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2017.06.08

メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第22回(最終回)】

前回のあらすじ
真世はバシレイオンからパラシュートで地上に降り立った。今回の騒動で電車が止まっていることに頭を抱えるが、そこに現れたエステラの助けで、静香が囚われているみらい庁への潜入に成功した! ⇒ 第21回へ

「ヤバいって……ネットの中で監視記録映像検索した時もド肝抜かれたけど、じかに見ると、更にマジかわいい……って言うか、もう美少女アニメヒロインの実物大フィギュアじゃん、しかも可動式って、もはやチートなんですけど……」

 8畳半の隅で心許なげに立つ静香は、感嘆を飛び越え呆れと化したバシレイオンAIのその声が一体どこから聞こえているのだろうかと、部屋の中を見回した。
 足元では真世が、室内を片付けようと身を屈ませ、あたふた行ったり来たりしている。

「あ、あっと、えっと、て、適当に座っていいから、床でもベッドの上とかでも……」
「お、いきなりベッドに誘うか」

 もちろんバシレイオンは聞き逃さない。

「あ! だね! ベッドはマズいか、あははははははは」
「うん……ありがとう」

 しかし実のところ真世は、日頃から物を散らかす性格ではなく、室内は何気に片付いていたり。それでも、何かせねばと手を動かすが──

「露島君、それ、積んである雑誌の上と下、入れ替えてるだけ……かも」
「え? あ、あは、あはははは……」
「マックス挙動不審だから、落ち着け真世」
「バシレイオンさんも──」

 静香はとりあえず、天井に向かって大きく頭を下げた。

「ありがとうございます」
「可愛くて、礼儀正しくて、働き者で、しかも速攻でこのあたしを受け入れちゃう寛容性と適応力まで持ち合わせてるって……天はあんたにいったい何物なんぶつ与えたもうたのよ」
「そうですね……大概の事は、受け入れられるくらいには、いろいろなもの、授けて貰いました」

 浮かんだ静香の笑みに、自嘲と諦めが滲む。

「ただし!」バシレイオンAIも、すんなりとは引き下がらない。「胸の大きさだったら、あたしの勝ちだけどね!」
「胸って言うかそこ、対消滅リアクター格納ブロックじゃん」

 真世は思わず割り込み指摘した。
 静香が捕らえられていたみらい庁第二庁舎地下のラボの壁を、地上から貫手ぬきて突き一本で貫き破って現れたバシレイオンの掌に握られ、保護されて、二人はなんとか彼女の胴体内へと生還した。

「アラミド繊維補強高強度コンクリートで護られてる表層はちょっぴり手強かったけど、それさえ破れば下の地下構造はプレハブみたいなもんで超脆弱だったし、ワンパンチ。19万キロワットのパワーと、220フィートのリーチ、なめんなよ」

 バシレイオンの行動を邪魔する者は──出来る者は皆無だった。彼女はそのまま大空へと跳躍し、水平飛翔に移行後、高度30000フィートを目指して現在もクライム(上昇飛行)を続けている。
 入口があるバシレイオンの足先から、頭部の部屋まで続くシャフトを、狭いチューブリフトに乗って昇る間に、真世は、密着している静香の身体が震えているのに戸惑いながら、とにかくバシレイオンAIのことを、そして彼女が偶然、静香の危機を察知した事を伝えた。静香は疑問も質問も返さず、ただ黙ってそれを聞いた。
 中央制御室だと聞き、様々な制御卓や巨大スクリーンなどが所狭しと並んでいる情景を頭に浮かべていた静香は、たどりついた先が、変哲のない日常生活まるだしの8畳半の部屋であることに驚いた。振り返れば、自分が真世に促され、くぐって出て来たそれは、クローゼットの扉だ。

「……どうして……巨大ロボットの中に……こんな部屋が……?」
「巨大ロボットじゃなくて『弩級』ロボット、だから」

 冷たく忠告する声に、静香はハッと息を詰まらせ、身体を硬直させた。思わず退こうとした彼女の腕を捕らえ、真世は慌ててフォローする。

「大丈夫! 噛みついたりしないから!」
「なにそれ」
「巨大とか弩級とか、そんなの今はどうでもいいだろ!」
「よくないし。じゃあなに? 牛丼屋さん行って、特盛りつゆだくだく頼んで、出てきたのが大盛りつゆだくで、『特盛り頼んだんですけどー、つゆもだくだくでお願いしたんですけどー』ってクレーム入れて、『そんなの今はどうでもいいだろ!』って返されたら、あんたは平気なの? え? どうなの?」
「って言うか、だくもだくだくも何も、バシレイオン、ロボットなんだから牛丼食べないじゃん!」

 交わされるたわいのないやりとりに、まるで日常の匂いがする部屋の様子に、あたふたと懸命になって自分を元気づけようとしてくれる真世の様子に、平然とマイペースを貫くバシレイオンAIに……気づけばいつしか安堵を取り戻した静香は、そして、真世に聞いた。

「……でも、どうして?」
「……?」
「どうして、助けに来てくれたの?」

 問われ、真世は、それまで落ち着け所を探し泳がせていた視線をふと、まっすぐ静香の顔に定めた。

「だってまだ、キミが誰だったのか……思い出せてないから」

 静香は、鼓動の拳に胸をどくんと突かれた気がした。
 そんな彼女を見つめていた真世は、その目を静かに閉じると、代わりに耳を静香に傾け、意識を注いだ。

「どこかで聞いた憶えがあるんだ……キミの、その声を……」

 静香はキュッと拳を握る。
 逡巡する時間があった。

「私……私は……」
「お取り込み中、誠に恐縮ですが」

 バシレイオンAIの声が割り込んできた。その声はおどけているが、

「……来るよ」

 なにやら真顔で告げる彼女を見た気がして、真世と静香は、息をひとつ、思わず呑み込んだ。

* * *

 コールサイン『エアフォース・ワン』は、中東歴訪を急遽切り上げた合衆国大統領を乗せ、既にインジルリク基地を離れていた。機内の執務室で、彼を筆頭とした安全保障会議メンバーが、並ぶモニターを前に絶句している。TV会議でリンクしたホワイトハウスの危機管理室でも、本国に残るメンバーが緊張の面持ちを見せていた。モニターに映し出されているのは、極東からコムサット経由で届いたバシレイオンの映像だ。
 真世を地上へパラシュート降下させた後、いったんバトルフィールドを駿河湾上空へと移したバシレイオンを強襲したのは、航空自衛隊の作戦機編隊だけではなかった。在日米軍もまた、制式化したばかりの対ロボット兵器に対するコンバット・プルーブン(実戦証明)を得る目的で、三沢・嘉手納の両空軍基地よりステルス編隊を、第七艦隊指揮の下からは、対巨大ロボット対抗策を運用可能な、MRD1.1ソフトウェア装備のベースライン11Cイージスシステム搭載巡洋艦を複数隻、ストライクグループとして展開させていた。
 ところがそれだけの脅威を、バシレイオンは、ある対象には『惑わしの目潰しフラッシュ』を、またある対象には『必殺蠅たたきハリケーン』を、更にある対象には『灼熱ドロドロ溶解レーザー』を繰り出して、手も足も出させぬ間に迎撃し無力化してしまった。
 経過時間は7分、実質作戦時間は正味2分半。合衆国大統領が、同盟関係にある国々との間で極秘裏に結んでいる国際非常事態治安協定『全世界安全保障イニシアチブ』の発動を宣言するのに、もはや躊躇は必要なかった。

* * *

 それは、世のすべての力が集結したかに思えるほどの、おびただしい数だった。同盟という名の隷属により合衆国に指揮権を掌握された『全世界安全保障イニシアチブ』加盟国全軍だけではない、本心より人類を救おうと立ち上がった者、抜け駆けされまいとばかりにとにかくはせ参じた者、あわよくばのちの覇権を掠め取らんと企む者──いつもは絶えずいがみ合い、顔を合わせれば石を投げ合う同士が、今は現れた強大な恐怖を前に、一同に手を取り合い、力を合わせ、バシレイオンを滅しようと団結していた。いま彼女は──真世は、静香は、世界に追われ、まるで払えば払うほどに増えていく恐怖と憎悪に纏わりつかれながら、すでに星の周りを10度は回っていた。
 真世にも静香にも、緊張をほどく暇は与えられなかった。

「交代するよ……」

 真世は、UHF・VHF・HF三つの緊急周波数を使い自分たちが無害であることを発信し続けているマイクを、静香から受け取った。その声が枯れている。

「ありがとう……」

 ふぅと壁に背もたれた静香の声も同様だ。
 真世はマイクに向かい、何千あるいは何万回と呼び掛けた言葉を繰り返そうとして……代わりに、大きく溜め息を吐いた。

「……なんで……どうして判ってくれないんだよ……だってバシレイオンは悪い事なんにもしてないじゃん! ボクらはただ……ただ……!」
「それでも彼らに、おさめる鞘のない矛を振り上げさせてしまった。振り下ろし血を吸わせないと、もう誰も吐いた唾を飲み込めない」

 そう言うバシレイオンの声だけは、変わらず耳に心地よい。そして彼女は、絶えず加え続けられている攻撃を、懸命に退けている。
 こんな時にエステラがいてくれれば、どんなに心強いことだろう。
 ひょっとしたらと、バシレイオンの中を探してみたが、やはり彼女の姿は見つからなかった。彼女の唇の柔らかさを思い返そうとするように、真世は自分のそれに触れてみた。固く、かさぶたのようにカサカサと乾ききっている。
 ふと、蝉の声が聞こえた気がした。夏の炎天に陽炎の如くわしゃわしゃと沸き上がる。
 ああそうだ、あの時に似ている、中学生の時の……地獄のマラソン大会。自分以外は全員がゴールし、たった一人残されたなかで、蔑みの視線に囲まれつつ、もう足は一歩も前に出ない……。

「こんどこそ……ダメなのかな……」

 立ち止まれば楽になる。諦める勇気も、きっと尊いものだ。ただすがりついているだけなんかより、ただ惰性で、一歩を繰り出し続けているより……。

「頑張って! 露島君!」

 その時、静香が叫んだ。
 がらがらに枯れている、けれどそれは、穢れのない、真っ直ぐな声。
 見れば、彼女本人が驚いている。両の手で、口元を押さえている。

「…………この声……」

 真世はハッとした。
 頭の中に、記憶のそれが蘇った。
 ぴったり重なって、ひとつになる……あの時、マラソン大会の時、諦めかけたボクにかけられた、あの声……。

「……でも……そんな筈……だってあれ、もう、ずっと昔の……」

 そして思い出す。彼女の身体は、10歳の時から成長していない。

「……じゃあ……あれって、キミ……?」

 ためらいの間は一瞬だった。一度視線を落としてから、静香は姿勢を正し、真世と向かい合った。

「……ごめんなさい……私があんな声を掛けなければ……声援なんて送らなければ……きっと露島君は、ひきこもりにならなくて済んだのに」

 視線を逸らしてはならないと必死に堪える静香の顔が、ぐしゃりと心苦しく歪む。
 その表情を、驚きに固まり見つめ返していた真世は、暫く言葉を探し……そして、ようやくそれを見つけると、ニッコリと大きく、感謝の心で笑んだ。

「ありがとう」
「……え?」
「だって、あの声援があったからボクは、ゴールまで走り切ることが出来たんだ」

 真世は右手をゴシとシャツで拭うと、静香に向かって差し出した。

「もっと、早く言ってくれれば良かったのに」

 静香は差し出された手を見つめた。
 手にとってはいけないような気がした。それでも……そっと触れてみた、温かい手だ。

「……だって……きっと……恨んでるって……」

 次の瞬間、静香は、真世の右手を両の手で強く握っていた。
 真世もその手にもう片方の手を重ねた。
 そこに、バシレイオンAIも手を添えた──そんな気がして、真世と静香は視線を見上げた。

「ほんと、どれだけ待たせんのよ」
「……え?」
「そろそろ押してもいいかもね」
「……押す?」
「あのボタン」
「……ボタン……?」

 暫く頭を捻った真世は、ハッと8畳半の中央を見た。
 その覆いはいまでもそこにあった。

「……もしかして……あのボタン、押すと助かるとか?」
「たぶんね」

 いそぎ歩み寄り覆いを外した。静香が不思議そうに見つめている。真っ赤なボタンが再び姿を現した。真世は、満面に笑みを溢しかけて……「でも」と思い出した。

「これを触るには、アレがいるって……」
「もう手に入れてると思うけど?」
「え?」

 どういう事だろうかと、真世は思わず静香を見た。
 話の見えない静香が、きょとんと見返す。
 そんな二人の様子にバシレイオンは思わずクスクスと笑った。

「……ま、いっか!」真世の表情にみるみるうちに生気が戻る。「だって、とにかくこのボタン、押せば助かるんだよね!」
「そ、真世と静香は」
「…………?」

 何やら、違和感を感じた。

「このボタン……押すと、どうなるの?」
「真世と……そして静香が、幸せに暮らせる世界が生まれる。今、あたしたちを追い詰めようとしてる理不尽も、これまで二人を苦しめてきたものも、何もかもも、全部……」
「バシレイオンは?」
「あたしはほら、あんたたちを守んなきゃ」
「……それって、ひょっとして……?」
「いいから、ほら早く、ボタン、押しなさいってば」
「でも……」
「デモもストライキもなし」
「だって!」
「っていうかごめん、マジな話、あたしの耐久力も、実はそろそろヤバいからさ」
「だったら他になにか、キミも一緒にいられる方法を……!」
「ないから言ってんじゃん!」まるで胸ぐらを掴むかのように、バシレイオンの声がぶつかってきた。「しょうがないじゃん! だってあたしはその為に生まれてきたんだもん! その為だけに創られたんだって! 真世を……あんたたちを守れなきゃ、存在する意味も価値もないんだってば!」
「そんなの嫌だ!」
「なんでよ!」
「キミと離れなくないからに決まってるだろ!」

 心苦しそうに息を呑んだバシレイオンの胸ぐらを、いつしか真世も掴んでいる──静香にはまるでそう見えた。

「キミがいなくなるなんて、そんなの……」
「大丈夫」

 見つめ合い止まってしまった時間を、バシレイオンがゆっくりとほどく。

「次に目が醒めたときには、全部、忘れてるから」
「そんなの……!」乾き枯れ、もう声にならない。それでも真世は、絞り出す。「だって前に言ったじゃん……バシレイオンがいないとボクは駄目駄目だって!」
「ほんと……だから、静香」
「……?」
「こいつのこと、お願いね」
「バシレイオン!」

 突如、荷重制御がオフになったかと思った瞬間、バシレイオンが大きくマニューバ(機動)をくねらせた。8畳半が大きく揺れ、よろけた真世と静香の手が重なり──赤いボタンに触れた。

 どこからか、カチリと音がした。
 とても爽やかな音だった。

* * *

 父さんと母さんの記憶? 
 そうだな……
 二人ともいつもとても忙しかったからね、
 あんまり一緒にいなかったから、
 どこかへ家族旅行に行ったとか
 誰かの誕生会とか
 クリスマスパーティーだとか、
 そういったイベントの思い出は
 ないかな。
 それでも寂しくはなかったよ。
 だって、
 いつも両手で抱えきれないくらいの
 笑顔をくれたから……
 だからさ、ずっと思ってたんだ。
 しっかり勉強して、いい大学に入って、
 いいところに就職して、
 絶対に父さんと母さんを喜ばせようって、
 きっときっと、幸せにしようって。

(終)

著者:ジョージ クープマン

キャライラスト:中村嘉宏

メカイラスト:鈴木雅久

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