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- インタビュー
サンライズワールド アニメ制作の裏バナシ
第2回 サンライズプロデューサー 塚田廷式(その2)
サンライズにおけるアニメ制作現場の話をお届けする「アニメ制作の裏バナシ」。
第2回目に登場いただいたのは、2008年公開の『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』以降のボトムズ作品でプロデューサーを務める塚田延式さん。
学生時代からサンライズ作品に関わり、サンライズの企画室に入り、その後プロデューサーとなった塚田さんにこれまでの仕事を振り返ってもらった。
(その2)では、サンライズに入社し、企画室にてさまざまな作品の「企画」に関わった際の様子を語ってもらった。
――大学を卒業するのに合わせて、塚田さんはサンライズに入社して、企画室に入られます。そこで最初に関わった作品が勇者シリーズの第1作にあたる『勇者エクスカイザー(以下、エクスカイザー)』になるわけですね。
塚田 タカラさんから、新たに『トランスフォーマー』のような乗物がロボットになる作品をやりたいという話が当時のサンライズの社長である山浦栄二さんのとろこに来まして。その流れで新しい番組企画を考えることになったわけですが、僕は4月の入社前から企画室には出入りしていたので、企画チームにはその前から入っていたという形でした。わりと初期から企画に関わっていたということもあって、その後、企画室の井上幸一さんと一緒にタカラさんとの打ち合わせに出ることになりまして。打ち合わせに行くと、すでに商品とあまり変わらないエクスカイザーの元になるモックアップが出来上がっていたんです。なので、「この商品をもとにして企画書を作っていくしかないよね」ということで、アニメ用のメカデザインを大河原邦男さんにお願いして、僕が企画書を書きました。
企画書では、クルマが異星人であるという設定の部分を書いておいて、後はスタジオや監督を含めていろいろ膨らませていただいたという感じですね。『エクスカイザー』はサンライズ作品としても新しい部分がすごく多かったので、100%僕の企画というわけではないですが、企画書の内容をほぼそのまま作っていただけたので、今までの採用されない設定がたくさんあった経験を踏まえて「こういうこともあるんだ」とあの時は思いましたね。ちなみに、『エクスカイザー』の後にオリジナルの企画を何本かやるんですが、全然決まらず。その後、次に企画書を書くことになったのは『伝説の勇者 ダ・ガーン』でした。
――ちなみに、ヴィシャルデザインの他のメンバーはどのような道を進まれたのでしょうか?
塚田 大学卒業を機に、僕と堀口君はサンライズに入社しました。堀口君は『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』をやっていたので、そのままスタジオで制作に入っていました。その他のメンバーは、ひとりはモデラー、ゲーム会社、一般企業に就職することで、ヴィシャルデザインの活動は大学を卒業した段階で一旦終了ということになりました。
――入社当初のお仕事は、企画室で企画書の制作をするという形だったのでしょうか?
塚田 そうですね。当時は山浦社長の他に、植田益朗さん、内田健二さん、吉井孝幸さんというプロデューサーが各スタジオにいて、それぞれスタジオごとに企画をやっていたんです。場合によってはプロデューサーから頼まれて、そのスタジオで扱う作品の企画書を書くこともしていましたが、僕は山浦さんのお仕事の手伝いがメインでしたね。基本的には山浦さんがスポンサーと話をするための書類制作を、企画を作りながらやっていたという感じで。よく山浦さんに呼ばれて「明日○○に行きたいんだけど、これをまとめておいてね」という感じで、山浦さんの話をよく聞いて、頭の中にあるイメージを皆さんに読んでもらえる文章にして渡すというのが仕事でした。
――その後は、『絶対無敵ライジンオー(以下、ライジンオー)』から始まるエルドランシリーズの企画にも関わることになるわけですね。
塚田 『ライジンオー』からは、企画書を作るだけじゃなくて、制作の方でも1年かけ商品化に関わるロボットのデザインや名前、設定とかそういう部分の協力をしていました。『元気爆発ガンバルガー』、『熱血最強ゴウザウラー』の頃までずっとやっていた感じですね。
それ以外だと、企画書を書いてプロデューサーに渡しても、その後は採用もされずに何も無いみたいなか感じで。いろんな企画書を書いてスポンサーや局に出すんですが、最終的には制作権を他社に持っていかれてしまうことも多くて。
――そうなると、企画書を作っても名前さえ出てない作品がいくつもあるわけですね。
塚田 そもそも、企画はサンライズになるので、個人の名前は出ないです。仕事として僕の名前が世に出たのは、『装甲騎兵ボトムズ』のOVAでプロデューサーになってからだと思います。なので、立場としては、「矢立肇」に含まれている感じと言えばいいですかね。僕の場合は、表に出て何かするというよりも、企画を決める部分の方に近い立場でした。
――企画書の制作は、どのような要望から始まるのでしょうか?
塚田 まずは「ロボットもので」みたいな形で大枠の話をされて、その後ヒントとして「ロボットを3体出したい」、「ファンタジーもので、ドラゴンモチーフで、」というような要素を聞いて、それに合わせて企画を練っていくという形です。だから、企画書で書いたものが、最終的に全然違う作品になることも多くて。
中でも、全然違ってしまった作品に『カウボーイ・ビパップ(以下、ビバップ)』と『無限のリヴァイアス(以下、リヴァイアス)』がありますね。『ビバップ』は僕が書いた企画書を自分でプレゼンに行って、スポンサーと話がうまくまとまりかけて、プロデューサーに企画が渡ったら、作品自体まったく違う作品になったという形です。『リヴァイアス』は制作現場に渡して企画は決まったのですがスポンサーに出された企画書は何となく雰囲気は残っていましたが、まったく違う設定とストーリーになっていました。
――企画書は、完成版に至るまでは、スポンサーや放送局とどれくらいのやり取りがあるものなのでしょうか?
塚田 企画書は、プレゼン資料として提出して、決まらなければそれで終わりです。企画書を読んでもらって「なるほど、こういう感じなんですね。じゃあ、もう少しこうなりませんか?」と返ってくれば、その要望に合わせて修正はします。ただ、それで決定というわけではなくて、「やっぱり、今回は縁が無かったですね」と言われてしまえば終わりだし、新たな要望があれば変更したり……と、そうした部分での回数や頻度は作品によって違いますね。決定権を持つ立場の人が多ければ多いほど、企画として決まっていなくても製作委員会を作れるという話になると制作に入る場合もありますし。企画書は、最初のツールでしかなくて、「やる」ということが決まれば、スポンサーや製作委員会の意向次第で、当初の内容から変わることは当たり前という感じです。
――企画書を持ってプレゼンする際には、どの程度まで事前準備をされるんですか?
塚田 プレゼン用には、必要なキャラ、メカ、世界観設定、場合によってはカラーかモノクロのイメージボードなどを作ります。決めるためにプレゼンに行くのであればいいんですが、そう簡単に決まることは無くて、100回打って、100回三振みたいな感じですかね。
――それくらい、サクっと決まることはほぼ無いということなんですね。
塚田 無いですね。一方で、スポンサー側から「こういう商品を作りたいから、この設定でやって欲しい」というものを積極的に出してくれる企画は、わりと決まりやすいです。ただ、あまりにもいろんなことが決まっていて、「この設定とデザイン、キャラでやって欲しい」というような作品もあって、そうなると当然ながらすぐに制作は決まりますが、それはもういわゆる「企画」ではありませんね。とは言え、社内向けというか、制作スタッフ向けの企画書は作らなければいけないので、企画書という形ではまとめますが、絵柄や設定はすでにできているので、そこに腐心することはないです。一方で、いろいろ決まっていても後から加わってくれるスポンサーや放送局に向けた資料も作らなければならないので、そうしたメインスポンサー以外の方々がやりたくなるような内容で企画書を構築して、多少小手先になりますが新たに加わる方々にとってプラスになるような内容を付け足したり、削ったりして作業することはあります。
――企画段階で監督やデザイナーなどのメインスタッフが決まっている場合もありますが、そうした場合は企画の立て方も変わるのでしょうか?
塚田 企画を構築するにあたって、この方々と作品をやりたいと思っていれば、最初から御一緒したいと思っている方々とお話をして、「参加してもらえますか?」という確認を取ってから始める形になります。ただ、参加を承諾してもらっても、それで企画が確定するわけではないですね。参加する方が決まっていれば、いろんなことを確定させて企画を固めることができる一方で、必ずしも「この人が参加するから大丈夫」とか「この人だから任せられる」ということだけを推していくわけではないです。正直、スポンサーなどの相手方がそれを好むか好まないかというのも正直ありますし。昔はスポンサーさんがアニメのスタッフやキャストに詳しい人はいなかったんですが、今は逆で。「監督は○○さんがいいです」とか、「声優は有名な若手の○○がいいですね」みたいな要望を言われるようになこともあるので。その辺りも最近では、いろいろ変化していますね。
――そうした要望が出るということは、アニメの企画の現場も時代によって変化しているということですね。
塚田 変わっていると思いますよ。僕は作品を通して、自分で「こうしたい」という部分を大事に企画するので、こちらがやりたいことがどのようなものなのか、参加してくれるクリエイターに伝えるようにしています。だから、すべてクリエイター任せで「何をやりたいの?」、「それがいいね、それでいこう」というようなやり方は、僕の場合は無いです。僕の方から「こんな感じの作品にしたい」、「新しいロボットものえこういうメカを出したい」、「こういうストーリーで、こんなドラマをやりたい」ということを、自分でアイデアを出しながら進めるようにしています。
最近だと、「この監督さんがいい」とお願いして、その方におんぶに抱っこなるのが前提という作品が多いように思います。その中でも、何が必要で何が不必要か、どういう作品にすればフィットするのかをちゃんとスタッフや監督と腹を割って話をして、説得した上で作ることができればいいんですが、なかなかそうはいかないので。原作ものならイメージの共有もしやすいですが、オリジナル作品の場合は、そうしたやり取りが特に大変ですね。
――アニメーションにおける企画の話を伺ってきたわけですが、塚田さんは企画に対して、現在はどのような考えがありますか?
塚田 僕自身は、企画というのは誰でもできると思っていたんですよ。もちろん、面白いか、面白くないかという部分はありますが、ルーティンとしてやっていけるものだと思うんです。でも、実際にはなかなかコンスタントに企画を作れる人っていなくて、1年間に5本の企画を作れる人って僕はあまり見たことがないです。企画書の内容のレベルではなく、文章だけでもいいので、やりたいものをどんどん企画にしていけばいいと思うんですよね。そういう部分で、最近はちょっともどかしいところがありますね。もっと自分がやりたいことをどんどん企画として出してくれればいいのにと思っている部分も大きいです。
――アニメーションの企画を立てるという話は、なかなか聞く機会がないので大変面白く聞かせていただきました。スポンサーやスタッフありきの部分も含めて、アニメーションの企画はやはり特殊なものなんですね。
塚田 やっぱり、どうしても他の会社にお金を出してもらって、それで作るというところはありますからね。一緒に仕事をしていた時、山浦さんがよく「アニメ業界は水商売なんだよ」ということを言っていたんです。それくらい、決まったり、決まらなかったりと、どうなるのか先が見えない仕事だと。それは、今でもずっと変わっていないような気がしますね。
(その3)へ続く
塚田廷式(つかだたかのり)
1964年4月18日生まれ。新潟県出身。
1986年大学在学中にサンライズ企画室でヴィシャルデザインの一員として企画作業に参加。卒業と同時に企画室に在籍。以降TVシリーズ企画作製に携わる。
1998年サンライズの子会社として設立されたコンシューマーゲームパブリッシャーの「サンライズインタラクティブ」に転籍。コンシューマーゲームの企画・製作に携わる。
サンライズインタラクティブ在籍中に『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』のプロデューサーを務める。
2008年サンライズインタラクティブ解散後、サンライズに「ボトムズシリーズ」プロデューサーとして復職。ボトムズフェスティバル3作、『装甲騎兵ボトムズ 幻影篇』のプロデューサーを務める。
アニメ制作の裏バナシ 第2回 サンライズプロデューサー塚田廷式インタビュー(その1)