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- インタビュー
サンライズワールド アニメ制作の裏バナシ
第2回 サンライズプロデューサー 塚田廷式(その1)
サンライズにおけるアニメ制作現場の話をお届けする「アニメ制作の裏バナシ」。第2回目に登場いただいたのは、2008年公開の『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』以降のボトムズ作品でプロデューサーを務める塚田廷式さん。学生時代からサンライズ作品に関わり、サンライズの企画室に入り、その後プロデューサーとなった塚田さんにこれまでの仕事を振り返ってもらった。まずは、サンライズ入社前に「ヴィシャルデザイン」というチームでさまざまな作品に参加した時代の話を伺っていく。
――塚田さんは、サンライズに入社する前は、デザインなどを手掛ける外部チームである「ヴィシャルデザイン」に所属するメンバーだったということですが、そもそも「ヴィシャルデザイン」はどのような集まりだったのでしょうか?
塚田 「ヴィシャルデザイン」というのは、僕を含めた5人のメンバーで、SF系のメカデザインとかストーリー、挿絵用のイラストみたいなものを造るために作られたグループなんです。会社組織でも何でもない、ただの仲間同士の集まりですね。元々はSF系の同人誌を作るような活動をしていて、今から30年くらい前にサンライズの作品などをピックアップした同人誌を作って頒布する形でコミケに出展をしていたんです。ちなみに、その時はまだヴィシャルデザインとは名乗っていませんでした。そんな中で、当時サンライズの企画室に所属していた井上幸一さんがブラリとコミケ会場で僕たちのブースにやってこられて、リーダー格でその後サンライズに一緒に入社することになる堀口滋君と話をして、「もし良かったら、うちに来て仕事をしない?」と誘われたのがサンライズと関わるきっかけでしたね。
――井上さんも新たな人材を探していたんでしょうね。
塚田 当時は、5人全員に話がされたわけでは無くて、堀口君だけがサンライズの企画室に行って話を聞いて、それをメンバーに伝えるという形でしたね。他のメンバーは既に東京に住んでいたんですが、その頃僕だけが地方にまだいるような状態でした。そして、井上さんから「今、こんな仕事をしているから、何か描いてよ」と言われたのが『機動戦士Zガンダム(以下、Zガンダム)』のモビルアーマーのコンペの話だったんです。
堀口君経由で話がこちらに来て、そこで僕が絵を描いて送って、それに関して後から話を聞いて……という形で作業をしていましたね。ちなみに、その時に僕が描いたのが、メタスのモビルアーマー形態の大ラフみたいなものだったんですが、後から僕が上京して完成したデザインを見たら全然違う可変モビルスーツになっていて。「あれ? モビルアーマーって言って無かった?」という話をしたら、「モビルスーツに変形した方がいいという話になって、メタスになった」という衝撃的な話を聞いたという感じでしたね(笑)。
――それがサンライズでの初仕事だったわけですね。
塚田 そうですね。その頃、他のメンバーはバイアランやディジェの元デザイン、大ラフを作成していました。それを藤田一巳さんを初めとした他のデザイナーさんがクリンナップして本編のデザインとして使われるという流れで。僕らがやっていたのはラフ画をたくさん描くという、アイデア出しというかブレーンのような仕事でした。我々が出した大ラフを井上さんに渡すと、『Zガンダム』のプロデューサーだった内田健二さんがチェックして、採用されるとメカデザインを担当する方がクリンナップする。だから、我々が描いたものに対して「ここを直して欲しい」というようなリターンは無くて、気が付くと本編にバイアランが登場していたりして、後から驚くという感じでしたね(笑)。
――その後も同様の形で作品に関わっていったのでしょうか?
塚田 そうなりますね。そこでグループ名として「ヴィシャルデザイン」を名乗り始めたという形です。絵を描くのは僕と堀口君、柳沢達彦君、桑原弘君の4人で、もうひとり文章系の設定を書く鈴木宏郁君の5人で、『Zガンダム』以降は井上さんの下で働いていたという感じです。当時自分たちで「ザ・下人ズ」って言っていました(笑)。その後も引き続き『機動戦士ガンダムZZ』でもモビルスーツのデザインのお手伝いをしていて。その一方で初めて設定も含めた企画的な仕事に関わらせてもらったのが『蒼き流星SPTレイズナー(以下、レイズナー)』ですね。そちらの元企画をやらせていただくことになって、世界観設定とメカ設定という『レイズナー』の根幹になるような部分をいろいろ作っていきました。
――『レイズナー』では、企画の初期からしっかり関わったということですね。
塚田 そうですね。SPT=スーパーパワードトレーサーという名前があるなら、その前にパワードトレーサーというメカがあったはずという、メカニックの歴史感も含めていろいろ設定詰めることで、スポンサー向けの企画の中の1本という形で提出しています。その時の仮タイトルは『グレイドス』だったんです。後から井上さんから聞いた話だと、当初は別に出ていたもうひとつの企画が通りそうな感じだったのが、なぜか最終的には『グレイドス』が選ばれて、そこからさらに企画を詰めることになりました。そして、「監督は誰ですか?」と聞くと高橋良輔さんということで「えええっ!」って驚いたという。
その後、話が進むうちに『レイズナー』という企画に変わっていったという形です。設定的なところで言うと、V-MAXやトライッポッドキャリアー、バックパックを交換するシステムなんかを作りましたね。「バックパック」という名称は『レイズナー』が最初で、その後ガンダム作品なんかでも使われるようになって。当初ガンダム関係では「ランドセル」って呼ばれていたのが、「バックパック」になったのは『レイズナー』以降です。そうした細かい設定をいろいろと考えても、アニメーションの制作は、基本的にはスタジオにお任せするものなので、現場で設定がいろいろと変わってしまうことはよくあります。それは、監督ご自身がどう見せようとしたか、現場としてどのように作っていくかという話なので、こちらが想定していたものにならないこともよくありましたね。
――『レイズナー』も当初の想定していた設定的な部分から変化した描き方などはあったのでしょうか?
塚田 SPTの当初のコンセプトは、機体ごとに異なるバックパックを換装することで、武装を変えられるというものだったんです。レイズナーの兄弟機としてバルディ、ベイブルが登場しますが、あれは3体存在するというよりは、1体ですべての武装が使えるということを考えた設定になっていたんです。ベイブルやバルディの装備をレイズナーに付けたら違う戦闘ができると。バックパックの違いによって戦術や戦闘の仕方を変えられるというシステムで考えたんですが、それは活かされなかったですね。
その他、『レイズナー』は火星で事件が起こって、地球に帰ってくるというストーリーですが、地球に着くまえに2クールかかるようなストーリーは想定していなかったので、実際に放送を見て驚いたりもしました。3クール目に入ると、いきなり地球はグラドス人に占領されていて、『北斗の拳』みたいな世界観になってさらに驚いたり。設定をやっているとそうした驚きは大きいですね。でも、敵が地球を占領しているところから始まって、地球人もグラドス人と共に働いているなんてSF的にはハイブローな設定なので、「これは凄い」と思ったことも覚えています。
――『レイズナー』はそうした想定外の部分も多かったわけですね。
塚田 後に僕はOVAの『装甲騎兵ボトムズ』のプロデューサーになって、高橋良輔さんとお話をさせていただくわけですが、そこで良輔さんがどのような考え方で、どういう風に物事をとらえているのかという話を聞いたので、『レイズナー』があのような展開になることも納得できましたね。それは、監督の嗜好や考え方によるものなんだと。そういうことは、20年経ってからわかったことでした。
――一方で、映像になったからこそ良かった表現などはありますか?
塚田 V-MAXの映像表現は面白かったですね。そもそも、V-MAXは、戦闘機の離陸する際に出力を上げる順番にV-1、V-2と呼ばれていて、最後がV-MAXとなり、つまるは最大出力や最大加速を指しているんです。設定的にはV-MAX=フルパワーを出しますと文章では書いていたんですが、映像ではスピード感も含めて「なるほど、こう見せるのか」と感心しました。僕らはSF的な考え方がどうこう言いながらも、頑張って一枚絵を描くのが精一杯で。ロボットのデザインについても、いろんな形でデザインはするけれど、それがアニメーションでどう動くか、どういう使われ方をするかということまで表現できない。そういう意味では、プロの人たちがやることは違うなと、当時は思いました。
――塚田さんたちが作った設定は、『レイズナー』の本編にはどれくらい活かされたと思いますか?
塚田 実際に僕らが作ったものって、90%は使われていないんだろうなと思っていて。設定はやはり言葉の部分だけのところが大きいから、映像としてイメージできないとなかなか使ってもらうのが難しいんだなと思いましたね。出力が何%で、通常の何倍強いとか書いてあっても、それは映像にならないし、なかなか結び付かない。そういうことは、『レイズナー』でかなり体験的に思い知りましたね。
――やはり、プロの仕事とアマチュアの趣味とは違うということですね。
塚田 そうですね。もともと僕らはSF好きで集まっていたんです。スタジオぬえの加藤直之さんや宮武一貴さんが描くメカ、要は『宇宙の戦士』の挿絵用に描かれたパワードスーツに影響を受けて、SFでいろいろ考えて行こうよというグループだったので、何となくアニメを少しバカにしていたところがあったんです。当初は、アニメの企画を作りたいというよりは、SF的にちゃんとした作品を作りたいという感じで。
ある意味、アニメーションのロボットって、子供向けですよね。『機動戦士ガンダム』が放送されて多少ハイターゲットになりましたが、やはり「関連商品を売る」というアニメのベーシックな部分は変わらないわけで。だから、SFとしてのメカ的説得力持つ形で、足の無いメカを描いても、「足がないから立たないので商品になりません」と言われてしまう。でも、僕らとしては、SF的に面白いものとか、新しいというような企画を構築していたので、そこが受け入れられないところではありましたね。
――実際にSF的な要素をメインにしたロボットが採用された作品はありますか?
塚田 模型雑誌の月刊ホビージャパンで連載していた『クルーズチェイ サーブラスティー(以下、ブラスティー)』という作品があったんですが、それを別冊という形で1冊のムックにした時はかなり自由にやらせていただいて。それこそ、ロボットも足のようなものがあるけどそれは立つためのものではないというような表現をしていて。『ブラスティー』の別冊ムックには、僕らが当時やろうとしていたことが詰まっていると思います。
『ブラスティー』は当時ゲームメーカーのスクウェアから、戦闘機からロボットに変形するメカを主人公にしたパソコン用のゲームを作りたいという話で依頼がきて、その設定を僕らの方でやらせてもらったという形です。ちなみに、ゲーム内のムービーはサンライズが作っています。その流れで、ホビージャパンで『ブラスティー』の小説を連載して。そこで描かれる絵や設定をやりつつ、ムックではより詳細に作品の細部を作り込んでいった形ですね。そうした形で仕事に関わっていたのは、大学時代の4年間で。だから、プロの集団というよりは、セミプロというか素人に近い感覚が強かったんです。
――ヴィシャルデザインとして仕事に関わったのはどれくらいまででしょうか?
塚田 『Zガンダム』、『ガンダムZZ』の次が『レイズナー』で、その次が『機甲戦記ドラグナー(以下、ドラグナー)』。そして、大学を卒業するかなって時に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(以下、逆襲のシャア)』に関わって。それが学生時代にやった最後の仕事だったと思います。
――『ドラグナー』の設定や企画に関しては、『レイズナー』に比べていかがでしたか?
塚田 『ドラグナー』は、『レイズナー』に比べるとこちらのアイデアをすごく使っていただいた印象がありますね。メタルアーマーというロボットの設定に関しては、文章設定的なところで協力をしつつ、必要なところでは絵を描いたりもしていました。
メタルアーマーは、フレームがメインであって、アーマー部分はおまけなんですよね。だから、ひとつのフレームでD-1、D-2、D-3のアーマーを使うことができるような考えだったんですが、これも『レイズナー』と同じ轍を踏んで、結局D-1、D-2、D-3が1機ずつ3機作られて活躍するという形になってしまっているんです。
だから、せめて本編の中で「3機ともD-1のアーマーで出撃するぜ」みたいなことをやって欲しかったんですが、そういうことが実現しないのは仕方がないかなと。やっぱり、スポンサーさんがあってのアニメーションですからね。商品のラインナップやバリエーションを考えて3体並ぶということがあれば、3体必要なんです。1体で3役できるというのは設定としては合理的で、他にはないところなんですが、そのままではなかなか表現できないですよね。
――『ドラグナー』のデザインは、当時どんどん先鋭化していたリアルロボットアニメにおけるロボットデザインを突き詰めたひとつの形のようにも見えました。
塚田 今考えると、「なんでロボットにサバイバルナイフを持たせるのか? プラスアルファしたナイフじゃないとダメなんじゃないか」というツッコミをしてしまいますが、リアルな兵隊的なロボットとして、「人間の歩兵ならナイフや手榴弾、予備マガジンとか必要だよな」と取り付けていったのが『ドラグナー』での考え方で、他のリアルロボットアニメものとの差別化という意味では、リアルを求めていた感じはありますね。
『レイズナー』と同様に設定はたくさん作ったんですが、やっぱり使われないものが多くて。これは、ある意味アニメの仕方がない部分だなと思いましたね。アニメーションの会社に勤めて初めてわかることはいくつもあって。やはり、制作的に問題が出てくるようなことは、プロデューサーとしては排除したいと考えるんだろうなと思うと、設定を作っても使われないのは当たり前であると、別の意味で理解する部分もあって。ユーザーの時は「違うんだよ、こんなんじゃないんだよ」と言っていましたが、ユーザーであることと作り手であることの違いについては、『ドラグナー』の頃にすごく学びましたね。
――『逆襲のシャア』では、νガンダムの設定などで参加された感じでしょうか?
塚田 そうですね。「何か面白い設定はないか?」と言われて、「みんなで落ちてくる岩を押すんですよ」というアイデアを出したら、地球に落下するアクシズを押さえるというネタに変更されたり、あとはフィン・ファンネルの設定とかですね。νガンダムのデザインに関しても、いくつかアイデアを出しているんですが、それに関しては今度発売される「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 記録全集」に掲載されますが。その作業は、先ほど挙げた『ブラスティー』のムックを作っているのと並行で作業していました。
――『逆襲のシャア』と同じくらいのタイミングで、それまでのリアルロボットものとは毛色が違う『鎧伝サムライトルーパー(以下、サムライトルーパー)』、『魔神英雄伝ワタル』にもヴィシャルデザインとして設定やデザイン協力で参加されていますね。
塚田 『サムライトルーパー』は、放送の前年の年末に『聖闘士星矢』が大ヒットをしていて、「聖闘士聖衣(セイントクロス)」という商品が凄く売れていて。タカラさんから「『聖闘士星矢』のような感じのものをやりたい」という要望があったので、それに応える形で鎧のように装着するというアイデアをいくつか出して持っていったという感じですね。ただ、番組開始までに時間が無かったので、いろいろ大変だったのを覚えています。
『魔神英雄伝ワタル(以下、ワタル)』は、すごく楽しい仕事でした。SDガンダムのようなデフォルメデザインがヒットしているタイミングで、頭身の低いメカを出すということから、劇中に登場するメカのデザインを同時に50体くらい描いて。それをボードに貼り付けて企画のプレゼンに持っていったところ、「これは面白いね」と言ってもらえて決まったところもあったので。こちらからスポンサーに持って行った企画が通ったのは『ワタル』が最初だったので、すごく思い入れがありますよね。それまでの設定やデザインで関わるのとは違って、みんなで考えて、みんなで造り上げたという感じの良かったです。
「明日プレゼンなんだよね」って言われて、徹夜してボードを作ったものを、井上さんが持って「じゃあ、行ってくるわ」って出かけるのを見送って寝るということをやっていて。『サムライトルーパー』も『ワタル』も商品開発に関係するところで仕事ができたということもあって、個人的には結構思い入れがあるんですよね。
(その2)へ続く
塚田廷式(つかだたかのり)
1964年4月18日生まれ。新潟県出身。
1986年大学在学中にサンライズ企画室でヴィシャルデザインの一員として企画作業に参加。卒業と同時に企画室に在籍。以降TVシリーズ企画作製に携わる。
1998年サンライズの子会社として設立されたコンシューマーゲームパブリッシャーの「サンライズインタラクティブ」に転籍。コンシューマーゲームの企画・製作に携わる。
サンライズインタラクティブ在籍中に『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』のプロデューサーを務める。
2008年サンライズインタラクティブ解散後、サンライズに「ボトムズシリーズ」プロデューサーとして復職。ボトムズフェスティバル3作、『装甲騎兵ボトムズ 幻影篇』のプロデューサーを務める。