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メゾン・ド・アームズ バシレイオン【第3回】
バシレイオンのコクピットである8畳半にある赤いボタン。絶対に押してはダメというそのボタン。でも『アレ』があれば押してもいいとバシレイオンAIはささやく。真世は『アレ』を買うために10年ぶりに部屋を出る決意を固めた! ⇒ 第2回へ
もともと真世の8畳半の世界――自室は、自宅にあった(いちいち説明するまでもないが)。そびえ並ぶ帝都の摩天楼や、あまたの船行き交う航路を大きく跨ぐ東京港連絡橋を東京湾越しに望み見る、ベイエリア沿いのマンモス分譲住宅地の一角。真世の両親を長とする露島研究所の見渡す様な偉容を、雛形から押し出して量産したような3Dプリント工法の建売一戸建住宅が、君主を崇める民の群れの如く幾重にも取り囲んでいる、そのうちの一目変哲のない一軒。1階にリビング・キッチン・バス・トイレ+1部屋、2階にバス・トイレ・寝室そして真世の部屋。決して広くはない、むしろ小舎といえたが、それは、バス停でいえば二つ半ほどの距離の先に望む研究所から滅多に戻らない両親が、ひきこもりである真世と彼のすべてを世話する家政婦との二人だけで住まうに持て余さないようにと、あえて選択した物件であった。
研究所から太平洋を越えてスタンフォード大へ講演に向かったその日の朝も、両親は顔を見せなかった。疎んでいたのではない。むしろ父と母は真世を愛していた、溺愛していた、心より……あまりに愛しすぎていた。
二人が日本を旅立ってから3日後の事だった。
いつもの様にVRヘッドセットの向こう、仮想現実空間の中に没入していた真世は、突如震えだした世界に、まずは新たなゲーム内イベントが始まったのかと期待し、やがてそれが、のどかな夜の旅館を舞台にしたアイドルとのお泊まりデートの景色とそぐわないことに違和感を憶え、さらに暫しの後、部屋全体を振動させるようなオプションゲームデバイスなどないという認識にようやくと行き着いた。
「地震!?」
慌ててヘッドセットを外した真世は、まずはいつしか夜が明けていた事に驚いた。閉め忘れていたカーテンの向こうからいきなり突き刺さってきた眩い陽の痛みに目を塞ぐ。部屋は小刻みに震え続けている。グラグラではなくガタガタガタガタ……。地震にしてはなにやら様子がおかしい。恐る恐ると薄く目を開いた真世は、次の瞬間、驚きのあまりそれを大きく皿にしていた。
窓外に整然と並ぶ住宅たちの、鱗の様に連なる屋根屋根の先に横たわる、露島研究所の可動式天井が、まるで広大な陸上競技場が真ん中から二つに割れるかの如く重重と開扉し、建屋の中からいままさに、その巨躯――巨大な人の形をした構造物が姿を現そうとしていた。
「あれって、ロボット……!? って言うか、でかっ!」
道行く人々が唖然として歩みを忘れる。思わず自動運転を解除し急ブレーキを掛ける車たち。あちらこちらの住宅のベランダやバルコニーに何事かと人々が飛び出している。そんな風景をまるでミニチュアのジオラマと見下ろすかのごとき巨躯が、座位の姿勢で地を揺るがせつつ、建屋から青空の中へとぐんぐんせり上がり、やがて偉容のすべてを晒したところで「ズズン」とひとつ鈍い地響きを余韻に残して静止した。
息を飲む圧巻のショーは、実際にはおおよそ3分ほどの間の出来事だったが、真世にとってそれは、瞬く間と感じるほど魅入られる光景であると同時に、何時間とも思えるほどの濃厚な場景だった。
随分と予算をかけた宣伝プロモーションだ、目を奪われていた皆がそう思い感心した。新作大作映画、あるいは遊園地か何かの鳴り物入りアトラクションだろうか。人々は、座ったままの姿勢で動きを止めた巨人の次の動きを、それが立ち上がるのを、今か今かと固唾を呑んで見守った。
しばらく待ったが何も起こらなかった。感動の瞬間を動画におさめようとスマートデバイスを構えていた人々が一人また一人と痺れを切らし、掲げていた腕を下ろし始める。真世もまたその一人だった。「これで終わりかな?」「なぁんだ、つまんない」人々が落胆するなか、窓から身を乗り出し様子をうかがっていた真世は、「けど……」と彼ゆえの疑問をふと抱いた。
「どうして父さんと母さんの研究所から、あんなモノ……?」
そして、その時はやって来た。
ただし、動き出したのは、その巨人ではなかった。
8畳半の世界に突如、けたたましい警報が鳴り響きはじめた。思わず「わっ」と身を強ばらせ、窓の桟を掴んだ真世に追い打ちを掛けるように、天井の四隅から赤色の警告灯が現れ、彼の心拍をつり上げるかのごとく、せわしく明滅しはじめた。
何が起こるのかと身構えれば、次いでその体に、部屋全体に、床から突き上げる様なロケットモーターの点火の衝撃が襲い掛かった(もっとも腹に響くその轟音の正体など真世には知る由もなかったが)。思わず身を縮こませ両の耳を強く押さえた彼の体が、荷重でぐいと床に押しつけられる。コンポジット系推進薬の燃焼する据えた匂いに息を詰まらせながら「え?」と窓の外を見れば、景色が加速をつけながら下方に流れている。
「うそ? この部屋……空、飛んでる? マジで!?」
全身に重石をまとったように自由の効かない体をようやくと起こすと、桟に手を掛け直し、必死に窓の外を覗き見下ろした。眼下の地に自宅が、正確に言えば自宅からいま自分がいる8畳半の自室を取り除いた残りの部分が、ロケットモーターの噴射炎を受け、煤で粉っぽくまっくろになって取り残されている。近所の人達があんぐりと口をあけてこちらを見上げている。それらがドンドンと遠く小さくなっていくのが見えた。
こういう時、人はおおよそ二つに類型されるモノらしい。声を荒げる凍り付くにかかわらずとにかく取り乱し我を失うタイプ、そして――真世は自分が妙に冷静である事に自身で驚いた。もしかすると両親の特異な職種が関係しているのかも知れなかった、と言うか、
「ひょっとして、父さんと母さんが、家になにか仕込んでたのか……?」
いや、むしろそれ以外は考え難いだろう。となると、とりあえず安全は担保されたと思っていい筈だ。真世はとにかく落ち着こうとした。
いつしか空飛ぶ8畳半は上昇から水平飛行に転じ安定している。速度はそれほど速くない、むしろ慎重と言ってよかった。決して飛翔に適しているとは言いがたい形状物の姿勢を、ジンバル制御の可変ノズルで巧みに操りつつ、どこかへ向かっている。
どこへ?
真世はハッと行く手を向いた。
案の定、彼の8畳半の世界は、厳めしく重厚なる体育座りの巨人を目指していた。
近づくに従い、遠目では非現実のように感じられていた巨大さが、その威圧感に吐き気すらおぼえるほどの実感となって迫ってきた。8畳半が一軒家ほどの大きさもある巨人の顔の前をいったん飛び過る。その面相に、真世は驚いた。
「この顔……!」
何やら見覚えがあった。そう、それは、まさに慣れ親しみ住んでいた自宅そっくりであった。その外観を部屋の外へ出て眺める機会は最近では殆どなかったが……と言うか『顔』が『家』?
8畳半は、巨大な顔の前を飛び過ぎた後、大きく回り込みつつ速度を落とし、後頭部の真後ろの、距離を置いた位置でホバリングに入った。見ればそこにぽっかりと空間が口を開いている。そう、本来の自宅なら真世の部屋がある位置に、部屋の断面と同じ形の、大きさの。
部屋の窓は、向き合っている後頭部を正面とすると右壁に穿たれていた。その窓から身を乗り出して見れば、開いている口の上下左右の隅から、収納されていたキャプチャーブームが延び、それが空中で静止している部屋の四隅のアンカーハンドルと結合すると、8畳半を後頭部の中へとゆっくりと引き込み始めた。
近づくと次第に目が慣れてきたらしく、それまで真っ暗で見えなかった空間の内部がぼんやりと見えてきた。金属ではない、プラスチックと陶器とを混ぜ合わせたような、しっとりと艶がある白っぽい構造材のあちらこちらに、どうやら真世の部屋を固定する、あるいは何らかと結合するらしき機構やコネクタがいくつも見える。いま身を乗り出している窓は塞がれてしまうみたいだが、では部屋の出入り口はどうなるのか、まさか閉じ込められてしまうのでは……案じたその時、いったんブームが部屋を引き込むのをやめ、穴に飲み込まれ始める寸前で、8畳半は何やら停止してしまった。
真世は「?」と様子を見守った。
部屋は動き出さない。
暫く待った。
代わりにどこからか小さな溜め息が聞こえ、続いて「あのさ……」と少女の声がぼそりと冷たく戒めた。
「いいかげん首、窓から引っ込めてくれないと、その頭もげると思うんですけど」
状況が飲み込めなかった。
「も・げ・る・ん・で・す・け・ど」
トゲの矛先が自分に向けられている事にようやく気付き、真世は慌てて乗り出していた身を窓から引っ込めた。どことなくシナモンシュガーを思わせる甘くて辛い口調。真世は、置かれている状況にもかかわらず、なにやら淡いドギマギに鼓動をうわずらせた。
「す……す、すみません……」
懸命に謝罪を絞り出すと、独り言以外久しく音にしてなかった声が喉にからんだ。恥ずかしさにカッと汗が噴き出すのを感じて俯く。
直後、再び部屋が引き込まれ始めた。8畳半と空間の形状はピッタリだった。次第に窓が塞がれ、だんだんと部屋の中が暗くなり、遂には漆黒に包まれ、完全に空間の中に飲み込まれて静止した。次いでアンカーボルトが部屋をロックしているらしきゴグンという鈍い振動が四方から複数、包み込むように聞こえ(予想以上の数に、よほどしっかと固定していることが想像された)、それもやがて止むと、静寂が訪れた。
暫くなにも起こらなかった。
窓が塞がれた真っ暗闇の中で、身構えるように様子をうかがっていた真世は、そこでようやく部屋の明かりをつける事を思いついた。視界がなくとも、慣れ親しんだ8畳半ならドコに何があるのか見当はつく。手を伸ばしそろりそろりとすり足で壁までたどり着くと、壁伝いに部屋のドアまで移動し、手探りで明かりのスイッチを見つけ、パチリと押した。明かりはつかない。数回押してみたが変化は無い。
心臓がバクバクし始めた。必死になって何度も押し続ける。
再びどこからか深い溜め息が聞こえた。
「少し待てない?」
真世は「!」と手を止め、真っ暗闇の中に声の主を探した。
「いま、あたしとその部屋のコネクトのベリファイ中。異常ないの確認したらすぐにライフライン一式、供給するから」
「あたし……と?」感じた違和感などお構いなしに、少女の声がぼそりと付け足す、
「ったく、この程度でなに焦ってんの? これだから童貞は」
真世はカッと顔が熱くなるのがわかった。事実、確かにそうだったが、
「な、なにいきなり……失礼だろ、そんなの……か、関係ないじゃん……」
それにこう見えて、ある意味自分は百戦錬磨、と、頭の奥で今までの経験を反芻しようとして、真世は思わず「あ!」と声をあげた。
「『いろシチュ』! セーブ!」
『いろいろシチュエーション』は、様々なタイプの美少女アイドル達とプレーヤーが、言葉通りいろいろなシチュエーションで出会い、近づき、デートを重ね、時には喧嘩をし、時には互いに助け合って共に困難を乗り越え、ひいては心も体も結ばれるという妄想成就をゴールとした、ある特定種族で話題沸騰中のオンラインVR恋愛ゲームだ。半年の歳月を掛けて、それほど推してはいないタイプのアイドルとのシミュレーションデートで経験を重ねた末、本命とするアイドルとの高級老舗旅館デートにまでようやくとこぎ着けたところだった。しかしどうやら今、この部屋には電力が通っていないらしい。当然ゲームは強制的にログアウトさせられているに違いない。
「……だからUPS(無停電電源装置)買っとこって何度も言ったじゃん……」
後悔する自分に向かって呆れ言いつつ、真世は思わず真っ暗な部屋の中に手探りでVRヘッドセットを探そうとした。
「動かないで!」
ピシャリ制止した声に、真世は慌てて動きを固めた。
「部屋の真ん中には、絶対に近づかないで」
「……なんで?」
「とにかく!」
次の瞬間、PCの冷却ファンが鈍く唸りはじめた。電源が復帰すると自動的に再起動する設定にしてあったのだ。ハッと壁際に急ぐと明かりのスイッチを入れる。間接照明に薄明るく照らし出された室内を見回した真世は、なにやら部屋の中央に、いままでなかった赤くて大きなボタンが存在しているのに気づいた。
「いい? そのボタン、絶対に触らないで」
「……なに、これ……?」
「なんだっていいから」
突き放すというより相手にしないといった物言いに、さすがの真世も「なんなんだよキミ、さっきからさ……」と悪態を返そうとして――ふと、思った。
「キミ……誰? どこにいるの? ひょっとして、この巨大ロボットの……」
「『弩級』ロボット」
「……」
「間違えないで」
前にネットで調べた事がある。20世紀に入ったばかりの頃にイギリスで建造された、当時最も巨大で強力だった戦艦『ドレッドノート』の艦名に漢字を当て、その頭一文字からとった『弩』級は、『並外れて大きく立派なこと』という意味だ。やれやれハイハイと言い直す。
「……キミ、この『弩級』ロボットのパイロットの人……とか?」
「はぁ? 何言ってんの? 『あたし』のパイロットは露島、あんたじゃない」
著者:ジョージ クープマン
キャライラスト:中村嘉宏
メカイラスト:鈴木雅久