特集
SPECIAL
- インタビュー
サンライズワールド クリエイターインタビュー
第13回 『疾風! アイアンリーガー』監督 アミノテツロ(前編)
サンライズ作品のキーパーソンとなったスタッフに関わった作品の思い出を伺うクリエイターインタビュー。第13回のゲストは、今年で30周年を迎える『疾風! アイアンリーガー』の監督を務めたアミノテツロさん。前編では、他のサンライズ作品を多数手掛けてきたアミノさんにサンライズでの仕事のきっかけや、思い出に残る作品、そして『疾風!アイアンリーガー』の企画のスタートに対する思いなどを語ってもらった。
――アミノさんが初めて関わったサンライズ作品は高橋良輔監督の『サイボーグ009』になりますか?
アミノ そうですね。『サイボーグ009』では制作進行をやっていました。当時、僕はアーツプロという会社に勤めていたんですが、そこからの出向という形で参加していたんです。その後、アーツプロの制作部が解散することになったので、フリーの制作進行として『伝説巨神イデオン(以下、イデオン)』に参加しています。
――『イデオン』の後に、少しサンライズから離れてお仕事をした後、再びサンライズでいくつもの作品に関わるわけですが、それはどのような経緯があったのでしょうか?
アミノ それには凄い偶然がありまして。確か、『サイボーグ009』の時だったと思いますが、当時第1スタジオが入っていたビルで、偶然のちにサンライズの役員になる植田益朗とバッタリ会うんですよ。植田益朗は僕と通っていた高校が一緒で、ふたりで生徒会の副会長をやったりしていたんです。これは、本当に偶然で。そもそも、植田がそういうアニメの仕事をしているとは露ほども知らずに。彼も『イデオン』で進行をちょっとだけやっていたのかな? 彼は出世が早くて、その後にプロデューサーにどんどんなってしまう。一方、僕はサンライズを離れてフリーでフラフラしながら、とある会社で演出をはじめて。当時、アニメ雑誌にはいろんな作品のスタッフの名前が書かれていたりしたのですが、植田がたまたま僕が別の作品で演出をやっているのを見つけて。「アミノが演出をやっているじゃないかと」となったようなんです。でも、お互い連絡先を知らない。それが、偶然道端でまた再会するんです。僕が歩いていたら、植田が車で現れて「お前、最近演出やっているんだって?」と声をかけてくれて。
――その偶然の再会も凄いですね。
アミノ そうなんです(笑)。それで、「今度連絡するから」と言われて少し経ってから、彼が初めてプロデュースした『銀河漂流バイファム(以下、バイファム)』に呼んでくれて。そこで、演出としては初めてサンライズ作品に関わったという感じですね。
――当時のサンライズはどのような印象の会社でしたか?
アミノ 僕にとっては大きい会社だった。例えば、他の会社で制作進行をやっていて、誰かにお仕事を頼むのがすごく大変だった。スタジオの名前とか知られていないから「今、こういう会社で、こういう作品をこんな状況でやっていまして。そのTVシリーズの何話で人手が足りなくて……」というような説明を全部しないと引き受けてもらえなくて。それが、「サンライズですけど」と言えば済んでしまうのは、僕には革命的でした。あと、当時のコピー機もソーターという、何部かまとめてプリントして別々にまとめてくれる機能がついているのが置いてあって。他は1枚ずつどころか、青刷りというアナログなコピーの仕方をしていたくらいですから。コンテをスタッフ用に印刷するのにものすごく時間がかかって。そういう部分も含めて、ちょっと天国のような場所でしたね。
――アミノさんは他のアニメ制作会社でもいろいろとお仕事をされていますが、それらの会社と比べると、サンライズにはどのようなイメージがありますか?
アミノ やはり、メカものを得意としている会社という印象がありますね。僕は女児向けやギャグ作品など、いろいろとやってきましたが、サンライズはわりと硬派というか、メカものの描き方がちゃんとしていて。僕はギャグっぽい作品が好きだったので、『バイファム』では、メカものにちょっとギャグっぽい要素を取り入れようとしていました。そして、それが本格的になるのはこれも植田が担当した『超力ロボ ガラット(以下、ガラット)』なんですが、これはいろいろ苦戦しましたね。メカとギャグの組み合わせはスタッフもわりとやりたいと思いつつも悩んでいた印象があります。特に『ガラット』は監督の神田武幸さんは、いろいろ悩まれていたようで。そこで、植田と話をして、僕が途中から演出チーフという肩書をもらって、後先考えずにやった結果、打ち切りになったんですよね(笑)。『ガラット』は、玩具きっかけで「ひっくり返すとデフォルメメカがリアルなロボに変わる」というのがスタートであったと思いますし、玩具サイドもいろいろ開発していた印象がありますね。僕としてはなかなか楽しい仕事ではありました。
――サンライズでは、やはり神田監督とたくさんお仕事をされた印象がありますか?
アミノ そうですね。神田さんとは2作品しかやっていないんですが、神田さんは僕のやり方を気に入ってくれて。一緒にお仕事をして勇気づけられたという思いもあって、あの人の存在は特別なんですよね。神田さんとは、手伝いの演出ではなく、みんなで組んで仕事をするという、サンライズ的な仕事の仕方を体感させてもらって。それは、その後の仕事には影響していると思います。
――アミノさんのお名前は、サンライズ作品だとわりと明るい雰囲気の作品、それこそ『SDガンダム』や『ミスター味っ子』などに参加している印象がありますが、ご自身でもそうした呼ばれ方をされている感じはありましたか?
アミノ 多分、それはあったと思います。私の監督デビュー作は『バツ&テリー』という劇場作品で、漫画原作がある不良少年の野球ものなんですが、これも植田益朗プロデュースなんです(笑)。「不良少年野球ものなんか、誰がやるの?」となった時に、植田が「アミノさんでいいよ」みたいな軽いノリで決めたんじゃないかと想像しているんですが(笑)。それ以外にも『ダーティペア』とか、わりとメカものじゃないけど、サンライズとしてはそれなりに主流の作品ににも呼んでもらって。サンライズとしてもそういう明るい感じの作品をやれる監督が少なかったので抜擢されたんじゃないかとは思っています。『SDガンダム』もそういう流れで僕のところに回ってきたんでしょうね。
――『疾風! アイアンリーガー(以下、アイアンリーガー)』の企画に関しても、アミノさんが『SDガンダム』を担当されていたから声が掛かったという印象はありますか?
アミノ 多分、あったんじゃないですかね。『アイアンリーガー』は、バンダイさんが作られたオリジナルのデザインがあって、それをどうするかというところからスタートしているんです。当初は、戦隊モノのような、そういうノリでやろうという話もあったんですが、あまり気が進まなくて、「内容は違った方がいいんじゃないですか?」と提案したんです。この企画も植田益朗から声が掛かって。彼が、アミノとプロデューサーになりたての南雅彦にやらせると采配したんじゃないかと。それで、僕と南さんで、「こういう話にしていこう」と内容を決めて、シナリオの五武冬史さんが企画書を書かれていたのを、「こんな風に変更したいんだけど」とお願いして構成してもらえて。
――それが、バトルものからスポーツものへ変わった部分ですね。
アミノ そうそう。プロスポーツの世界で、弱小チームが頑張るという判り易い図式にして。それが良かったんじゃないかと思いますね。僕としては、スポーツを題材にしてチームが頑張っていく話にしようという思いはあったんですが、いわゆる「スポ根もの」にしようという意思はあまりなかったんです。試合に根性で勝つという描写や努力をして技を磨くということに関して、ロボットがやるというのは、あまり利にかなっていないと思っていて。あくまで「弱い奴らが頑張る話」というのがベースにあったんです。でも、スポーツが題材で、試合の勝ち負けや努力をするという要素に関して、スタッフはほぼ「スポ根をやろう」という意識だったんだと思います。特に作画さんは、そうした思いが強かっただろうし。それは結果としては全然良かったんですが、僕の中では「スポ根もの」の意識はあまりないんです。
――映画の『がんばれ! ベアーズ』と『巨人の星』では、同じ野球を題材にしていても、アプローチが違うというところですね。
アミノ そうですね。だから、『巨人の星』ではなくて、明らかに『がんばれ! ベアーズ』の方が近いと思います。僕としては『ロンゲスト・ヤード』という映画が好きで、それを意識した部分はありますね。この映画は、囚人と看守がアメフトで試合するという話しで、囚人チームは看守チームに勝つわけにはいかないし、所長からも「お前ら、勝つ気じゃないだろうな?」とチームのリーダー圧力をかけられるんですが、囚人チームのやる気に溢れるチームメンバーの表情を見て、「もう、どうなってもいいから頑張って勝とう」という展開になるんですが、そういう要素を『アイアンリーガー』ではやりたいなという思いはあったと思います。
――作品の中にあるフェアプレー精神みたいな部分を描きたいということですね。
アミノ 思いを貫き通すみたいな、そういうところですね。だから、題材としては悪いチームといいチームが戦うことにも、意味があって。『ロンゲスト・ヤード』みたいな感じが出せるといいなと。表現そのものは、もう誰が見てもスポ根ものですから。そこは、多分スタッフのノリがしっかり出たんだと思います。「うおおおおおっ!」とか言いながらボールを投げるとか、そういうことスタッフはやりたかったんですよ。それに、表現に関してもロボットだから自由にできるという感じがあって。「もっと、もっと行け!」と描いていたんだと思います。それが作品の力になった部分でもありますから。
――ロボットだから「この試合で死ぬ気か」みたいなノリもやりやすかったんでしょうね。
アミノ ロボットだからケガとかの心配もないというのが入っていて。やっぱり、アニメーターとしてはすごく柔軟でよい題材だったんじゃないかと思いますね。しかも、メカの作画できないとこれは描けないですから。作画に関しても、アニメーターは本当に大したものですよ。
――『アイアンリーガー』は、話数が進むに従って、作画の勢いがどんどん増して行く感じが、作品のテイストとすごく合っている感じがしました。それは狙ったものだったんでしょうか?
アミノ 最近だとひとつのスタジオでみんなが集まって作画するという機会が減っているのかなと思うんですよね。外注システムがしっかりしている結果、あまり他の人がやった作画を見る機会が少ないというか。当時は、わりと固まってやっていたので、スタジオ内でほかの勢いのある人の作画を見て、どんどんエスカレートしていったというか。手本になるものは参考にしつつ、やるものはどんどんやっていく。それは、各話の演出にしても同じように影響を受けるし、みんなそんなことを思いながらやっていたんだと思います。もちろん、4クールで本数が多かったのも影響しているでしょうね。
<後編>に続く
アミノテツロ(あみのてつろ)
1955年10月10日生まれ。千葉県出身。アニメーション監督、演出、脚本家
『銀河漂流バイファム』『超力ロボガラット』などの演出を経て、『バツ&テリー』で監督デビュー。『SDガンダム』『疾風!アイアンリーガー』『DTエイトロン』『クラッシュギアNitro』などの監督を務める。