サンライズワールド

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2022.02.01

【第12回】リバイバル連載:サンライズ創業30周年企画「アトムの遺伝子 ガンダムの夢」

その12「上井草なんてダイッキライ!」
ゲストは富野由悠季さん

2002年11月の末[オーバーマンキングゲイナー]の制作に忙しいスタジオにご存知富野由悠季氏を訪ねた。そしてインタビューは私のこんな問いかけから始まった。
「‥サンライズという組織体の中で富野さんを考えた時にね、ガンダムの生みの親とかいう前に、ざっと見渡したところ、サンライズの30年近い歴史の中創業者が8年前に引退してしまった現状では、サンライズに一番長く、深く関わっているのは富野由悠季じゃないかということで、サンライズという組織体の法人格ということじゃなく物を作るというプロダクションの中の一番代表的な人という意味で、サンライズを語ってもらいたいなと‥‥」
それに対し富野氏は例によって少し忙しない口調で聞き返した。
「今の良輔さんが言ったことってのはものすごくいっぱいいろんなことが含まれていて、その部分の何を語れと言われているのか僕には実を言うと解らないんですよ‥」

というわけで“サンライズっていう組織体は虫プロというものをどんなふうに引きずっているか、もしくは引きずっていないのか。虫プロの遺伝子を受け継いでいるのかいないのか‥?”そんなところから話しを進めた‥。
 

例えアンチであろうが
遺伝子を受け継いでいると
言い切れるでしょう‥

富野「レトリックかもしれないけど、遺伝子という言い方は確かに話としてはし易くて、遺伝子論というのは別の要素も入った上で遺伝子足りうるものになってるんですよね。体験という記憶なんですよ。そういうものがあるコアとして流れていった時に、それを遺伝子というふうに言われるんじゃないかなと思いますから、体験が生んだ1つの知恵なり技を覚えている記憶が、次に何かをさせていくって考えた時に遺伝子的につながっていくといえるわけです。このように広くとっていった時、虫プロの体験をした人たちが創ったサンライズというものが、虫プロ的なとか手塚治虫的な遺伝子を、例えアンチであろうが受け継いでいると言い切れるでしょう。そういう経験律がなければ、現在のサンライズというものはなかったわけだし、ガンダムというものもなかったですね。なによりももっと広くテレビアニメというものが、今や国家からひとつの産業分野としてまで認められるところまでいくわけがないと思います。それは基本的に手塚治虫から始まっていることは事実だろうし、だからといって当事者に近いところにいる人たちが正確にそういう経験律を受け継いだのかといことに関して言えば、そんなものは正確になんかとっちゃいないよ、みんないい加減だったよねって云えますね。もっと言ってしまえば『場当たり的だったよね』っていう言い方です。もっと別な言い方もあって、絶えず現実に対応していく形の中でみんなが生き延びていくための遺伝子的なもの、記憶を体験律をもって対処していっただけのことであって、そこには志があったのかと言えば、基本的に志なんてあったとは思えないとも云えます。でもね、記憶と体験というとても広い言い方をしてるわけだから、そのなかに当然志もあるわけです。それが含まれているから、言葉として腑分けしようと思ったら、そんな志があってお前ら今年っていう時間を過ごしてたのかって訊けば、そんな志があって今年を維持してきたというスタッフは、よほどの出来た人間でなければいないでしょう。そういう視点からみれば、僕は出来た人間が虫プロから出てきたのかということに関してはすごく疑問だと思っています。みんなごく普通の人たちの集まりだったと思います。しかし、普通の人の集まりが卑下するべきことなのかといえば、社会的な認識論で考えた時に、とんでもない話でそれで充分だとも思っています。偉いとか偉くないとかでなくて、人間のやってきた行為というのはこんなものだろうというふうに理解します。だから、それに価値論を見出す必要なんかありませんね。基本的にそういう遺伝子的に連綿と続いているものの中に投じていられる自分というものが良かったか悪かったかっていうことでしかないわけで、僕はそれを経験したものをイヤな思い出にしたくなかったから、僕は僕なりに頑張りましたっていうことでしかありません。創映社から日本サンライズを立ち上げた中で、制作グループとしての虫プロ直系の伝統が野垂れ死にしたくなかったから頑張ったからこうなったというだけのことです。その頑張るというフィールドに、僕はあとから参入させてもらって、多少ソフトウエアの部分で少し頑張らせてもらっただけのことなんです。志論じゃなくて世過ぎ身過ぎでやっていただけのことなんだけども、世過ぎ身過ぎをともかくイヤなことにはしたくなかったということです」

高橋「今の話の中での事実関係の確認なんだけど、サンライズの創業というものは、虫プロの直系、そういうもんだったのかしら? マッドハウスもタックもあったし・・・・」
富野「概論的に言えば制作部としての正統な部分ではあったでしょうが、枝分かれをしていった中での質の違いというのはありますね。サンライズは営業色という部分だけをピックアップした商売人の集まりだったというふうに言い切ることができるでしょう」
高橋「物事を分かり易く理解するためには比較というか、何かと比べるということが分かり易いというのがある。サンライズが営業的もしくは商売的だというのは何と比較して一番富さんにはそういうふうに思えたんでしょうかね?」
富野「岸本吉というキャラクターを僕は学生時代からチラッと知っているし、その次に伊藤社長の経緯を見たときに営業に偏って当然でしょう。それがいけないなんてことは言いませんよ。当たり前の結果です。マッドの網田ちゃん、丸ちゃんというのは基本的に制作じゃなかったのかな。タックの田代さんはもうちょっと違う形で営業もあるんだけども、絶えずソフトのことを肌身につけている経営者であったと理解しています。それで自動的に仕分けされてくるでしょ?。それはそれぞれの人たちの身のこなし、身につけているものをみて証明されています。田代さんていう人はモノクロのビデオカメラが出たときに一瞬にして買ってたの知っていますから、これは感覚論ではないんです」
高橋「いろいろ具体的なことをひとつずつ挙げていけば、そういう仕分けがされる?」
富野「それは会社の場所設定にも関与してきますよ。そういう処にも考え方は表現されるのが人間なんです」
高橋「例えば、タックが最初六本木から出発したとかそういうこと・・・・」
富野「そういうことです。厳然として表現されます。何となくしたなんてことはありえません」
高橋「そのことについては当時は富さん自身もそっちの方がいいと思った、もしくは自分はそっちの方の派だと思った? 本当ならば肌合いとしては六本木の方の派だと?」
富野「その肌合いを持ち合わせてなかったから、持ち合わせたいと思った。ずっと持ち合わせたいと思っている。それは現在もそう。だから僕は上井草ってとこが大嫌い」

高橋「マッドハウスはマッドハウスでまた違うところから出発してるけど」
富野「だからせめてマッドハウスに近寄りたかったっていう希望があります」
高橋「脱線するといけないけど、いくらでも近寄れるけれどもね・・・・」
富野「いやあ、近寄る気はなかったな。近寄りたいけど近寄る気もないという気持ちはまた別の話だけども、むしろ近ければ近いほど嫌悪するとか距離をとるという人間の関係性もあるからね。そういう意味で言えば、僕は結果論に日本サンライズを選んだのは、先にキライが明確にあったから自分にとっては安全パイだと思ったので利用できると思ったんですよね」
高橋「あ、そう。キライだった・・・・」
富野「元々合わない人達だっていう意識はあった。だからといって、僕に合わない人を自分に合わせられるだけの力量が自分にあるかということについては、30才の半ばくらいになった自分にあるとは思えなかったから、この人達とコンビネーションが組めればいいな、コーポレートできればいいなっていう、そういうところに足を滑べらし始めていたから、一緒に仕事やることについての危惧感は一切なかった」 

僕は機械屋に
なりたかった‥‥

高橋「富さんが自分で言ってることなんだけど、ものの見事に物を創るっていうことと一般的に言う商売ってことを両方持ち合わせていて、そこのところが当然せめぎ合いはあるんだろうけども、富野という人格の中で一つに融合されてものが出来てくる、そういうところもあってですかね、サンライズを選んだのは」
富野「まったくその通りです。好きだキライだって簡単に今言ってるように聴こえるけども、好きだキライだだけで世過ぎ身過ぎできないというぐらいのことは当然承知していますよ」
高橋「それ、いくつぐらいの時から?」
富野「ハナからです」
高橋「サンライズということを抜かして自分の育ちの中で、そういうことが明確に自分で意識されたのは・・・・」
富野「何言ってんの。もう中3の時に工業高校の受験に失敗した時からだよ」
高橋「(笑)そこから?」
富野「僕は機械屋になりたかった・・・・」
高橋「機械屋になりたかった? 僕らの年代だと・・・・、工業高校っていうのは結構大変だったね。東工大の付属とか入るのはやっぱりクラスの中でも1、2の奴が入ってたからね」

富野「だから僕にしてみれば、神奈川県の一番の工業高校に実は受験しちゃったために、小田原在住だったら小田原高校って普通の公立の普通校があるのに、そこを受けなかったために落っこったの。落こって当たり前だろうって(笑)」
高橋「でもそういうトラウマってずっと引きずるよね」
富野「引きずるよ」
高橋「ただ、まあ影響がどうやってでるかという問題は残る」
富野「だから僕はその影響さえいい方向に出そうと思ったから、僕にとってはテレビアニメという媒体はすごくよかったよ。ロボット物やるにしてもメカ物やるにしても文芸物やるにしても、両方嫌悪感がないってのは基本的にその体質を持ってたからです」
高橋「話を戻しますけど、当時の創業されて3年ぐらいの期間ということでいいと思うんだけど、[ハゼドン]作って[ゼロテスター]があって[勇者ライディーン]が出発したあたりのサンライズの業界の位置づけっていうのはどんな位置づけだったんですかね。っていうのは今のサンライズの位置づけと比較したいということなんで・・・・」
富野「やや出遅れていたかもしれない町場のプロダクション、ホントにレトリックじゃなくてその位置づけだったんですよ。当時フジテレビだって、[マリンキッド]の制作どこだっけ?[テレビ動画]とか[フジエンタープライズ]とかあったの。みんなでまさぐってきてむしろ中央局までがそういうことを始めてきたって時代では、町場はもたないんじゃないのっていう恐怖感を抱いているようなところでは、元虫プロの営業サイドの岸本・伊藤というラインでいけば少しは信用できるかなっていうかと想像してましたモン」 

町場のプロダクションで
やっていけるのか‥‥?

高橋「信頼感はあったんだ」
富野「信頼感じゃなくて、現実対応能力としての能力論って必要なわけだから、それを僕は当てにしたの。だからこそ岸本の方が当てになるという気分はそれこそ田代さんのソフト系とか網田君の(・・・・あの当時の網田君にはものすごく失礼なんだけど、まだ進行上がり風情だよねっていうのありました・・・・)立ち上げたプロダクションは信用できないってありましたね。だけど、その程度で創映社であろうが、まだそれに毛の生えた程度なんで、これから営業でどういくのかって考えれば、ヤバイなあって。だからライディーンだって東北新社ってバックグラウンドがあって出てきたから、まあいいかもしれない、で、その後どうなるの? みたいなところでの様子見があって、むしろ東京ムービーなんかの方が絶対的に強いプロダクションと、思っていたし、明らかにタツノコよりは数段下なんだからと思ってましたね」
高橋「下というより比較できないね、あの時点では」

富野「ホントに町場のプロダクションでやっていけるのかと思いながらもタツノコでは取り込まれるっていう危機感はありましたし、東京ムービーの場合は、僕にはあのバックが見えなかったんだよね。それで言ってしまえば、あの当時だけじゃなくて今もそうなんだけど、経営者っていう人種、これ基本的に信用ならないと思っている。信用ならないなら、顔知ってる奴の方がいいって言う比較論はあります」
高橋「今聞いてるところではね、非常に特徴的なのは、そういうような選択の要因みたいなもの・・・・。来た仕事を単に選ぶかどうかではなく、富さんの視点の中にはそれをやることによって、自分がアニメ界の中でどういうふうな次の進化ができるとか・・・・」
富野「違う、違う。全然違う。そんな立派なことは何一つない。ようするに今年生き延びるために、今年末までの住宅ローン手に入れる為にどうするかって言う、あの時はまだ家買ってなかったか・・・・、あっ買ってたんだ。つまり、生活費を獲得すためにどうするかっていうことしか考えてなかったの。今の良ちゃんの話を聞いて、“あかばんてん”のことを思い出した。どうしてかって言うと『良輔はいいよな』って思ってた」
高橋「(笑)ちっともよくない」
富野「いいのよ。どんな実体であろうが実体でなかろうが、そんなこと関係なく[あかばんてん]というものを旗揚げして、そういう居場所を持っているっていう、ひょっとしたら実体がないにしても、そういう居場所を作って悦に入ってられるという無神経さとね、悦に入っていられるという能天気さと、それからホントに真面目にいうところのそれで、何かをやっていきたいと思える意志力を持っていられるということ、それは力があることだよねって思っていたから。僕はそれがないからどこかの仕事やらせてもらうしかない。どこかで絶えず混ぜてもらうという意識があった。ライディーンなんかドタバタあったんだけど、[勇者ライディーン]とか[ラ・セーヌの星]やらせてもらってる時に、僕初めて岸本と話を直にするようなことが出来て、ああこの岸本の気分だったら3番目の親分にしてもいいなと思ったのは一番大きな理由ですね」
高橋「参考までに1番目は誰?」
富野「虫プロの役員だった穴見さん。2番目はCMの時に社長になって女抜きにしたら、“あっこの人とやっていきたいな”って思った。でもね、お三方共、僕がそういうふうに思った半年後とか1年後にみんな死んでいなくなっちゃったんだよね。学生時代にも経験してることがあって、自分では一等賞でいたい、つまり自治会運動やってる時に当然次期委員長候補は俺だろうと思っていたんだけども、結局そういう機会は恵まれてなかったと同時に、逆に言うとそういう2、3年近くの経験の中でいつも副委員長クラス、書記をやっていたのね。で、意外と自分には女房役が似合ってるかもしれないっていう自覚もあったわけ。ホントは穴見さんは死ぬ半年ぐらい前に虫プロランド構想含めて初めて直に聞かせてもらった時に、それだったら手伝おうかっていう気にホントになったし、このくらいの器量の人だったら女房役に徹してもいいと思った」
高橋「穴見さんの女房役になってもいいと思った具体的な職種的なことっていうのはなかった? お前これやれって言われたら、演出じゃなくても仮に制作であろうが営業のカバン持ちであろうがやった?」
富野「穴見さんに関して言えば営業やってもいいと思った。本気で[虫プロランド]作るんだったらそれは手伝う」
高橋「そうなんだ・・・・」
富野「そういうふうに思えた自分というのが学生運動やった時の経験があったんで、意外と組織、場合によってはそれをコーディネイトすることもキライでない人間だっていうことがみえていたんで、むしろそれは興味があった」
高橋「そういうことの色合いでスタジオワークというようなことを、組織論っていうようなことをよく言うのはそういうところにまだ尻尾というか・・・・」
富野「尻尾じゃないね」

高橋「本性?」
富野「本性」
高橋「俺には全然、言ってもしょうがないんだけど全然ないもんね」
富野「ないでしょうね。僕が“あかばんてん”の高橋良輔というものを羨ましいと思いながら一つだけはっきりバカにしていたことがあったのは、なんでこの手の職業につくスタッフっていうのは組織論を考えないんだと思ってたね」
高橋「いや、物を作ろうなんて思ってないから。タイプとしていろんなタイプの分け方あるんだけどね。富さんを記録に残るタイプ、もしくは記録を残すために生きるタイプ。記録っていうのは他者が認識してくれないと意味がないからね。だからそうした時に、僕なんかは“あかばんてん”やってる時に記録を残そうっていうのはなんにもないわけ。自分の記憶だけ、もしくは、自分の生活空間の空気感を醸成するだけだから。そういうことでは自分では成功してたんだけれども、何にも“あかばんてん”というのは記録されないね。富さんは数々のいろんな記録があるから、そういうことで富さんは富さんが意識しようとしまいと富さんの歩みっていうのは富さんらしく生きてるってことだよね」
富野「それは僕らしく一見見えるけど、そうじゃなくて、組織論をずっと意識してきた人間だから、自分が作り手でないってことをかなり自覚してたよ。それは今日現在までそうだし、むしろこの10年はっきり自分の中で解ってきているから、ある時には作家になりたいと思ったけど作家になりえない自分というものもきちっと解った。それはかなり手酷しい自覚だけどね」

ルーカスとスピルバーグが
友達関係というのが
よく判らないんだよね‥‥

高橋「作家になりたいと思ったのはいつ頃?」
富野「ガンダム以後の数年っていうか10年ぐらい。そうしないとサンライズに勝てないと思ったんです」
高橋「気持ちはよく判るね。‥‥論理がよく判る」
富野「そういう意味では確かにカンでしゃべっていることのような気がするけど、かなり論理的でしょうね。だから作家にはなれないんだと判ったんでしょう。今日までのことでいうとかなり悔しいね」
高橋「すごくよく判る。よく判るんだけど、富さん自身は今まで粒だってこれになりたいって思ったのは、機械屋になりたいと思ったその次は?」
富野「も基本的に言ってしまえば、ない」
高橋「日大は映画科?」
富野「うん」
高橋「映画監督になりたいとかっていうので入ったわけじゃないの」
富野「強いて言えば映画監督にはなりたかった」
高橋「微妙な処だけど、先に進むと、今度はそれがアニメーションになって一応アニメーションを映像として捉えればなったといえる。次に作家になりたかった。で、作家になりたいってのは直接作家になりたいって気持ちと、今言ったように作家っていうのが大きな武器になるっていうか、もしくは作家っていう鎧がサンライズに対抗できるんだっていう作家、それとも純粋に作家になりたい、どっちなの?」
富野「両方なんだけど、現在で云えばスピルバーグのやり方だったなというのが分かりやすいでしょう。組織をコントロールしながら映画を作っていく。で、ルーカスみたいなバカなやり方はしないでいけると僕には思えたけれども、結局それが自分の年令で言えば、後輩のスピルバーグにされてしまったっていうのがものすごく悔しい」
高橋「そこのところがよく分からない。スピルバーグとルーカスの違いっていうのはどういうふうに捉えているの?」
富野「だってルーカスは簡単に言っちゃえば“スターウォーズ”しかない。それはバカよね」
高橋「そういうことなんだ」
富野「それだけじゃない。あの人の生活基盤みたいなものをみた時、誤解かもしれないけど子供じゃないかと感じる処がある。僕はルーカスとスピルバーグが未だに友達関係にいるらしいというのがよく判らないんだよね」
廣瀬「漠然としちゃうんですけど、ルーカスは自分のお金で全部作ってるって意味あいですかね? スピルバーグはユニバーサルのお金で自分の好きなことやってるって」
高橋「うーん、今具体的に出たのはルーカスは“スターウォーズ”しかない、創り出す物が単一で玩具しか作ってないっていうふうに僕には聞こえたけど」
富野「うん僕はそう。スピルバーグのやり方っていうのは公人、公の人として大人として仕事やってるんだろう。ルーカスのは子供の遊びだと。そのことはさっき言った学生時代に組織論を考えた時点で、僕の中では私人であることは基本的に目指してなかった」 

日本人の気質では
100年ぐらい経たないと
それは出来ないだろう‥

高橋「またサンライズに戻るんだけど、サンライズの中で自分が今の位置じゃないことを、可能であれば望んだことってある?」
富野「それはない」
高橋「じゃあ、サンライズの中でサンライズをこうするとかはなくて、今の富さんの気持ちの中では対決姿勢というか、そういうところがある。で、その対決する存在じゃなくて自分がその中で組織の中の監督として物を作る、いや制作になっちゃうんだとか、営業になっちゃうんだとか、サンライズをこう変えるんだという意識はなかった?」
富野「それは、ある時はあったかもしれないけど、基本的にはそれほど思いはしなかったな」
高橋「可能性はなかったのかしら? サンライズがそれを受け入れるという」

富野「ほとんどなかったですね。サンライズというものをみたことによって、これサンライズのことじゃなく、日本人の組織論っていうのは、まだアメリカナイズされた組織論に勝てるわけがないと分かったということだね。日本人のメンタリティは、ソフトウエアを提供していく組織というものをまだ作り得ないっていうことをみせられたから、サンライズでどうのこうのっていうことは考えなかった。では自分が出来るかって言った時にも、自分もその一日本人なんだから出来ないだろうってことが判ったんで、第2のサンライズを創ろうってことはこの10年に関して言えば間違いなくない。“Ζガンダム”に手をつけた時に徹底的に敗北したっていう思いもあったから、なおさらね。サンライズがガンダムを商売にして、より強大なソフトウエアのプロダクションになれるかって時にこれという可能性もないだろうと分かっています。それはバンダイに取り込まれていったにしても無理かもしれないと感じたのは、“Vガンダム”の時にもう1つ突きつけられた事実としてあります。東京エリアでソフトウエアのプロダクション創るってことに関しては基本的に興味なくしましたね。一番の理由は、自分にその力がないから日本人の気質で、もう100年ぐらい経たないとそれは出来ないだろう。ユダヤには勝てないだろうっていうことも分かった」
高橋「その話はよく分かるんだけども、一番解らないのはそういう現状の中で結構元気にやってるよね」
富野「何言ってんの。年越しのことをいつも考えているからさ。死ぬまでのことを考えるようになったからさ。死ぬまで元気でいなかったら損じゃない。だから、対応のことは100年、200年待つしかないんだってことが腑に落ちると、せめて自分が死ぬまでは、まあ惨めにしたくないためにどうするかっているふうに自分に戻ることが出来たこの数年っていうのを手に入れたんですよ。そうでなかったら僕は数年前にホントに死んでいましたよ」
高橋「これからの10年間というのは何やっていくの?」
富野「ユダヤなりハリウッドなりに勝つために正確なのことを俺よりも20か30若い奴に教えていく、それだけです」
高橋「そういうこと」
富野「だから今“キングゲイナー”をそういう意識を持ってやってます。自分の為にやってることってほとんどない。だって自分の為にやって何が起こる? これから来年死ぬかもしれない、10年後に死ぬかも知れない自分の為にやることなんてたかがしれてるもの。今年の年収、来年の年収、国民年金はろくなお金入って来ないにしても・・・・」
高橋「年金の話はね(笑)。なくても大丈夫でしょう? あなたは・・・・」
 

やっぱ勝ち負けぐらい
パッパッと表現していかないと

高橋「虫プロは自壊してしまった。で、自壊の仕方をサンライズは分析して次のあり方として継承したものがふたつ。ひとつは、僕がよく言うところの絵描き、物書き、恥かき(笑)恥かきは演出なんだけど、この3つを組織にいれないこと。それともうひとつは、虫プロが成立していた要素としてのマーチャンダイジングを重視する。これを継承したサンライズに対する評価ってあります、富さんの中に? 好意を持った評価って」
富野「好意としての評価じゃなくて評価は厳然としてあります。それがなければ資本主義体制の中でとか、来年生きるためのものって絶対生まれないもの。だから、経済基盤を確立するってことは決定的に必要なことです。僕がユダヤ人って言い方してるのはその部分は認めるからさ。問題なのは、認めてないのはそれをもっと化かすための志を持っていないということだね」
高橋「これも興味で聞くんだけど、要素としては勝ち負けってやっぱ大きい?」
富野「いやあ、口先で言ってるだけで、この程度の負けだったらいいのよって思っている(笑)。だけど、実を言うとそれほど意識はしない。ただね、明日のための気分って言った時に、やっぱ勝ち負けぐらいパッパッと表現していかないと、自分の中ですごく曖昧になるんで口にしちゃうってことはありますね」
高橋「曖昧なことは意外と耐え難い?」
富野「違う、違う。耐え難いんじゃないの。はっきりしないとね、人間のやることなんてみんな惚けているというようにみえるのよ。基本的に僕自身かなり怠け者だと思ってます。怠け者に流れていく自分がイヤなのよ、もう・・・・」
高橋「怠け者はやっぱイヤなんだ」
富野「うん。自分が怠ける姿って自分で知っているから。とってもひどいんです。だから、打倒西崎と叱咤しているという部分ってかなりある。だから、今言えるのは黒澤潰すっていう、それしかないから(笑)。で、ルーカスとスピルバーグを黙らすって(笑)のを目標にしてます。その部分に関しては、気分論で言うとレトリックじゃないな。そのぐらいに思ってやってもこれくらいしか出来ないんだから、思わなかったら何もやらんのよね、僕。打倒ルーカスぐらい思って頑張ってね100分の1いったらさ、ひょっとしたら大成功かもしれない。それをハナからさ、その辺にいる日本人の映画監督目標にして、あいつ打倒って言ってたら3分の2勝ったって何も見えねえぞって、それだけのことです」
高橋「まあ、良く解りますよ。富さんの考えが分かる。気分が分かる」
富野「決して狂った発言じゃないでしょう」

高橋「それで今度は言葉の具体的なことで、本筋とは違うんだけど、結構キーワードになると思うんだけど、みんながねハングリー、ハングリーって言うわけ。便利なんだ、これが。で、富さんにとってのハングリーっていうのを解説してもらいたいな」
富野「今言ったとおり、打倒なんとかって言ってる部分でのハングリー。で、そういうの言った瞬間に、僕ホントにハングリーになるもん。だから、今一番イヤなのは、来日したスピルバーグの顔写真をテレビで見ようが、雑誌で見ようが見るたびにムカッとする。で、こいつにこんな幸せそうな顔させたくない。で、それをさせている自分っていうのは何て情けないんだろうかって、ホントは起き抜けのワイドショー見ててイヤだもん」
高橋「対象がない時にはハングリーは感じない? スピルバーグだとかルーカスだとか、対象がない時に自分の気持ちって動かない?」
富野「動かない。それこそ怠け者」
高橋「そこが怠け者なのね」
富野「心底怠け者だよ」
高橋「石とかボールとか投げていて、向こうに反射板のようなものがないと確認出来ない?」
富野「出来ない」
高橋「自分の投げた球が強いのか弱いのか、どのくらいまでいってるのかってのはね。そういうことだね」
富野「だから、これも遺伝子論で血脈って問題があって、自分でも信じられないけど、僕の血筋ってホントにかなり無頼漢だと思う。だから、そこに身を委ねるっていうことに対しての危機感ってすごく感じる。だって俺人殺し平気でできたかもしれない人間だっていう可能性・・・・」 

本質的に安彦ちゃんと違う‥
僕は働き者にみせているんだ
そうみせているだけなんだよね

高橋「人殺しはともかく、富さんや安彦ちゃんは政治家にはしたくないね、俺は(笑)。こんな怖い政治家いないじゃない」
富野「僕もそう思うよ。だから無頼漢なんですよ」
高橋「怠け者かどうかっていうのは事実が証明するから怠け者ではないんだけど・・・・逆に働き者だと思うんだよね。安彦ちゃんも富さんも」
富野「そこが本質的に安彦ちゃんと違うとこで。僕は働き者にみせてはいるんだけども、ホントに今言った通りのことで、そうみせてるだけなんだよね」
高橋「駆り立てている?」
富野「うん。ホント、いやだもん。この10年20年のことでこういう生活態度してきた時に思いがあるのは、いっちゃえば、一見働き者の気分にして手に入れられた幸せ感とか落差加減っていうの知ってたから、今こうしていられるだけのことであって、本性的なとこで言ったら、富野の男ってどれだけだらしがないかって知らないから、そういうこと言ってくれるんです。もう気分で財産食い潰すもの」
高橋「まあ、それはまた別なことだよね」
富野「いや、べつのことじゃないね」
高橋「俺ね、簡単に言うとね、富さんの消費能力をそれはちらっと垣間みたことがあるんで、それはそうだと思う。ようするに蓄財するっていうそういうタイプじゃないね。それは判るんだ。それと怠け者とかなんとかね。まあ無頼漢の要素には消費ってあるけどね。無頼漢かどうかっていうのもなあ・・・・。やっぱり言葉っていうのは他者がその言葉にフォーカスを合わせた時に言葉が生きてくるんで・・・・」
富野「ただね、そういうことで言うと、確かに僕の中で怠け者の部分がみえないとすると、良いにつけ悪いにつけ富野由悠季ていうキャラクターに与えられた癇性の部分がそれを隠させてくれたということですね。つまり、癇性の部分で生真面目っていうところの振る舞いに入ることが出来たし、それこそ人殺しにいくんじゃなくて、コンテ千本切りにいったってことですよ。この癇性がなければ、僕の人生はどうなったかホントわからない。この癇性を僕は病的なものに表すんじゃなくて、公人でありたい、公人であれかしというふうに気分をスライドさせることができたってことです。それは学生時代に間違いなく教えられた部分があったんで、確信して言える部分で頑張ったのかもしれないなってことは言えるでしょうね」
高橋「頑張ったと思うね。僕のものすごい単純なところでの富さんの評価っていうのは男っぽいと。他の評価はあんまりないんだよね。俺が知っているいろんな人間の中で結構男っぽい。有言実行、そういうのが一番大きい評価かな」

 

高橋「女の人の強さはね、言葉なんかに惑わされない。昨日“赤”って言ったことを今日“青”って言っても、『言ったっけ?』‥みたいな感じで、昨日“赤”だったのも今日“青”なら“青”。ああいう強さはちょっと男には意外とないね」
富野「僕にはそれがある部分、それも自分の中にあるそういう部分隠してきたという意識がある。クリエィターの才能論じゃなくて、そういう気質があったおかげでこれだけ、それ程本数が多いと思えないんだけども、シリーズの仕事が出来たんじゃないでしょうかね。僕の場合、掛け値無しに男だったら出来なかったと思う」
高橋「サンライズがガンダムに行き着いて今のサンライズにつながってはいるんだけども、ガンダムに行き着いたというところまでで言うと、他のプロダクションと明確にここだけは違っていたと言うのはあります?」
富野「あのね、これは傲慢かました言い方になるけども、普通に言ってると分かり難いし‥‥簡単に言っちゃうと“富野がいたから”です。ホントはこれ第3者の人がきちんと言って評価しなけれがいけないことじゃないのと思えるけども、言っちゃった・・・・」
高橋「自分で言ったら誤解受けやすいよね」
富野「必ず誤解受ける。受けても言っちゃうのは、そういう説明を僕はこの10年してきたつもりなんだけど、とにかく伝わらない。とにかく分かってくれない。だから、今日こういうところで、つい一番タブーを言ってしまったんだけど、そのことを10年後には分かってくれるでしょうね。誰かさんが・・・・」

富野由悠季に対する評価は100人いれば100の評価が1000人いれば1000の評価があるとして、ここでは高橋自身が聞いた共にガンダムを創った[安彦良和]氏の言葉を紹介しよう。
『サンライズで一人を上げるとすれば、富野由悠季だね』『(ガンダムのとき)富野さんは本気なんだと分かった』『サンライズで作家と言うのは富野由悠季だけ』‥‥あまり嫉妬やきでない私もちょっとジェラシーを感じるほどの賛辞ではある。

高橋「えーっ、鬱にもなる!?」
富野「だから、僕はなったの。死にそうにもなって・・・・だから分かったのよね。最近具体的言葉になってテレビでも言われているんだけど、間違いなく50っていうホントの意味での今の現代人の更年期障害です。だけどね。その更年期障害だって死にそうなところまでいくぞ」
高橋「俺の・・・・・・・・俺はならないんだよな」
富野「お前はならない。お前はならん。僕はあなたよりセンシティブだしインテリジェンス働くからなる。何故それが分からない!(笑)」
高橋「違う、違う!」
富野「ハハハ・・・・」 

もうだいぶ前になるのだが、富野さんが体調を崩しているという話を耳にしたことがある。まあ、その時期はちょうど富野さんがテレビシリーズを手がけていないときで、私は冗談めかして富野さんの薬は“仕事”だから仕事を出せば即全快だよって言った覚えがある。冗談めかしてはいたが、それは半ば本音で、その後の仕事振りと元気をみれば自説に自身が持てる。富野さんは鮫が泳ぎ続けていなければ酸素を取り入れられないように、仕事をし続けていなければ呼吸困難に陥る類の人なのである。雪山で先頭を切りラッセルをする人もバイク競技でトップで風圧を受ける人も大変であるが、それも運命、実力あってのことである今後の活躍をさらにさらに期待したい。
 

【予告】

次回はお待ちかねの安彦良和さんの登場どえすっ。今は世に漫画家として知られた存在ですが、サンライズの一時代を際だたせたアニメーターでもあります。で、業界の入口はやはり虫プロ‥!当時のお話しから、サンライズ時代までを駆け足で語ってくれました。サンライズらしさはここに‥、なんて鋭いコメントの数々に乞うご期待!

 

【リョウスケ脚注】

網田君
クレジットは「おおだ靖夫」。マッドハウスの初代社長。富野さんや高橋の1年ぐらい後輩で、虫プロを退社時はまだプロデュサーではなかった。誰にでも好かれるハンサムな好漢という印象が残っている。マッドハウスを退社してからの足跡は不明だが、この業界には残っていないようである。面白いことに彼と同時期入社の制作はほとんど転職してこの業界にいない。何か共通の因子を持っているのだろうか。 

 

穴見さん
フルネームを[穴見薫]さん。富野さんや高橋の入社当時の(株)虫プロダクションの常務取締役である。実に颯爽とした人だったなあ‥‥。当時の日本人としては大柄な180センチを越える長身で、虫プロの前が広告代理店の[萬年社]、その前は劇団俳優座の制作部にいたらしい。よく『手塚と文学を語っても音楽を語っても、敵わない。だから真剣に取りくめるんだ』と言っていた。個人的なことではありますが、1966年の11月に私の結婚の仲人をしていただいたのですが、翌月12月の20日、虫プロの屋根裏3階で蜘蛛膜下出血で倒れられそのまま意識が戻らなかった。享年42歳。誰にも残念がられた早すぎる死だった。

 

虫プロランド
1966年頃から67年ごろにかけて東急が絡んで持ち上がった構想で、虫プロダクションそのものが東急の用意した三多摩地区の一角に移転、ディズニーランド的発想でテーマパークを作ろうというものだった。社員の住宅用の用地も用意するとのことで、私なども大いに夢を掻き立てられたものである。すでに練馬に住居を構え子供などの学校問題などで移転が難しいものには練馬から通勤用の連絡バスが出る、というスケールの大きいものだったが、理由は不明だが途中で消滅してしまった。 

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