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クリエイターインタビュー 第7回 望月智充<前編>
「勇者シリーズ」のインタビュー企画第3弾は、『勇者指令ダグオン』の監督を務めた望月智充さんが登場。前編では『ダーティペア FLASH2』で関わることになったサンライズの印象や当時の思い出、「勇者シリーズ」に関わるきっかけ、そして『ガンダム新体験 -0087- グリーンダイバーズ』についても語ってもらった。
――どのような経緯でアニメーション業界に入られたのでしょうか?
望月 大学に入ったのがちょうど『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』が始まった年で。影響を受けて大学でアニメのサークルに入ってファン活動のようなことをしていたんです。ところが同人誌作りや上映会にうつつを抜かしている間に留年してしまって。普通の就職もする気がなくなっていたので、「そうだ、アニメーターになろう」と思った感じです。そこで、いくつか会社を受けて落ちたりしている中で、アニメ制作会社の亜細亜堂が募集広告を出しているのを見つけました。アニメーターになろうと思ったのも、絵が描きたかったというよりも、アニメで仕事をする=アニメーターだと思っていたという感じです。アニメーション現場の知識がないから、演出は特別な人がやるものだと思っていたし、制作という仕事も知らなかった。その程度で「動画募集」という文字を見て受けたら、亜細亜堂に引っかかって。でも、あまり絵が上手くなかったからかはわかりませんが、1年くらい経って「演出をやってみない?」と、当時の亜細亜堂社長の芝山(努)さんに言われて、今に至るという感じです。
――亜細亜堂とサンライズでは雰囲気が違っていたと思いますが、当時はどのような印象を持たれていましたか?
望月 サンライズは、やはりロボットものをやっているイメージが強かったです。私は、演出を始めたばかりの二十代の頃は、魔法少女や学園ものという、普通の世界が舞台の話を主にやっていました。だからサンライズは、自分とはジャンル的に縁遠い会社だと思っていました。メカものに関しては、「やったことがないから苦手」という意識があって。そういう意味では、サンライズはメカものが好きな人たちが集まって作っているんだろうなと思っていました。だから、『ダーティペア FLASH2』の話が自分のところに来たのが意外だったんです。ちょっと予想してなかったし、未だになぜ自分に依頼が来たのかわかっていなくて。
――それまでの何かの繋がりがあっての話では無かったんですね。
望月 そうです。しいて言えば、その仕事をする結構前に、内田健二さんが電話をかけてきて、「1回食事をしたい」と言われてお会いしたことがありまして。その時は、「今活躍している若手の監督やアニメーターがどういうことを考えているのか知りたくて、時々会っているんだ」と言われて、自分の仕事のことなどを食事をしながら話をした記憶があります。すごく熱心な方だと思いました。それから何年か経って、にわかにサンライズとの付き合いが始まったという感じでした。
――原作の高千穂遙さんが『ダーティペア FLASH』は気に入っていたという話を聞いたことがあります。
望月 あくまで想像ですが、高千穂さんが私のことを聞いて、今までのいかにもSF調の雰囲気から、少し路線が変わるんじゃないかと思ったのではないかと。そうした部分を踏まえて、私でもいいんじゃないかということをおっしゃったのではないかと。高千穂さんとは結構うまく仕事ができて、怒られたのは1回くらいで(笑)。最初は怖い、たくさん意見を言ってくる人ではないかという勝手なイメージがあったんですが、わりとスムーズに仕事をすることができました。
――実際にサンライズで仕事をしてみた感想はいかがでしたか?
望月 確か、通っていたのは第5スタジオだったかな? 毎日スタジオには入っていました。さっき、亜細亜堂との雰囲気の違いみたいな話がありましたが、やっている作品のジャンルが違うだけで、アニメスタジオの当時の雑然とした狭苦しい雰囲気は、わりとどこも同じではありました。ただ、メカものは宇宙船が出てくる程度のものさえ本当にやったことがなくて、その辺りは勉強が必要だったけど、現場の雰囲気というのは違和感は無かったです。
――そういう意味では、作品がSFテイストという部分でご苦労されたという感じですか?
望月 設定制作や総作画監督もいて、そのあたりの体制は結構しっかりしていたので、任せていれば大丈夫という部分もあって。ユリとケイのようなヒロインが出てきて、好き勝手に戦って滅茶苦茶になるという、そういう雰囲気は好きなので、やってみたら何とかなったという感じです。話数によってはコスチュームの露出をすごく多くしたりとか、そういうことも自由な感じだったので、その辺りを自分では楽しんでいました。今思うと、高千穂さんがわりと何でもOKしてくれたので、楽しめた部分はあったと思います。
――『ダーティペア』に関しては、高千穂さんから何か制約などはあったんでしょうか?
望月 高千穂さんから最初に顔合わせをした時に言われたのは、「何をやってもいい。別にユリとケイの学園ものにしてもいい。何でもありだけど、SF的な設定が出てきたときだけはちゃんとやらなきゃいけないので、そこは厳しくチェックする」とは言われて。実際にOVAじゃなくCDドラマの方で、一度宇宙ステーションを太陽面に投棄する話をやったら、それがSF的というか科学的に通らなくて。ちょっと揉めたことがあります。あと。ユリとケイの台詞は、高千穂さんが全部リライトするので、それはお任せしていました。
――大変だけど、楽しくお仕事できたという感じですか?
望月 そうですね。サンライズのようなメカが中心のところは、自分とは一番縁遠いかと思っていたら、そういう仕事もやるようになって。こういう仕事もやればできるんだなということを自覚しました。
――その後、『勇者指令ダグオン(以下、ダグオン)』に入るわけですが、それ以外にサンライズの仕事で印象深い作品などはありますか?
望月 『ガンダム新体験 -0087- グリーンダイバーズ』ですね。『ダーティペア FLASH』で一緒に仕事をしていた堀口(滋)君がプロデュースしていて、全然時間が無くて。作画から3D、も全部ひっくるめて1ヶ月半で作りました。3Dパートのコンテは1日で切って。2001年の異常に暑い夏で。目黒にあるスーパー編集機があるスタジオに通うのが辛かったことを覚えています。依頼された時には、シナリオと美樹本(晴彦)さんが描いたキャラクターデザインだけあって。あと、顔は出ないんですがアムロの声らしい通信の台詞がある。そこで、富野(由悠季)さんにアムロの台詞を書いてくださいとお願いしたら、すごくいい台詞をいただくことができて。初めて富野さんとも関わることができたという意味で、思い出深い作品です。プラネタリウムでの上映を前提にしているので、なかなか再上映とかできなくて、観られた方も少ないかと思いますが、いろいろと勉強になった作品でした。
――『ダグオン』に関しては、初代プロデューサーだった吉井孝幸さんから「次の勇者を」というお願いがあったという形でしょうか?
望月 そうですね。吉井さんから直接というわけではなく、勇者シリーズを作っていた第7スタジオのプロデューサー高森(宏治)さんから話がきたのではないかと。やるにあたって、「勇者シリーズはこういう風に作って欲しい」ということを、吉井さんに飲みに誘われていろいろ聞いたりして、始まったと思います。実作業が始まって先ほども名前が出た設定制作の堀口君にはとても世話になった。各演出へのコンテの発注をするときはいつも立ち会ってくれて。いろいろ横から助言してくれたので。やっぱり、勇者シリーズなりの流れみたいなものがあって、自分は勇者シリーズに初めて入ったということもあって、非常に助かったなという印象はあります。
望月智充(もちづきともみ)
1958年12月31日生まれ、北海道出身。アニメーション監督、演出、脚本家。
亜細亜堂に入社し、アニメーターを経て演出、監督となる。現在はフリー。
サンライズ作品では『ダーティペア FLASH2』が初監督。『ダーティペア FLASH 3』、『勇者指令ダグオン』、『勇者指令ダグオン 水晶の瞳の少年』、『セラフィムコール』や『ガンダム新体験 -0087- グリーンダイバーズ』の監督も務める。
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