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2022.04.15

第二話 ゆっこチャンネル開放



 

 ある朝ユッコが不安な夢から目覚めてみると、ベッドの中で視界がとてつもない状況に変わっていることに気が付いた。

「マジでか……」

 目の前が真っ暗になるような気持になる。
 耳を澄ますと階下からテレビの音声が聞こえてきた。

『明日にかけてスーパームーンが見ごろとなり、全国的にお月見日和と……』

 民放の朝のニュース。
 おばあちゃんがいつも見てるやつだ。
 でも今のユッコにはその音声すらも煩わしく聞こえ、
 ガバッ!
 再び布団にもぐりこんでしまった。
 目に映るもの。
 耳に聞こえるもの。
 どれもが憂鬱だった。

「ユッコ、どうしたんだろう?」
「もう三日目ばい。どげんしたとですかね」

 マッツンとスタニャは食べ終わった給食の食器を片付けながら小声で話した。
 今日で三日連続。
 ユッコが学校に出てこないのだ。
 先生の話では体調が悪い、ということは聞いている。
 寒暖差がある時期だし、風邪でも引いたのかな。
 そんな風に考えていた二人であったが、三日目ともなるとさすがに不安になった。

「スタニャちゃん。お見舞いに行こうよ」
「そやね。行こう」

 二人は放課後、共にユッコのお見舞いに行くことにした。
 ……のだが。

「そもそも、ユッコの家がどこかわからない」

 マッツンはいきなりひざを折り挫折した。
 スタニャもオロオロしながら、

「どげんしよう……行ったことなかったばい」
「自転車で来てるから、そんなに遠くないよね?」
「電車とは聞いとらんばい」
「じゃあ、近くだよね」
「とは思うっちゃけど、わからんばい」
「わぁ! どうしよう」

 するとスタニャがポンッと手を打った。

「そうや! 先生に聞けばよかと」
「あ! その手があった! さすがスタニャちゃん!」

 と、一瞬もりあがるマッツンだったが、すぐに訝し気に眉を顰める。

「……でも個人情報を簡単にわたしてくれるかな?」
「あー……今時分はいろいろあるばってん」
「だよね。どうしよう」
「どげんしよ」

 さしものスタニャも現実的な問題に、思わず肩を落とす。
 だがそんな話をしていた二人に朗報が舞い込んだ。
 ちょうど帰りのホームルームをやっている時に担任教師が、

「小嶽原んちにプリント届けてほしいんだが、近いのは……」

 ユッコの家の近隣に住む生徒を目で探す。

「!?」

 これはチャンスとばかりに、マッツンが手を挙げた。

「はいはい! 先生! あたし、届けます!」
「ん? 多田は逆の方向じゃ……」
「用事あるんです!」
「用事たって、おまえ……道草くわすわけには……」
「いいんです! 行きます!」
「ちなみに用事ってのは?」
「女の子にはいろいろあるんです! 聞かないでください」
「………」

 よくわからない理由をつけて、教師からユッコの家に行く権利を手に入れたのである。
 別段、担任教師も行くと言う者を止める理由はない。

「そうか。じゃあ、お願いしていいか」
「任せてください! ところで……」
「ん?」

 というわけで、極々合法的にユッコの住んでいる場所の住所を手に入れ、マッツンとスタニャはユッコの家に行くことになった。
 彼女の家は富士見町の住宅街の中にある。
 お寺の近くで閑静な一角。
 住んでいる人でもなければ入ってこないような路地を右へ左へ。
 同じような光景がいつまでも続くものだから、スタニャが不安そうにマッツンの袖を握る。

「こっちであっとうとですか?」
「うん! ダイジョブ! たぶんこの先に違いないから!」

 自信満々なマッツンに、むしろ不安になるスタニャ。

(それは迷子フラグたい……)

 と思ったものの、スタニャは地図が苦手なものだから、あれこれ口をはさめない。
 できるのは方々を飛んでいるGPSの電波を拾うくらい。
 現在地ははっきりわかっているけど、残念ながら受信する電波はナビまでしてくれないのだ。

(……不便たい)

 中途半端にわかるだけなので、そう思うのも致し方ない。
 とはいえ、スタニャが心配する迷子フラグは回収されずに済んだ。
 マッツンは先生の書いてくれた拙い地図ひとつで、

「とーちゃーく!」

 見事ユッコの家の前までやってきたのである。

「すごか! よくこの地図でわかったとね」
「わかるよー」

 嬉しそうに照れ笑いをするマッツン。
 いつになっても褒められるのはうれしいらしい。
 彼女の家は二階建てのごくごく普通の民家であった。
 それは古すぎず新しすぎもしない、ごく一般的な一戸建て。
 築年数はそこまでは行ってない。
 チャイムを押すと、ユッコのおばあちゃんが出てきて対応してくれた。

「あら、学校の? ごめんね。ずっと布団から出られなくて」
「そんなに悪いんですか?」
「熱はないんだけどね。ずっと震えてて」

 おばあちゃんの話を聞いて、二人は余計に心配になってしまう。
 一応、お見舞いもかねて、という来意を伝えると、部屋まで通してくれた。

「ユッコ、お見舞いに来たよ」
「大丈夫ったい?」

 部屋に通されると、布団に丸まったユッコが恐る恐る顔を出した。

「………」

 彼女は寝不足気味の目で不安そうに二人を見る。
 マッツンはそんな彼女に小首をかしげ、

「どうしたの? 風邪?」

 するとユッコはブルブル震えながら、布団の隙間から顔をのぞかせる。

「ごめんなさい。わざわざ来てくれて」
「うわ、具合悪そうだね。どうしたの?」

 するとユッコはしばし周りをきょろきょろして、また布団にもぐる。

「……あのですね……どう説明していいかわからないんですが……」
「うんうん」
「チャンネルが開放状態になっちゃって?」
「「チャンネル??」」

 マッツンもスタニャも同時に首を傾げた。
 するとユッコはおずおずと涙目で布団から再び顔を出し、

「私、幽霊見る時、頭の中でチャンネル切り替えてるって言ったことあるでしょ?」
「「うん」」
「人の幽霊でも、動物の幽霊でも、それ以外の残留思念でも、ちゃんとチャンネルをそこに合わせないと見えないんですよ」

 マッツンもスタニャもそれは聞いたことがあった。
 ユッコ次第で、あえて見ないこともできるらしい。
 マッツンにとってはそれがどんな感じなのか想像もつかなかったが、それでもそういうものなのだ、という理解はある。

「そう言ってたね」
「ただ、最近、その力が強くなりすぎちゃって……」

 その言葉にマッツンとスタニャは驚き声を上げた。

「えっ!」
「もしかしてユッコちゃん、見えすぎになっちゃったとですか?」

 こくりとうなずくユッコ。

「たぶん、あれのせいだと思うんですよ」

 そう言ってユッコが指さしたのはカーテン。
 ……ではなく、その隙間から見える昼の空に浮かぶ白い満月だった。
 マッツンはそれでもわからないというふうに、

「おつきさま?」

 と目を丸くする。
 ただスタニャの方は思い当たる節があった。

「そっか。スーパームーンたい!」
「なにそれ?」
「マッツン、知らんと?」
「えへへ、初耳だよ」
「お月様がすっごくでっかくなるってテレビで言っとったばい」
「あー」

 ようやくマッツンも理解して手を叩く。
 スタニャの方は心配そうにユッコに向き直った。

「ユッコ、それが原因とですか?」
「……うん」

 目を伏せながらユッコはつぶやくように口を開いた。

「昔から満月が苦手だったんです。妙にそわそわしちゃうし、それに幽霊も頻繁に出るしで……。昔は満月の時って幽霊がいっぱい出るんだ、って思ってたんです。でも実はそうじゃないって最近になってわかってきて……」

 するとスタニャがポンと手を打った。

「わかったとよ。幽霊の数が増えたんやなくて、見える幅が広がったとですね」

 スタニャの言葉にユッコは小さくうなずき返した。
 スタニャもできるだけ電磁波を拾わないようにする術があるらしい。
 そう考えると、スタニャの能力と、ユッコの能力は近しい物がるのかもしれない。
 するとそれまで聞いていたマッツンが腕を組んだ。

「そっか、それがスーパーなムーンになったから、めっちゃ見えるようになっちゃったんだね!」

 まさにその通りだったが、この段でうなずく気力もないユッコは、ただうなだれるばかりだった。
 実際、今でも目の前にはおびただしい幽霊が。
 百鬼夜行どころか幽霊風呂に浸かってるかのごとき光景。
 とても目を開けてなどいられないのだ。

「この世界ってもうギチギチに幽霊というか、残留した思念というか、そういうのがいっぱいなんですよ。チャンネルさえ合わせなければ、見ないですんでいたんですが、月の変動でそのあたりがガバガバで……」

 今に始まったことではない。
 以前からこの傾向はあった。
 満月の日にはどうしてか、いつもより感覚が敏感になる。
 チャンネルが開放されて、いつも見えないはずの幽霊まで見えてくることがある。
 もうずいぶんと慣れてしまったことだし、この事態だって我慢していればいつか収まることなのだ。
 するとマッツンが突然、ガタッと勢いよく立ち上がった。

「やっぱ、こんな力、早く捨てないとね!」

 決意を新たにする彼女をユッコは仰ぎ見た。
 そう、三人で約束したのだ。
 一緒にこのへんてこりんな力を捨てようと。
 この力のせいで出来なかったことを、いっぱいやろうと。
 ふと、マッツンやスタニャと出会った日のことを思い出した。
 それは自分ひとりで抱え込んでいた日々から解放された時のこと。
 初めて自分のことを話せる人間を得たあの日――。
 羨望にも近い眼差しをマッツンに向けていると、彼女は重ねてこういった。

「よっしゃ! じゃあ月を壊そう!」
「「ええっ!?」」

 言うや否や部屋を飛び出していこうとする。

「待つったい! お月様壊しちゃいかんとですばい!」
「でも行けると思うんだよね!」
「行けるとしても、壊しちゃいかんたい!」

 マッツンにスタニャが縋りついてずるずる引きずられる。

(この娘、本気でやる気だ……)

 ユッコも冷や汗ものだった。
 マッツンの跳躍力がどれほどのものかはわからない。
 まだ彼女自身、本気を出したことがないのだそうだ。
 でも、今の彼女は本気で月まで跳躍する気であった。
 ただマッツンの普段の力を知っていると、なんかできてしまいそう、と思わせるところがある。
 マッツンは足を止めて困ったようにその場に座りなおす。

「でも、お月様をどうにかしないないとユッコが……」
「だいじょうぶです……スーパームーンが終われば、落ち着くはずなので」
「でもそれまで家からも出られないなんて」
「それは仕方ありませんよ。前からそうでしたから」

 はやくこの能力を捨てることができれば……。
 こういう時は余計にそう思う。
 ユッコの返答にマッツンはがっかりしたように肩を落とす。

「なんだか息が詰まっちゃうね……」
「かわいそうたい」
「仕方ありませんよ。幽霊のいない清浄な場所とかに行くしか解決方法なんてないですから」

 すると急にマッツンが目をクリッとさせ、顔を寄せる。

「そうなの!?」
「え、ええ……」
「よし、じゃあ、そういうとこ行こう!」
「えっ!?」
「気分転換しようよ!」
「なにを言ってるんですか?」
「だってユッコ、ずっと幽霊に囲まれて、ずっと家出てないんでしょ?」
「そうですけど」
「そんなの身体によくないよ。少しでも気持ちが晴れるところ行って、気分転換しないと息が詰まっちゃうよ!」

 気持ちはありがたい。
 しかしそんなのは無理だ。
 人の住む里には、とにかくあらゆる霊であふれかえっている。
 関東平野一円、ギチギチと言ってもいい。
 霊同士は生きているチャンネルが違うので、自分以外の幽霊の存在を知らないでいるが、ユッコほどの見える体質の人間にとっては地獄絵図だ。
 ことにこのチャンネル開放状態ともなると、折り重なって見える。
 ギチギチなのだ。
 そしてパンパンなのだ。
 ちょっと見れたもんではないのだ。
 だから気分転換をできるような場所など、とてもじゃないが見つかるとは思えない。

「な、何を言ってるんですか。目をつぶって外なんて出歩けないですし」

 するとマッツンは再び、胸を張ってドンと叩く。

「だいじょうぶ! いいこと思いついたよ!」
「えっ!?」

 マッツンはカバンの中をゴソゴソ。
 取り出したのはかわいいライオンの絵柄のハンドタオルだ。

「それ……どうするんですか?」
「巻く!」
「ど、どこに?」
「目に!」

 言い終える前にはマッツンはすでに行動を開始していた。
 彼女はユッコの背後を取ると、ハンドタオルを目が見えなくなるように巻き付けたのである。

「あ、あの……なにも見えないのですが……」
「そうだよ。だってユッコ、お化けが見えちゃうんでしょ?」
「まあ、そうですが」
「これで見えなくなったよね!」
「まあ、見えなくなりましたけど……」
「よし!」

 ガッツポーズ!
 でもユッコの方は困惑するしかできない。

「あの、これ根本的な解決にはなっていないような気がするんですけれども……」

 もっともなことだ。
 なにしろこれで幽霊は見えなくなったが、同時に周りも見えないのだから。
 するとマッツンは自信ありげにドンッと胸を叩く。

「だいじょうぶ! あたしがユッコの目になるよ」

 ユッコはどうしていいのかわからずモジモジしてしまう。

「そ、それはマッツンが私の手を引いてくれるということですか?」
「ううん。抱っこする」
「えっ!」

 聞いていたスタニャは、

「あらあらぁ」

 と他人事のような反応。

「こ、困ります! 私、もう中学生なんですから!」
「何かおかしいかな?」

 状況がわかっていないとでもいうように小首をかしげるマッツン。
 たまらずユッコは布団から飛び出した。

「おかしいというか、恥ずかしいです!」
「え、そんなことないよ」
「そんなことあります。想像してください! 中学生にもなる婦女子が目隠しされて抱っこされて外を歩くなんて、ちょっとした拉致現場じゃないですか!」
「そ、そうかな……?」

 助け舟を求めるマッツンに、スタニャは、

「よかばってん、まずはやってみるばい」
「スタニャさん! めちゃめちゃ無責任な発言しましたね!」
「おかしかとですか?」
「おかしいじゃないですか! いくら私が幼児体型だからと言って、ごまかせるものではありませんよ!」
「そう言われると、そうやんねぇ」

 スタニャに関しては納得してくれた様子ではある。
 さて、マッツンの方はというと……。

「そっかぁ……ユッコ、恥ずかしいのかぁ」

 残念そうにしながらしょぼんとしている。
 そういう顔をされるとユッコも困る。
 マッツンの善意を嬉しく思っていないわけではない。
 今まで幽霊なんかが見える自分を、好奇の目で見る者はあっても、心配してくれるものなど誰一人いなかった。
 だからこうして言われてしまうとユッコは弱い。

「まぁ……別にいいんですけど」
「よーし! 行こう!」

 マッツンのこういうところは本当にずるいと思う。
 ずるいし、うらやましい。
 ユッコにはこういう前向きさがまぶしかった。
 そう言ったわけで、目隠しでお姫様抱っこをされたユッコは無事(?)に外へと連れ出されることとなった。

 

(つづく)

著者:内堀優一

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