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- インタビュー
【第14回】リバイバル連載:サンライズ創業30周年企画「アトムの遺伝子 ガンダムの夢」
その14「ジョーも飛雄馬も先輩だった!」
ゲストは宮原輝夫氏
今回のゲストは少年週刊誌における伝説的名作[巨人の星][あしたのジョー]などを生み出した名編集者の[宮原照夫]氏であります。この連載が進み始めてしばらくして、創業者の一人山浦さんに“サンライズを社外から見て、それなりのご意見をお持ちの方、いませんかね?”と訊ねたところ『それなら宮原さんにぜひお会いしてみなよ』と薦められた。現在氏は[株式会社コミックス]の代表取締役であり、雑誌版として復刻した[ジョー&飛雄馬(講談社)]は好調である。であるからして当然のお忙しい中を時間をとっていただいたことを感謝しつつ、わくわくドキドキと社のある護国寺へと向った。と言うのも、私にしてみれば飛雄馬もジョーも懐かしいが[ちかいの魔球][紫電改のタカ]などは涙がちょちょ切れるほど懐かしい。それを編集した人にお会いできるのであるからうれしい。で、ちょっと緊張してしまった。
インタビューはサンライズとのかかわりをお聞きすることから始まった。
宮原「昭和45年からだと思うんですけど。特に最初は伊藤さんとお付き合いが始まりましたから‥‥。確か、[あしたのジョー]をやりたいということで、フジテレビの別所(孝治)さんがまずみえて、それからそのうちに伊藤(昌典)さんがみえて、実際にやろうということになってきましたから。その時に私がこういう質問したんですよね。『虫プロでどうして[あしたのジョー]ができるんですか?』って。手塚先生は“自分の作品以外はやらない”ということをおっしゃってた‥。そしたら伊藤さんが『いや、今は虫プロはそういう状態じゃない』と。で、手塚先生と直に話して口説いたら『[あしたのジョー]だったらいいでしょう』とOKが出たというわけですね」
虫プロでどうして
あしたのジョーが
できるんですか?
宮原「実は伊藤さんから『虫プロをどういうふうに思いますか? これから』ということを聞かれたんです。伊藤さんは伊藤さんでやっぱり先行きを心配してるんですね。私は実は『手塚先生が雑誌からヒット作が出なくなったり雑誌から離れていったら(アニメ専門になったら)僕はかなり虫プロは厳しい』という話をしました。ここから[あしたのジョー]のいろいろ中身というか方向をディスカッションしていくんですけど、そのあいまにそういう話がでていました‥。そしたら[あしたのジョー]が終わってしばらくしたら“独立した”っていうお話しがあって。その時は『是非雑誌のものでアニメ化したいものがでてくると思うからよろしくお願いしたい』っていうことなんですね。しかし、すでに先行してかなりいろんなところから話がきてますから、なかなか[少年マガジン]の作品を[創映社]でやるっていうチャンスは実際なかったんですね」
高橋「今回“宮原さんにお会いしてみたら‥?”というのは、山浦さんのお薦めがあってでして、サンライズがお付き合いしていただいている中で、サンライズを外から見て、それなりのご意見をもっていらっしゃる方がいたら是非お話しを伺いたいなと、特にオリジナル作品を制作し始める前後のことなどお聞かせ願えたら‥‥」
宮原「ある時お見えになってですね‥、創映社をやめて新しい会社を創ることについてオーナーに話をされてOKとったんですと。“実は創映社というのはスポンサーがいるんだ”と、虫プロから7人で出て志を持ったんだけれども、やっぱり志がちょと貫けないということが分かったと。ですからいろんな意味で大変だけども完全に7人で独立するというお話しだったんです。実はその時から始まるんですけどね。伊藤さんと夕食をとってですね、そのあと飲みに行って明け方になったんですよ。このお付き合いがその後ずーっと続くんです。それで伊藤さんが“オリジナルでちょっと今までにない本格的なものを、これは冒険かもしれないでけども、せっかく7人が思い切って独立したんだからやってみようと思ってんだ”と。で、“そのオリジナルについては宮原さんがマガジンでずーっと漫画をやってきたそういうのをいろいろ教えて欲しい”っていうことでね。じゃあ教えるとかいうんじゃなくって飲みながらいろいろ話をしましょうってね。
アニメオリジナルで
近未来物で大河もの
実は私が講談社に入って最初[少年クラブ]に入ったんですね。[少年クラブ]は非常に成績が悪くて売れなくてね、それから[少年マガジン]にいって。その時に私自身は漫画の仕事を一生やっていくのはイヤだと思ってたんですよ。それはどうしてかって言うと、もちろん遡ればずっと前からあるんですけどね、今の形の原型っていうのは手塚治虫さんがつくったんですからね。ですから当時はそれから10年も経ってないなんですよね。稚拙なのは当たり前なんだけども、とにかく何て言うんですかね、勧善懲悪、荒唐無稽っていうことで、実は[宮本武蔵]が大好きでね。講談社入った直後にまた吉川英治全集が出版されたんですね。その[宮本武蔵]の新刊を全社員にくれたもんですから、それが3回か4回めなんです、読んでね。中学の頃、それから高校の時に読んだ時とちょっと違うんですよ。これがまたものすごく感動したんです。どうして小説はこんなに感動するんだろうと。で、漫画で感動するものがないわけですね。で、漫画ではどうして小説みたいにできないんだろう。それをものすごく思ったんですよ。まあ、それで[少年マガジン]で漫画をやることになりまして、このときはが全く先行きのビジョンなんて無かったけど、とにかく人間を描いたものを作りたいなっと。そこからずっと始まってきて、[少年クラブ]からすると約10年で[巨人の星][あしたのジョー]をプロデュースできたんですね。そのプロセスのところを話したんです。で、これがまあ何回めかの伊藤さんとの明け方までの酒飲みながらなんで。そしたら“今度、岸本と山浦連れて来るからまたちょっとそういう話をしてくれ”っていうんですね。それで次回から岸本さんと山浦さんも来て4人で朝まで・・・・」
高橋「それで、宮原さんがそう思われてから10年で[巨人の星][あしたのジョー]ですと、サンライズも創業からガンダムができるまでおよそ10年。ですから、きっとお三方ともそのときのお話は志の持ち方とか方向性の取り方とかそうとう参考になったでしょうね」
宮原「そこはおしゃっていましてね。2ヶ月に1回ぐらい結構詰めたんですよ。これはいつだったか分からないんですけれど岸本さんから『実は近未来ものをやりたい』とね。僕が[巨人の星]を発想したときは今まで漫画界になかった大河ドラマっていう発想したんですね。アニメのオリジナルで近未来もので大河ものやりたいと。ところがですね、“そういう風に思うんだけどもどういう風にしたらいいか具体的にない”って言うんですよ。それで私がイコールかどうか分からないけれどって申し上げたことがありました」
5年先だって分からないんだから
10年後なんてわからないよ‥‥
宮原「昭和43年にですね、講談社は時代が変わるというんで(経済が高度成長に入ってきましてね)、雑誌開発委員会、書籍開発委員会ができて私は書籍の方に入ったんですけど、雑誌もそうだったかもしれませけど、5年から10年後、ですから昭和50年から55年の頃にどういう書籍を作ったらいいか、いま過去になったから分かるんですけど、その時は“えっ!?、5年先だって分からないんだから10年後なんて分からないよ”って話になって、じゃあ昭和50年から55年ってどういう時代でどういう生活を皆してて、それと出版がどういうふうに関わっていくか。とにかくどういう時代なんだろう‥?。で、そこを考えるしかない。それで私は昭和40年に会社から報償で国内2週間どこでもいいから自分で選んで、直接今の仕事と関係ないとこへ行って勉強してこいっていうんですね。それで私が選んだのがね、自衛隊なんですよ。それは何故かっていったら、いろいろ過去の太平洋戦争のことも知りたいなってことがあった。もう一つはF104ジェット機ですね。日本に配備されて、それが新田原にあるんです。江田島には特攻隊の遺品などを展示してある記念館がありますし、呉には原子力潜水艦。それから新田原のF104まあ、これを見たいということと、日本の中が安保騒動に明け暮れていてですね、再軍備・自衛隊反対とやってましたんでね。それから少年誌ということで自衛隊というのを知っておきたいなと。いろんなことがあってこれ選んで行ったんですよ。それで最後にまわった宮崎の新田原で104。で、乗るのはマッハだからとても無理だって、訓練しないと。それでコクピットに乗せてもらって、もう細かくいろいろ見せてもらっていろんな話聞いたんですね。それで私がひょんなことから『これ日本で出来ませんか』って聞いたら『いや、それは出来ない』と。『どうしてですか』って言ったら『それは、今日文系は戦後20年経ってだいぶ整ってきたけども、理工系が遅れてる』と。国の教育がですね。それでその人の言うには『まあ13年ぐらいアメリカから遅れているんじゃないか。軍事科学はその国の科学の最先端です。このF104というのはアメリカの軍事科学の粋を集めたものですからこれがアメリカの今最高ということは世界の、まあソ連もあるけどもこれが一番先端だろう』と。ということで、そういう話があったんですね。『一応13年ぐらい遅れていると日本はみていいですね』っていったら『いや、それは完全に13年というより今後縮まるのか縮まらないのかの問題だ』ってね。それはわからないけども、ただアメリカでああいうのが出来るといことは日本もやがてはそういうものを軍事関係のトップの方も研究していくわけですし、三菱が軍事関係の研究をドンドンしてきますからね、出来る可能性はあると。いつの時代というのを大体想定して、それでいろいろなデータを集めるとですね、宇宙の計画も進んでいることが分かるんですよね。特にアポロ計画が始まりましたからね。月に行ったりしてますから。アポロ計画のまた次の計画がああるんだと。だから時代設定を何年後におきたいと考えて調べだせばそれが見えてくるはずですよと。僕らはたった10年を調べたんだけど、これは生活レベルですけれどもね。ちゃんと凄い計画がアメリカとソ連で進んでいることも見えてくるわけですから。そんな話をしたんですよ」
高橋「それが結局オリジナルの、10年先を見るというのが、まあある意味では発想でロボットが兵器になってというようなことに繋がっていってるんですね、どこかで」
宮原「2000何年でしたっけね、設定は。ガンダムの最初はね、おそらくいろいろ調べていってるうちに、この辺のところがスペースコロニーの計画があるらしいってのが、ひとつ見えてきたんじゃないでしょうかね。時代と舞台ができたんじゃないでしょうかね」
人間を描いていかなければと思っても
大河ドラマとか人間探求していくとか
そういうものは描けなくなっているんです。
ピンチですよ
高橋「出版業は作家さんを中心にものを作っていきますよね。でも、プロダクションには作家がいないんですよ。まあ厳密にいっていないことはないですよね、作品がオリジナルで出来ていくわけですから。じゃあ誰が作家かというと、ちょっとわからないところがある。作品はシステムの中からでてくるし。今後のプロダクションのあり方みたいなことはどうなんでしょうか」
宮原「ガンダムは[名古屋テレビ]発でしたよね。名古屋発が僕は非常に良かったんではないかと思うんですけど。まさにアニメの1年間というのはですね、僕なんかが漫画で考えたような大河ドラマですよね。オリジナルだから主人公に読者の感情移入がしていくのに、勿論メカ関係で新しいメカロボットがでてくるんだけども、それだけじゃあドラマは長くは続かないんですよね。主人公を中心とした、大げさにいえば、ものの考え方生き方、ここのところがかなり引っ張っていく力持っていないと。それで視聴者がこの作品の持つ世界を理解するまでに僕は1年かかるんじゃないかという話をしたんですよ。僕はほとんど朝方帰ってましたんで、なかなか放送を見られなくて。土日も出社してましたから。とにかく4回ビデオとってもらってゴールデンウィークは少し休めるからじっくり見るからって。ゴールデンウィークに3回くらい見てね、これは今までになく全く新しいドラマのベースがきちんとできてるんですね。ただまあ4回ってのはほんとにプロローグもプロローグなんですよ。何かものすごく引っ張っていくものがね、こう前へ先へ先へと引っ張っていく何かがあるんですよね。だから何かでいいんですよ。ようするに見る側はね。1年経ったらこれは必ず人気が出ると思うと。そしたらね、視聴率が悪かったんですね。で、暮れ近くなって、確か暮れ、正月ここで視聴率がぐーんと上がりだしたんですね。で、そこら辺りからまあ快進撃で、ずーっと上がっていくんですよね。で、じつは漫画界もですね、現在色々問題があるんですね。我々が目指してきたのは、荒唐無稽・勧善懲悪から脱して人間を描いていこうと、そこにきましたよね。で、ところが経済の高度成長で生き方なんか考えなくていいと。そんなのは要らないっていう若者がどんどんでてきて、結局生活マニュアル・身の回りのささいなこと遊びを描く方向へこの20年行っちゃって。時代が変わってしまった。昔とは違うけれどももう1回人間を描いていかなければと思っても描けるかって言ったら、編集者もそういう訓練していませんから。漫画家もとにかく身の回りのいろんなものを描いていれば読者は同世代感覚で面白おかしく見てくれると。だから大河ドラマとか人間探求していくとかそういうものは描けなくなっているんですよ。だから時代が変化してきたのと合わせて漫画界ピンチなんですよね」
高橋「テレビアニメーションもやはり同じ問題を抱えておりまして、ですから、同じようにドラマより映像、画面では買ってきた缶ビールがどんなふうに転がっているかっていうことの描写がすごく大事になってきたと。ところが、それはしかしやはりニーズが限られている。強烈なファンはいるんですけども拡がらない。でも確かなニーズはある。ここが難しいんですね。話をちょっと元へもどらせていただくんですけれども、映像が出来たガンダムの前、企画書の段階のもの、というのはどうだったですか。企画書そのものに新しさとか、これいいんじゃないかという企画書そのものインパクトっていうのはございましたか?」
宮原「アムロの、僕らの我田引水でいえばですね、人物の性格とキャラクター性ですね、僕らもそれ企画して作っていますから、企画書から読みとるのは得意の方なんですよ。アムロのややそのレジスタンスを持ちながらね、僕は少年っていうのはそういうのがなきゃダメだと。[巨人の星]の話なんかよくしましたからね。で、もう一つは目指す夢ですね。まあこれはガンダムの場合にはモビルスーツを通してだったんですけど。本人は最初は気がついているはずないんだけれども、やっぱり戦時体制の中に入っていくわけですから、平和っていうものをね、持つようになっていく。そのキャラクターを短絡に描くのではなくてそれが渾然となっていくわけですから、そういう味がにじみ出てこなければいけないですよね。企画書の中にそれが感じられたんですよ。それが1つですね。これは僕の全く不得意のところなんですけど、モビルスーツね、これがやっぱし面白かったですね。富野さんが入り安彦さんがどの段階から入られたのか、ちょっとわかりませんけども、おそらく相当サンライズの中でもディスカッションが行われたんじゃないでしょうかね、それは想像がつきますよ。ですからね、おそらく今そういう作る手法がさっき言いましたように漫画も無くなってきた。アニメもねえ、今どうやって作るのかってね。今そういうのが大事なんだけど、なかなか手法を持っている人が居なくなってきたんじゃないでしょうかね」
高橋「技術的なことは日々進歩しているんですけど、どういうものを作ったらいいかというのが。技術の進歩と自己模倣っていいますかね、非常に近いところの仲間うち、もしくは先輩の作品をそのまま要するに模倣して、模倣というよりそれ自体を作りたいという、どうも活力が落ちているかなという感が‥‥」
宮原「そう思いますよ」
高橋「で、サンライズの創業の方たちにサンライズというものが一応ガンダムという成果を生んだある種の必然みたいなものを、志みたいなものをお聞きするんですけども、まあ大体照れ性で運が良かっただけかなっておっしゃるんですよ。でも僕はそんな気はしないんですよ」
宮原「それは違いますね」
高橋「明らかに僕はサンライズ以外のアニメの方ともお付き合いする中で、明確に方向をもってらしたんじゃないかなと。」
宮原「そう思いますよ。」
高橋「で、勿論そのまま真っ直ぐ突き進めるものでもありませんし、いろいろ紆余曲折はあったと思うんですけども、ガンダムを生むまでにはやはり、こうある志があってそれを後に隠したり、前に出したり、ちょっと棚の上に置いたりした時期があったんじゃないかと思うんです」
宮原「多分ね」
高橋「宮原さんはそんなことを外から・・・・」
宮原「感じましたよ、すごく感じました」
プロだったら学ばなきゃいけないんじゃないか
具体的にものを創っていくときに違ってくる‥
若い人たちは勉強が足りないなって感じているんです
宮原「漫画の場合だと今の漫画家の人たち、それから編集の者もそうなんだけれど漫画だけから学んでるんですよね。やっぱりダメなんですよ。現場の年輩者に言わせると学んでいるものが近くのものだけになったっていうんですね。僕はどんな時代になっても世界名作・日本の名作、古典も含め一般の人が読まなくなっているものから、プロだったら学ばなきゃいけないんじゃないかとね。実はそういうもの読んで見て研究していくことで自分のいつか知らない間に世界観というものができてくるんですね。それを持っているかどうか、ここが具体的にものを創っていくときに違ってくるんですね。僕はちょっと今の若い人たちは勉強が足りないんじゃないかなって感じているんですよ」
高橋「あの、ドキッとするぐらいにそうだと思います。ガンダムを作られた方、1人1人それを支えていたメインスタッフの人ってそりゃ勉強してるんですよ。富野さんにしても凄い強烈な個性ありますよね。で、あれはガンダムが当たったからあの個性がでたかというとそうじゃないですよね。もともと持っていらした。安彦さんもガンダムで急に上手くなっちゃったわけじゃないですよね。虫プロに入った時から創業者の沼本さんは『天才が入って来た』って言っていましたからね。また彼は勉強家ですよ。大河原さんも未だに他の人とは違って具体的な造形を自分の工房でコツコツやりながら全然それ自体はロボットとは違うことやって。その積み重ねが1枚のロボットのデザインになって。そういうことからいうとですね、やっぱり僕はスタッフが多少衰弱しているなという気がしますね。僕らの知らないところで新しいエネルギーを持った人が入っているかもしれません。でもそれが上手く掬い上げられるようになってないということもあると思うんですよね」
宮原「ありますね」
高橋「それと周りの今のアニメーションの人たちっていうのは欲が少ないような気がして。欲がないと言うのは金銭欲じゃない。ちゃんとした欲です。欲がモチベーションというかエネルギーですから。欲がないのはダメですよ。」
宮原「そう思いますよ。それでは進歩がないんですよ。いろいろなものを吸収して目的あって勉強するものと目的無くて勉強するのは違いますね。こういうものやりたいなっていうのが出てきたらそれは何かあるんです。そういうのが出てこないとダメですね。なかなか上手くいかないこともあるんだけど、新作にね、挑戦し続けなければいけないんですね」
高橋「そうですね」
宮原「僕はごく普通の発想したんじゃもうダメだと思います。どういう思い切った発想にもっていくか、僕はやっぱり壮大なものを創ることだと。それにみんなでカッとアイデアを出し合う。ただ旗幟を鮮明にすればいいんです。とにかく壮大なものを創ろうよと。するとそれは時代はどこなんだと。今流行のファンタジーなのか、時代が過去なのか未来なのかわからないそういうものがいいのか、とにかく壮大なものを創ろうよって。そうするとね、壮大って何だってね、みんなそれなりに勉強し始めますよ。僕はサンライズだって、これから10年20年積み重ねていくものを創るんだと。ガンダムと違う第2のガンダムを創るんだと。それはやっぱり壮大さだと思いますね。何かでてきますよ。当時サンライズの伊藤さん、山浦さん、岩崎さんあるいは岸本さんがどういう具体的な方向にもっていく話し合いをされたかはわかりませんが、おそらく壮大という言葉とは違うけれども、今までにないイメージ、構想としては長いものアニメーション初の大河ドラマだったと思うんですね。だから、いろいろこういうことをしたらどうかというね、小さいとね、余り拡がらないんです。そういうもんなんですよね。ただ壮大さっていうことでするといろいろなものが、勉強するなかでね、自分自身の遺伝子も拡がっていくんですね。まあ是非次の魂に響く作品をね、サンライズで創って欲しいですね」
高橋「ありがとうございます」
(編注:今回掲載の取材は、昨年の9月に行われたものです。)
現在日本のアニメーションはバブルと言われるような繁栄を謳歌していますが、そのベースには他の国にない日本独特の“漫画文化”がどっしりと腰を据えているのは間違いのないところでありましょう。その漫画文化の基部にも当たり、もっとも華やかな時代を担った重要なるお一人が[宮原照夫]氏なのです。そんな大先輩へのインタビューでありますから緊張するのは当たり前なのですが、緊張と同時に非常にまっとうな安心感に包まれた時間でもありました。それは氏のし遂げられたお仕事や、お仕事への姿勢が尊敬できるものであり、信頼できるものであるからでしょう。いずれにしてもサンライズの創業時のある種の“健やかさ”に触れることができ私は幸せな気持ちになれたのでした。
【予告】
次回は、虫プロダクションの元資料室長であり、サンライズ作品や[宇宙戦艦ヤマト]等の作品制作に参加した経験をお持ちなる出版プロデューサーの野崎欣宏氏(伸童舎代表)の登場です。乞うご期待!