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【第10回】コードギアス断章 モザイクの欠片
第5編 ひとごろし と ひとごろし(後編)
5
ブッチの葬式はジェラルドが取り仕切った。
たくさんの人々に見守られながら、ブッチの入った棺桶は墓に葬られた。
涙を流すブッチの妻。
何が起きているのかわからない様子の娘。
「ママ? どうしてみんな泣いてるの? パパはどこ? お仕事?」
ブッチの妻はぎゅっと、そんな娘を抱きしめる。
その様子をトーマスは黙って見守っていた。
葬式の後だった。
「トーマスさん」
トーマスは帰ろうとしているところを、ブッチの妻に呼び止められた。
「主人がこれを渡してくれって。もし自分に何かあったら、必ず、と……縁起でもないって、笑って済ませてたんですけど」
無理に笑おうとする妻の目から、再び涙が溢れ出した。
彼女はトーマスにデータディスクを手渡した。
「ありがとう。帰って確認する」
それだけ言って、トーマスはその場を後にした。
アパートに戻り、さっそくコンピュータにディスクを入れる。
そこに入っていたのはブッチからのメッセージだった。
トーマス。おまえがこれを読んでいるということは、俺は犯人に殺されたってことだな。あいつが俺を殺すとは考えたくないが、まあ、人生何が起こるかわからねえもんだ。
本題に入ろう。
犯人はジェラルドだ。被害者は皆、ジェラルドの教会に熱心に通っている人たちだった。それなのにジェラルドは、知らないふりをした。状況証拠だけだが、確実だ。また、調べた結果、被害者は全員、ジェラルドから例のゴッドタッチってやつを受けていることがわかった。あれもきっと何か関係があるんだろう。
俺がもし死んだとすれば、それはジェラルドに会いにいって、殺されたからに間違いない。
トーマス。あんたは軍の権限でもなんでもいいから使って、ジェラルドを止めてくれ。あんたにしか頼めないんだ。これ以上、あいつの手を血で汚させないでくれ。
読み終わったトーマスは拳を握りしめていた。
自分が怒りに震えているということを、理解する。
トーマスは〈プルートーン〉として、数々の人間を殺してきた。
淡々と任務をこなすだけの生活――。
ブッチとジェラルドの友情は、そんな中で垣間見た、人間らしい温かさだった。
それが一方の勝手な行動で裏切られたことに、トーマスは怒りを覚えていた。
トーマスはアパートを飛び出した。
まずジェラルドの家を訪問したが、留守だった。
だとしたらいるのは――教会だ。
すでに日は傾き始めている。着くころには夜になるだろう。
――いい時間帯だ。
トーマスは獰猛に笑った。
人殺しと人殺しが殺し合うのは、やはり夜に限る。
参列者がいなくなり、スタッフも消えた教会――。
礼拝堂に一人、ジェラルドはいた。
一人、十字架に向かって祈っているジェラルドの背後に、トーマスは立った。
「どなたですか?」
「トーマスだ」
ジェラルドは祈りをやめるとトーマスのほうを向いた。
「その目は……そうですか、気づいてしまったのですね。私の正体に」
俺はいったいどんな目をしていたのだろう、とトーマスは思う。
「気づいたのは俺ではない。ブッチだ。彼が突き止めた」
「ええ、知っています」
「ブッチは君を逮捕しにいったんだな? そして君は彼を殺した」
「……そうです。私が彼を殺しました」
――トーマスがジャケットから銃を抜いたのと、ジェラルドが手を払いのけたのは同時だった。
燭台がトーマスめがけて飛んでくる。
一瞬、それに気をとられた結果、発砲したトーマスの弾丸は、ぎりぎりジェラルドのこめかみをかするだけにとどまった。
燭台がトーマスの額に直撃する。
「ぐ……」
額からダラダラと血が流れてきて、視界を汚された。
――ただの神父かと思ったが、違うのか。
目視で周囲を確認し、耳で足音を聞く。
かすかな息遣い。わずかに床をこする足音――。
だが姿を確認することはできなかった。一瞬の目つぶしのあと物陰に隠れてしまったようだ。
走って逃げなかったのは、いい判断だ。音のした方向に銃撃して、それで終わりだっただろう。
物陰を使って視線を切りながら移動している様子が感覚できる。
その場所は……。
「何!?」
にゅっと、視界にジェラルドの右手が出現する。
ジェラルドは背後に回り、後ろからトーマスの顔に手を伸ばしていた。
咄嗟に目を閉じるトーマス。
だが、瞼にジェラルドの手が触れると、彼のまぶたは開かなくなった。
「バカな……!」
まぶたが貼りつき、動かなかった。感覚が完全に麻痺している。
左手でまぶたを押し上げてみるが、何も見えない。眼球も動く様子がないから、目の感覚を完全に失っていると考えたほうがよさそうだ。
トーマスは視力を失った。
だが外傷はまったくない。
こんなことができるのは――。
「ギアス……」
やはりジェラルドは特殊能力者。
つまりは、トーマスの狩りの獲物――。
戦闘に特化したタイプの能力を持つ者との戦いは、いまのように初動で後れを取る可能性が高い。だから本来なら、ターゲットを特定したあとも調査を続け、その能力を把握してから戦うべきだった。
だが、怒りがトーマスに普段のスタイルを忘れさせた。
ブッチを殺された怒りに突き動かされていたことに、いまさらながら気づき、トーマスは小さく舌打ちをする。
周囲の音を聞きながら、目まぐるしくトーマスの思考が動く。
目の感覚を麻痺させられたことで、いままでの謎がパズルのピースのようにはまっていった。
おそらくジェラルドのギアスは触れた部分の体の感覚を失わせる力。その力を使って、ジェラルドは人々の心臓を直接止めていたのだ。だから死因が特定できなかった。単なる心不全でしかなかったから――。
教会で老婆の痛みを取り除いたのも、このギアスの力だろう。
「奇跡の神父――まさか悪魔の力によって行われていたとはな」
耳を澄ます――。
「……外か」
走り出す。
トーマスの体はまっすぐ出口へと向かう。他の人間が見たら、トーマスの目が見えていないなどとは夢にも思わないだろう。
トーマスは一度見た景色を忘れない。殺し屋として戦いながら身に着けた技だ。視覚を奪われる可能性など、最初から考慮している。むしろ足を潰されなくてよかった。足を失うと追いかけるのに苦労する。
音、匂い、体温、そして殺気――それらを駆使して索敵していく。
ジェラルドはどうやら市街のほうへは行かず、墓地に回ったらしい。一般人を戦闘に巻き込みたくなかったのか、はたまた気まぐれか……。先ほどの動きを見るに、わざと市街を避けたと考えたほうが妥当だ。
トーマスは罠を警戒する。自然と足取りは遅くなるが、仕方がない。
墓地は静まり返っていた。誰の足音も聞こえなければ、息遣いも聞こえない。
もしかしたら、ジェラルドはここにはもういないのではないか。
そんな風にさえ思う。
けれどトーマスの直感が言っている。
やつは逃げてはいない、と。
そのとき、後ろから足を掴まれた。右足は完全に、左足は間一髪のところで引き抜いた。ガクッと右足の力が抜け、その場に転がる。左足の力で立ち上がり、体勢を立て直す。
右足の感覚が、脛から下の部分から完全になくなっていた。何とか立っていることはできるが、移動などの行動は大幅に制限された形だ。
「トーマス」
左で声が聞こえた――かと思ったら、右腕を掴まれる。
ぎゅっと強く掴まれ、能力を使われたことを悟る。
トーマスは振りほどくが、拳銃は取り落とした。
何とか距離を取ろうと、トーマスは無様な姿勢で後ろへ跳んだ。着地できたのが奇跡だと思えるほどの、アンバランスなジャンプ。
数メートルの距離を置いて、ジェラルドが自分と対峙しているのを、トーマスは感覚した。
「トーマス」
再び、ジェラルドの声。その声は優しげで、だからこそトーマスは背に汗が伝うのを感じた。
ジェラルドは自分の能力を完全に理解し、使いこなしている。殺気は感じない。殺すつもりは、いまのところはないらしい。
ただじわりじわり、とトーマスの行動力を奪ってきている。
「見逃していただけませんか? あなたは私と戦っても勝てない。私はご覧の通りバケモノです。解体業者の男が太刀打ちできる相手ではない。いずれ、殺されるでしょう。通報してもかまいません。私はこのまま、この街を出るつもりですから……」
「俺は解体業者ではない。軍人だ」
ふふっと、小さく笑うジェラルド。
「なるほど、それでブッチと一緒にいたのですか。ブッチが死因不明の遺体を調べていると聞いて、軍が動いた――この力を持つ私を抹殺するために 。先ほどから解体業者にしてはずいぶんいい動きをするなあと思っていましたが、そういうことでしたか」
さすがは理解が早い。頭がいいのもあるだろうが、こういう事態になる可能性を、常に考慮していたのだろう。
「君も神父にしては戦闘慣れしすぎている」
「軍医をしていたときもあったので、そのときにいろいろ習いました」
「言っておくが、俺は君を逃がすつもりはない」
「それは正義のためですか?」
「正義は関係ない。能力者を消すこと――それが俺の仕事だ」
「わかりました。なら、私も退きません。私は私の正義のために、あなたを殺し、そしてまた別の場所でやり直します」
ジェラルドが動いた。
今度は確実に、トーマスを仕留めようとしてくる。
トーマスは背を向け、走り出す。
追う側と追われる側が逆転した。
ジェラルドは一気に距離を詰めると、ぬっと右手を突き出し、正確にトーマスの背を狙ってきた。その先にあるのは心臓だ。
直感的にトーマスは、相手が背中に触れることで心臓を止めようとしていることを理解する。
そこにあったのは明確な殺意。
殺気。
体をねじってかわす。
そして、左手でジェラルドの右手を掴むと、大きくねじり上げた。
「ひぎっ!」
ジェラルドが呻く。
トーマスはすでに理解している。ジェラルドは手のひらで触れたものの感覚を奪う。それにさえ気をつけていれば、危険はない。
トーマスは腹に衝撃を覚えた。ジェラルドの肘が鳩尾に入っていた。激痛で力が緩み、ジェラルドの手を放してしまう。
畳みかけるようにジェラルドの拳が飛んでくる。トーマスは左腕を使って受け流し、左足を軸にして右膝で蹴りを入れる。体の感覚がマヒしているせいで踏み込みが甘く、ジェラルドに簡単に攻撃をかわされてしまう。
ジェラルドに距離を取られる。
「私は許されないことをした。それは認めます」
荒い息を整えるようにして、ジェラルドが言う。
「けれど他に何ができたというのです? ただ黙って、苦しみながら死んでいく人を看取っていけばそれでよかったのですか? 彼らが、無残に苦しみながら死んでいくのを……!」
ジェラルドが踏み込んでくる。まるで怒りを、トーマスにぶつけるかのように。
トーマスの頭の中で情報が繋がる。
発見された遺体はすべて病魔に侵されていた。
「君はスラムの住人たちを安楽死させていたというのか?」
攻撃を両腕で受け止めながら、トーマスは尋ねる。
「そうです。助からない命が苦しみ続けないように、切符を渡していたのです。天国への片道切符をね」
「傲慢な……彼らが望んだというのか、それを」
「そんなことを言えば、彼らは病になど望んでいなかった! 本当なら助かった人だってたくさんいたのです! けれどこの国の高度な医療を受けるのは貧しい人々には難しかった。だから私が終わらせたのです! 誰も苦しみなど望んでいないと知っていたから!」
「くっ……俺は、認めない」
そしてきっとブッチも認めないだろう。あいつはそういう男だ、とわずか数日だけ一緒に過ごした男のことをトーマスは想った。
「私たちは相いれないようですね。ならば……これで………!」
ジェラルドが懐からナイフを取り出し、そして投げた。
トーマスは刃物の音と風を切る音でそれを感覚したが、やはり視覚情報がなかったため、反応が遅れた。それでも身をひねり、なんとか心臓への直撃は避ける。
左肩に直撃を受ける。
「ぐっ」
その間にジェラルドは距離を詰めている。
しゅっ、という鋭い音とともに、二本目のナイフが降り抜かれる。脇腹から胸にかけて、ざっくりと切り裂かれ、トーマスはよろめいた。
そこを思いっきり足払いされ、トーマスは地面に仰向けに倒される。
「終わりです、トーマス。残念です。あなたとは友人になれるのではないかと思っていたのですが……」
ジェラルドがトーマスに馬乗りになった。
右手が――悪魔の右手が、ゆっくりとトーマスの胸部へと近づけられていく。
死が近づいてくる。
完璧な暗黒が。
生の断絶という世界の終わりが――。
しかしトーマスは悲しげに、ふっと息を吐いた。
「――俺も残念だ、ジェラルド。君のようなお人好しがスラムで暮らせているのは希望に思えたんだが」
ジェラルドの右の手のひらがトーマスの胸部に触れるかと思われたそのとき、トーマスの右手が動いた。
ズボンのベルトに隠してあったもう一丁の拳銃――それを右手が引っ張り出し、流れるような動作でジェラルドの胸に押し当てると、引き金を引いた。
くぐもった破裂音とともに、鮮血が吹き出し、下にいたトーマスに降り注いだ。
6
「か……は…………!」
仰向けに倒れるジェラルド。
トーマスはジェラルドの下から這い出し、立ち上がると、彼を見下ろした。
「おかしい……私はたしかにあなたの右手を能力で封じたはず……」
ジェラルドが荒い息とともに言う。
「触れてはいたが、封じてはいない。これは義手だ。俺は右腕を怪我で失い、機械の腕を移植している。どうやら君のギアスは生身の体以外には効果がないらしいな」
トーマスは銃を持った右手を示した。
「では、あのとき右手から拳銃を落としたのは、わざとだったのですね……?」
「ああ。目を潰されたとき、君の力について確信した。だから右手を能力で封じられた振りをした。本来ならこんな手は使わずに仕留めるつもりだったが、追いつめられたよ」
それは一種の称賛とも言えた。
「――質問が二つある」
あえて急所を外していたのは、訊かなければならないことがあったからだ。
「なぜブッチを殺した」
「――殺すつもりはなかったのです。ただ廃倉庫に呼び出されて自首を迫られ、私が断ると、彼は私を逮捕しようとしました。私は力を使って逃げた。ですが体のコントロールを失ったブッチはなおも私を追いかけてきました。私は廃倉庫の非常階段へと逃げた。そしてブッチは――階段から地上に落ちてしまったのです。下に行って彼を見た私は、もう助からないことを悟りました。ただただ苦しそうにしている彼を見て、私は耐えられず、心臓を止めてしまったというわけです」
「事故だったのか」
「殺したのは事実です。それに、そもそも私が能力を使わなければ、彼が階段から落ちることもありませんでした。彼は最期まで私に自首を勧めていましたよ」
ブッチらしいと言えばブッチらしい。諦めが悪いところも、友人想いなところも……。
「二つ目の質問だ」
感情を抑え、トーマスは仕事に戻る。
「その力はいつ、どこで手に入れた?」
「もとは医者だったという話をしましたね? 外科医をしていたとき、私はたくさんの人間を治療していました。しかし、救えるのは金持ちだけ。お金がないせいで救えない命をいくつも見ました。嫌気がさした私は医者をやめ、神父になりました。しかし神にすがっても、信仰するだけでは現世での苦しみは除けない。結局のところ私は神を信じ切れなかったのかもしれません。神は――おそらく神なりの深淵な理由から――貧しい人々をお見捨てになったのです」
はあはあと苦しげに喘ぎながら、ジェラルドは自分の半生を語る。
「数年前のことです。私は一人の少女と出会いました。彼女と契約し、私はこの力を得ました」
トーマスは考える。ヴァルトシュタイン卿経由の任務で探すよう手配されている女だろうか。
「どんな女だ」
「旅芸人の格好をしていたように思います」
ダメだ、これだけでは情報が足りない。
だがこれ以上の情報を引き出すことは、できそうになかった。すでにジェラルドの瞳からは光が消えようとしている。
「なぜなのでしょう……誰もが幸せを求めている」
自問するように、ジェラルドが言う。
「平穏な世の中を。それなのに争いは絶えない。皆が幸せを求めるからこそ奪い合いが起こる。異なる善と善が対立する。それを調停してくれるはずの神は、沈黙を貫いている――。私には、できることがあまりにも少なかった」
トーマスは思う。
この男は優しすぎた。このデタラメな世界で生きるには。
だが力がなければ、悩める者として、まっとうな人生を歩めたかもしれない。
そんな彼が力を得てしまったのは何という皮肉だろうか……。
この力さえなければ、彼は、別の生き方ができたかもしれないのに――。
「――終わらせてくれませんか? あなたの手で。無力な私の、無意味な人生を」
懇願するように、ジェラルドが言う。
「……最初からそのつもりだ。君のような能力者を抹殺するのが俺の仕事――そこに正義や善は関係ない」
「そのくらいドライに生きられたら、私も幸せだったのかもしれませんね」
「ドライに生きられないのは才能だ。俺は最初から諦めていたんだ。君は諦めなかった。立派だと思うよ」
「最期にそう言ってくれる方がいて嬉しいです」
銃声とともに弾丸が、ジェラルドの眉間に吸い込まれる。
ジェラルドの生命活動が止まった。
トーマスはしばらく、ジェラルドのそばにたたずんでいた。
視界は闇に閉ざされたままだったが、トーマスはジェラルドの安らかな死に顔が見えたような気がした。
(「ひとごろし と ひとごろし」了)
著者:高橋びすい