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2020.07.21

【第16回】“アンチ天才”のボトムズ流仕事術

「他人の凄さがわかる自分」で敗者復活!

今⽇から始める「敗者復活」~“アンチ天才”のボトムズ流仕事術・2
2008年10⽉8⽇(水) 渡辺由美⼦

―― 監督は、意識して集団とか場を作られている気がします。前々回で少しお話に出た(「7:完膚無きまでに負けるという『幸運』」)「あかばんてん」という会社、こちらは「仲間が集まる隠れ場所」ということでしたが、具体的にはどんなことをされていたのですか。

⾼橋 僕らが作ったのは⼀応法⼈格をもつ有限会社だったんですけれども、それは⾃分たちの仲間内の仕事場を作るとか、あとはサロンみたいなものでしたね。僕が⾔い出しっぺとして⼀応代表はやりましたけれども、会社として仕事をするというんじゃなかったですね。

担当編集・Y ご⾃⾝で会社を⽴ち上げられたのは、どういった理由からだったんですか。⾍プロを辞めたのが69年で、あかばんてんを⽴ち上げられたのが75年ということでしたよね。1つの組織の中にいる⼈間がそこを辞めて、さらに⾃分で別の会社を作ろうという発想⾃体が、当時はなかなかないことだったのではと思うんですけれども。

⾼橋 どうでしょうね。当時のアニメ業界のことを思い出すと、幾つかの会社はでき始めていましたけれど。でもやはりTVシリーズを制作する⽬的で作った会社が多かったですよね。僕らの場合は、そこを最終⽬的にはしていなかったので、なんと⾔うか…⽬的地がなかったんですよ。

―― ⽬的地がない?

Y 他⼈がつくる組織とは別の視点というか、別の⽴ち位置が欲しかったという感覚なんでしょうか。

⾼橋 1つはやっぱり安⼼感でしょうね。渡辺さんもフリーランスですよね。

―― はい。

⾼橋 僕も⾍プロを辞めた後はフリーでしたからね。フリーというのは善しあしはありますけれども、やっぱりデメリットの⾯で⾔うと、結構不安ですよね。

―― そうなんです。

気が休まる場も必要だ


⾼橋 何か困難なこととか、もしくは仮に仕事がうまくいっていても、うまくいっているならうまくいっている感を分かち合うやつが隣にいたほうがいいし、凹んでいるときに凹んでいることを、競争相⼿としてでなく、仲間内に何となく気が休まるような形で、⾃分の凹み感を軽減するような⼈たちが隣にいるといいじゃないですか。そういう場を僕は積極的に作っていったということですね。

―― なるほど!

Y それは会社の中で同僚に愚痴るとか、何か褒めてもらうとか、そういうものでは充⾜されなかったんですか。

⾼橋 僕は⾍プロにいた段階では、分かりやすく⾔うと、あんまり気の弱みは⾒せなかったんです。他の⼈はバリバリ仕事をやって、僕は全然仕事をしないでのんしゃらんとしていて、あの程度の仕事をするならやらない⽅がいいという⾔い⽅で……はたから⾒るとやっぱり、いけずうずうしいですよね(笑)。だけどそれは多少⽚意地を張っている部分がありました。

―― 周りがみんなライバルだと思うと、弱みを⾒せられないということですね。

⾼橋 「あかばんてん」はそういう肩ひじを張る必要が⼀切なかった場所でしたね。むしろ肩ひじを張らない⼈たちと⼀緒に仕事場というか居場所を作って、仕事もやる、遊びも⼀緒にやるというような場所だったですから。

―― 仕事も遊びも⼀緒にやるというと、⼀種のクラブ活動っぽいですね。

⾼橋 そうですね、もうクラブ活動に近いですよね。

 「あかばんてん」は家賃制度でやっていたんですよ。僕は当然⼀番⾼い家賃で毎⽉何万円か払って、⼀番安い⼈は500円という。

⼈付き合いのコツは、「部下」を持たないこと


Y 500円って。

―― ⼈によって違うんですか。

⾼橋 そう、全然違う。だって若い⼈、まだアニメで稼げない⼈からはお⾦取れないじゃないですか。そういう⼈たちに対して、いろいろフォローはするんです。でもタダじゃないですよ、500円だよ、というような。

Y なるほど。貸事務所みたいな感じですね。何か仕事をしたら、その上がりから事務所に何%⼊れるべし、というようなことは︖

⾼橋 それもやらなかったですね。ただ僕の場合は、ディレクターの仕事以外にアニメ制作の仕事もやっていましたから、そのギャランティの中から事務所で使う分は幾らか出してましたけどね。家賃だけじゃなくて、みんなで遊びにいくとか、あかばんてん展という展覧会も3回やりましたので、その費⽤なんかはそういうところから捻出して。

Y 何だか楽しそうですね…。

⾼橋 楽しいですよ、やれば絶対楽しいです。

―― 「あかばんてん」という場所が代表的ですけれど、監督は、⼈を受け⼊れて関係を作るということにとても積極的だと思えるのですが、ご⾃⾝では思い当たる理由などはありますか。

⾼橋 僕は⼀⼈っ⼦なんですよね。⼀⼈っ⼦で寂しがり屋なところがあるから、そのせいじゃないですか、他⼈と関係を作ろうというのは。兄弟がいないから、兄弟というものの何たるかは分からないわけですよ。ひょっとしたら⼀番最初の隣にいるライバルかもしれない。⾎縁ということで、後天的に作られた友情とはまた違う親しさもあるかもしれない。でもそういう関係は、僕の場合は最初から持ってなかったから、⾃分で作るしかないと。

 確かに、僕は⼈間関係を作ることに積極的な⽅なんでしょうね。中学、⾼校の友達あたりから始まって、だんだん広がりをみせていった感じです。今も⾼校時代の連中と年に2回ぐらいはクラス会を10⼈ぐらいでやっていますから。そういう関係は年を取るに従って増えていっているかな。

Y それはすごく幸せなことですよね。会社員として過ごしていると、ひょっとして⾃分が会社を辞めたら、俺の周りには誰もいなくなるんじゃないか、という不安もあるんですよ。定年退職した⽅から「会社を辞めてみたら、地域社会にも家の中にも居場所がない、かつての部下たちも連絡を取ってくれない」というような話もお聞きします。

⾼橋 僕の場合は、今まで過ごしてきた中で「部下」というのはいなかったですね。会社をやっていても別に部下はいないですからね。同僚がいるだけですから。同じ仕事をしているだけですからね。

 今「装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ」をやっているけど、スタッフに対して部下感はないよね、あんまり。井⼝幹康君にしたって、部下という感じじゃないものね、あの⼈も。

サンライズ・塚⽥ まあそうですね。井⼝君もかなり若いけど。

―― 部下ではないとすると「同僚」?

⾼橋 若い仲間という感じですよね。

20代前半の若者に⼤仕事を任せた理由


塚⽥ ちゃんとした作業者ですよね、お互い。クリエーター同⼠の中では上下関係はないですし。

 僕らは制作サイドなので、制作同⼠では上司と部下という関係はあるんですが、制作とクリエイターとの関係に関しては、こちらがお⾦を出して仕事をお願いしている形ですから、これもまた⽴場としては上下関係はないです。若くてもベテランの⽅でも、仕事をお願いするスタンスとしては同じですね。

 でもベテランの⽅に対しては、上下関係とは違う意味で気にしますけどね。それはもう、歳が僕らより上ですし経験が違いますからね。普通の⼈間関係としてはやっぱり気にします。

―― 監督は、歳の離れた⼈たちと付き合うコツというのは何かあるんですか。

高橋良輔,ボトムズ,サンライズ,矢立文庫
高橋良輔氏(写真:大槻純一、以下同)

⾼橋 若い⼈でも、僕が持っていない能⼒を持っているということがあります。そうしたら、積極的に⾃分の仕事に取り⼊れようということですね。前回にも⾔いましたが、よく⾔えば⼈の才能を認める、悪く⾔えば⼈の才能を利⽤すると(笑)。認めることと利⽤することの線引きはちょっと難しいんですけど、結果的にフィルムの⾎⾁にはなっていくわけですね。

 さっき⾔った井⼝君も、まだ⼊社3年⽬なんですけど、「ペールゼン」のエンディングの演出をやってもらったんですよ。もう臆⾯もなく、「じゃあ、これは君やってね」という。僕は年齢が幾つだからというふうに相⼿を⾒ないし、経験が浅い若い⼈に仕事を任せることにも抵抗がない⽅ですね。

―― 井⼝さんは、今お幾つなんですか。

塚⽥ まだ23、4歳じゃないですか。

―― えっ、それはすごい。その⽅のどんな才能に気付かれたんですか。

⾼橋 僕が臨時講師として⾏っていた⼤学で、彼が作ったフィルムを⾒たのが最初ですね。学⽣はフィルムをたくさん作るわけですけど、井⼝君は作った量が⼀番多かったのと、どれを⾒ても⾯⽩かったんです。学⽣の作ったフィルムって、⼤抵は、これはあの作品に触発されたんだなとか、ここをマネしたんだなというのが分かるんですけど、マネをしても、⾯⽩いのとそうでないのが出てくる。

 学⽣だから⼿間も技術も掛けられない。だけれども井⼝君のフィルムは⽣き⽣きとしているんですよ。そこが⼀番いいなと思ったところです。あ、この程度の技術でもここまで⾯⽩くなるんだと。これはたぶん彼⾃⾝が持つエネルギーで、このエネルギーは利⽤できるんじゃないかなという。

逃げないヤツなら任せてみよう


―― 技術ではなくて、エネルギーを利⽤するという発想が⾯⽩いですね。

⾼橋 今回のエンディングは彼が⼿がけているんだけれども、学⽣時代と同じ発想でやっても、学⽣の頃に作ったものとは違ってくるんですよ。そこはプロの現場ですから、彼がアイデアを出せば、プロの絵描きさんが描いて、プロの撮影班が処理をやるわけです。そこに彼の⼿法や感覚が⼊っていくと、ちゃんと商品になるというふうに思ったんですね。

―― ベトナム戦争時のアメリカ軍の戦場写真を彷彿とさせるような雰囲気でしたね。

 若い⼈というのは、今までに作ったフィルムという“実例”がまだないわけですから、そういう⼈にいきなり作品の顔とも⾔えるエンディングの仕事を任せるのは、勇気が要ったんじゃないかと思うんですが。

⾼橋 そこは、僕の勘というか⾒切りだけですね。

 彼は能⼒があるというのと、彼なら任せても逃げないなというのと。学⽣というのはやっぱりどこかに“逃げ”があるんですよね。しょせん学⽣がやっている、お⾦が掛かってない、機材が安い、陳腐でもいいんだというようなことで。ところが学⽣も、実社会に出てプロのレベルの中に⼊ってしまえば、もう逃げの⼝上はきかないですからね。あとは、彼は逃げないだろうという僕の“⾒切り”だけですよね。

塚⽥ やっぱり⾃信になると思うんですよね。そういう機会を与えられると。若い⼦は、使ってくれることがすごくうれしいんですよ。よく「このアイデアを出したら監督は使ってくれるかな?」というふうに⾔っていて、アイデアのレベルは様々なんですけど、監督が「それいいね、じゃあ使います」とそのまま採⽤することもあって、そういうことに⾮常に喜びを感じるんですね。

 井⼝君なんかは、たまたま監督と会って、たまたま「ボトムズ」という作品の現場に⾏ってと、運もあったんですけど、でも機会をちゃんと⾃分のものにしましたから。

Y 監督の周りにそういう⼈が集まってくるのは、運だけじゃないような気がしますね。結局、相⼿をできるだけ上下関係で⾒ないようにしたいという意志があるから⼈が集まるんだろうという。もしかしたら、ものすごい回り道があった結果が、今の⾼橋さんなんだろうなと。

⾼橋 相当回り道なんですけどね、僕の場合(笑)。だってもう、若い頃から仕事をどんどんやって、なおかつ内容も良いというライバルは多いですからね。だから僕は、たぶんものすごく、他の⼈から⾒れば「どうしてそんなことにすがれるの?」ということにすがってきたんじゃないんですかね。

そういうことでも、すがる杖になるのか!


―― 監督は何に「すがって」きたのですか。

⾼橋 他⼈に助けてもらうためには、「コイツはすごい、とてもかなわない」と⾒ることができる“俺の⽬”があるんだということに、⾃信を持つしかないわけです。

―― 「凄さを認める俺の⽬に、⾃信を持つ」!?

Y 他⼈を認める能⼒に⾃信を持つって、すごい考え⽅ですね。翻って⾃分に対してはどうなるんでしょうか。

⾼橋 「俺にはない⼒がアイツにはあるんだ。ということを分かっている俺がすごいんだ」と。すがるところがそれしかないんですよ。

―― その「⽬」というのは、分析⼒みたいな感じなのですか。

⾼橋 僕は⾃分のダメなところをちゃんと分析できる⽬があれば、それにもきっとすがったと思うんですけど、分析じゃないですね。でも僕は、スゴイ奴を⾒つけるのは結構うまいですよ。

 うまいというか、そういう⽬は他の⼈もきっと持っていると思うんですよね。だっていいものはいいわけですから。ただ、スゴイものと⾃分が対峙したとき、やっぱり落ち込みますよね。

―― 落ち込むと、スゴイ⼈がいても、結果的に遠ざけることになるかもしれません。

⾼橋 そこは僕はずうずうしいから、いいものはいいと⾒つける⽬があって、いいと素直に⾔える俺がいるんだよという。その⽬があればいつかどこかで何かに当たるだろうという感じ。

―― 業界で「いい⼈材を⾒つけ出す名プロデューサー」と評判が⽴つ監督の極意がひとつわかったような気がします。他⼈の⼒量を素直に認めることができるというのは、⾃分が潔く負けを認めたときの経験が⽣きてきたということなんですね(6:ヤマトに負けて、ガンダムに負けた)。

 「ゼロテスター」の監督をしていたときに、同時期に放映された「宇宙戦艦ヤマト」の第1話を⾒て、⾃分の作品のほうが視聴率がいいにも関わらず負けを認めたというお話でしたが、これも監督の「⽬」がなせる技だった、と。

⾃ら降りた監督の名前を、記憶にとどめてくれたプロデューサー


⾼橋 そういう⾃分に厳しい⽬を持つことで、いいこともあったんですよ。

 結局、「ゼロテスター」が終ったときに、僕は(制作会社の)サンライズから遠のいてしまいました。「次の企画はもう僕はやりませんから」と。⼒を蓄える間をつくったということです。

―― そうでしたね。

⾼橋 本当は、20代で監督をやれと⾔われて、現場の中では評判が悪くないのに辞めるというのは、やっぱり相当、ある意味では傲慢だというぐらいに思い切りがいいことなんですよね。それは関係者に、後々、簡単にいえばインパクトを与えていたと。

 恐らく、⾃分の⼒量というものを⾒切って、「次の作品を断ってやめてしまった⾼橋良輔」という形で、上の⼈たちの記憶に残ったんだと思う。

―― そういう記憶の残り⽅をしたことで、どんなことが起こりましたか。

⾼橋 現場の⼈が、何もそこで辞めなくても、と思ってくれたんですね。

 (サンライズの)プロデューサーの⼭浦栄⼆さんもそのひとりで。⼭浦さんが、「違うんだよ、良ちゃんはやれるんだよ」みたいなことをずっと思って⾔ってくれていたわけですよね。

 ⼭浦さんは、まだ「宇宙戦艦ヤマト」が放映されて間もない、視聴率も将来の化け⽅もわからないときに、「いや、あの作品はちょっと⼦供物としては重いんじゃないかな」というようなことを⾔うわけですよ。だけど作り⼿の僕としては、もうがくっときているわけ。同じスタッフが作って、⾃分の作品とのこの差はなんだ、と。

 ⼭浦さんは、僕らの現場に対しての影響があるから、違う意⾒というか励ましのつもりで⾔っているわけだけど、⼼のどこかでは正確なものの⾒⽅をしていて、「ヤマト」の作品的な価値を認めているはずなんだよね。

 彼の正確なものの⾒⽅と、僕の「もうやらない」はどこかで合致していて、それで、「ああ、この監督は⾃分の負けを厳しく認めて、監督というポジションに連綿としがみつかないで⾃分から離れていったんだ」と。そういう気持ちになったと思うんですよね、彼は。

―― それが「良ちゃんはやれるんだよ」という⾔葉に。

⾼橋 関係者の中に僕に対して「何もやめなくてもいいのに」という思いがたくさんではないにしても少しはあったことで、次の作品の監督候補をリストアップするときに残った、そういうことじゃないですか。

 それで「もう⼀遍やってみないか」と声をかけてもらった。それが「太陽の⽛ダグラム」でした。

―― 「太陽の⽛ダグラム」と⾔えば、⾼橋良輔監督の最初のヒット作ですよね。いよいよ満を持して、という感じだったんですか?

⾼橋 違うんです。最初は、僕はもうやらないと結構抵抗していたんですよ。だって「ゼロテスター」の後に監督をやった「サイボーグ009(新)」のときには、放映が「機動戦⼠ガンダム」とぶつかったんですよ!

⼀同 ああ……そうでしたね(ため息)。

⾼橋 「またか、とことんついてないな」というか。「いつまで俺をいじめればいいんだよ」みたいなね。だから⼭浦さんから「太陽の⽛ダグラム」の話が来たときも、「もうやめようや。もう違うことをやろうや」とふてくされていて逃げようとしていたんだけど。

復活戦のはじまり


⾼橋 それを彼が、「違うんだよ。良ちゃんが思っているアニメーションの状況とは、もう時代が変わったんだよ」と。「ガンダム」のビデオを40何本分持ってきて、これを全部⾒てくれとか、しょっちゅう通ってきて。「もう好きなものができるんだから」と⾔うんですね。

―― アニメーションを取り巻く状況が変わった?

⾼橋 「ヤマト」も「ガンダム」も、オリジナル作品のヒットだったんですね。それまでのテレビアニメーションというのは、漫画や⼩説を原作としたものがほとんどだったから、オリジナル作品で成功したことが⼤きかったんです。オリジナルでも、TV局、広告代理店、メーカー、プロダクションが経済的に成り⽴つという道を、この⼆作品が開いたんですよ。

 だけど、環境は変わったのに、「オリジナルを作れる監督」というのは、そんなにいるわけじゃなかったんです。

―― なるほど。

⾼橋 あと、やる気になったのは、題材だけじゃなくて作り⽅も今までのやり⽅じゃなくてもいいんだ、というところですね。

 僕はそれまでテレビアニメーションを作るには、絵コンテの描き⽅とか撮影技術とか、そういうものが⼀番必要必須の⼤きな才能だと思っていて。⾃分はその部分は資質的に⽋けていると思っていたから。

とにかく⽣き抜け! 時代は変わる、勝者も変わる

高橋良輔,ボトムズ,サンライズ,矢立文庫
高橋良輔氏

⾼橋 ところがそこに⼭浦さんが、「そうじゃない」と。「すでにあるものを演出するんじゃない、あなたが物語を作るんだ」と。

 オリジナルの物語を作るということは、⾃分でシナリオを書くわけじゃないんですね。⼀番の肝は物語の元になるプロット(注:物語の⼤筋や世界観を説明したもの)を作ることなんですよね。A4の紙1枚に出⼒したものでもいいわけです。プロットさえあれば、それを元にして⾃分の思い描いている世界をシナリオに定着させることができるんですから。

 じゃあ、それなら作ってみるかなと。そこから始まったんですね。

―― オリジナルの物語、しかも社会派といわれる独⾃の世界観を構築できるのが、監督の最⼤の強みだったと。プロット作りは今までアニメ製作にはなかった職分ですから、ご⾃⾝の才能に気づくまでに時間がかかったわけですね。

⾼橋 プロットが出来ても、やっぱり存外にオリジナルを作るということは⼤変だったんですけどね。「ダグラム」では原作と監督の両⽅を担当していたんだけれども、70本中30本⽬ぐらいのところで監督を神⽥武幸さんにお任せして、僕は物語を作る⽅に専念することにしました。

―― そうして「ダグラム」「ボトムズ」と、ロボットアニメに社会派と呼ばれる視点を⼊れた新たな潮流を作り、アニメ界にこの⼈ありと、⾼橋良輔の名前が知られていくわけですね。

(次回完結!)


※本連載は、2008年に公開されたインタビューのリバイバル掲載になります。 

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