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2022.10.11

サンライズワールド アニメ制作の裏バナシ
第2回 サンライズプロデューサー 塚田廷式(その3)

サンライズにおけるアニメ制作現場の表に出ない話をお届けする「アニメ制作の裏バナシ」。
第2回目に登場いただいたのは、2008年公開の『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』以降のボトムズ作品でプロデューサーを務める塚田廷式さん。
今回は、企画室所属の仕事の後に就いた、サンライズが立ち上げたゲーム制作会社「サンライズインタラクティブ」における、ゲーム制作への取り組みや3DCGを使ったアニメーションへの関わりを語ってもらった。


――塚田さんは1998年からサンライズが設立したゲーム制作会社「サンライズインタラクティブ」の取締役に就任していますが、どのような経緯で企画室から異動になったのでしょうか?

塚田 当時、それまで企画室の室長をやられていた井上幸一さんが新規事業を立ち上げるということで異動になり、僕が企画室の室長代理を務めていました。そのタイミングで、当時のサンライズの社長である吉井孝幸さんから「ゲーム会社は事業としてどうか」という話があったんです。その頃はソニーが発売した最初のゲームハードのPlayStationが絶頂期で、「ゲームを出せば売れる」というタイミングでした。サンライズとしても、アニメーションや3Dも含めて、映像を見せる媒体のひとつとしてゲームを使うことができないかと考えていたんです。そこで、ゲーム会社を作るにあたっての計画などを考えて欲しいと吉井さんから言われたというのがきっかけになります。
その時期は、サンライズはすでにバンダイグループに所属していて、バンダイから企画室に出向で来ていた方がいて、その人は元々コンシューマーゲームの部署にいたということもあって、一緒にゲーム会社の事業計画を出しました。

――会社の立ち上げはスムーズだったのでしょうか?

塚田 ゲームは開発費がかかるので、それなりの本数を売らないといけないということ、ゲームソフトは短期集中で売るようなところがあるので、採算分岐点なんかを考えると新規参入のゲームメーカーは厳しい状況に立たされると思ったので、意見を聞かれた当初は「やめた方がいい」というような話もしたんですが、最終的にはゲーム会社を立ち上げることになりました。元タカラの奥出信行さんを社長に迎え、僕と前出のスタッフ、さらに事務の子などを含めて全社員が5人という小規模のスタートで。ゲームの開発は外注会社にお任せするという、いわゆるパブリッシャーとしてのスタンスでやっていきましょうという形でした。

――ゲーム業界的には、PlayStationやセガ・サターンという次世代機も第2世代に入るよなタイミングでしたね。

塚田 ちょうどPlayStation2やドリームキャストという新しいハードが発売されるような時期だったんですが、開発環境的に特にPlayStation2での開発が難しいという状況にありました。とは言え、PlayStationのソフトはもう終わりという時期でもあり、会社としては新しいハードのローンチで何かゲームを出したいということで、セガのドリームキャスト向けの「サンライズ英雄譚」を作り始めたという形です。

――最初のソフトとなった「サンライズ英雄譚」にはどんな思いがありますか?

塚田 今でも後悔しているんですが、アニメーション制作会社から派生したゲーム会社だったので、もう少しアニメーションに特化したようなゲーム内容、アニメシーンの多いようなゲームにすれば良かったなという思いがあります。もちろん、開発ツールを含めた初期投資も含めて、開発費が結構かかってしまうということもあって、「じゃあ、アニメパートを作って入れよう」と言われても開発費にそんなに乗せられる状況では無かったんです。音声はさすがに収録したんですが、アニメ的な部分はあまり力を入れることができなかったのが心残りでしたね。一方で、「サンライズ」という制作会社がカテゴリーになって、『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』も出るということもあり、セガさんの方からは他のサードパーティーのゲームに比べるとちょっとだけ優遇してもらえるよな感じはありました。当時のゲームショウでもわざわざセガさんのブースで発表させてもらったりもしました。

――その後は、PlayStation2でもソフトを出すようになりますね。

塚田 ソニーさんの方からも「マルチプラットフォームでやりましょう」という話があって、PlayStation2の最初のソフトとして『Gセイバー』というタイトルのアクションシューティングゲームを作りました。いろいろ大変な経験をさせてもらいつつ開発を進めていって、ゲームとして大ヒットというわけではないんですが、ゲームパブリッシャーとしてPlayStation2のソフトを出して、12〜13万本くらい売ることができていい実績になりました。その後も、「サンライズ英雄譚」をシリーズ化し、こちらもPlayStation2でも出すことになり、それなりに売れてはいたんですが、やはり開発費がかかるので連発するわけにもいかず、赤字ではないんですが「もっと投資しようぜ」というほどの利益でもなくて、結構ジリ貧ではありましたね。そこで、『ガンダム』をモチーフにしたPCゲームのタイピングソフト「ザク打〜タイピング一年戦争〜」をリリースしまして。「サンライズ英雄譚」の時に作った際に、「3DCGを使って映像も作れるんじゃないか」ということで、結構3DCGを素材として作成していたんです。「ザク打〜タイピング一年戦争〜」はその素材を使って作ったんです。ある程度利益が出て何とかなっていったという感じです。

――いろいろと広がっていったわけですね。

塚田 その後は、携帯ゲーム機の方でもゲームを出そうということになり。当初は任天堂のゲームボーイで出すソフトを考えていたんですが、グループ会社のバンダイからワンダースワンという携帯ゲーム機が出るという話を聞きまして。方向転換をして、そちらで「ハロボッツ」という、ハロがサンライズのロボットに変身・変形して戦うゲームを作りまして、これも結構売れまして。こちらもシリーズも重ねて、ゲームボーイでも出させていただくことになりました。その後も任天堂のゲームキューブ用のゲームも発売しましたし、マルチプラットフォームとしていろいろとやることができたなという感じはあります。PlayStation2とドリームキャストが好調だった2005年くらいまでは、会社としてはすごくは儲かっていないけど赤字も出ていないという状況でやって行けていたんですが、PlayStation3が出るということになった頃にはさらに開発費が上がってしまい、規模的に厳しいんじゃないかという感じになっていきましたね。

――PlayStation3は、性能が高くなるために開発費も高騰するということは話題になっていましたね。

塚田 会社を立ち上げた当初は、映像を見せるプラットフォームのひとつとしてゲームを考えていたので、Blu-rayを見ることができるPlayStation3は、その目標を到達できるハードでもあったんです。ただ、利益を伴う形で開発を進めるとなる、投資をするのが結構大変なことになってくるタイミングでもありました。一方そのタイミングで、今度はサンライズインタラクティブでも映像を作ろうという話になり、2006年に『装甲騎兵ボトムズ(以下、ボトムズ)』の新作が企画されることになるんです。それが『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ(以下、ペールゼン・ファイルズ)』になります。『ペールゼン・ファイルズ』の前にも『SDガンダムフォース』という作品で、サンライズインタラクティブとして3Dモデリングのお手伝いとかもさせていただいて、その流れから『ボトムズ』も3Dでいけるんじゃないかという話から映像作品にシフトする方向という感じですね。

――ゲームから、3DCGによる映像制作の方に変わっていったわけですね。

塚田 『ペールゼン・ファイルズ』の企画を吉井社長にお話したところ、「『ボトムズ』をやるの?」って聞かれて。僕の方から「今やる意味と価値はあるんじゃないですか?」という話をしていたら「じゃあ、ちょっと高橋良輔さんを交えて話をするセッティングをするから」と話が進んで行ったんです。そこで、良輔さんたちに向けて「新しい『ボトムズ』を作るなら、こんな感じのことをやりたいです」、「3Dモデリングを使うとこんな感じのことをやれます」という提案をして、企画を出しました。

――3DCGを使った『ボトムズ』に対して、良輔さんの反応はいかがでしたか?

塚田 良輔さんに当時言われたのは、「例えば、手描きだとATをたくさん描いて出すのは大変だけど、3DCGなら大量のATを出すことができるね」と言われました。そういうのに使えるならいいよねという話から、内容をどうするかという方向に発展していきましたね。最初に出した企画書は、あくまでもCGを使いますよというものだけだったので、どんな物語にするかを考えるという形になりました。

――ゲーム制作からアニメーション制作へと移行することが決まっていったわけですね。

塚田 とは言え、インタラクティブには制作ラインがあったわけではないので、当時良輔さんが『FLAG』という作品をアンサースタジオというアニメーション制作会社で作られていて。アンサースタジオは3Dの会社でもあるということで、良輔さんの推薦もあってお願いすることになりました。そうして、『ペールゼン・ファイルズ』がスタートするんですが、じゃあゲーム会社の方はどうなったのかと言えば、いくつかの原作もののゲーム制作をやってはみたものの、『ボトムズ』を3Dでやるという話になった時に、あえてゲームというプラットフォームでやり続ける必要は無くなってしまったので、一応会社としては一旦ここで閉じましょうという話になり。2008年にインタラクティブは閉じる形になりました。当時、PlayStation3では、開発費に5〜6億円かかるという話があって。そんなお金をゲーム1本だけ作る業務計画や経営計画は設定できないですし、何本か作るという時にも会社の体力的に追いつかないというのもありました。だから、会社としてもう少し体力があれば継続したんでしょうけど、これ以上お金を融資してもらって作るというのもどうなのよという話もあり。そこで、サンライズインタラクティブとしてのゲーム制作は終わることになりました。

――サンライズはバンダイのグループ会社なのに、バンダイと同じようなゲームを出しているという印象が一般的にはあったと思いますが、それに関してはどのように考えていたのでしょうか?

塚田 元々、立ち上げの段階で僕が反対していたのは、そういう印象を持たれてしまうという理由もあったんです。バンダイさんのグループの中で、バンダイさんがサンライズのコンテンツを使ってゲーム化をしている中に割って入るのはなかなか大変だなと。だからこそ、映像を映すことができる媒体としてのゲーム業界というところに思い切り踏み込めなかった。そういう意味では宙ぶらりんな感じでやっている中で、『SDガンダムフォース』に関わって、3Dモデリングを動かす作品をTVシリーズで出していけるということにはなったものの、やっぱり技術的には早すぎたというところもあって。今は、かなり違和感なくCGを映像的に組み込まれているアニメーションが多いですが、それに比べると10年以上早い作品をやっていたなという感じはありましたね。

――会社としては10年くらいやっていたということでしょうか?

塚田 そうですね。計画したのが96~97年頃で、立ち上げたのが98年。締めたのが2008年なのでちょうど10年になりますね。

――サンライズという会社にとって、ゲーム会社を立ち上げたのはメリット的にはいかがだったのでしょうか?

塚田 今みたいに3DCGの会社さんが積極的にアニメーション制作に関わるという時代では無かったんですよね。だから、当時は「映像の中で3DCGを使ってます」というところで止まってしまっていたんですよね。3Dでロボットは動かせて、ちょっとフィルムに入れられるという程度で。今は3DCGの会社さんは制作ラインもふくめてしっかりされていて、そういう意味では先駆けにまではならなかった。アンサースタジオさんで『ペールゼン・ファイルズ』を作るにあたって、サンライズインタラクティブで使っていた素材が使えたかと言えば、プラットフォームの問題もあって共有化できなかったんです。3Dモデリングは、基本的には制作側でゼロから作って、映像で使用するという形だったので、なかなかゲーム会社自体のノウハウをアニメーション施策にはなかなか活かしきれなかったところがありましたね。

――3DCGの映像を作る上でのきっかけにはなりはしたものの、きちんと繋がりきれなかったということですか?

塚田 企画を進めるなど、そうした部分でのきっかけにはなったかもしれないですが、実際の制作部分ではうまく機能しなかったですね。『SDガンダムフォース』の時でも、当時制作してくださっていたゲーム会社のCG部門の人たちに協力いただいたんですが、そちらも映像制作専門のCGではありませんでした。あくまで、3DCGを作ることができて、動かせるというところだったので、今のように3DCGを映像の中に入れてアニメーション制作を一緒に行う3DCGの会社という形では無かったんです。サンライズインタラクティブもアニメーション制作に携わる3DCGの会社を立ち上げるミッションであればまた違ったと思いますね。

(その4)へ続く



塚田廷式(つかだたかのり)
1964年4月18日生まれ。新潟県出身。
1986年大学在学中にサンライズ企画室でヴィシャルデザインの一員として企画作業に参加。卒業と同時に企画室に在籍。以降TVシリーズ企画作製に携わる。
1998年サンライズの子会社として設立されたコンシューマーゲームパブリッシャーの「サンライズインタラクティブ」に転籍。コンシューマーゲームの企画・製作に携わる。
サンライズインタラクティブ在籍中に『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』のプロデューサーを務める。
2008年サンライズインタラクティブ解散後、サンライズに「ボトムズシリーズ」プロデューサーとして復職。ボトムズフェスティバル3作、『装甲騎兵ボトム ズ幻影篇』のプロデューサーを務める。

 

アニメ制作の裏バナシ 第2回 サンライズプロデューサー塚田廷式インタビュー(その1)
アニメ制作の裏バナシ 第2回 サンライズプロデューサー塚田廷式インタビュー(その2)