約を結んだ──ネオイリュミナティの。
 世の万物に根を蔓延らせているにもかかわらず、実体を知る者はおろか、存在そのものすら長い間、オカルトマニア達のあいだでまことしやかに広まる、たんなる都市伝説だと考えられていた。それでも本国は、多大なる犠牲を払いつつ、その正体を掌握しようと奔走し続けてきた。
 彼らに認められ、門をくぐる為のイニシエーションの様式は門外不出だ。知る者はまさに、ネオイリュミナティのメンバー、それも、階位の上級なる者に限られる。
 その一人をたぐり寄せるための尻尾を、今、エステラは掴んだのだ。
 彼女の心に、想いがひとつ、ほのかな明かりとして灯った。
 本国にとって、いや、世の正義たる諜報機関にとってこれ以上なく貴重な、ネオイリュミナティに繋がる情報を掴み、提供すれば、大好きな真世を……愛する彼の両親を裏切る任務をサボタージュしたとしても、あるいは本国に対する愛国の忠誠は尽くせるかも知れない。
 オールマイティ・デバイスが、ラップトップの居場所を見つけた。
 エステラは逡巡も躊躇も迷うこともなく、その持ち主のもとへ急いだ。

* * *

「何をおっしゃっているのか、皆目わかりませんな!」

 ラップトップPCから立ち上がる焦げ臭い煙に満たされるなか、大和田は、エステラから向けられている銃に驚く様子もなく笑い飛ばした。

「にしても、メイド服に銃にスパイにオカルトとは、やっぱりアレですか! ジャパニメーションな組み合わせという奴ですか! 遠い国からようこそクールジャパンへ!」

 大声に、閉め切っている窓がビリビリと痺れるように震える。

「そもそもにおいて、貴国が栄華を失ったのは誰のせいでもないでしょう! 国を支えるべき皆さんが怠惰であっただけなのでは? 責任の所在をすり替えるべきでないと思いますが!」

 大和田の笑みに、あきらかな蔑みが滲む。
 ふと、エステラは、ささやく様に、口から溢した。

「……やがて空は闇に凍え、時が訪れる……」

 大和田の表情から、潮が引くように笑みが消えた。

「陽が昇るのを待たずに、雄鳥おんどりが七度鳴いて……」

 それは彼女が、大和田のラップトップの奥の奥から探り当てた、一節。

「八度目の声に大地は枯れ、天から舞い降りる雷に焼かれた鶏が、人々を、救われるものとそうでないものとに選り別けるだろう……」

 大和田は暫くエステラを見つめ、そして、彼女ですら追いつけないスピードで銃を奪い取ると、エステラに向けた。
 エステラは驚いた。
 それでも表情を変えない。

「ネオイリュミナティ、第九二の焚書……滅びの印……」
「それは、君なんぞが軽々しく口にしていい契ではない」

 大和田は小さく言うと、引き金に指を掛けた。
 若い巡査が窓をノックしたのは、その時だった。

「どうなさいました?」
「いえ……」エステラは何気ない風を装い、いったん窓を開け返事すると、ドアをひらき、車から降りた。視線を東京湾に向けて「あの大きなロボットが気になっちゃっテ、パパさんに連れてきてもらったの」

 大和田も運転席の側から車を降りた、銃を持つ手を、背後に回す。

「どうやって入ったんです? 一帯は通行止めのはずですが」
「二人であっちこっち走り回ってるウチに、迷い込んじゃったみたいで……」エステラは、甘えるような表情を浮かべると、「ゴメンナサイ」と巡査に近づき、詫びを身体で表現しようとするかのように、ハグする気配を見せた。

「あ、いや、その、危険ですから急いでここから避難して……」

 告げつつ、20歳前半ほどのその巡査は、さすがに西洋の女性のコミュニケーション方法は大胆だなと、半ば呆れながらも満更でもない気持ちで頬を染め、エステラのハグを待った。
 エステラは体と体が触れるほどに近づくと、手を相手の腰にまわして──巡査が携えていたホルスターから漆黒のサクラを素早く掴み抜き取ると、そのリボルバー銃の銃口を、車を挟んで立つ大和田に向けた。
 咄嗟に大和田も銃を構える。

 同時に聞こえたふたつの銃声に、近くを警邏していた巡査のバディの女性巡査部長が、フレッシュマートの駐車場を振り向いた

著者:ジョージ クープマン

キャライラスト:中村嘉宏

メカイラスト:鈴木雅久

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