サンライズワールド

特集

SPECIAL

  • インタビュー
2023.01.10

サンライズワールドクリエイターインタビュー第14回
エルドランシリーズ監督 川瀬敏文<前編>

サンライズ作品のキーパーソンとなったスタッフに、自身が関わった作品の思い出を伺うクリエイターインタビュー。第14回のゲストは、『絶対無敵ライジンオー』、『元気爆発ガンバルガー』、『熱血最強ゴウザウラー』の3部作で構成される「エルドランシリーズ」を手掛けた、川瀬敏文さん。前編では、キャリアの初期に富野由悠季監督のもとで関わったリアルロボットアニメの現場、初監督作の『DEAD HEAT』や「エルドランシリーズ」に関わることになった経緯などについて語ってもらった。
 

――川瀬さんはどのようなきっかけでサンライズに入られたのでしょうか?

川瀬 元々は実写映画の仕事をしたくて学校に通っていたんですが、その頃は日本の映画産業がどんどん弱くなっているタイミングで。一方、『宇宙戦艦ヤマト』がヒットして、アニメ業界が実写映画に比べると元気があった時代だったんです。そこで、先行きがどうなるかわからない実写にこだわって就職浪人するよりは、ちょっとアニメーションの方も覗いてみようかなというような気持ちで、声をかけてくれたところに行ったんです。それがたまたま日本サンライズという会社だったんですね。当時は、アニメもアニメ業界のことも全く知らなかったので、日本サンライズという会社も全然わからない状態で行きました。今のサンライズだったら、僕なんかだと入社試験は通らなかったと思いますが、あの頃は面接しかなかった、いい加減な時代だったのでなんとか潜り込めて。そこからアニメのことを勉強して、知るようになっていったという感じですね。

――どの作品からお仕事をはじめられたのでしょうか? また、実際に入ってみたアニメ業界の印象はいかがでしたか?

川瀬 東映さんからサンライズが請けていた『未来ロボ ダルタニアス』が最初ですね。アニメ業界は刺激的ではありましたね。アニメがどういう風に作られているのか、全く知らなかったので。それでも、その頃は今と違って現場に入って1ヶ月もすると制作進行として、担当を割り振られていた感じですね。先輩の制作進行さんいついていろんなところを車で連れていってもらって、仕事の流れや段取りを教わって、1ヶ月もすると「じゃあ、この話数はお前が進行をやれ」となって。最初は戸惑いつつ、わけのわからないままやっていったという感じで。

――まさに仕事しながら覚えるということだったんですね。

川瀬 そうですね。それこそ、昔の人は職人じゃないけど、先輩がやっているこを見ながら「こっちの方が効率がいいな」とか、「ああいうやり方の方がいいな」というのを覚えていく時代で、手取足取りは教えてくれなかったです。

――その後演出を経て監督のお仕事へと進んでいくわけですが、やはり最初から演出はやりたいという思いはあったんですか?

川瀬 ありましたね。最初から演出はやりかったけど、募集をしていたのは制作でしたから。とりあえず制作の仕事をしながら、作業の全体を覚えて、そこからなんとか演出に移行できないかと隙を狙っていたというか。そういう野心はありつつという感じですね。『未来ロボ ダルタニアス』の後、『無敵ロボ トライダーG7』、『最強ロボ ダイオージャ』と3年近く制作進行をやって、その後、富野由悠季さんの作品で設定制作という、より監督の近くにいって仕事をするような役職になりました。

――その作品が『戦闘メカ ザブングル』で、その後『聖戦士ダンバイン(以下、ダンバイン)』で初めて演出を担当されることになるんですね。

川瀬 そうですね。それも設定制作をやりながらですね。『ダンバイン』は最初5人くらい演出がいたんですが、その中のひとりが途中で抜けてしまって。その穴埋めという形でやらせてもらいました。その前から「演出をやりたい」とずっと言っていたこともあって、「じゃあ、お前がちょっとやってみろ」と。だから、設定制作をやりながら演出をしていたという感じですね。

――演出に関しては、富野監督のもとで学ばれたと思います。富野監督と言えば、厳しい印象がありますが、一緒に仕事をされた印象はいかがでしたか?

川瀬 厳しいですよ。厳しいけれど、とても論理的に教えてくれます。さきほどの「見て覚える」という話じゃないですが、当時は論理的に教えてくれる監督や演出さんはいなかったんです。酷い時には、好き嫌いでものを言われたりとか。そういう意味では、富野さんは「なぜ、ここはこうしなければいけないのか?」という部分の理屈や論理的な演出技法を教えてくれたので、とても助かりました。わかりやすかったですし。その時代に教わったことが、僕の土台になっていると言っても過言ではないです。

――そして、『重戦機 エルガイム(以下、エルガイム)』からは演出がメインになられますね。

川瀬 そうですね。それでも、『エルガイム』は頭の頃は設定制作の仕事もやっていたんです。放送が始まるくらいまで。だから、企画段階は設定制作の仕事をやりながらという感じでしたね。

――この頃は、毎年ずっとやられていますよね。かなりタイトにお仕事をされていたんじゃないですか?

川瀬 タイトでしたね。放送自体が1年で、それが終わったらすぐに次の作品が始まるような状態でしたから。4月から放送が始まって、翌年の3月いっぱいで放送が終わるという流れの中で、次の作品のシナリオやコンテ作業がもう夏過ぎから始めないと間に合わないので、かなり被った形でやっていましたね。ひとつの作品がおわったら次に入るということじゃなくて、サイクルとしてはひとつの作品をやりながら、次の作品もスタートしてくという感じでしたね。

――川瀬さんは、時代的にはアニメが子ども向けだけじゃない時代の変化を感じながら仕事をされていたと思いますが、当時の空気はどのように感じられていましたか?

川瀬 そうですね。アニメーターさんや演出の方の「やり方」は、それまでは子ども向けの作品が多くて、それを中心にやっていて手慣れたアニメーターさんや演出の方が多かったんですが、やはり『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』以降は、「大人でも見ることができるような作品」という方向に変わっていったとは感じましたね。『ガンダム』のような作品が増えて行く転換期だったから、中にはそういうやり方がどうしても苦手な演出さんやアニメーターさんがいらしたのは事実で。そういう意味では、業界の転換期ではありますね。

――一方、現場にはアニメが好きだからアニメ業界に入るという人たちが増えてきた時代でもありますね。

川瀬 子ども向けじゃない作品、より幅広くみて貰える面白い作品をどんどん作れる時代になったということで、いろいろ野心を持っているアニメーターや演出家の人が、若い世代の中から出て来た頃ですね。そう言う意味では、活気がどんどん出てきて、若い世代のエネルギーがあった時代だったと思います。とは言え、基本的な部分はそんなに変わったとは僕自身は思っていなくて。表面的な作品の方向性や質感は変わりつつあったけど、それは変わるというよりも幅が広がったというか。一方で、僕らの世代よりも前からやられている方々は、目指しているもの、志が高かったんじゃないかと。そんな風に感じるところはありますね。

――なるほど。確かに、前の世代の方が作った土台があってのことではありますね。

川瀬 今は、漫画原作があるもののアニメ化が増えてきていますが、それに比べると、僕らの前の世代の人たちは、「アニメで何かやろう」、「子ども向けのアニメーションでも何かできるんじゃないか?」というところで作品を作っていた。そこがやはり志の高いところだと思いますね。

――当時のサンライズという会社の印象はいかがでしたか?

川瀬 良くも悪くも昭和でしたね。ゴッタ煮状態で、スタジオは5つくらいあって、そこにいろんな制作さんや演出さんが集まってやっていたわけだけど、それぞれのスタジオの向かっている方向がバラバラでグチャグチャしてた(笑)。それが面白かったですね。各スタジオごとに特徴があって。今は、制作進行の仕事はマニュアル化しているところもあると思うんですが、あの頃の制作進行なんてものは、自分でやりたいようにやっていましたからね。それこそ、チェック表なんかは人それぞれで。スタッフの組み方や上がりの回収の仕方も、自分なりに工夫してやたりとか。それぞれが考えて、それぞれのやり方でやっていて、「こうしなくちゃいけない」というのが無かったので、パワーがあったというか、パワフルでしたね。

――その後、川瀬さんが初監督されたのは、『DEAD HEAT』という、アニメーションでありながら、立体に見える3D映像の先駆けのような特殊な作品でしたね。

川瀬 VHD(当時、レーザーディスクと規格競争をしていた新しい映像メディア)という規格で発売される特殊な作品で、まずは機械のことを理解するところから入ったので、「初めて監督するのに、何でこんなことをしなくちゃならないの」ってなりました。VHDでは『13日の金曜日』の立体映像のもの(『13日の金曜日 PERT3』)があるから見てくれと言われて、サングラスのようなものをかけて見て。画作りに関しても、「アニメーションの場合はこういう風にしてくれ」と言われて、ちょっとした講習を受けたりもしました。実写の場合は、立体映像は2台のカメラで撮影して、それを右目と左目でみせるような形でやっていたんですが、アニメーションの場合は元々平面に描きますよね。だから、2台のカメラを左右に置くというようなことができないんです。じゃあ、どうするかという話になって、「パースをズラして描けばいい」みたいなことを言って。その他にも立体的な見せ場を作ることを考えたコンテを切らないといけなかったので、難しかったですね。でも、仕事としては面白かったです。やっぱり、新しいことをやっているという感じがありましたから。

――『DEAD HEAT』を経て、『絶対無敵ライジンオー(以下、ライジンオー)』から始まる「エルドランシリーズ」に関わることになるわけですが、どのようなきっかけでシリーズに関わることになったのでしょうか?

川瀬 業界に入った時から、目標として「いつかは自分の作品を作りたい」というのが当然ながらあって、演出ではなく監督がやりたいとずっと思っていました。周りにも「監督がやりたい」と言っていたんですが、なかなか声がかからず。そうこうしているうちに、当時プロデューサーだった内田健二さんが「じゃあ、ちょっと監督をやってみる?」と言われたのが先ほど言っていた『DEAT HEAT』だったんです。ただ、作品としてはあまりにも特殊だったので、お試し期間的にやらせていただいた感じですね。その後に、本格的にテレビシリーズをやってみるかという形で、内田さんから声をかけてもらったのが『ライジンオー』だったんです。最初に僕に演出をやらせてくれたのも内田さんで、監督に抜擢してくれたのも内田さん。そういう意味では、大きな借りがありますね。

――『ライジンオー』は、玩具メーカーのトミーさんがスポンサーの企画ですが、どのようにスタートしたのでしょうか?

川瀬 当時、タカラさんとバンダイさんが合体ロボットものの商品を展開していて勢いづいていたので、トミーさんも自社で昔やっていたような合体ロボットものの路線を復活させて、参入したいと。「こういう玩具を商品化したいので、それにあたって番組を考えてください」という話をいただいて、「この玩具に対して、どういう作品を作ろうか」という企画の頭から噛ませてもらっていました。

――では、商品のおおまかなギミックなどは決まっている形だったのでしょうか?

川瀬 そうですね。どのように合体するのかなど、ギミックの大筋は決まっていました。ただ、決定にはなっていなくて、玩具自体の商品開発を進めながら、作品の企画も考えていったという形ですね。

 

<後編>に続く

川瀬敏文(かわせとしふみ)
1958年生まれ。アニメーション監督、演出、脚本家。
制作進行、設定制作を経て『聖戦士ダンバイン』で演出デビュー。『DEAD HEAT』で監督デビュー。『絶対無敵ライジンオー』、『元気爆発ガンバルガー』、『熱血最強ゴウザウラー』、『覇王大系リューナイト』、『超者ライディーン』、『銀河漂流バイファム13』などの監督を務める。

 

インタビュー掲載記念でサイン色紙をプレゼントいたします。
詳しくはプレゼントページでご確認ください。

 

 

クリエイターインタビュー掲載記念サイン色紙プレゼント!>>