特集
SPECIAL
- 小説
- 放課後
ゆっこチャンネル開放②
「……あ、あの、どこへ向かってるんですか?」
目の前が閉ざされたユッコにとっては何もかもがおっかなびっくり。
だがマッツンは平然とした調子で、
「任せといて。せーじょーな土地だよね?」
「そうですけど……」
「神社とかお寺じゃないんだよね」
「……はい」
郊外の神社仏閣は人が多いせいもあって、幽霊も同時に集まってくる。
むしろ多いくらいだ。
そうじゃない清浄な土地ってどこだろう?
ユッコがそう思っていると、マッツンが、
「スタニャ、目つむってしっかりつかまっててね」
「うん!」
なにやら恐ろしい話が聞こえてきた。
「あ、あの、ちょっと……」
「いくよ!」
その瞬間――。
バインッ!
何かを激しく蹴ったような音。
同時にユッコの身体にものすごい負荷がかかった。
「ひいいいい!」
たぶん……いや、間違いなく真上に向かって高速移動している!
とてつもない加速度に声もかき消される。
でもそれも次第に安定してきた……のだが、
(めちゃくちゃ寒い!)
もういきなりブルブル震えだしそうな温度になっている。
絶対、ジャンプしたのだ。
しかもものすごい高さまで。
マッツンのジャンプがどれくらいのものなのかわからない。
でも、少なくとも今目隠しを取るのは、幽霊が見えること以上に怖い。
「よーし! あっちか!」
(あっちって、どっち!?)
問う間もなく、またも、
バインッ――バァァァァウン!
加速しだしたのである。
(っていうか、ここ上空でしょ! なに蹴ったんですか!)
疑問は何も解決されないし、聞ける状況でもない。
暑苦しくてうだるような夏休み前のこの時期、まさかここまで涼しい体験ができるとはさすがに思っていなかった。
それにしてもマッツンはどこに向かっているんだろう?
途中、何度かなにかを、
バイン、バイン!
と蹴る音は聞いたのだが、今が時速何キロなのかすらわからない。
加速はしていないから身体に負荷はかからないのだが……。
(とにかく風が冷たい……)
すくなくとも生身で飛ぶ速度ではないはずだ。
そういえば最初、聞こえていたスタニャの叫びもいつの間にか聞こえない。
だいたいこの状況で察しがついた。
一応、マッツンのことだから人目が付かないところで飛んだだろう。
(でも問題はそこじゃない!)
もしかしたらスタニャが、振り落とされたのでは?と心配した。
しかし不思議なことに、少し時間がたつと……。
「ぁぁぁぁあああああああっ!」
スタニャの声がゆっくり聞こえてきた。
(まさか……)
そのまさかであった。
(音速、超えてた!?)
スタニャが振り落とされたわけではなく、後から叫び声が聞こえてきたということは、そういうことになる。
そして飛び始めること二分で、マッツンは驚くほどふんわりと着地を決めた。
「到着!」
てっきりとんでもない振動が来ると思っていたユッコは拍子抜け。
わきからスタニャの声も聞こえる。
「うひゃあ、ジェットコースターみたいやったばい」
意外にも楽しんでいた様子の口調だ。
ユッコの方はやっぱり腰は抜けていて、しばらく立ち上がれなかった。
「ものすっごい寒いですけど……」
身体の震えが止まらないのだ。
二重の意味で。
「……マッツン、どこまで飛んできたんですか?」
「えっと……どこだっけ?」
この娘は行き先もわからずに飛んだのだろうか?
「えっとね、小学校の頃にね、家族で来たことがあるんだ。この辺は昔からせーじょーな土地だってお父さんが言ってた」
「ど、どこなんですか?」
「目隠しとってみてよ」
そう言われてユッコは恐る恐る、目隠しされたタオルを取る。
「………わぁ」
その光景に、ユッコは息を呑んだ。
目の前に広がるのは天を突くような巨木がひしめく森だった。
太く張った巨木の根は苔むしており、葉の隙間から漏れる光がキラキラと降り注ぐ。
踏みしめた地面は柔らかく、そこが長い年月をかけて積み重ねられてきた落葉によって形成されていることがわかる。
静寂の中には葉擦れと鳥の声が、控えめに遠くからさえずっている。
対流する空気は丸くやさしい。
頬をなでる風が清々しく、遠くから聞こえてくる水の流れが耳を喜ばせた。
「綺麗なところばい」
スタニャも感嘆を漏らす。
それはユッコも同じ気持ちだった。
見渡すすべてが美しい芸術作品のような光景。
言葉を失い、ただぼんやりとしてしまう。
そんなユッコにマッツンが笑みを向ける。
「どう? ここなら幽霊、いない?」
言われて初めて気が付いた。
そこは今までの幽霊たちの喧騒からはかけ離れた世界。
「う、うん」
「そっか、よかった! これだけ山の中なら、幽霊もいないかなって思ったんだ」
「……いや、山の中も幽霊はいますよ」
「えっ!? そうなの? 木とか動物?」
聞かれてユッコは少し考える。
「……えっと、まあ、そうですね。でも植物なんかは基本的に生きている時から半分幽霊みたいなものですし……動物も基本的に死んじゃってしばらくすれば世界に溶けちゃいますけど」
するとスタニャが感心したように相槌をうった。
「しらんかったばい。木って生きとる時から死んどるったたい?」
そう問われるとちょっと説明が難しい。
ユッコは手ぶり身振りを交えてどうにかそのニュアンスを伝えようとした。
「いえ、生活の仕方が人間と違うんですよ。木や植物は動けないでしょ。だから自分の魂魄が出歩いたりするんですよ」
「出歩くとですか? 足がついたりして?」
「えっと……木の代理人みたいな存在が」
「ははぁ、妖精みたいばい」
「ああ、もしかしたらそういうことなのかもしれませんね。考えたことがありませんでした」
スタニャの言う通り、それは昔から言われる精霊や妖怪の類にもしかしたら近いのかもしれない。
ユッコはそれらをまとめて同じように考えていたが、言われてみれば納得である。
マッツンの方はにこにこしているだけ。
たぶんわかっていない。
でもそんなことはどうでもよかった。
彼女たちの気持ちがうれしい。
だからユッコは素直にそれを伝える。
「でも、ここはいいですね。すごく落ち着きます」
そんなユッコがもらした笑みの意味はすべからくマッツンには伝わった。
「よかった!」
「ありがとうございます」
「いいよ! せっかくだから、ちょっと散歩してこ。最近、ずっと部屋の中だったでしょ?」
「そうですね」
確かにユッコの身体はなまりきっていた。
なにしろこの数日間、一歩も布団から出ることができなかったのだから。
街中のせわしなく徘徊する無数の霊が厭でも目に入ってくる状況に比べたら、ここはなんて安心できるのだろうか。
先ほどマッツンとスタニャに説明した通り、木々の精霊のようなものも目にするが、むしろ心落ち着く光景ですらある。
都心の喧騒から離れて羽を伸ばしているかのような気持ち。
「すごく気持ちよかですねぇ」
スタニャが伸びをしながら胸いっぱいに深呼吸をする。
確かにここの空気はおいしい。
自分が住んでいるところも決して悪いわけではないが、ここと比べては気の毒だ。
「ほんと、ここどこなんですか? 奥多摩とか?」
「う~ん、もっと西の方だよ。大阪とかの手前」
「えっ!?」
マッツンの言う通りだと、この辺は熊野古道とかの奈良県あたりの山中ということだろうか?
もちろんそれ以外にも可能性はいくつか考えられるが、それを考えたところでどうとなるものでもない。
とりあえずマッツンの跳躍力のすさまじさを垣間見た。
「というか、一回の跳躍でよくピンポイントでここに来れましたね」
「ん? 一回じゃないよ」
「どういうことです?」
「何回か微調整しながら飛んできたから」
「微調整って……そんなジェット機じゃあるまいし……」
するとマッツンは少し難しそうな顔をしながら、手ぶり身振りを交えて不器用に説明しだす。
「えっとねえ、こう……真上にジャンプしたら上から日本全体が見えるでしょ」
「え! そんな高く!?」
「そしたら今度は目的地の方向に向かって横に蹴って」
「「よこ!?」」
「それで目的地が来たら逆に蹴って、それから着地する前に数回蹴りながら着地するんだよ」
ユッコもスタニャもそれを聞きながら、変な汗があふれてきた。
「ちょっと聞いてもよかとです?」
「なぁに?」
「マッツン、横に蹴るとか着地する前に蹴るとか言っとるとですが、何を蹴っとるん?」
「なにをって……空気?」
((やっぱり!))
とんでもないことを平然と言ってくれる。
空気を蹴るって、それつまりやろうとすれば空を歩けるってことだ。
「すごいですね……マッツン」
「えへへ、ありがとう」
そんな話をしながら歩いていると、突然ユッコの背筋にゾクゾクっと悪寒が走る。
(なにこれ?)
周りを見回す。
静寂な森がそこにはあるだけだ。
では今のは何だったのだろうか?
「ユッコ~! どうしたの~?」
「行かんとですか?」
先を行くマッツンとスタニャが心配そうに振り向いてこちらに手を振っていた。
「い、行きます」
気のせいかもしれない。
一瞬のことだし、最近の生活で受信機が過敏になっているだけだと思った。
しかし、ユッコは気付いていなかった。
いつも一緒にいるはずの幽美さんが、ここにいないことに。
この数日間の喧騒はそういう些細な変化を覆い隠してしまっていたのだ。
そうして歩くこと十分ほど……。
森を抜けて視界が開けると、巨大な岩場の真下に出た。
細い滝から一筋の糸が垂れているかのような巨岩がそこにはあった。
木々はその巨岩に遠慮するように生えており、そこだけぽっかりと広い空間が開けている。
いつの間にか鳥の声もなくなり、風もやんでいた。
マッツンはその巨岩を仰ぎ見ると、目を丸くした。
「すごいね! なにこれ!」
「かっこよか! 写真撮りたかとですね」
「うん、写真撮ろうか!」
マッツンが懐からスマホを取り出して、巨岩の滝をバックにスタニャと写真を撮る。
「はい、チーズ!」
「ほい!」
「ユッコもこっちおいでよ! 一緒に撮ろうよー!」
「は、はい」
何だろう?
ユッコが先ほど感じた妙な気配が再燃していた。
それほどはっきりと言うことではない。
でも何か背筋にぞわぞわとする感覚。
これはいったい何なのだろうか?
そう思いながら、ユッコも一緒に写真に入って記念撮影。
「はーい、撮るよ~」
「……はい」
カシャリ。
マッツンは撮ったスマホをすぐに確認しだす。
「あれぇ……あんまりきれいに映ってない」
「手振れですか?」
「手振れ補正入ってるよぉ」
見せてもらうと確かに画面がぶれている。
ブレているというより、後ろの岩場がぼやけている。
「!?」
何かに気付いたユッコは、今写真に撮った岩場を凝視した。
そこにはわずかに顔を出す、異形の姿が見え隠れしていたのだ。
(なにあれ?)
ユッコにとっても、こういった異形の物を見たのは初めてのことだった。
人の幽霊が長い年月の間に自分の姿を忘れてしまって、別の形になってしまっているのはよく見かける。
むしろそう言うのは、成仏する一歩手前だ。
だが岩の上に見えたのはそういった類の物とは全然違う。
おそらくは鬼とか神とか、そういう種類のものじゃないだろうか?
「マッツン、スタニャ……ここはもう離れましょう」
「え、どうしたの?」
「なにかあったとですか?」
「なにかというか……」
チラリと岩場を見る。
やはりジッと動か居ない鬼の形相が、こちらを見ている。
めちゃめちゃ顔が怖い。
この世のすべてを呪い殺しそうなご尊顔。
岩につながれてなかったら、すぐさま飛んできて頭から気ちぎるぜ、と言わんばかりの凶暴な様子。
これはいけない!
「ここは危険ですから。離れたほうはいいと思います!」
「え!? そうなの?」
「なら離れんといかんばい。ユッコちゃんの言うことは、信じるばい」
そう言ったわけですぐさま、今来た道を引き返そうとしたその時―――。
(つづく)
著者:内堀優一