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2017.06.01

メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第21回】

前回のあらすじ
バシレイオンAIは草永を「いろ・シチュ」の世界へ誘い込んだ。ゲームヒロイン空菜に抱かれる草永の脳裏には走馬燈のように記憶が蘇る。だが、それこそが彼女の作戦だった! ⇒ 第20回へ

 帝都の西、夢・輝き・みらい庁の第二庁舎が置かれた『国民いきいき安心戦略特区』は、政府が自衛隊の米軍軍事作戦行動に対する全面支援を確約するのと引き替えにスタートした『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定』見直し強化キャンペーンによって返還された、米空軍基地の跡地に切り拓かれている。3000メートル級ランウェイに加え、堂々たる司令部機能を有したその広大な敷地の地下深くには、米国政府が、本国では実施するのがはばかられるような諸々の実験研究を行う目的で極秘裏に建設した、様々な施設群が設けられており、それは基地返還後にも解体されず、機能も用途もそのまま、みらい庁に有償譲渡された。
 区画の数は全部で68。そのなかでも最も新しく設備の充実した、清潔で真白く、煌々と明るい照明によって影ひとつ浮かんでいないラボで、静香は、遺伝子操作構造の解析作業を繰り返し施されていた。どれだけ泣き叫ぼうと誰にも届くことのない、ぶ厚いコンクリート製の壁に囲まれた部屋の中央で、分娩台を思わせる処置椅子に拘束され、白衣に全身を包む(実際には、長時間血液を見続けている事による補色残像をやわらげるため、緑色をしているが)数人の技師に囲まれている。もっとも叫ぼうにも、口には医療用の口枷がはめられ、鼻からは処置に耐え続けられるよう、栄養価の高い流動食を直接流し込む為のカテーテルが胃まで挿入されている。彼女はもはや、うめき声すらも漏らせず、涙も涸れた様子で諦めていた。
 四方の壁には複数の実験設備がビルトインされ、彼女の様々な部分から採取されたサンプルをオートメーションで解析している。傍らのテーブルには、そのサンプルを切り取り、削り、吸引するための様々なデバイスが並んでいた。尖っているもの、先が平べったくなっているもの、電動で回転するもの、液体を吸い取るパイプ状のもの、等々。彼女が感じた最初の印象は……歯科医さんみたい。
 特殊な麻酔が施されているらしい、痛みはまったくないが、意識はしっかりしている。技師たちの会話も聞こえる。内容はチンプンカンプンだが。
 はがき大ほどの観察窓が穿たれたステンレス製の分厚いドアが、音を立てずに横開いて、スーツ姿がひとり、急ぎ足で入ってきた。いったい何に使うのか想像もつかない、尖端に細かいスパークを放つデバイスを静香の下半身にあてがおうとしていたリーダーらしき技師が、手を止め振り向く。会話の中に「虹0号」「活動停止」そして「露島研究所の巨大ロボット」という単語を、静香は聞いた。

「……霧島……くん……」

 やはり、言葉にはならなかった。

* * *

「百里の三〇一、三〇二飛行隊からステルス、小松の三〇三、三〇六からF15-MSIP(多段階改良計画)最新形態型……スクランブル待機以外、みんな出してくるとか、歓迎されっぷり凄いよね」

 西東京を目指し、青空の中を貫くバシレイオンAIは、接近してくる自衛隊戦闘機を捕捉し「さて……」と、腕組みするように小さく声にした。VRヘッドセットに映し出されている仮想情景の中にボギー(敵性可能性対象)の接近位置が表示され、真世もそれを確認する。

「でもあんなの、バシレイオンの敵じゃないでしょ?」
「勝負にならないって意味ならもちろん。っていうかそれ以前に、あたし側には、自衛隊と競い合う理由もないんだけど」
「まぁ、あっちからしてみれば、バシレイオンは怪獣映画のメインの巨大生物みたいなモンだろうしね」
「理解出来るけど……なんか嫌」
「事情話したら、見逃してくれないかな」
「巨大怪獣と10年来まともに会話してこなかったの引きこもりの会話術じゃ、交渉決裂、目に見えてんじゃない?」
「しょうがないか……はねとか狙って、パイロットの人には脱出してもらうしか」
「問題は、パイロットを失った機体は地面に落ちるっていう、物理法則の存在」

 一瞬その意味を思案した真世は、ハッと理解した様子で視線を地に向けた。
 遙か眼下に、住宅密集する街が広がっている。

「ってことで、いったん相模湾の上空まで引き寄せて、払い落としてくる」
「回り道してる暇に、もしかしたら彼女が……」
「なので」

 頭上で何かがパカッと開く音がした。見上げた真世めがけ、8畳半の天井から、リュックのような背嚢はいのうが落ちてくる。直撃。

「痛っ」
「それ、背負って」
「……?」
「急ぐ!」

 とにかく言うとおりにする。

「ハーネス締めて」
「ハー……なに? 何ネス?」
「その、たくさんぶらさがってる、シートベルトみたいなの」

 嫌な予感がしてきた。

「真世は何にもしなくていいから、勝手に開くから」
「開く……!?」

 どうやら真世の予感は的中したらしい。

「待ってよ! ボク、パラシュート系のアクティビティー経験ないし!」

 思わず慌ててVRヘッドセットを外したのと同じタイミングで、それまで固く閉じていた部屋のドアが開いた。真世の視界に雲浮かぶ青空が覗き見え、穏やかだった部屋の中に突如、嵐のような風が吹き込みはじめる。

「とにかく先に彼女のところに向かって! すぐ追っ掛けるから!」

 言い終わる前に、バシレイオンは空中で身体をぐるりとロールさせはじめた。ドアの先の青空が、地上の街並みへと変わる。何かに掴まる暇もなく、真世は、悲鳴をあげるのも忘れたまま、大空へと放り落とされた。

 

 すべてが自動で作動した。パラシュートは無事に開き、安全と思われる着地点を勝手に探し、見つけた陸上競技場へ向かって風に乗ると、真世は、軽い衝撃だけで400mトラックを踏みしめた。背負っていたパラシュートを捨て、競技場の外へ出る。突然空から現れた彼の姿に、居合わせた人々は驚いた様子だったが、それでも皆、遠巻きに見ているだけで、近づく者はいない。
 いきなり放り込まれた冒険にしては、なかなか順調に思えた──駅まで急ぎ、そこで、みらい庁の第二庁舎に向かう為の私鉄が運行を中止しているという事実を知るまでは。

「……なんで? ……今日って、日曜とかだっけ?」

 日曜祝日でも普通、電車は動いている。と言う以上に「なんで?」も何も、止まっている理由は当然、自分たちが引き起こした騒ぎのせいだ。
 安全な着地点へと導かれた事が、かえって徒になってしまったらしい。『国民いきいき安心戦略特区』までは、駅二つ分ほどの距離がある。走ろうと思って走れない距離じゃないが──ひきこもりの体力の無さ加減を舐めてはいけない。

「どうすんだよ……」

 真世が頭を抱えようとしたその時、傍らに公用車然とした黒塗りの車が急停車した。うな垂れかけた頭をハッと向ける。

「やばっ……覆面パトカー、とか?」

 考えてみれば、世間を大混乱に陥れている正体不明の巨大ロボットから飛び出したパラシュートの着地点に、追っ手がやってくるのは至極当然だ。
 全ひきこもり体力を投入する覚悟で、逃げ出すタイミングを見計らいながら、ゆっくり後ずさる。見据える先で、スモーク仕様のサイド・ウィンドウが開いた。

「乗って! マヨ!」
「……エステラ!?」

 

 急ぎ助手席のシートに収まった真世に、エステラは強い口調で「シートベルト!」と告げる。

「どうして……?」
「発信機!」

 真世には発信機をつけておいた、と言う意味らしい。けれど、そんなものを何処で手に入れたのか──問おうとして真世は、彼女がスパイであること思い出した。

「クルマ飛ばすカラ、喋らないでクダサイ! 舌を噛みマス!」

 思わず「!」と歯を食いしばる。
 エステラは、自動運転モードが解除されているのを確認すると、メイド服のスカートからすらりと伸びたタイツ履きの長い足で、力の限りアクセルを踏みつけた。
 どうやら車は本物の公用車らしい。しかも、かなりの力を持つ人物に貸与されている備品のようだ。法定制限速度など何処吹く風と猛スピードで爆走しているにもかかわらず、すれ違った何台ものパトカーが、ナンバーを照会しては素通りして行く。

「どこでこんな車手に入れたの!」
「ダマって! 舌を噛むって言ったでショウ!」

 真世が慌てて手で口を押さえ、車内が直噴V6の太いエキゾーストと乾いたロードノイズで満たされる。
 ふとエステラが、小さく口を開いた。

「……ワタシには、秘密がいっぱいありマス。伝えていいこと、いけないこと、決して教えたくはないコト……」

 FF車とは思えないノーサイドブレーキのパワードリフトで、車が減速なしに交差点を曲がる。

「ワタシハ……あなたには……嫌われたくない……」
「……ボクが、エステラを嫌うなんて、そんなこと、絶対…………痛いっ!」

 エステラは、小さく息を呑んだ、そして、

「……ダカラ、喋っちゃダメだって言ったでショ」

 言葉とは裏腹に、その声は嬉しそうだった。

 

 みらい庁第二庁舎の敷地の中にも、まるで知った人物の車がやって来たかのように、驚くほどスムースに迎え入れられた。職員たちも怪しむそぶりを見せない──ただしそれも、正面玄関前に乗りつけたその公用車から、メイド服姿の金髪白人美少女と少年が降り現れるのを目の当たりにするまでの話だったが。

 考えてみれば、もしエステラが来てくれていなかったらどうなっていた事だろう──真世は、第二庁舎の地下へと向かう廊下を急ぎながら、オールマイティ・デバイスで静香が捕らえられている区画を探りつつ、同時に、その煙草大の箱で要所要所のゲートのロックを解除していくエステラの姿を見ながらそう思った。加えて、立ちはだかるおびただしい人数の警備の人間や職員たちを、見事な射撃の腕前で仕留めていく。

「ご心配なく! 麻酔弾デス!」

 モデル205+の弾薬が尽きると、今度は、排除した相手のゴム弾銃を拝借し、溢れるように現れ続ける対象の、的確な部位を撃ち抜き、相手を行動不能にしていく。

「凄……」感嘆が漏れる「キミってとっても優秀なスパイ、だったんだね」

 思わず素直な思いを漏らした真世の表情に他意はない。
 しかし、言葉の代わりに返ってきたエステラの笑みには、悲しみが滲んでいる。
 真世はハッとなった。

「……えっと、なんていうか……その……」

 気まずそうに狼狽える真世は、エステラが投げて寄こしたオールマイティ・デバイスを、慌てて受け止めた。次いで彼女は、途中で手に入れておいたもう一丁のゴム銃も投げ渡す。

「シズカさんが捕まっているのは、この廊下をしばらく行って、右に曲がった突き当たりの部屋デス! そのオールマイティ・デバイスで鍵を解錠シテ!」
「エステラは!?」
「私はここで、やってくる邪魔者をとどめマス!」

 真顔で真世に告げる。
 彼女がそう言うのなら、きっとそれが最善に違いない。
 真世は大きく頷いた。
 エステラは表情をほどくと、ハッとするほど華やかな笑顔を真世に向かって開いて見せた。

「きっといつか、お話ししますネ。いろんなこと、ゼンブ……」
「……うん、きっと……」

 そして彼の唇に、自分のそれを、一瞬、そっと重ねた。
 突然の出来事に、真世は何が起こったのか判らなかった。

「この秘密だけは、先に教えちゃいマス……今のがワタシの、初めてのキス」

 エステラの瞳が愛おしそうに向けられている。
 真世は、戸惑い見つめ返しながら、口元に手を添え、その柔らかい感触を反芻しようとした。

「いそいでクダサイ……」

 エステラが促す。
 真世は我に返り、ひとつ頷くと、教えられた部屋へ向かって走り去った。
 その姿を見送っていたエステラは、彼が廊下の角を曲がり、姿が見えなくなった瞬間、浮かべていた笑顔を苦痛の歪みに変えた。
 メイド服の脇に血がぬらりと滲んでいる。しかしそれは、濃紺の生地の上では、目を凝らさなければ見つけられない。
 エステラの速射の腕なら、大和田もきっと、痛いと感じる暇もなく昇天できただろう。
 新手が迫る気配がする。
 ゴム弾を確認する、残はもうない。

「……お父様とお母様に、会いに行ってきますネ……」

 

 彼女は、スカートをまくり上げると、ガーターベルトに仕込んであったコンバットナイフを抜き、

「……あなたを、守り抜いてから……」

 わずかに残った渾身の力を込め、表情を尖らせた。

* * *

 ここまでエステラのやり方を見ていたおかげで、オールマイティ・デバイスによるロックの解錠は、予想以上に簡単だった。ドアが開く。教室ほどの広さの部屋の真ん中で、椅子に拘束されている静香が、暫くぼんやりと真世を見つめたかと思うと、次の瞬間、驚愕を満面に浮かべた。

「…………露島くん…………?」

 しかし、口枷と鼻に挿入されているカテーテルのせいで、それは言葉にならない。
 見れば、周りにいる白衣の者たちも、驚きを真世に向けている。
 真世は、エステラから渡されたゴム銃を、構えて向けた。

「手を挙げろ!」

 陳腐な言葉だとは思ったが、他にふさわしい言葉が見つからない。それでも真世は、必死に銃を構えながら静香に歩み寄り、その痛々しい姿に戸惑いつつも、一切の拘束を解き放った。

「大丈夫!?」

 静香はすがるように真世に抱きついた。
 大きな瞳から、涸れたと思っていた涙がまたボロボロと零れ始める。

「あ、えっと……あの……」

 真世の表情が、みるみるうちに赤くなる。
 まるで、再会のラブシーン──から二人を引き戻すように、新たに警備の人間が、急ぎ駆け込んで来た。警告を発しながら構えている銃が、さっきまで出会った物とは違う。ひょっとして──

「……ゴム弾じゃない……とか?」

 まさにジリジリと音が聞こえるように、銃を構えた警備の人間が慎重にゆっくり追い詰めようと迫ってくる。
 真世はとっさに静香を背後に守る。しかし、為す術は見つからない。
 窮地に陥った真世と静香は、しかし、なにやら足元を地響きが震わし始めたのに気づいた。警備の人間や手術着の技師たちも「?」と辺りを見回す。
 次の瞬間、コンクリートの壁を、巨大なこぶしが突き破った。
 静香たちが唖然と声を失う中で、ひとり真世は、安堵の笑みを綻ばせた。

「バシレイオン!」
「お待たせ! 真世!」

著者:ジョージ クープマン

キャライラスト:中村嘉宏

メカイラスト:鈴木雅久

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